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この質問欄は、どのようにしたら、日本の都市が国際都市としての意識を持ちうるか?を思想的な側面から答えていただこうというものです。とりわけ私は、最近の名古屋の市長の南京に関する発言を受けて考えざるをえませんでした。以下は抜粋です。

>名古屋市の河村たかし市長は20日、表敬訪問を受けた同市の姉妹友好都市である中国・南京市の共産党市委員会常務委員らの一行8人に対し、1937年の南京事件について「通常の戦闘行為はあって残念だが、南京事件というのはなかったのではないか」と発言した。(……)さらに「真実を明らかにしないと、とげが刺さっているようなものでうまくいかない。一度、討論会を南京で開いてほしい」と求めた。(……)また、名古屋市北区名城の国家公務員宿舎跡地の中国総領事館への売却問題でも、南京市の一行に対し「できれば遠慮していただきたい」と述べ、売却に否定的な見解を示した。(毎日新聞 2012年2月20日 12時33分、ネット配信の政治蘭から抜粋)

河村氏にしてみると、これまでタブー視されていた問題に切り込み、徹底的に議論することが国際人と視点振る舞いだと感じられたのかもしれません。そのような考えの人は、小林よしのり氏をはじめ、他にもいることでしょう。しかし、私は別の国際人の取る態度もあるように思えたのです。

たとえば私の住んでいるパリ。街路では、中東やアフリカ、チベットなどの問題をPRしている外国人の集団が常にいます。フランスという外国に来て問題を訴えることで、外国の市民団体らから制裁を加えてもらおうと陳情しているのです。彼らのフランス語は、たどたどしいことがあります。だが、全員でないにせよ、フランス人らは真面目に聞いているように思います。パリという都市自体が、国際紛争を訴えかける場であり、そこの住民らは自らがその一裁定者としての自覚を持って接していると思えるのです。

ところが、日本の場合。海外からわざわざ、国際問題を陳情にくる外国人らはいません。街路の演説こそあれ、これは日本人が自国の問題を、同朋に向かって訴えかけているに過ぎません。なぜだろうと考えてみると、結局、チェアマンが公平でなければ、自由な議論ができないと考えられるのです。つまり河村氏のように、都市の長が外国人に対して、唐突に議論を吹っ掛けるという失礼な態度を平気でとるのなら、その都市は客観的な仲裁をする場ではありえないと言えます。

実際、これは河村氏だけの問題ではありません。私から見ると日本人は、自分たちだけ安穏と暮らせるユートピアがあればそれでいいという考えに固執してしまっているように思えます。外国人には出来るだけ国土に入ってきてもらいたくないとか、外国の問題は関係ないので、自分たちは関知しないという態度をとっているように思えます。私から見ると、残念ながら、「自分さえよければいい」という態度は、国際人として立ち遅れているとしか言いようがないのです。
右翼は右翼で結構です。また都市の長としての立場ではなく、歴史家という立場であるのなら、南京の問題を問いなおしてもいいでしょう。しかし、都市の長が率先してバランスを崩し、国際的な視野を持ちえないことに暗澹とします。

なぜ、日本人の見方は、このような「引き籠り」になってしまったのでしょうか。そして、引き籠りを脱するにはどのような方法があるのでしょうか。ご自分の外国人との交流体験を交えたお考えをお聞かせください。

A 回答 (11件中1~10件)

ご無沙汰しています。

なかなか熱い議題提起ですね。
大学教員のなかでも昔を懐かしむ人になると、学生のストライキの質が変わったと嘆きます。
昔は、国際問題の解決を訴えたり、社会への疑義を態度で示すために、授業を集団ボイコットしたのに、
今や、授業料の値上げ反対とか大学当局への抗議とか、自分らのことでストライキを起こす考えばっかりだと。
そのうえ、外部の団体からも活発に盛りたててもらおうということで、東大内部なんかでは心もとないので早稲田法政あたりから人を借りてくるというわけで、
明治政府以来、国を牽引する人材育成を目指してきた大学がこういう卑屈な引き籠りの巣窟に成り果てているのが、昨今の日本の姿なのでしょう。

