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 日本の宗教界では、出家の定義は明確にされているんでしょうか。
 
 出家とは、普通には実社会を離れて、あるいは捨てて、精神的迷いのない世界へ入ろうとする手段、方法かと思います。

 でも、日本の社会では出家したはずの“僧侶”なる人たちが家庭を持ってお寺を運営し、在家の宗教的行事に応えるべく、葬祭にいそしんでいます。

 と、いう事は日本の宗教界は、僧侶なるものは家庭を持っても良い、と考えているんでしょうか。
 それとも、真の出家者とは区別しているんでしょうか。

 ご回答、よろしくお願いいたします。

A 回答 (10件)

 ご無沙汰しています。

(確か前に、ラミダス猿人のときにお話した方ですよね?)浄土真宗の俗には僧侶と呼ばれますが、出家ではない者です。読んでいて思ったことをつらつら書かせていただきます。

 まず、回答No.1さんの補足欄でも少し触れられていますが、釈尊の出家について考えてみましょう。このような質問を受けると、回答者の中には「釈尊の出家こそが仏教における真の出家である。」と結論付けたがる方がいらっしゃいます。もちろん、すべての仏教の基本形は釈尊に有ると言うことを否定するつもりはありませんが、釈尊の出家は実は仏教の出家としては戒律に違反しています。佐々木閑氏の『出家とはなにか』によれば、律の中にある「親の許しが無ければ出家させられません」という規則は、釈尊が在世当時よりあったようです。おいおい、お釈迦さんよぉどのツラ下げて言ってんだよって感じですよね。実際にどうだったかという事は分かりませんが、経典等に書かれている釈尊の出家のいきさつを見ると完全な戒律違反です。そう考えますと、釈尊の出家を仏教における出家の基本形と考えるのも違うのではないかと考えるわけです。

 そして、何人かの方が明治五年の「自今僧侶肉食妻帯蓄髪等可為勝手事但法用ノ外ハ人民一般ノ服ヲ着用不苦候事」太政官布告を、現在の出家者の妻帯についての原因と挙げておられます。間違いではありませんが、出家者の妻帯についてはもっと根深いようです。

 まず、仏教が日本に伝来した時には「戒律」が正式に伝わっていませんでした。正確に言うと「戒律を授ける作法」が伝わっていなかったようです。まぁ、戒律が伝わってませんから当初の仏教者の中に妻帯するものがいてもおかしくなかったわけです。日本の最初の出家者であったのは、飛鳥時代ごろ渡来人の家系であった司馬達等の娘で嶋という方だったと伝えられております。日本最初のお坊さんは尼さんだったんですね。この嶋は善信尼となのり、百済へ赴き戒法も学びますが、かなり時間的な無理があったようで、正式に学んだとはいえなかったようです。

 そして、正式な戒師として戒律を授けることが出来る人物として日本に戒律を伝えたのが鑑真和尚です。仏教伝来は『日本書紀』には552年、『元興寺縁起』『上宮聖徳法王帝説』には538年とあり、文献上は500年代半なのですが、鑑真和尚が来日するのは754年ですから、正確に戒律が日本に伝わるまでに約200年の開きがあるわけです。もちろん、それまで善信尼のみならず仏教研究が進むに連れて戒律を守るまじめな僧達も存在しました。しかし、正式な戒師を要請せざるを得なくなった日本の状況について安藤更正氏は『人物叢書鑑真』のなかで、僧尼の堕落が指摘されています。律令制度の混乱により税金逃れのために僧侶になるものも相次いだようで、政府は禁令等を出したのですが歯止めがきかず、このような混乱状態を防ぐには正式な戒律を与えた僧侶を育成する方が早道と考えたようです。このように、正式な戒律の伝来が遅れたことが日本における仏教者の妻帯一要因といえます。


