プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

英語の授業でやったんだけど、小説の中の時間がバラバラに進んでいくのでチンプンカンプン・・・。
エミリーのお父さんがエミリーに及ぼした影響や、ラストになぜエミリーはバロンの死体を抱いて寝ていたのか、その前になぜバロンを殺さなくてはいけなかったのか・・・。気になります・・・。
誰か時間の流れが分るように教えて下さい!

A 回答 (2件)

幸い、ファイルの中に以前書いたレポートが残っていましたので、それを見ながら書いていきます。


といっても、フォークナーの専門家ではありませんので、解釈をそのまま鵜呑みにしないでくださいね。

まず、ミス・エミリーが死んだ時から物語はスタートするのですが、その時期(物語時間の現在)はしばらく経つまであきらかにされていません。
具体的に数字が出るのは1894年、父親が死んだ年です。
このことから、この1894年がこの物語の中心、起点であると考えてよいと思います。
ここから以下年譜を作ってみます。

1894年:父親死去、エミリーは三十過ぎ
サートリス大佐はエミリーに免税措置。
1895年:ホーマー・バロン来る。
1896年:エミリーはヒ素を買う。
エミリーは男性用洗面用品を買う。
エミリーの家に従姉妹が来る。
従姉妹が帰ってから10日後バロン来訪。
異臭騒ぎ。
1904~1910/11:エミリーは陶器の下絵描きを教授。
1926年:税金の通知を持って、人々が屋敷来訪。
1936?年:エミリーは74歳で死亡。

物語ではバラバラに語られるこうしたできごとを時間の経過に沿って整理するとこうなるかと思います。

まずエミリーに対する父親の影響ですが、その前に“we(わたしたち)”と語られる語り手のことを考えてみます。
この“we”は街の人々ではあるけれど、具体的に語り手を特定するものではありません。
ここから読みとれるのは、グリアソン家は常に「わたしたち」という街の住民の注視の対象であった、ということです。

街の中にグリアソン家に釣り合う家はなかった。
エミリーの大叔母ワイアット夫人は精神病だった。
このようなことから、エミリーは結婚相手を見つけるのがなかなかむずかしかったことがわかります。
格下の相手でも良ければなんとか見つかったのでしょうが、父親はそれを潔しとしなかった。そのことに対する街全体の反感も描かれています。

こうして父親の庇護の下(あるいは監視の下)に留め置かれていたエミリーが、衆人環視のなか、父の死後、初めて自分の人生を歩み始めるのです。
 
北部からやってきたホーマー・バロンがなぜエミリーと関わりを持ち、彼女を捨てたのか、さまざまな解釈がありますが、大きく分けて、この三つになるかと思います。

・南部の名家の女性に興味はあったが、いざつきあってみると、年増の彼女に、あるいは名家の格式に、あるいは格式が高い割に財産がないことに嫌気がさした、という説。
・彼はゲイだった、という説。四章で、ホーマー自ら、自分は男性が好きだ(男友達と飲み騒ぐのが好き、とも解釈できるのですが)と言っています。
・彼は『サンクチュアリ』のポパイ同様、性的不能者であったという説。

何にしても、ホーマーは北部人の象徴であり、南北戦争の深い敗北感を引きずる南部人の中に現れたよそ者です。いつかは(工事が終われば)北部へ帰っていく人間です(そうした北部的時間軸の中に生きている)。

しかも、バロン(Barron)は容易にBaron=男爵という称号を連想させ、ホーマーはすなわちホメロス、ギリシャの偉大な詩人の名前です。そのような高貴な名前を持つ、道路工事の現場監督。この名前には彼の持つ矛盾が象徴的に表れています。

家に縛られて、南部的時間軸(最終章でこの南部的時間軸についての説明がでてきます。

the very old men--some in their brushed Confederate uniforms--on the porch and the lawn, talking of Miss Emily as if she had been a contemporary of theirs, believing that they had danced with her and courted her perhaps, confusing time with its mathematical progression, as the old do, to whom all the past is not a diminishing road but, instead, a huge meadow which no winter ever quite touches, divided from them now by the narrow bottleneck of the most recent decade of years.