かけがえのない権利を犠牲にしてものを訴えるにふさわしい場があるのか、また、言葉が共感を生み共感が行動を生み、世論が政治を動かすことがあるのか、
日本人はそれらのことを信じていないのかもしれません。
わたしも日本にいると、それらのことがぼんやりとかすんで、よく見えなくなります。風土的に。

名古屋市長も、ものを訴える場所も知らず、言葉で共感を生み出す力学を知らず、共感を煽って世の中を動かすことを知らないのかもしれません。そうすると必然的に、ものを訴える態度も知らないわけですね。
場の成熟、それから、言論の成熟、そして、共感の成熟、さらに、行動の成熟、という観点を引き出してみると、
どうやら、それらをめぐる英仏あたりと日本の差は、メディアの送り手と受け手の歴史的成熟の差なのではないかと思われてきました。
いかが思われますか。

この回答への補足

【締めるにあたって】
河村発言の余波は今後も続きそうですが、政治的バッシングが趣旨ではないので、ある程度、疑問の方向性が見えた時点で、締めようと思います。
・日本が歴史的に開国して浅いこと、
・個人に理想がないこと、
・政治家に公人の立場が分かっていないこと、
ここら辺が問題でしょうか。こうなると、これ以上、「日本は引き籠りである」というテーマを掲げるよりは、細分化して問題を検討した方がよさそうです。つまり日本人が理想を持つことは可能か?とか、公人とは何か?と聞いた方が、正確なお答えが頂けそうに思います。

しかし全体として、日本は疲弊しているなという印象を強めました。3.11以降、そういうことになってしまったのですね。とはいえ、橋下氏に期待ばかりすることにも、私は距離を置きたいな、というところです。

補足日時:2012/02/28 14:08
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この回答へのお礼

おひさしぶりです、雨合羽さん。ありがとうございます。まず学生のストライキ。確かにおっしゃる通りですね。訴えるのは大切なことですが、理想がない、と思ったものです。

この質問欄でも、理想がないことを何とも思わない投稿が相次いで、正直、私は驚いてしまっています。時間が十分にあるご老人が投稿してきているようなのですから、なおさらです。人生が終盤に差し掛かって、理想がないとは何事だろう、と私はかなしい気持ちです。理想とは、日本の尊厳を闇雲に守ることとは別です。理想と意地の区別がつかない。これが日本の現実かもしれません。

モノを訴えるに相応しい態度。おっしゃる通りに思います。政治家、学者、企業人、ジャーナリスト、私人など、それぞれの立場でできることが異なります。たとえば、学者が論文で自分の直感のみを書いたら、笑われてしまいます。真実を検証する形で論じなければなりません。同様に、政治家には、政治家の勤めがあるわけです。

コメディアンや小説家は中々自由です。厳密なことを言う必要はなく、感想を述べていいのですから。しかし近年の政治家は、お笑いタレントや作家という方がいらっしゃるので、自覚がもてないのかもしれません。良くも悪くも、日本は階級がありません。その分、自覚がもてないのだな、と感じます。

同じことで、老人は老人の務めもあると思いたいのですが。

お礼日時:2012/02/28 03:21

iacta-alea-estさま、お久しぶりです。


ご体調のほうはいかがですか。

私の拙い体験を申し上げますと…・。
私は新卒後銀行で格付けやら海外子会社の株式上場の企画に従事していました。
で、当行の社長は英語堪能ながらも、株式上場の説明会の際に、事前に意図的に質疑を演出する「サクラ」があったほうが良かろうと、上司一同英仏それぞれの提携先に打診してみたのです。

イギリス側は当行側の意を察してメンツを立てることに同意したのかすんなり了承したのですが、フランス側がéquitéだったか
justeだったかを主張していたような…? 
とにかく頑なにウンと了承してくれませんでしたね。
何人も、そして可能な限りトップに近い人とも交渉したはずなのですが…。
後にドイツで上場する際にも特段「サクラ」を突っぱねられたことはなかったそうなのですよ。
結局、当行の社長は演技派なので?「サクラ」顔負けに堂々と?していたようなのですが、フランス側の提携先には当行側の提案「サクラ」が姑息に映ったのかもしれません…??