 しかし、仏教者の妻帯の要因は私はこれだけではないと考えています。これには仏教伝来以前の日本人がそもそも持っていた宗教観も大きく関わっていきます。日本の宗教者達は仏教が日本に伝わるとともに、「聖(ひじり)」と呼ばれるようになります。この「聖」という言葉について、江戸時代の本居宣長は『古事記伝』のなかで「日知り」として、天気予報(雨乞い等も含む)をしたり日本は農耕が中心ですからどの季節に種をまけばいいかなどを人々に教えていたのではないか考えたようです。また、五来重氏は『高野聖』のなかで、聖なる火を管理する「火知り」に由来があり、起源は非常に古いとしています。『古事記』には「聖帝」、『日本書紀』には「聖皇」と、天皇のことを呼んでいることからも、いわば原始的な「宗教指導者」をあらわしたようです。五来重氏によれば、彼らは強い呪力を身につけるために一定の期間山林にこもり厳しい修行をおこなっていた。しかし、修行の期間は一定の時間的制限であり、それ以外の時間は肉食妻帯をすることや生産活動に従事することは至極当然のことと考えられていたようです。
 そして、特筆すべき点はこういった聖が仏教の伝播とともに、仏教徒となり仏教の布教に大きく貢献していたという事です。つまり、日本仏教は教団に所属した正規の僧侶はもちろんのこと、それ以外の聖の力も大きく関わっているわけです。

 こういった聖の史料として「三州俗聖起請十二箇条事」が挙げられます。この中には「(性交渉によって)道が妨げられること自体がいぶかしい」とあり、道心(求道心)さえ堅固であれば日常生活を営むこともかまわないと言う立場が記されています。浄土真宗の人間のなかには「親鸞聖人こそが肉食妻帯した最初の僧侶だ」といいたがる人がいるのですが、これは間違いといわざるをえません。「三州俗聖起請十二箇条事」は「寛弘元年」とあり、西暦では1004年ですから、親鸞聖人から遡ること170年ほど前になります。
 
 つまり現在の日本における出家の妻帯は、戒律伝来の遅れももちろんですが、日本人がもともと持っている宗教心に基づくところが大きいと考えられます。


 このような事を踏まえたうえで、

>>日本の宗教界では、出家の定義は明確にされているんでしょうか。

 一応、仏教においては受戒されているかどうかというのが、一応出家の定義ですかね。ちなみに私は受戒を受けていませんから出家ではありません。

 まぁ、こんな所ですかね。読み直すと答えにはなっていませんね。申し訳ない。急ごしらえの文章のため誤字脱字乱文どうぞご容赦ください。
 合掌 南無阿弥陀佛
  
 

この回答への補足

 感想が遅くなってすみません。

 回答を頂いて思いました。
 釈尊が当時の戒律を無視してまでも出家した“悟り”への強い純粋な想い、を。

 宗教には戒律と言うものがあり、それは“普通”の人々を導くための道しるべ、だと思うのですが、それの伝来が遅れたということを思えば、今日の日本の仏教界の状況を、然もありなんと“合点”出来ます。

 異議は、「釈尊の出家を仏教の出家の基本形と考えるのは違う」と云う処。
 既成の戒律に捉われず出家したその心持(覚悟)こそ、出家の基本かと思いました。

 ありがとうございました。
 

 

補足日時:2012/02/03 11:35
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>>再三の回答ありがとうございます。

甘えて再度、疑問を述べてみたくなりました。
 
 ヘイ。ではもうしばしお付き合いの程を。

 私のように坊さんと呼ばれることをしている人間が、一番質問されることが多いのは「お肉食べちゃいけないんでしょ?」っていうことだと思うんですよ。私も飽き飽きするくらい聞かれてきました(笑)確かに日本の戒律の中には守るか守らないかは別にして「肉食は殺生になるから、お肉食べちゃいけません」ってことになっています。しかし、この「お肉を食べては駄目」という考え方は諸説あってややこしいので細かいことは横においておきますが、大まかに言うと基本的には中国に入ってから成立、または広く浸透した戒律の解釈だといわれています。

 実はお釈迦様は悟りを開いた後でもお肉食べてたんですね。お釈迦様が亡くなったときも、キノコに当たったという説と豚肉に当たったという説と二説ありますし、『サンユッタニカーヤ』の中で釈尊に肉が奉じられそれは牛肉であったといいます。現在のインドでは牛肉は宗教上の理由から食べませんが、この当時は一般社会では普通に食されていました。ただし、この肉食に関してもルールがありまして、まず在家信者の食べ残しでなくてはならない、布施するためにわざわざ殺して調理した肉を受け取ってはいけない(これは在家信者にもむやみに殺生させない配慮だったのだと思います)、また残り物だったとしても人、象、馬、犬、蛇、ライオン、虎、豹、熊、ハイエナの肉は食べることが許されていません。こうかんがえますと、当時食べられていたのは牛、豚、鳥、羊、後は魚肉あたりですかね。

