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最近、半生をかけて愛し続けた人を亡くしました。

たまたまここ数年、仏教に心をひかれるものを感じ、少しずつですが宗派を超えた本も何冊か読んでいます。
子供のような質問かもしれませんが、仏教的見地から優しく平易にお答え下されば幸いです。
(1)亡くなって4週間程ですが、彼の魂は今、どこにいるのでしょうか?
(2)愛してくれたわたしの所へ、何故会いに来てくれないのでしょうか?
(亡くなった後、虫の知らせのような出来事はありましたが・・・)
(3)わたしが人生を全うし、死んだ時でなければ、もう彼に会えないのでしょうか?
(4)亡くなった彼が、今、一番喜んでくれる事は何でしょうか?
(5)亡くなった彼の為にわたしが今出来る最良の事は何でしょうか?

今はまだ毎日がつらく、泣き崩れるのをやっと堪える日々が続いています。
どうぞ宜しくお願い致します。

A 回答 (5件)

それでは、仏教的見地から回答させていただきますね。


>(1)亡くなって4週間程ですが、彼の魂は今、どこにいるのでしょうか?
原始仏教、釈尊の教えでは、「魂」について「無記」です。
無記というのは魂については、有るとも無いともいわないということです。
ところが、日本の仏教ではそうではなく
亡くなってから49日間は、中有(ちゅうう)に在るといいます。

>(2)愛してくれたわたしの所へ、何故会いに来てくれないのでしょうか?
>(亡くなった後、虫の知らせのような出来事はありましたが・・・)
原始仏教では、やはり無記です。原始仏典には、なにも書かれていません。
故人が会いに来たとしても、そっとしておくのが普通です。
なぜなら、あなたが彼の死に囚われていては、苦しむだけだからです。
仏教では、囚われが、苦しみの原因であるといいます。

>(3)わたしが人生を全うし、死んだ時でなければ、もう彼に会えないのでしょうか?
仏教では、大前提として「存在するものは無くならない」と考えています。
また五陰化和合といいまして、縁起によって人というかたちができるといいます。
人が亡くなった場合は、五陰化和合の形(縁起)が変わっただけという見方をします。
ですから、物理的には無くなったように見えますが、存在するものは無くなることがないので、
形を変えて、なお存在しているということです。

>(4)亡くなった彼が、今、一番喜んでくれる事は何でしょうか?
故人が望むことは、あなたが、故人のことで悲しまないことです。

>(5)亡くなった彼の為にわたしが今出来る最良の事は何でしょうか?
日本の仏教では、故人の供養が大事とされていますが、
原始仏教では、そうではなく、亡くなった方には、
何も必要ではないと教えています。
ですから、亡くなった方を、「ほとけ」と呼ぶわけです。

この回答への補足

tetraさん、仏教的見地からのご回答、どうもありがとうございました。

まもなく彼の四十九日を迎えます。
まだまだ毎日が悲しく、苦しい状況ですが、時々、何となく彼の存在を身近に感じるときがあります。
お墓参りに行った時には、香りの良い白檀のお線香をあげ、思い切り彼に語りかけて来ようと思っています。
本当にありがとうございました。

補足日時:2001/05/25 12:48
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

彼とは最後は喧嘩のような形のまま別れ、しかしそれもまた愛情ゆえの事が原因でした。怒ったり、憎んだり、妬んだり、悪い感情もたくさん胸の中にありました。
けれど、亡くなった事を知った直後から、それが全くなくなりました。
許すとか許さないとかの問題ではなく、「悪」は去り、「善」といいますか、良いものだけが心に残ったのはそれもまた愛情ゆえの為だと思えます。

tetraさんのおっしゃるように彼は今、形を変えて存在しているんですね。
だとしたら、今も「おまえ、食べ過ぎ!」とダイエットの必要性をわたしの耳元でささやいているかもしれませんね。