(かたや、フツーの留学生ではなく、たとえばパリ政治学院に在籍している留学生と知るや否や、市井の店先でオマケなどの恩恵にあずかることがそんなにめずらしくないというのは、équitéではなくてprivilègeなのでしょうか?)

>結局、チェアマンが公平でなければ、自由な議論ができないと考えられるのです。

それはごもっともなお考えなのですが…。

>つまり河村氏のように、都市の長が外国人に対して、唐突に議論を吹っ掛けるという失礼な態度を平気でとるのなら、その都市は客観的な仲裁をする場ではありえないと言えます。

そうなのですけれどもね。
日本の政府外交に対する憂さ晴らしの意なのかもしれませんが…まあ、特に対外的にはボールの投げ方を間違えた感は拭えませんね。
二都市間での共同学術シンポジウムなどの手もあったでしょうに。と思います。

>なぜ、日本人の見方は、このような「引き籠り」になってしまったのでしょうか。

というか、「国際都市」を目指すって、言うは易しでなかなか難しそうですよね。
以前パリ「日本館」の話に触れた「国際大学都市」にも通ずるようなお話のようにも映りますが。
なかなかピンと来なさそうな。

そういえば、おまけ。
ドパルデューの岩窟王のご解説、とても納得させられました。
私のほうは、マルセイユの港を闊歩するエデモン=ダンテスがマグレブ風味で浅黒くエキゾチックな風貌を漂わせていたに違いないと勝手に思い込んでいたのです。
あの街の雰囲気もまた、一種独特だとは思いませんか。
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この回答へのお礼

お久しぶりです。お元気ですか? 私は相変わらずです。精神衛生に悪いことは放棄したいという願望を持ちつつ、時折、日本のことが気になるのでした。

フランスはサクラを許容しないでしょうね。公平が大切な国です。でも、それは、時と場合によります。公的な判断を行うべきか、私的な判断を行うべきか、でわかれているようです。
私的なところでいえば、これは偏りがあって当然でしょう。東大にへいこらする人もいれば、物知りにへいこらする人もいます。仕方ないことです。ベンツにのっている人にへいこらする人もいれば、おしゃれな服を着ている人にへいこらする人もいます。誰しも好みはあるというべきです。結局、公私混同しないという意識を持つことでしか、バランスを保てないのです。常に万人に公平とはいきません。

>二都市間での共同学術シンポジウムなどの手もあったでしょうに。

それはいい考えですね。結局、議論したいのなら、市長は丁寧に、議論の申し込みを行えばよかったのです。適当な放言をして、居直ったことを言うから問題になってしまったのです。それにしても、このお礼欄を書きつつ、彼に、私人としての問題意識と、公人としての問題意識の区別がついていないのだなぁ、という風に気付いたものでした。

大学都市のように、外国人と住むことはなかなか難しいと思います。覚悟が要りますね。内心嫌なことがあっても、公的な場では発言を慎まなければなりません。国際都市のミニチュア版とは、案外、寮なのかもしれません。

それにしても、マルセイユもまた、面白い都市ですよね。交易の要になった都市ですから、様々な文化の交流があります。アラブ風のダンテスですか。それもいいですね。確かに、彼の東洋・アジア贔屓は、激しいと言えます。「中国人は我々の師匠格ですな」などと言い出すわけです。1845年頃にしては、画期的な意見と言わねばなりません。中国が同格以上に評価されるようになったのは、十九世紀の後半です。現在は、文化大革命の影響で、文化的な信用力を喪失したのですが。

ともあれ、あらためてデュマは進んだ意識を持っていたと思います。そのうち、調べてみようかなとも思いました。もっともその台詞をダンテスに言わしめたのは、デュマではなく、オーギュスト・マケかもしれませんが。ところで映画L’Autre Dumasはご覧になりましたか? これもジェラール・ドパルデューの主演ではあるのですが、巨漢のデュマの役柄にハマっています。もちろん、デュマ自身は全然、別の容貌をしていたのであって、髪がもじゃもじゃで黒人の血が濃く入っていたのでした。