 つまり、当時の出家者は基本的には布施としていただいたものはたとえ肉あっても食べられます。積極的に殺したり、自分のために殺されたことを知っていてその肉を食べることは殺生に当たりますが、布施していただいた肉を食すること自体は殺生には当たらないと考えられていました。

 これは余談ですが、提婆達多という方が「今の仏教教団の戒律がゆるすぎますよ!!」といってお肉を食べちゃ駄目という項目を含めた五つの戒律(五事の戒律)をまとめて釈尊に提出していますが、あえなく却下。これが直接の原因かはなんともいえませんが、後には破門にされちゃうんですよね。


 上記のことを踏まえて、この質問です。

>>「草木を採取してはならない」となると人間、生きていけなくなってしまうのではないでしょうか

これも、お肉と同じと考えればどうでしょう?自分で積極的に草木を摘んだり、自分のために詰まれたことを知っていてその草木を食べたりすることは、先回答で述べた戒律に違反するが、布施されたものを食べること自体は戒律違反にはならないということです。

 そもそも当時の出家者は原則として自炊することは許されていません。(パーリ律蔵には、飢饉の時に釈尊が自炊を許されたことがあるそうですが、緊急時の特例だったのですぐに元に戻されたことが記されています)出家者が乞食(こつじき)の時に布施されたもの以外で自主的に口に入れられるものは、水と歯ブラシぐらいという事になっています。つまり、自ら植物でも動物でも刈ったり殺したりして調理をするという行為事態が禁止されているわけですから、「草木を採取してはならない」という戒律があったとしても何の問題もないわけです。

 また、戒律とはサンガにおける決まりです。サンガというのは仏教者の集まりという意味で広く出家者在家信者も含めた集まりとして解釈されることもありますが、基本的に当時は出家者集団をあらわし、戒律自体は在家信者に適用されるものではありませんでした。

 上記の理由から、先の戒律は出家者に対してのものであり、また草木を「摂取(食べる)」することを禁止したものではなく、草木を「採取(積極的に刈り取ったり花を摘む等の行為)」を禁止したものです。在家信者からの布施でいただいたものを生活の糧にしていた出家者がご心配のように生きていけなくなるようなことはないわけです。 

 急ごしらえの文章のため誤字脱字乱文どうぞご容赦ください。
合掌 南無阿弥陀佛
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この回答へのお礼

 日本の仏教界(と、言い換えます)では「出家の定義」なるものは明確にされてはいないんですね。
 「授戒」は「入門」と受け止めてみました。
 そして多分に曖昧さ、多様さを含んだ世界なのだとも思いました。

 また“当時”の出家者は原則として自炊は出来なかったというのは驚きます。
 
 真の出家を目指すなら、世間の俗事にかかわってはいけないのかもしれません。
 でも仏事を必要としている社会を担っている“お寺”の役割が重要な事も事実で、そう考えるとこの“曖昧さ、多様さ”は“形式”にこだわる日本人には都合がよいと思います。

 真の出家と、“お寺”運営のための出家との二本立てが、日本の仏教界には必要なのではないでしょうか。

 こんな感想を持ちました。
 回答ありがとうございます。
 私にとってはまさに「教えて!goo」でした。

 
 

 

 

お礼日時:2012/02/10 10:38

 どうも。

続けて書かせていただきます。

>>「悟れる人」ならば“戒律”なるものは作らないと思うので、“戒律”は釈尊の弟子たちが作ったものと考えていますが。
 
 確かにあなたのおっしゃるとおりで戒律も含めて「経」「律」「論」をこの三蔵という形が仏教の基本形となるのは釈尊滅後すぐにおこなわれた第一結集以降に弟子達が考え出したものです。しかし、釈尊は「戒律」なるものを作っていないというのはどのような史料や考え方に基づいて出た説かは分かりませんが、間違っていると考えます。
 今回は戒律についてなので、律蔵を中心に考えていくわけですが現存する一番古い史料はパーリ律蔵です。戒律といわれるとイメージとしては「あれは駄目」「これは駄目」という条文だけが記されているイメージかもしれませんが、パーリ律蔵には戒律の条文だけでなくどのような経緯でこの戒律が成立したというエピソードまで詳しく記されています。