お礼日時:2001/05/10 14:00

ご丁寧なおへんじをいただきまして 有難うございました。


 あなたに 早くお元気になってほしいと投稿しましたのに、なんだか逆に 私が癒されているようです。

実は あなたの質問を拝見した5月9日と言う日は 父の命日だったのです。
「あぁ 今日は父がなくなった日・・・・」と、また色々と思い出を反芻しながら OKウェヴを開いたんです。

魂があるのなら 父があなたの質問に引き合わせたのかもしれませんよね。

私は 仮に無いにしても、何かしら形を変えてこの世界の何処か(宇宙かも?)に 父の魂?(なんと呼んでよいのかわからない)が存在しているのかも?と考えたりもしました。
まったく無いと言うのも 変な話でエネルギー不滅の法則?からすると、こころや意識もエネルギーだし、無になるなんて それも変??
などと よくあれこれ考えます。
結局 わからなくなって やはり無なのだ、と思ってしまうのですが、
今回 こんな形であなたが私を癒してくださったこと、あなたがおっしゃるように 魂は、無くなった方の心は、存在するのかもしれませんね。

あなたが読んでいらっしゃる本、私も読んでみますね。 

この回答への補足

akiyoteaさん、再三のアドバイス、どうもありがとうございました。

わたしはもともとお鮨が好きなのですが、彼が亡くなってから、無性にお鮨が食べたくなる事があり、病の為にあまりお鮨が食べられなかった彼が、わたしと一緒に食べたがっているのかと感じたりしています。
(鮨好きの単なる言い訳という可能性もアリ・・・)

以前お薦めした本、もしお時間のある時に、P96~P101の「死後の世界」と「死者への供養」をお読みになってみて下さい。わたしはあの辺りが一番、心癒されます。
それから、仏教の本は、専門用語が多く、とてもわかりづらいのが悩みでしたが、瀬戸内寂聴さんの「痛快!寂聴 仏教塾」集英社を今読んでいますが、子供でもわかりやすい内容で、ちびまるこちゃんも多々出演していて、とてもわかりやすい内容です。わかりやすいだけに、心に響くものもあります。
もしよろしければ、書店でお手に取ってご覧になってみて下さい。

喧嘩別れのようなかたちで会わなくなって3年以上経つのに、恐らくわたしに自分が亡くなった事を知らせてくれた彼の愛情を、最近になって感じ、また悲しさが増します。
また、大切な存在の人の死による心の傷は、誰の心でも永遠に癒される事は無いのではないかと最近思えます。でも、それでいいのだと思います。心に傷の無い人間はいませんし、それが人の一生だとも思えます。

この質問を締め切るにあたり、ポイントをさしあげたいのですが、ご回答下さった方々皆さんに差し上げる分のポイントがありません。
ですから、質問本来の「仏教的見地」からご回答下さった方のみにポイントをさしあげたいと思います。ごめんなさい。
でも、たくさんの貴重なアドバイスを本当にありがとうございました。
心より感謝申し上げます。

そして、どこかにいらっしゃるはずのお父様の魂にどうぞ宜しくお伝えください!

補足日時:2001/05/25 14:35
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この回答へのお礼

akiyoteaさんのお気持ちを癒しただなんて・・・とんでもないという思いで、はずかしいやらうれしいやらという感じです。

お父様のお命日に引き合わせていただいたのは、きっと「仏縁」というものなのかもしれません。
お父様は、akiyoteaさんがお線香をあげられた時やお花やお供えをあげられた時、お墓参りにいらした時、そして合掌された時、きっと喜んでいらっしゃるのですよ。そんな時にも虚しいお気持ちの貴女にご自分のお気持ちを知っていただきたかったのではないでしょうか?