ところでnonameをお使いになるのは、ネット上で、ユーザーを論評する方がいらっしゃるからでしょうか。追跡不可能なように、ということかな、と思ってみたりもします。とすると、下手にかつてのお名前で呼びかけてはならないな、などと思ったりもします。いかがでしょうか。私は昔通り、「サイコロ」で結構ですので。

お礼日時:2012/02/27 13:57

徳川封建時代に、三百年間も鎖国をしてしまったのは、痛かったと思います。

なおかつ、その政体は非常に緩やかな中央集権主義で、地方の自治権をおおらかに認めたものでしたから、明治政府の号令で、国の近代化をやっつけ仕事ですすめた時に、元のお殿様が地方自治体の知事さんになったこともあって、”ご一新”といっても、国民の意識の変革は中央の望んだスピードではすすまなかったと思います。その後遺症が今も続いているのでしょう。

どうしてこの質問の回答ににアメリカのイラク戦争や、モンロー主義が出てくるか、疑問なのですが、日本とアメリカは、ヨーロッパや中東のような戦争・和平・戦争・講和条約。。。。。と二千年前から繰り返してきた実践のない、外交的には老練の手腕のない国であるところが似ているのかもしれませんね。

判りにくい日本語で申し訳ありません。頑張って書いていますが、やはり哲学のカテゴリーはきついです。舌足らずになりましたが、お許し願います。
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この回答へのお礼

TPPの話以来ですね。お久しぶりです。アメリカ在住の方でしたね。ありがとうございます。

徳川時代の鎖国が問題でしたか。確かにそうですね。鎖国しなければ、日本はなかったという方もいますが……、日本という枠組みより、内実を考えたいと私は思います。まだ開国して二百年経っていません。私たちは変わり目にあるということでしょう。

>どうしてこの質問の回答にアメリカのイラク戦争や、モンロー主義が出てくるか、疑問なのですが、

うまくやっている他国がいれば、模倣して、日本も美味しい思いをして当然という発想なのだと思います。これでは責任感が欠落していると言われてしまいます。極端な話、詐欺師がいれば、詐欺をしよう、という発想に近いと思います。核爆弾を持って、ますます脅迫的なことをしよう、とおっしゃる方もいて、暗澹とします。アメリカもいくらか間違いがあったでしょうが、アメリカがやったから日本もやるというわけにはいきません。結局、理想を持たないと始まらないのです。それだけ、今の日本人のメンタリティが疲弊しているということかもしれませんが、ご老人らがこれでは先が思いやられると嘆き節になっているところです。

もしよかったら、お住まいの都市で、国際的と感じる瞬間がどのようなものかを教えていただけないでしょうか。ご投稿はわかりますので、どうぞ卑下なさらないでください。

お礼日時:2012/02/27 11:35

この命題に関する回答はYESでもあり、Noでもあります。


ご質問者様と同じ見解もあれば、他の人と共有する部分もあります。

まず一首長として軽率な態度を取るべきでないというご質問者様の見解。
これは従来の日本では至極真っ当なご意見です。
実は、こういう方がいないかなと質問を検索してここに来ています。

一方で日本は国会議員の代理として、首長が放言をしてきたという歴史もあります。
今回の河村発言も取り立てて珍しいものではありません。
中国側も従来通りの反応→一地方の首長が持論を展開しているぐらいの認識です。

しかし、日本人であるのならば直近のドル円相場同様、何か空気が変わったことに気付く筈です。
水面下では2002年W杯での韓国の悪態、2004年のアジアカップでの中国の悪態、
竹島問題、従軍慰安婦問題、尖閣問題等、東北大震災等、様々な事件が国民の眠気を覚ましています。

そういう内外の鬱屈を橋下氏の大阪維新でベクトルを変えたとみるべきでしょう。
つまり、日本は質問者様の言うパリに向かって転換中なのです。
これには50年かかるかもしれないし、明治維新の時のように20年でやってしまうかもしれません。

中国側も今までの日本と同じだと思って対応すると、とんでもない火の粉をつつくということです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>今回の河村発言も取り立てて珍しいものではありません。中国側も従来通りの反応→一地方の首長が持論を展開しているぐらいの認識です。