 例えば、くしゃみをすると英語圏の方は「Bless you」と声をかけてくれます。これは英語だけでなく、ドイツ語やフランス語スペイン語イタリア語にもこういう言葉があります。日本語でも『枕草子』なんかにはくしゃみの後にかける言葉があったことが記されていますし、『徒然草』には「くさめくさめ」という言葉が出てまいります。こういう風習は古くは古代ギリシャにも見られるようで、世界各国場所や時代を問わず多くの地域でおこなわれているようです。そして御他聞にもれず、お釈迦様の時代にもくしゃみをしたあとにかける言葉があったようです。それはパーリ律蔵や漢訳の四分律の中に出てまいります。
 釈尊在世のインドにはくしゃみをするときに、「長生きしてや(←は私の勝手な異訳です。パーリ律蔵ではjiva、四分律では長寿)」と声をかけ、声をかけてもらったら「長生するわ(パーリ律蔵ではciram jiva、四分律では長寿)」と答えるという風習があったようです。そして、釈尊は生まれつき胃腸が弱く風邪引いたりoppになったりしていました。耆婆(ギバ)という主治医がついてたぐらいですから、まぁあんまり体が丈夫な方ではなかったようです。

こっからが本題

 そんなある日、釈尊はお説教の途中でくしゃみをしてしまいました。するとお説教を聞いていた弟子のお坊さん達が、
「長生きしてや」
と釈尊に声をかけました。しかし、釈尊みんなが口々に「長生きしてや」というもんだから、話しに戻るタイミングをなくしてしまいました。するとお釈尊は
「ねぇ、それやら無いと駄目?それやら無いと、ほんとに長生きできないの?」
と聞くと、弟子の一人が
「そうゆうわけじゃないんでしょうが、なんとなく言っちゃうんですよね。」
というと釈尊は
「じゃぁ、それ止め。くしゃみした人に『長生きしてや』『長生きするわと』をした人は律違反にします。」
という事になったわけです。これで新しい律ができまして、めでたしめでたしと思いきや・・・
 それからしばらくしたある日のこと、お坊さん達が在家の方々と一緒にいたときにくしゃみをしてしまいました。すると、在家の方々は
「長生きしてや」
と声をかけますが、このお坊さん釈尊が「律違反にします」って言われてますから、いろんな人から何度言われても「長生きするわ」とは言いませんでした。すると、在家の方々から「仏教の坊さんは礼儀知らずだ」とか「せっかく言ってあげたのに」とかいう苦情が釈尊のところに殺到します。
 そこで釈尊は、
「ねぇみんなよく聞いて。在家の人はこういう喜びを呼ぶおまじないみたいなの結構好きじゃない?だから、もし在家の人から『長生きしてや』と言われたら、『長生きするわ』と答えてもいいよ。」
という事になったそうです。
 こうして一つの戒律がうまれた・・・・・

てな感じのことが事細かに律蔵ってやつには書かれています。
 文学博士の藤本晃氏などは文学的な要素や文法や異訳との比較研究を根拠に「パーリ(の経蔵や律蔵)はお釈迦様の言葉をそのまま伝えている」という説を提唱しておられますが、私はこの説は無理がありすぎる気がしますので「パーリ律蔵はお釈迦様の言葉をそのまま伝えている」なんてことは言いません。明確な律蔵という形で成立するのは、先に申し上げましたとおり釈尊滅後すぐに行なわれた第一結集以降であると考えます。しかし、釈尊在世に戒律を作る必要がなかったかという事に関しては、戒律を作る必要があったと考えます。
 もちろん、釈尊在世であればなにか問題が起これば、釈尊自身に訊ねればよい訳ですからさほど明確な戒律は必要なかったでしょう。ただ現在の研究においては、釈尊在世の頃の教団は釈尊を頂点としたヒエラルヒーの集団としてではなく、あちこちに遊行集団として衛星のように点在していたといわれています。そうなると、困りごとがあるたびに釈尊にもちかけるなんてことは出来ませんから、ある一定のルールのようなものが必要だったと考えられます。

