プロが教えるわが家の防犯対策術!

 玄関を一歩出ると そこは 運河である。

 人びとの いや われわれの頭の中に深く穿たれた観念の水路網。

 まづは ゴンドラを誂えなければならない。

 船をうまくあやつれないと 通行はむつかしい。見えざる交通法規。

 ゴンドラは 何を載せているか? いや ゴンドラが 何で出来ているか?

 クウキですって? いやでも吸わざるを得ない空気のことですか?

 ええっ?

 クウキで出来たそれぞれの船。


 ところが その船の材料であるクウキは 一人ひとりがあつらえるのではなく すでに千年二千年も昔から仕立て上げられて来たお古である。

 お古のお仕着せ これが われらが運河の通行手形であり うるわしきゴンドラである。

    *

 では このクウキは 何で出来ているか?

 思うに マクロとして アマテラス公民の無謬性〔なる神話としてのクウキ〕であり ミクロとして 上司のガミガミ電波であり いづれからも ややもすると 《意識の排泄》が交じって出ている。


 《主権者たるスサノヲ市民 ‐ 公僕たるアマテラス公民》という二階建てから成る社会が 国家という社会形態の構造として 逆立ちしてしまった。一階よりお二階さんのほうがえらい。それが アマテラス公民の無謬性なる神話であり そういうクウキとしてゴンドラをかたちづくっている。

 官僚や政治家は 間違いを侵さないというゼッタイとしてのお仕着せの船であり 実際にかれらが犯した間違いを知っていても これを口に出してはいけないというのが 通行手形の中身である。〔ここのところ この神話は 崩れて来ただろうか?〕


 この逆立ちした《アマテラス‐スサノヲ》連関制のもと その上下関係に似せて形作られているのが 《上司‐部下》の関係である。(かくのごとき《フラクタル構造》?)

 しばしば送られてくるガミガミ電波は やみくもに発する意識の排泄をともないながら その観念の運河としては・そこを通行せずばなるまいという部下のあたまの中には けっきょくみづからがアース役となって この電波を受け止めざるを得ないことになる。
 スルーすることも出来なくないが そうすると このミクロの・ミニ《観念の運河》は いつまで経っても 同じ絵柄しか写し出さない。
 まじめな人は アース役となって受けとめ 少しでも運河の水をきれいにしようと努める。


 あるいは問題は ガミガミ役にかんしてその自分ひとりの昇進のためや地位の保守のためではなく その電波を会社のため省の存続のためという心つもりで発信するときである。

 会社がつぶれたら 元も子もないというところから――いかに人間であることを守り人格をとうとぶ人であっても―― その電波の命ずる仕事を引き受けなければならないと考える。そういうゴンドラの歌もある。
 一般に 資本主義とそれに従う共同自治の問題である。



 かくて 観念の運河を クウキなるゴンドラは今日もゆく。


   *

 さらに現代の哲学を つのります。修正と展開をどうぞ。

A 回答 (4件)

何度か読み返してくれたんですね。


お礼と補足の内容の落差に、再読に裂いて
頂いた時間差が読み取れました。

自分が消失する、という下りは中々普通には
理解し難いものです。 無理もありません。

正直、あなたの心に届くかどうか判らない
ボトルメールを流すような気持ちですが、
折角頂いた補足のお礼に一筆したため
ました。

もう一度だけ書きますが、あなたが欲っする
誰かとの思索の連なりを手に入れるには、
99%位そぎ落とした方が良いと思います。

哲学と憤懣と社会と会社と、まるでごった煮に
なっていますから。

シンプルな思索ではなくて、あなたご自身の
感情・・・キャラクターも随分と透けて見えますし。

仰りたいこと、言論を交わしたいことを
100分割して一つ一つ俎上に乗せた方が
きっと良い料理が出来ますよ。

それと、アクが出なくなるまで煮込むとエグみが
消えて美味しい(他人が吸収しやすい)言葉が
残ると思います。
推敲の仕方にもう一工夫頂ければ、と。

あなたが書く、一行だけでも十分テーマに
なりますよ。 アクセスし易い言葉に変換すれば
大丈夫です。

もし、あなたのお気に召すような「自分と互角の」
思想のやりとりが出来る人との密で蜜な時間を
望まれるのでしたら、尚更です。

あなたの極端にファンタジーな言い回しと、それに
全く似つかわしくない現実社会の鬱憤、そうですね・・・
サラリーマン的な、余りにサラリーマン的なもの。

肉と機械のような相容れないものが互いに余り関連
せずに、ぐちゃっと混在する感じなのでアクセスが
し難いのです。

それならそれで甲殻機動隊の草薙さんのボディの様に
一体のシステムとして整合性が取れていれば捉え
やすいのですが・・・

逆に、とことん融解してポエムになってしまうのなら
それもそれで受け取りやすいのです。

正直、哲学カテゴリーに分類されるには首をひねる
部分もあるし、他の分野なら?と考えても不定形過ぎて
分類できませんし。

こういうノストラダムスの歌のような韻律と印象の絵画と
して書かれるのなら、書いたものが一つの展示作品だと
いう認識があれば、もう少し煮詰めて仕上げることも
出来ましょう。

あなたはあなたが認めた人とリンクしたいのですか?