おすすめした本は、先日の書店では汚れていた為、別の書店で取り寄せていました。さっき届いたと電話が入り、今週末は、ゆっくりと読んでみたいと思います。
もしかしたら、このインターネット上の貴女のご回答をお父様は貴女の隣でお読みになり、「そうそう、そうなんだよ!それが言いたかったんだよ!」って思っていらっしゃる・・・かもしれませんね。

お礼日時:2001/05/11 18:27

魂の存在を信じられるとの事、本当にうらやましいです。



信じられたら この空しさから少しは抜けられるのでしょうが・・・。
でも もしかしたら、なくなった方の魂・・と言うか意識・・と言うか心は
 何処か別の次元にいって存在しているのかもしれませんよね。

3年もお会いしないままなくなられたとの事、本当に、本当に、お辛いことでしょう。私は父と最期はそばにいて見取ることができましたから、まだ幸せでした。
あなたの辛さはきっと、私の何倍もお辛いことと思います。

魂の存在が信じられないとは思っている私ですが、何かにつけて父のことを思います。
桜の木下で、春の日を過ごしたことや、心の中でいろんな事を父に知らない間に問い掛けていたりするんです。
そんな時、父は私が思い出す限り、私の心の中で生きているんだなぁ・・・とこの頃は思います。
あなたがおっしゃるように、魂があるとするなら、わたしもいつかきっと、父に会えるのでしょうねぇ。
そんな時が ありますようにと思うことにします。

どうかどうか 1日も早く お辛い日々から抜け出されますよう・・・。
なくなられたその方の分も お幸せになられて いつか 再び そのかたとお会いするその日のために 楽しいお話をいっぱいお土産に持っていかれますよう・・・。 
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この回答へのお礼

再度のご投稿、どうもありがとうございます。

わたしは18年前に祖父母を四十二日間で相次いで亡くしました。急逝した祖母の死がショックで、とにかく半端でなく気の強い頑固だった祖父が四十九日を待たず、四十二日目の祖母が亡くなったのとほぼ同じ時刻に祖母の遺影を見ながら亡くなったそうです。祖父は何ら病気ではありませんでしたから、毎朝お線香をあげ、「早く迎えに来てくれ」と言っていた祖父を見かねた祖母が迎えに来たのだと思わずにはいられないような不思議な最期でした。ですから祖母の四十九日と祖父の初七日は同じ日でした。
四十九日の間に相次いで亡くなる夫婦は何回生まれ変わっても夫婦になるそうですよという恩師の話で随分と心が慰められた記憶があります。
祖父母が亡くなって18年にもなるのに、わたしは未だにたまにですが祖父母の夢を見ます。そして目覚めると泣いています。

3年間以上会わずにいた彼の死を知ったのは、普段は殆ど開くことの無いインターネット上の訃報のページを偶然開いた時でした。
あのページを開かなければ、恐らく彼が亡くなった事を何ヶ月も何年も知らなかったことと思います。
あれは彼が最期のお別れに来てほしいと言ってくれていたのだと思えます。
不思議だったのは、ソメイヨシノが既に散ってしまっていた時期にもかかわらず、火葬場の裏手の、ほとんどソメイヨシノと同じ(恐らく)山桜の花びらがはらはらと花吹雪のように舞っていた事です。ソメイヨシノは私達の思い出の花でした。

先日、書店で「生き方としての仏教入門」西川隆範・著を読み、涙が止まりませんでした。
それによると、例えばakiyoteaさんが亡くなったお父様の事を思い出しますよね。そうすると、その思いの部分から亡くなった方の魂は、世間を見ることができるそうです。だから亡くなった方をたくさん思い出すことは良いことらしいですよ。
全部読破したら、おすすめのページをご紹介いたしますので、もしよろしかったらまずは立ち読みでもしてみて下さい。

わたしが心配だったのは、わたしが人生を全うし、死んだ時にシワシワのおばあさんだったら彼より「年上の女」となり、彼は幻滅してしまうのではないかということです。まるで笑い話ですけどね。
でも、肉体はこの世で生きる天からの借り物であり、再会できるのは魂なのだから年齢は関係ないと年長の知人が笑っていました。
魂はありますよ、きっと。
だって、自分が相手を想っている時って、相手も自分のことを想っていてくれていたから。