 そして、先に挙げたようなくしゃみの事例などは、後の人が釈尊が在家の意見に妥協しましたというような内容をわざわざ捏造する必要があるのだろうか?という疑問があります。これについてはくしゃみの事例のみならず、仏教学者平川彰氏の説によれば「植物を取ることを殺生とするか?」という事例もあります。仏教では植物採取は基本的には殺生になりませんが、当時のインドにおいては植物も一種の生命として見られていました。釈尊はこのような外部からの批判を考慮して「世間の人々が草木を命あるものと思っているのだから草木を採取してはならない」という戒律を定めています。それは、釈尊と同時期にマハーヴィーラが開いたジャイナ教においては植物の命を認めており、バラモン教においても輪廻(ここで言う輪廻は六道説ではなく五火二道説)思想においても植物を輪廻の対象と見ていたことからも、この戒律が釈尊滅後に作られたまったくのでたらめとは考えにくいわけです。
 
 このような理由や、パーリ語の文法の中に残った古マガダ語(釈尊のしゃべっていたであろうと考えられている言語)の痕跡の研究等々からも、私はあなたのおっしゃるように「戒律釈尊が作ったものではなく、釈尊の弟子が作った」とはいえません。戒律は弟子達を導くために作られたものであると言うならまだ分かりますが、戒律にはそれ以外の効果もあったと考えています。それは、戒律は釈尊が戒律を守り続けることで釈尊自身の聖性を守るという役割も果たしていたのではないかと言うもう一つの役割です。少なくとも、戒律は釈尊在世から存在していたものであると考えます。

 急ごしらえの文章のため誤字脱字乱文どうぞご容赦ください。
合掌 南無阿弥陀佛

この回答への補足

 再三の回答ありがとうございます。
 甘えて再度、疑問を述べてみたくなりました。

 「草木を採取してはならない」となると人間、生きていけなくなってしまうのではないでしょうか。

 よろしくお願いいたします。

補足日時:2012/02/04 22:20
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 私の書き方がいけなかったか誤解をうんでしまったようで、話に食い違いが有るようなので少しだけ。



 まずはここですね。

>>釈尊が当時の戒律を無視してまでも出家した“悟り”への強い純粋な想い、を。

釈尊が出家した当時は仏教も仏教の戒律もありませんから、釈尊がその時戒律を無視して出家したわけではありません。

>>異議は、「釈尊の出家を仏教の出家の基本形と考えるのは違う」と云う処。

 釈尊が出家した当時の出家作法がうかがい知れる資料としては『マヌ法典』があり、中に四住期というものがあります。ここには人間の一生を「学生期(生まれてから、結婚するまで)」「家棲(住)期(出家すまで)」「林住期(悟るまで)」「遊行期(死ぬまで)」という四つの期間に分けて詳しく説明されています。そして、当時は林住期に高い身分を捨てた人々を尊ぶ風潮にあったようです。
 釈尊が出家された頃はバラモン至上主義に対して沙門と呼ばれる自由思想家達が多く現れ、先ほどの『マヌ法典』に記されるような出家は多くおこなわれていたようです。このようなことを基本にすれば、釈尊が家族も身分も捨てての出家は至極当然のことでだったのでしょう。

>>既成の戒律に捉われず出家したその心持(覚悟)こそ、出家の基本かと思いました。

 ですから、釈尊の出家は「既成の戒律にとらわれず出家した」というような特別なものではなく、釈尊の出家は当時のインドの思想からすれば特に変わったものではなかったようです。(まぁ、親や嫁さんは困ったでしょうけど)


 その後悟りを開いた釈尊が布教を始めると、釈尊を慕い人々が集まってきます。しかし、有る程度人が集まってくるとルールが必要になってきます。そして釈尊「戒律」というルールを作ります。特に「律」と呼ばれるものが集団のルールをまとめたものです。その「律」のなかに仏教者の出家の条件として先に申し上げました「親の許しが無ければ出家させられません」という一文が出ているわけです。そうなると、私達は教典等々でしか知る由はありませんが、釈尊自身の出家は親に許しを得ていないわけですから、仏教者の出家としてはNGなんじゃないかってことになります。



 つまり、私が言いたいのは釈尊の出家はあくまで「最初の仏教者になった人の出家」であって、決して釈尊が考える「仏教者としての出家の基本形」にはなりえないのではないかということです。