それとも、より多くの人々・・・あなたが、ご自分が属する
集団であるように思える社会性や調和・・・相互理解を
お求めですか?

それとも・・・人々の不理解を見下ろして孤高を確認し
孤独な安堵を手にされたいのですか?

いずれにせよ、ご自分の動機を再確認されて整理されれば、
もう少し門戸も広がりましょうし、作品の主題も明らかに
なるでしょう。

あなたが何を求められるにせよ、相手あってのことでしたら
間口が広くなる方が有益であるように思います。

もっともっと、深く。

もっともっともっと自分が消失するまで、深く。

現実のあなたを引きずらず、もっともっとピュアに
思索を研ぎ澄ませれば、あなたご自身も予測し得ない
ヒントや視点も得られましょう。

あなたの高速回転する頭脳が、きちんとクラッチが
繋がって、誰かの頭脳とリンクできますように。
そういう人と出会えたらいいですね。

がんばって下さいね。

じゃ、ごきげんよう。
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この回答へのお礼

 かでぃあわーくすさん こんにちは。ご回答をありがとうございます。(かでぃあ って何だろう)

 そうですね。
 みっつ 反応があります。


 ひとつは いちばん大事なことです。あなたは 土俵に上がらないのですか? という問いです。
 言いかえると たとえばこの趣旨説明の中から ガミガミ電波とアース役といった主題だとか その《 A - S 連関》のあいだにも流れる日本教なる見えざるクウキといった主題であるとか ほかにもありましょうから その一つを取り上げて わたしはこれこれの切り口でこのように分析し捉えているのだというその具体的な見解のことです。それを発表するかどうかです。

 そうでないと 対等で自由な自己表現に成りづらいでしょう。


 ひとつに いろんな表現形式をこころみて 質問をかたちづくればいいと思われることです。それにちなんで 回答者のことにしても 社会全般を相手にしているからには いろんな人がいますし いていいわけです。それぞれに対応して対話ができれば それにこしたことはありません。そういう情報交換が 哲学カテのあり方だと考えます。一歩一歩でよいでしょう。


 もうひとつは この質問は すでに挙げたものの再掲です。前身の質問では かなり広く検討を加え得たかとも思いますが 回答者は ひとりだけでした。これを広げたいと思ったことが ひとつの理由です。
 再掲のもうひとつの理由は どうしても《クウキ》論について 幅広く見解を得たいというそのように絞った一点のゆえです。
 これは 哲学というとき どうもこのカテのやり取りを見ていると ほとんどが観念の中にあると感じられます。そうでない元気な場合は その論理がまだ発展途上です。この《観念論》を問うてみたいという意図があって それにはその前にこの《クウキ論》を挙げて問うておくのがよい。こう考えた結果です。
 極端に言えば この質問は この三つ目の目的のためには そういう質問があったというそれこそクウキを醸し出せればよいというそれだけのために挙げたものです。そういう腹もあります。(だからと言って 哲学であることから離れているとは思っていません。あなたは 言い過ぎでしょう)。


 さいごに助言をおこないます。
 あなたは ゴンドラから自由な姿勢を見せていますが それは 通りません。通行手形は 有力にはたらいています。見えざる交通法規であり もし手形が無ければ 何らかの反動をうけるはずです。その問題についての議論が世界観にないのなら 哲学とは言えません。隠遁者だろうが投資生活者だろうが 哲学であろうとするなら 何らかのゴンドラの歌に接しているはずですから そのことに留意した見方を提出しないことには 話は始まりません。

 でもがんばらないでください。すでに敗北したあとであるかも知れず さらに敗残者になることを押しつけるつもりはないからです。



 ★ もっともっとピュアに
 ☆ おそらく――前回も指摘しましたが―― この視点が すべてのわざわいとなっているのではないか? もしあなたが《ピュア》であるなら ピュアでないところがいやと言うほど見えるはずです。これを 人びとが自由であるために いじくろうとするのでなければ 哲学以前です。

お礼日時:2012/03/08 11:59

場所間違えてませんか?