お礼日時:2001/05/10 17:47

さぞ お辛いでしょうね。

 お察しします。
私も 10年前に 大好きだった父を亡くしました。
いまでも 父のことを思うと 涙が出そうになります。

仏教的見地からではなくて 申し訳ないのですが、さぞ つらい日々であろうあなたに 私の経験が 少しはお役に立てばと投稿いたしました。

私は 神仏の存在を信じて いません。・・・というよりも
信じられないのです。 でも、もしかしたら 神仏は存在しているのかもしれませんが・・・・ともかく 私は 信じられないんです。

ですから 父がなくなったときの 無常感は例えようがありません。
いまでも 全てが空しい感じです。
そして 悲しみと・・・。
夢に必ず父が出て  泣いてしまって眠れないんです。
精神科にもいきました。 宗教書も読んでみました。
でも 結局は 時が 薄皮をはぐように 少しずつ癒してくれました。
といっても。完全に元に戻ったわけではありません。
無常感、空しさは 常に胸のうちにあります。
魂の存在を信じられる人がうらやましい・・・・
お墓に行ったとて、そこにあるのは かつて父の体の一部だった単なるモノ?であるとしか 思えません。
お墓に 手を合わせる気にもなりません。
この空しさは どうしようもなく、寂しさだけのお墓参りです。

辛さから抜け出すために 私は 絵を描き始めました。
何も考えなくてよいからです。
書いている時は 対象だけを見詰めて描くことに専念できるので 癒されました。

あなたも 仏様を信じられるなら 一心にお経をあげられるなり、お参りにいらっしゃるなりなされば 癒される時間が早いと思います。 わたしはだめですが、もしかしたら仏様は本当にいらっしゃるかもしれませんしね。

さもなくば なにか 新しいことをはじめれるとよいかもしれません。
といっても 今はまだ 何もする気になれないでしょうが・・・。

きっと 時間がとてもかかると思います。
私は 8年たって やっと 元気になれたような気がします。
私の友人で お嬢さんを亡くされたかたは 完全に癒されるのに20年かかったといっています。
それまでは なくなったお嬢さんと同じ年頃のお嬢さんを見ることができずに、無理に見ると怖い顔になってしまったそうです。

いま 私も とりあえず 人前では笑って父の話をできるようになりました。

父の死のおかげで 人に対してやさしくなれた気がします。
以前だったら 腹が立つような人に対しても、「あの人とも、いつか別れなくてはならないのだから、」と思うと 許せる気持ちになるんです。
人の死は 残される人間を 成長させてくれるのかもしれません。

いつか きっとあなたも癒される日が来ると思います。
その日が 早く来ますようにお祈りしています。
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この回答へのお礼

お辛い体験からのアドバイス、どうもありがとうございます。

仏教用語での「四苦八苦」の中のひとつに「愛別離苦」という、愛する人と別れなければならない苦しみがあるそうですが、まさしく苦しみ以外の何ものでもありませんね。
実は彼とは想いあいながらも事情があって3年程会っていませんでした。
今、彼にもう一度会えるのなら、世界の果てまででも行くことでしょう。この世にもう彼が存在しないという事実をこれから時間をかけて受け止めて行かなければならない訳ですから、それを考えただけでも人生は何と厳しいものかと思います。
現在は、精神的に鬱傾向に入り、薬を飲んでいます。
でも、生きたくて生きたくてしようのなかったであろう彼を思うと、わたしのこれからの人生をまさしく一生懸命に生きなければと思えます。
人にはそれぞれ事情はある事と充分理解していますが、自殺者が多い昨今、「どうせ死ぬのなら、生きたかった彼の命と取り替えてほしい」と理屈に合わない事も考えたりします。
akiyoteaさん、わたしは魂の存在を信じます。
そして、陳腐なセリフのようではありますが「彼はわたしの心の中で生きている」とも思えます。
立花隆の「臨死体験」の中にありますが、臨死体験者の中には、その時、自分の愛した人達が迎えに来てくれたとあります。もっともその方は「まだこちらに来るのは早いから帰れ」と言われて帰り、生き返ったそうですが。
わたしが人生を全うした時に迎えに来てくれる人々の中に微笑む彼がいてくれることを願っています。