 
 大変文章がつたなくて申し訳ありません。急ごしらえの文章のため誤字脱字乱文どうぞご容赦ください。
合掌 南無阿弥陀佛

この回答への補足

 「悟れる人」ならば“戒律”なるものは作らないと思うので、“戒律”は釈尊の弟子たちが作ったものと考えていますが。

補足日時:2012/02/03 22:57
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五戒を守っている僧侶はいないでしょう。

それ以前に仏法自体を理解してない僧侶ばかりです。仏法の話をするのなら神と霊の話をしてはしてはいけないと釈尊がいの一番に言ったことを守っている僧俗はいません。

更の僧侶でありながら、酒は飲む、肉は食べる、嘘はつく、セックスする・・・五戒全部犯していて僧侶と呼べる人は皆無ですね。

ちなみに五戒とは
不殺生戒(ふせっしょうかい) - 生き物を殺してはいけない。
不偸盗戒(ふちゅうとうかい) - 盗んではいけない。
不邪淫戒(ふじゃいんかい) - 交わってはいけない。
不妄語戒(ふもうごかい) - 嘘をついてはいけない。
不飲酒戒(ふおんじゅかい) - 酒を飲んではいけない

この回答への補足

 感想が遅くなりすみませんでした。

 jinseiwalkさんも真の出家者と、いわゆる僧侶とは区別しているんですね。

 我々は世間的“宗教行事”を僧侶に依存しつつ、また一方では“真の出家者”を精神的に求めているのだと思いました。

補足日時:2012/02/03 11:54
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この回答へのお礼

 在家の仏事の世話に忙しいお坊さんはたぶん修行どころではないのでしょう。

 だから橋渡し役として、世間の仏事を執り行う機関と思うようになりました。
 
 回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/02/10 11:27

こんばんは。




>「真の出家者が居ないのであれば、“死語”と云えそうです。」

現代にあっては、「刑事的(刑法)責任を、身分的に連帯して負う」などということは、無いのですから、「勘当」といっても、江戸時代における「勘当だ!」というのと、戦後的に「なんちゃって家長」による気まぐれ的な、せいぜい「出入り禁止」くらいしか意味しないような「なんちゃって勘当」とでは、意味も重みも違うわけです。

仮に「「愛(欲)」から離れる」ことを「出家」というのであれば、「愛(欲)」とは何か、ということを考えなければならないと思います。例えば、「出家」と称しながら、その「要件?」を満たしながら、実はペットを溺愛していたりする、とかでは、どうかと思います。

この回答への補足

 感想が遅くなりすみませんでした。

 真の出家者がいないとは思っていません。
 ただ、多くはないと思います。

 それを知らないのは我々が部外者だから。
 マスメディアの提供に依存しているだけだから。

 その世界の入れば実践者に会えるかもしれません。

補足日時:2012/02/03 11:45
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この回答へのお礼

 情報過多の現代に在っても、真の出家者を知る機会はなかなか得られないと思うので、ネットなどで積極的に探してみようかと思います。

 本当は明治から大正にかけて活動したお坊さんがいたことを知っているけど。

 回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/02/10 11:17

明治政府の「肉食妻帯勝手たるべし」を引用し、政府が許可したと解釈する方がいますが、これは、政治と宗教の分離という観点で、今後は「政府は口出しない」と通告したものであって、政治が仏教徒の肉食妻帯を許可したものではありません。



仏教徒(=僧侶)が堕落を求めた結果、日本の仏教界が勝手に仏教の十戒を破っていると解釈するべきです。

親鸞が堂々と肉食妻帯をし、日蓮も肉食をしたということで、浄土真宗や日蓮宗が大衆迎合で信者・門徒を増やすことになったのですが、曹洞宗や臨済宗などの本流ではやはり肉食妻帯を避ける真面目な出家坊主が多かったと思います。

日本の仏教人口の多くが日蓮宗、浄土真宗ですから、多数の論理で肉食妻帯が認められたかのごとき錯覚を持ちますが、これは「みんなで渡れば怖くない」的な暴論です。

実際、日本の仏教界は世界の仏教界からみればガラパゴス化しているのではないでしょうか。

昨年、法事で浄土真宗の坊主に来てもらい読経をお願いしましたが、この若僧も妻帯し、子供をもうけておりました。
読経後には親ばかの子供自慢の無箸をして帰るのですからあきれた口がふさがりません。
自宅(=寺)に帰って女房殿とセックスをするのかと思うと、折角のお経も有りがたみが薄れました。へどが出ますね。