ここでふれられているのは、エミリーの葬儀に集まった老人の時間概念ですが、同時にエミリーのそれでもあった。この物語の進行のように、あっちへいきこっちへいき、エピソードが複雑に絡み合う、そのような時間軸を南部人は生きている、とフォークナーは考えていたわけです)を生きるエミリーとは、どう考えても一緒になれるはずがなかったのです。

エミリーとホーマーの関係をどう見るか、というのも、一致した見解はありません。
・#1の方のおっしゃるようにもてあそんだ、という解釈。
・ゲイであった、あるいは性的不能者であったために、恋愛関係でさえななかった、という説。

エミリーが彼を愛していたのかどうかさえ、よくわからない。
というのも、ホーマーはエミリーの前に表れた、父親以外の唯一の男性だからです。
愛していようがいまいが、とにかくエミリーにはホーマーしかいなかったのです。

そうした唯一の男性が、自らの下を去ろうとするのを妨げようと、エミリーはヒ素で彼を毒殺します。
死体となった彼は、永遠に彼女から離れることはありません。
その死体は、ぬいぐるみのクマなのか、父親代わりなのか、恋人なのか。
これもさまざまに解釈することができると思いますが、ともかく、永遠に彼女のものとなった彼を抱いて、エミリーは寝ていた。
この結末が、発表された1930年代当時の人々にとってどれほど衝撃的なものであったか想像にかたくありません。

最後にタイトルの由来なのですが、新潮文庫のあとがきに、訳者の龍口直太郎がフォークナー来日時に直接聞いてみたことが書いてあります。
「バラの花ぐらい贈ってやらないと、エミリーがあまりにもかわいそうではないか、という返事がかえってきた」(p.279)
原題は"A Rose for Emily"(直訳すると“エミリーへのバラ”)なのですが、そうしたフォークナーの意を汲んで、かわいそうなエミリーにバラの花を捧げよう、という意味で『エミリーにバラを』とした、とあります。

もちろんこのタイトルをめぐっても、さまざまな解釈があります。

作品の解読に「正解」はない、と翻訳者の柴田元幸は書いています(『アメリカ文学のレッスン』講談社現代新書)。
「世界を解読するたび、我々は自分というファイルを更新している。(…)世界というファイル、自分というファイルの両方をどう豊かに更新するかが問題なのだ」

ここで紹介したいくつかの解釈が質問者さんの理解の助けになれば幸いに思うし、それだけでなく、作品を繰り返しお読みになって、質問者さんなりの解釈を深めていってほしいと思います。
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この回答へのお礼

 こんなに詳しく教えてくれて、ありがとうございました!
今までのモヤモヤが一気に吹き飛んだ気がします。
最初、あの異臭騒ぎは父親の死が原因だと思っていたので…。
「あぁ~そういうことだったのかぁ~」と思う事ばかりでした。 タイトルの意味も納得です。
 この小説は、読む人によっていろんな意見が出るお話だと思うので、ぜひ皆さんに読んで貰いたいですよね。
 本当にありがとうございました!

お礼日時:2003/12/15 21:55

素人ですが:


恐らく厳格であっただろう父親に育てられたエミリーは家柄と自身に対する誇りも伴い、ずっと独身のまま。父親の死後、一時期の周囲の哀れみも手伝って(サートリス大佐の場面)自分たちは特別なんだと思い込む。そこに現れた北部人のバロン。エミリーをもてあそんだ後、去って行こうとするバロン(バロンは自分は結婚する性質ではないと言い切っているし)を永久に自分の物にしておくためにエミリーは彼を毒殺し、永遠の花婿として傍らにとどめておく。
バロンの死体を抱いて寝ていたのは「死が二人を別つとも」側に置いておきたい程愛していたのとバロンの自分への仕打ちに対する怒りと復讐の気持ちからでは無いでしょうか。もう逃がさないわよ、みたいな。

何故「エミリーにバラを」なのか、私も知りたいのでどなたか詳しい方からのお返事が来るといいですね。
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