お礼日時:2001/05/10 13:39

わたしも数年前に父を亡くしたのですが、adelaideさんのお話を拝読して、それ以来の母の様子(自分もそうですが、)を思いおこしてしまいました。



自分の学んでいる事柄に仏教が多少関わっているので、まったく知らないわけではないと思うものの、詳しいわけではないし、そもそも神仏を一切信仰してすらいない者です。

このご発言では、仏教的見地からの回答をお求めなのは
承知していますが、
adelaideさんが求めておられるのは、理論としての仏教の教えではなく、
いまの苦しいお心から救われる方法ではないかともお見受けしましたので、
あえて回答を付けさせてください。

もし不適切な回答とご不快でしたら、どうぞお許しになって、この回答は無視してください。
管理者に削除を求めていただいてもかまいません。ごめんなさい。

以下、仏教的には正確でないもの、実は仏教の教えとは反するもの、などありますけれども....。

>(1)亡くなって4週間程ですが、彼の魂は今、どこにいるのでしょうか?

まだ四十九日経っておられないので、現在、仏様になられるための修行をなさっているところですね(微笑)。

>(2)愛してくれたわたしの所へ、何故会いに来てくれないのでしょうか?
(亡くなった後、虫の知らせのような出来事はありましたが・・・)

じゃあ、そのとききっと会いに来られたんですよ。
でも仏さまになるための修行も一生懸命がんばっておられるので、あまりしょっちゅう会いに来ることができないでおられるのでしょうね。
仏さまになられたあとは、目には見えなくても、きっとadelaideさんの側でずっと見守ってくださるようになると思いますよ。

>(3)わたしが人生を全うし、死んだ時でなければ、もう彼に会えないのでしょうか?

仏さまとなられたその方は、あらゆるところに存在なさるでしょう。adelaideさんの心の中にも。
だから、姿や声として目に見、耳に聞くことができなくても、語りかければ答えを返してくれるでしょう。
もしこう語りかけたら、こんなふうに応えるだろうなっていうこと、いっぱい思い出してみてください。これからは、そんなふうにして、いつでも会うことができますよ。いままでとはちょっと会え方が違うようになったんですね。

>(4)亡くなった彼が、今、一番喜んでくれる事は何でしょうか?

その方のことを忘れずに、時折思い出されながら、でも、いままでどおりの元気なあなたを取り戻して、ほがらかに生活していってくださること、だと思います。
心の中のその方に尋ねてみてください。なんとおっしゃってますか。

>(5)亡くなった彼の為にわたしが今出来る最良の事は何でしょうか?

上の(4)に書いたことと重なりますが、その他に、
その方の好きだった食べ物、お花、その他の品物などを、お供えして見せてさしあげてはいかがでしょうか。
お経を読んでさしあげるのもいいでしょうし、好まれそうな本を読んで(声に出しても出さなくても)さしあげたりするのもいいかもしれませんよね。

ひとまずは、四十九日、それからお盆の法要を無事、済ませてさしあげること。次に一周忌。
そうして忙しくなさっておられるうちに、お心も次第に落ち着いていかれますように。

この回答への補足

MinmMinmさん、ご親切なアドバイス、どうもありがとうございました。

もうすぐ彼の四十九日がやって来ます。
これからは何かある度に、お墓参りに行こうと思っています。

本当はご回答やアドバイスを下さった皆さんにポイントをさしあげたいのですが、私の質問が「仏教的見地から・・・」となっている為、また、ポイントが限られている為、見送らせて頂きます。
でも、心から感謝しております。
質問を締め切るにあたり、重ねてお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。

補足日時:2001/05/25 12:39
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この回答へのお礼

MinmMinmさんのお優しい心が表れているアドバイス、どうもありがとうございます。

>もし不適切な回答とご不快でしたら、どうぞお許しになって、この回答は無視してください。

とんでもない!とても心救われる思いです。
でも、今はどうがんばってみても泣くことしかできず、日にちの感覚すらなくなっています。今は時が早く過ぎてくれるの事を待っている状態です。
本当にありがとうございました。

お礼日時:2001/05/09 09:11

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