質問になってないように思いますけど。。

この回答への補足

 ★ 場所間違えてませんか?
 ☆ 間違えていません。

 ★ 質問になってないように思いますけど。。
 ☆ ちゃんと読んでね。

補足日時:2012/03/07 06:09
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この回答へのお礼

 さよか。

 再考して考え直したら またどうぞ。

 でも読んでくださってありがとうございました。
 
 そしてご投稿をありがとうございます。

お礼日時:2012/03/06 18:50

済みません、結構笑ってしまいました。


侮辱する意図はないのですが。

ただ、あなたのお話のガラクタっぷりが
ハウルの城がガッチャン、ガッチャンと
歩いている様子を連想させたから、楽しく
なって笑ってしまいました。

部分部分が独立して動いているのですが、
てんでばらばらな繋がりの無い動き、
ある部分はクランク運動をし、ある部分は
プロペラ、またある部分は蒸気をピーッと
噴出しながら、そうですね、ムチャクチャな
ブリキ細工のサーカス機械が私の目前を
通り過ぎて行った様なヘンテコリンな景気の
良さです。 楽しゅうございました。

でも、もっともっと思考対象を絞り込んで小さくしないと。
重症の情報消化不良を起こしていますよ。
高度な思索の翼を広げるにはメタメタとやたらに何もかも
思いつきで並べてもダメです。

どの位深く思索したのか、という思考深度も浅く感じます。
テツガク的な思考をやりとりしてサトリに近づこうという
安易な考えを持つ逃避者は後を絶ちませんが、中々
ワクワクするような、ドキドキするような思考の飛翔を
垣間見せてくれた人は見当たらないんです。

或いは、「おお!」と目から鱗をバカッと外してくれる
エキセントリックな視点や考え方、切り口。

「そんなものに変換して見せたか!」という比喩や
表現、アーティスティックな情報変換と展開。

そういうものが思考する心の琴線に触れれば
互いに加速しあうような思考や知覚の共振も起きるのに。

つまり、内容が無いよう・・・つまらん・・・のです。

現実世界からの逃避故に、自室に引きこもる神たらんと
欲する者は、科学だろうが芸術だろうが政治経済で
あろうが、全能感を得ようとあがき、盲目の網膜に映る
僅かな情報の輪郭を、手当たり次第に闇鍋に放り込み
知識のごった煮を造ります。

巨大な万能鍋をつくろうとするが、ボキャも足りず
そもそも基本事項の理解が心元無いので、必然的に
ポエムというカタチで言葉を紡ぐしかなくなる・・・。

数学者が数式で、画家が筆の運びで、ピアニストが鮮やかな
指先の動きで・・・実は膨大な蓄積と研鑽によって産出された
魔法を紡ぐのに比べて、ポエジーはいい加減でも思いつきでも
成立する、証明する必要が無いと誤解する人がとても多いのです。

でも、美術の世界でも音楽の世界でも、素人考えの滅茶苦茶と
プロのインプロビゼーションは全くベクトルの異なるもの。
ゴミの山と前衛芸術作品とは、全く違うものです。

学問であれ芸術であれ、そしてポエムであれ、相応の中身を伴う
ものは、瞬時に誰かの心を、好奇心を鷲掴みにするものなのです。

行き詰る芸術家も神たらん、超絶的なインスピレーションを得て
別次元の扉を開かんと願いながら、結局のところ自分の小さな頭が
「知っていること」をランダムに取り出しているに過ぎない・・・
という白けた失望の朝に終わりがち。

乱数列の無限を生成しようとして、簡単な循環小数しか
出てこない失望感と、とても良く似ています。

ポエム、もまた、つまらない循環小数のようなものは
ガラクタ感が漂います。
それは、言葉を言い換えてグルグル廻すだけの
デフレ・スパイラルだから。

何者かたらんと欲するならば、何かを生まなければ
ならない。

何かを生み出すというのは出鱈目を並べて超人を
目指すようないい加減な方法では哀しいことに、
あっという間に限界が見えてしまう。

何か価値のあるものを産み出すためには、膨大な
情報の運河に身を投じなければなりません。

それはドブの中でゴミのビニール袋のように
流されていくことではありません。

近づいては離れ、浮かんでは沈んでいく、他のゴミ達。
空き缶やポリ容器があぶくを吐いては流れ去って行く。
彼らとの、あぶくのやりとりのようなコトバ遊びの中からは
何も生まれて来ない。

オートマティズムの限界はその辺りにあったのです。

流れに壊れそうになる自分を必死で保ちながら、かろうじて
呼吸し、必死で泳ぐ中で、方角を見出し、一掻き、また一掻きと、
自ら泳ぐ意思を持つ。

そして、バラバラに飛び散る無数の情報の欠片を手探りで
集め、ひらめきと思推の元にそれらを結わえ束ねる。

その作業の果てに、始めて思いもよらないものが出来上がり
啓示にさえ思える、新たな「眼」を得た歓びに震えるのです。

いかがでしょう?