でしょうね。相手は呆れ果てて、大騒ぎする気もないことでしょう。残念ながら、相手の方が大人だということです。

>水面下では2002年W杯での韓国の悪態、2004年のアジアカップでの中国の悪態、竹島問題、従軍慰安婦問題、尖閣問題等、東北大震災等、様々な事件が国民の眠気を覚ましています。

そうですね。良くも悪くもです。聞きかじった程度で、ネット右翼になる方もいらっしゃいます。しかし、それよりは、自分の身で、異文化交流を体感していただきたいと思っております。私はパリで、アジア系の友人らに、責任をとれ!と首を締めあげられております(笑)。
普通の人なら、一回で嫌になるらしいですが、それでも、憎めないのですよ。別に左派だとか、何とかということではなくて。それだけ彼らの苦しみが深かったのだなぁと思っています。それに文化の違いもあります。それを許容してこそ、国際人だと思います。

>そういう内外の鬱屈を橋下氏の大阪維新でベクトルを変えたとみるべきでしょう。つまり、日本は質問者様の言うパリに向かって転換中なのです。

そうでしたか。私はよくわかりませんが、もしよかったら、彼の改革がどういうものか、回答者様の見方で教えていただけませんか。

お礼日時:2012/02/27 11:17

世界共同体の一員としての自覚は必要なことだと思います。


しかし、よりローカルな共同体の具体的な利益を考えることが、
果たして、その義務に反することだと言い切れるかは疑問が残ら
ないでしょうか。

具体的な生活の場所を守ることが、国際感覚を否定することとは
必ずしも言えないのではないかということです。
人間は具体的な両親から生まれて具体的な場所でそだちます。
リアリティの中からしか普遍価値はうまれないことを考えると、
相互理解の出発点もおのずと、まずはそこからということに
ならないでしょうか。
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この回答へのお礼

ハートマインドさん、お久しぶりです。もう一年くらいになるでしょうか。おっしゃることはわかります。というのも、パリは移民が増えた結果、汚くなってしまったと言われますから。私自身も、パリは何でこんなに汚いのかなぁ?と悩みました。一説には、移民が増えたせいだそうです。とはいえ、こればかりは、覚悟を決めて臨むしかないと思います。信念と誇りがないと、できないことではあります。私としては、フランス人に出来て、日本人にできないことはないと思いたいのですが。

お礼日時:2012/02/27 11:06

”パリという都市自体が、国際紛争を訴えかける場であり、


そこの住民らは自らがその一裁定者としての自覚を持って接していると思えるのです”
   ↑
ただの奢りでしょ。
彼らがアジアアフリカに何をしてきたのか
知らないのですか。


”日本の場合。海外からわざわざ、国際問題を陳情にくる外国人らはいません”
   ↑
チベット問題で、チベット人がやっていますが
彼らは外国人ではないのですか?
戦前は、中国からいろいろな人が来ましたね。
孫文、蒋介石、周恩来・・。

フランスと比べれば少ないでしょうが、それは日本が軍事力
政治力を持っていないからでしょう。
それが国際都市、てことですか。
日本も、核武装して常任理事国になり、欧米と張り合う
ようになれば、沢山来日するでしょう。


”都市の長が外国人に対して、唐突に議論を吹っ掛けるという失礼な態度を平気でとるのなら、
その都市は客観的な仲裁をする場ではありえないと言えます”
    ↑
フランスは大統領が、トルコの虐殺問題を取り上げて
EU加盟を拒んでいましたが、それでも客観的なのでしょうか。


”残念ながら、「自分さえよければいい」という態度は、
国際人として立ち遅れているとしか言いようがないのです”
    ↑
アメリカ人は、自分たちだけの石油利益のために、平気で
イラクを侵略して、10万も殺しましたね。
それが国際人の資格だ、というなら、国際人などに
ならない方がよいのではないですか。



”都市の長が率先してバランスを崩し、国際的な視野を持ちえないことに暗澹とします”
   ↑
真実よりもバランスの方が重要だという
その根拠はなんでしょう。
日本に無実の罪をきせ、日本を貶めるようなことを放置するのが
国際人なのですか。


