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宗教に於いて布施を募ることには何ら疑問は生じません。
また、その行為に対しての功徳を語り、すすめることも理解出来ます。

しかし、経済的にたくさんの財務をできる人を絞込み幹部がその人を膝詰めで説得したり、
また、そこで三桁の金額を決意した人をたとえば、白百合などとなずけ、決意した人の数を
どこどこの組織は白百合何本などといいながら、すすめるのはどうかと思いますが、これは
学会総体の全国的な取り組みなのでしょうか?

創価学会の方教えて下さい。

A 回答 (4件)

No.2です。

再度、回答を投稿したいと思います。

>この話は、ひとつの組織だけのことかもしれませんが、事実です。

■先の回答にも書きましたが、事実であれば
“間違い”です。古くからの創価学会にも成果
主義に陥った幹部がいたのも事実です。
また、長い間に良くない習慣として定着してしま
う事も有るとは思います。


>何を刷り込まれているのでしょうか?との質問ですが、
>価値判断の基準、また、活動至上主義、日常で大切にすべきことが後回しに
>なっている。その原因になるようなことです。

■創価学会の目的は、『広宣流布』と言って、
日蓮大聖人の仏法を広める事にあります。
言いかえれば、御本尊の流布です。
これは貴方なら理解できる事だと思います。
しかし、日々の活動の中で、貴方も次にあげ
られているように、“成果主義”のもたらす
弊害があるのも事実です。
折角、問題点をあげられていますので、個別
に私の思うところを回答したいと思います。


>道理から外れることでもこれが正しいと行う行為全般です。
>わかりにくいと思いますので例をあげましょう。

>1)民音にいけにことがわかっていても、組織の割り当て分はと購入する人がおり、
>しかもご供養と考えている。そのことがわかっていながら、買ってもらうことを優先する幹部。

■これは、全国的な事だと思います。
民音も“メジャー”な公演から、“マイナー”な
公演まで、色々とあります。
メジャーなものなどは、全国の公演数も少なく
創価学会会員までチケットの配布はありません。
マイナーな公演などは、仰るように割り当てとして
チケットが配布され、各地区で購入していただける
方を募ります。大体の方は、都合をつけて参加され
るのですが、なかには仕方なく購入する人もいます。


>2)潮という雑誌があるが、購読者を増やすために、毎週報告をとる。

■これは、私の地域では行っておりません。
私自身も“潮”については購読しておりません。
理由は、購読しても読み切れないからです。


>3)聖教新聞を家族で何部もとる(マイ聖教などの取り組みはいかがなものか)

■これもこのサイトで回答した事が有りますが、
成果主義的な悪習慣の弊害だと思います。
貴方の仰るように、無理やり数合わせで複数部
を購読するのは良いとは言えません。
ただ、友人にあげたり、切り抜きをしたりしている
方にとっては、1部では足りないでしょうから、その
場合、複数部の購読もあり得ます。


>4)婦人部の正の役職の人は、仕事につかない方がいいという空気がある。

■仕事に行かなくても、食べていければ良いと思
いますよ。しかし、御主人の収入だけで食べてい
けなければ、仕事に行かないといけません。
私の周りの婦人部の方は、多くの方が仕事をされ
ていますよ。
また、先日は、仕事先で婦人部の方の振る舞いに
感動され、話をする中で入会された方もおりました。


>などなどです。日常と離れて仏法はないと思いますが、日常に相反するような価値があるように思いますがどうなのでしょう。
>みなさんはそれが当たり前で正しいことと考えているようですが、どうでしょうか

■上記回答の総括として書きますが、現在、創価
学会の組織上の活動には、色々なものがあります。
その中で、そういった活動の裏側には、色々な弊害
もあることは事実だと思います。それを“信心だから”
として片づけるのか、“良くしよう”と思い何か対策が
打てるのかと言う事だと思います。
先ずは問題視できる事が前提だとは思います。
これだけ組織が大きくなると、草創期のように指導者
の一言で、一気に組織が体制を変換できる事は難しい
かと思います。しかし、やはり弊害になっている事は
何とかしないといけないとは思います。
そういった、一会員に負担になる事は、ある意味、不
信感を募らせ、組織を離れて行ってしまう一因を担う
からです。こちらの方が恐ろしい問題だと思います。
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No.2です。



>それとこの質問がもし、事実ならばどのようにお考えですか?
>どちらかというと善悪の発言が自由に判断できるかどうかの方が
知りたいです。

■財務=布施と言うものは、御供養するまごころ
が大事で、その意に功徳が現れるものです。
強要されるものでもないし、競い合うものでもあり
ません。
もし、事実だとしたら、それは間違いです。


>知らないうちに刷り込まれていませんか?

■何を刷り込まれるのでしょうか?
逆に、宗門も無い今となっては、お金の使い途
も無いでしょうから、財務は止めても良いと
思いますよ。
ただ、やはり宗教、信心という立場から言えば、
年に一度、まごころから一口でも御布施をして、
功徳を積ませてあげたいというのは、慈悲なの
ではないでしょうか。

この回答への補足

この話は、ひとつの組織だけのことかもしれませんが、事実です。

勇気ある回答に感謝します。

何を刷り込まれているのでしょうか?との質問ですが、
価値判断の基準、また、活動至上主義、日常で大切にすべきことが後回しに
なっている。その原因になるようなことです。

道理から外れることでもこれが正しいと行う行為全般です。
わかりにくいと思いますので例をあげましょう。

1)民音にいけにことがわかっていても、組織の割り当て分はと購入する人がおり、しかもご供養と考え  ている。そのことがわかっていながら、買ってもらうことを優先する幹部。

2)潮という雑誌があるが、購読者を増やすために、毎週報告をとる。

3)聖教新聞を家族で何部もとる(マイ聖教などの取り組みはいかがなものか)

4)婦人部の正の役職の人は、仕事につかない方がいいという空気がある。

などなどです。日常と離れて仏法はないと思いますが、日常に相反するような価値があるように思いますがどうなのでしょう。みなさんはそれが当たり前で正しいことと考えているようですが、どうでしょうか

補足日時:2012/02/11 18:10
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創価学会 壮年部の者です。



>経済的にたくさんの財務をできる人を絞込み幹部がその人を膝詰めで説得したり、
>また、そこで三桁の金額を決意した人をたとえば、白百合などとなずけ、決意した人の数を
>どこどこの組織は白百合何本などといいながら、すすめるのはどうかと思いますが

■上記の内容が、何処からの情報なのかは
分かりませんが、20数年信心をしていますが
説得や白百合などという話は聞いた事はあり
ません。
私がそれ程上級の幹部では無いので、知らない
だけかもしれませんが、、、。

この回答への補足

確かに高額になると後ろをおしてあげないと難しいかもしれません。
幹部の人が訪れ金額まで踏み込んでお話をしていると思います。

上の幹部の方に機会があったら聞いて見てください。
それとこの質問がもし、事実ならばどのようにお考えですか?
どちらかというと善悪の発言が自由に判断できるかどうかの方が
知りたいです。知らないうちに刷り込まれていませんか?

補足日時:2012/02/10 12:07
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新興宗教は心をサービスする金儲けビジネスなんだから当然でしょ。

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