この回答への補足

 この質問は木造さんの最近の“回答”を見て思いつきました。
 だから木造さんの回答を頂けてうれしかったです。

 これは、明治政府の“御触れ”の解釈の仕方で意見が変わってくるんだろうと思います。
 また、私自身は無知ゆえに、この“御触れ”に接する方法、手段を知りません。

         独り言(ブラジュロンヌさん、こんばんわ)
 
 

補足日時:2012/01/28 23:39
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この回答へのお礼

 木造さんは相変わらず“僧侶”に厳しい目を向けられていますね。
 私も感情的に“なに!このくそ坊主”なんて思う事がたまにありますが、でもこんな時はそう思う「心」をこそ反省するようにしています。

 これもプチ修行、ですよね。

 回答ありがとうございました。

 

 

 

お礼日時:2012/02/10 11:08

いわゆるところの(身近・卑近な?)「愛」とか、そういうのから離れる、ための「出家」でしょうから、


・・・でも、「勘当」のように、意味的には「死語」となってしまっていると、思います?

※「勘当」・・・江戸時代、身分的に課される(身内の)刑事的(連帯)責任から逃れるために、その者の身分を戸籍から外したもの。

この回答への補足

 真の出家者が居ないのであれば、“死語”と云えそうです。

補足日時:2012/01/28 23:25
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現在の日本の仏教界では、「僧侶であっても家庭を持ってもよい」と考えています。



これは、明治政府が仏教界に対し、「肉食妻帯勝手たるべし」というお触れを出して、「別に坊さんでも、肉を食べてもいいし、奥さん子供を持っても構いませんよ」と認めたことによります。
本来なら仏教界の側としては「何を言うか」と反発すべきですが、そこは人間、易きに流れてしまったようです。
最初のうちは反発する人も多かったようですが、時がたつにつれ、なし崩し的に「“おかみ”がOKを出しているんだから、何も厳密に戒律を守る必要はない」という人が増え、現在のようにきちんと戒律を守っている坊さんの方《絶滅危惧種》になっているのです。

本来の仏教における出家とは、厳密に戒律を守って凡夫の規範になるべき人のことです。しかし今は「宗派の決めた一定の修行を経て、宗派内で決められた資格を取得すれば僧侶(出家者)である」と認められていて、必ずしも戒律を厳密に守らなくてもよいことになっています。

私の知る限り、既存の日本仏教の宗派において「妻帯を許していない宗派」というのは存在しません。
ですから、特に「真の出家者」と区別することはありません。
一定の修行を経て資格を取った後、家庭を持つもよし、持たないもよし。持っていない人は「偉い坊さんだ」と尊敬されもしますが、家庭を持つ僧侶にとっては「目の上のたんこぶ」的存在でもあります。

「日本の宗教界では」というご質問ですが、仏教以外の宗教については存じませんので、他の方の回答をお待ちください。

この回答への補足

 一旦はなるほどと思ったのですが、異論に接してウーッムっと唸っているところです。

補足日時:2012/01/28 23:22
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この回答へのお礼

 明治政府の“お触れ”の解釈の判断は私にはできませんが、日本人の形式を重視する考えが、今日の仏教界を発展?させた要因のひとつになっていると思いました。

 日本の社会は真の出家者を求めてはいないんでしょう。

 回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/02/10 10:58

 >ご回答、よろしくお願いいたします。



 教義とか宗派とかによって、妻帯は許されていたはず。質問文の「僧侶」が仏教のお坊さんを示しているのであれば、仏陀にも奥さんとか息子がいたはず。

この回答への補足

 釈尊は“出家”してからは修行に専念し、悟ったとされています。

 妻帯を許してない宗派はあるんでしょうか。

 よろしくお願いいたします。

補足日時:2012/01/28 00:34
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この回答へのお礼

 質問文の“日本の宗教界”は日本の仏教界と云うべきでした。(反省)

 日本の社会では僧侶の妻帯は認められていると思うようになりました。

 回答ありがとうございます。

お礼日時:2012/02/10 10:48

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