テツガクなんてたいそうなものではありませんが、要するに
似て非なる、ということについての連想考察です。

この世は確かに玉石混交、物事の絶対的な価値など無い
ように見える。

でも、繋がり、共鳴し、飛翔するものと、淀み、沈み、壊れて
形を失っていくものと、確かにエントロピー拡散と生物進化の
ような真っ向から対立する「意」の軸についての指向性は
あまねく存在しているのです。

あなたに限らず、不可思議な目的不明の永久機関を
ガチャンガチャンと廻し続けるのも他人様のご自由に、
ではありますが、ネットで意見や考えを募るのでしたら、
もっともっともーっと面白いことを考え、心躍る語り口で
仰らないと。

幽玄に、深遠に、卑近に、膨張し、爆縮する思考連鎖の
その果てに誰かと、或いは誰か達と、知覚の共振が
「自分」というこの小さな小さなガタピシの存在から、
「私」と言う根源を、「観自在」を解き放つことが出来るなら。

自分が在る、という絶対領域を抜け出し、私は私で
私は誰でもあり、私は時空に満ち、そしてどこにも
存在しない。 そんなレベルの世界を垣間見ることが
出来るなら。

そんな個の融解と、あの途方も無い巨大なものに
融合する、なんてことは死ななきゃ無理だにしても。

まるで、何世代も前に見知らぬ星系の惑星に置き去りに
されて、夜空を見上げて遥かな距離を超えて母星に
帰還する渇望を瞳に宿している、孤独な星人のように。

一瞬でも、帰っていく場所を垣間見ることが出来るなら。

余りの望郷の念に知らぬ間に頬をぬらしたりする
本日、二千十二年三月六日です。
まあ、それは置いといて。

物事の根源についての思索を、ブリキ機械のサーカス団の
ように不可思議な音とコトバを放ちながら彷徨するのでは
なくて、誰もが参加できる普通の言語、普通の比喩、普通の
文脈で綴られた、エキサイティングな「現代のテツガク」を、
是非お考えになってみて下さい。

と言うわけで、野良猫のテツガクテキコーサツでした。

さよなら参画又来てにゃごご。

この回答への補足

 ★ 一瞬でも、帰っていく場所を垣間見ることが出来るなら。
 ☆ これが 要らぬ観念です。

 もし仮りに
 ★ 帰っていく場所
 ☆ がわれわれ人間にあるとするなら そうだとしてもその
 ★ 帰っていく場所を垣間見ること
 ☆ は必要ありません。

 どうもここから ボタンが掛け違ったかたちに成っているらしい。
 もしどうしても
 ★ 一瞬でも、帰っていく場所を垣間見ることが出来るなら。
 ☆ と思うのなら それは 予感としてだと心得たほうがよろしかろう。

 海を超えて 巡礼の旅路のたどり着く先をいま見ないことに――哲学することにとって―― 何のさしさわりがありましょうや。
 足元をみつめることから旅立つことにしましょう。





 ★ 野良猫のテツガクテキコーサツでした。
 ☆ というように《野良猫》と自重しているけれども ゲリラ戦にすらなっていない。

補足日時:2012/03/07 06:08
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この回答へのお礼

 ご回答をありがとうございます。 

 

 ★ ~~~
 いかがでしょう?

 テツガクなんてたいそうなものではありませんが、要するに
 似て非なる、ということについての連想考察です。
 ~~~~
 ☆ この中の
 ★ 似て非なる
 ☆ という見方をしているのであれば そこから突破口が見えるかも知れません。
 あれにこれ ではなくて これにあれ として当てはめてみると なかなかいい景色が見られるのではないでしょうか?
 


 ★ ~~~~
 自分が在る、という絶対領域を抜け出し、私は私で
 私は誰でもあり、私は時空に満ち、そしてどこにも
 存在しない。 そんなレベルの世界を垣間見ることが
 出来るなら。
 ~~~~~~
 ☆ ポエムというのか メルヘンというべきか このあたりは ファッションとして値打ちがあるかも分かりません。
 

 お元気でお帰りいただかなくっちゃ。

お礼日時:2012/03/06 18:49

哲学と妄想、論理学と言葉遊びの区別をつけましょう。


まあ、厨二病が暴走した結果、こじらせてしまったのですね。

投稿を止めて病院へ行くべきですよ。
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この回答へのお礼

 ご投稿をありがとうございました。

 のぞむべくは推論の過程をあきらかにするとよいでしょう。そうでなければ 回答でない回答は遠慮してください。

 勉強してまた来てください。

お礼日時:2012/03/06 13:26

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