”なぜ、日本人の見方は、このような「引き籠り」になってしまったのでしょうか。
そして、引き籠りを脱するにはどのような方法があるのでしょうか。
ご自分の外国人との交流体験を交えたお考えをお聞かせください”
  ↑
押しつけられた平和憲法が原因だと思います。
日本も軍備を充実し、核武装して米国と渡り合える
ようになれば、引きこもりも解消しますよ。

私には中国人の知人が多いのですが、彼らは日露戦争や
天安門事件を知りません。
南京事件について、いろいろな説があるということが
理解できません。
何よりもまず、そういう人たちに、事実を教えることが
前提でしょう。
そうでないと、議論も何もあったものではありません。
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この回答へのお礼

ヘイキュウさん、私の質問に逐語という形で回答してくださり、ありがとうございます。私の方は、まとめつつお返事させていただきます。

>>パリという都市自体が、国際紛争を訴えかける場であり、
>ただの奢りでしょ。

これはよく言ってくださいましたね。その通りです。十九世紀、フランスは植民地を多く持ち、非道なことをしていました。しかし、、それでも今は、仲裁をする立場になっています。過去の過ちを乗り越えて責任ある立場になっているのであって、見習ったらいいように思います。

結局、真実とは何か?より、問題は、将来、どうやって責任ある立場に日本がなるかということです。この答えが、核武装して、憲法を改正する、ということのようですね。うーん、説得力がありません。だって、想像してください。引き籠りの社会と没交渉の人間が、武器を持ってしまったら、困ると思いませんか? やたらと武器を持って脅迫する国に、信用力はありません(アメリカなどのこと)。結局、フランスがフランス足り得るのは、核兵器というより、文化の埋蔵量によると思います。日本も潜在的にはあるはずなのですが……。

>私には中国人の知人が多いのですが、彼らは日露戦争や天安門事件を知りません。南京事件について、いろいろな説があるということが理解できません。

理解できなくて、まったく当然のお話しに思います。喩えていえば、レイプされた被害者に、レイプされた側が悪いということもあり得る、などといい立てるだけ、バカなお話しではないでしょうか。いわゆるセカンド・レイプというもので、裁判でこれを言ったら、罰がさらに重くなってしまうことでしょう。被害者の意見が尊重されてしかるべきです。こういう最低限の礼儀を守らないと、お話しの場自体、壊れてしまいます。

うーん。若者に国際社会で責任を担える日本という夢を持たせることをお考えになってくださいまし。今のご投稿はレイプした者勝ちで、いかにして罪を逃れるか?という意見を展開しているように見えて、残念に思います。

お礼日時:2012/02/27 10:55

なぜ、日本人の見方は、このような「引き籠り」になってしまったのでしょうか。



〇 よくわからない論ですが、海外で長く暮らした経験から言えば、どのような人種であれ論議は徹底してやるものです。そこに初めて信頼が生まれると思います。だから詐欺師とは仲とくなれないものなのです。日本人ほど海外に溶け込み是是非で信頼される人種はいないと思いますね。
一方、嘘で固めた国家である中国や北朝鮮の市民と日本人や外国人が仲良くなれないのは至極当然のことかと思います。まず自分の頭で考え行動する習慣をつけることが先決ですね。名古屋市長は自分の考えを述べているわけですから至極まっとうですね。それに対して中国の人たちは共産国家の代弁者でしかないように見えますね。それでは仲良くしようがないでしょうね。

この回答への補足

【全体の補足】
私の質問の書き方が悪かったのかもしれませんが、
・国際的な意識の持ち方とは何か、
を定義する形で、まずは回答し、それからご意見を展開していただけないでしょうか。

闇雲に議論を行えばそれでいいとか、反省もなく、中国を批判する逆切れ回答ばかり来るのは、さすがに趣旨が外れていると感じます。

補足日時:2012/02/26 14:47
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この回答へのお礼

ミッキーさんは、議論に参加はなさるらしいが、議論の場を用意するという発想には到ってらっしゃらないようです。まず、チェアマンやジャッジが公平でないところで議論ができますか? できないでしょう? 
実際、ミッキーさんも、嘘で塗り固められた相手とは仲良くなれないと認めています。

>嘘で固めた国家である中国や北朝鮮の市民と日本人や外国人が仲良くなれないのは

だが、立場を変えれば、相手も同じように思っていることでしょうね。
であるからこそ、敢えて、都市の長は公平な立場をとり、議論を調停しなければならないのではないですか? こういうことを河村さんは考えてくれたんでしょうか? 単に右派的な言説に踊らされ、何も考えていなかったように私には見えます。

お礼日時:2012/02/26 13:54

過去のアメリカモンロー主義も触れないとフェアではない気がします。



国家の思想や主義、正義は便宜的に使われるものです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。アメリカも引き籠りでしたね。「正義」については、確かに距離を置くことが必要です。

お礼日時:2012/02/26 13:40

>「自分さえよければいい」という態度は、国際人として立ち遅れているとしか言いようがないのです。



万人が認めざるを得ない一般論(Generally Agreeable Truth)に持ち込んで、河村氏支持の発言を封じ込めようという意図が伺えますが、

「一度、討論会を南京で開いてほしい」と求めた河村さんを例に挙げ、「自分さえよければいい」という態度であり、「引き籠りになっている」と結論づけるのは、論理が飛躍しすぎです。

iacta-alea-est3さんにしては、珍しく質問文の日本語が”不可”ですね。
フランス語を(外国語を)つかって正しく表現する努力をしている方々は一般的に母国語での論理性も向上するやに思って(憧れて)いましたが、例外もあるっちゅうことですかいな。
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この回答へのお礼

親方、お久しぶりです。どうぞそのまま、サイコロで結構ですので。さて相変わらず、鋭いですね。しかし次の点はどうですか?

>「一度、討論会を南京で開いてほしい」と求めた河村さんを例に挙げ、

これが紳士的に申し出たのであれば、親方のおっしゃるとおりでしょう。しかし毎日新聞の抜粋からは、そうは読めませんでした。不動産のことなどに懸念を示していますね。これは、日本国内から外国人は出ていってもらいたいという遠回しな意見表明ではないのでしょうか? 都市の長がいうことではないでしょう。

結局、問題は「討論会を開いてほしい」という一節ではありません。親方の論法は、河村氏は討論の正式な申し入れを丁寧に行った、と議論をすり替えているように私には思えます。違うでしょう? 虐殺はないとか、土地を買うなとか、好き勝手に放言して、話の成り行き上、最後は「討論会を開け」と開き直ったとしか受け取れません。

親方、こういう話題で若い者をからかってはなりませんよ(笑)。

お礼日時:2012/02/26 13:39

既に南京問題は挑戦慰安婦問題同様真実追求は不可能となり政治問題になっているので、私は河村氏のような正攻法的態度はこれまでの既製政治家になかったひとつの望ましいありかただろうと思います。

日本の国際化に反するとか無関係ではなく、むしろ責任ある政治家の態度として戦後左派日本人の典型モデル村山元総理の対極をいく、国際標準に近いいきかたではありますまいか。

中国はこれでショックを受け、本来のやりかたを反省し始めるだろう、と思います。雨降って地かたまるといいます。戦争をおこすのではなく、本質的な議論を起こすための地ならしになるのではと期待しています。

この回答への補足

フェアに議論するための舞台を整えるということについて、日本人は意識がないのかもしれませんね。ともかく議論すればいいと思っているようです。悲しいことであり、暗澹とします。

補足日時:2012/02/26 10:30
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この回答へのお礼

回答をお寄せいただき、ありがとうございます。

>(1)真実追求は不可能となり政治問題になっているので、
>(2)私は河村氏のような正攻法的態度はこれまでの既製政治家になかったひとつの望ましいありかただろうと思います。

(1)が(2)の理由になっておりませんね。したがって、

>(3)国際標準に近いいきかたではありますまいか。

が理解できません。

>(4)本質的な議論を起こすための地ならし

議論する場そのものをチェアマンになるべき人が潰してしまっているのですから、コマスさんのご意見は、安易過ぎると思わざるをえません。

お礼日時:2012/02/26 10:07

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