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果たして、日独伊 三国同盟に、メリットは、あったんでしょうか?
ドイツ、イタリアと、軍事同盟を結ぶ必要性は、あったんでしょうか?
日本は、地理的に遠いから、ドイツ、イタリアと、共同軍事作戦を取る可能性は、低かったです。
三国同盟は、アメリカを仮想敵国とし、同盟国のどこかが、アメリカと戦争になると、他の同盟国も、自動的に、アメリカと戦争することになっていました。
ソ連は、アメリカを、戦争に引き込みたくて、工作員を通じて、盛んに日本を挑発しました。
アメリカは、ドイツを挑発しましたが、ドイツが乗ってこないので、日本を挑発します。
連合国側が、日本を挑発したのは、日本とアメリカを戦争させ、ヨーロッパ戦線に、アメリカを参戦させたかったからです。
もし、三国同盟がなければ、日米開戦は、自動的には、米独開戦になっていません。
すると、ソ連(アメリカ)が、日本を挑発して、日米戦争をさせても、アメリカは、ヨーロッパ戦線に参戦せず、目的を達せられないことになります。
アメリカの参戦論者にしても、三国同盟がなければ、日本を挑発して、戦争しても、対独戦争には、直結せず、無意味ということになります。
ドイツから見ても、三国同盟がなければ、アメリカが、ヨーロッパ戦線に参戦していないから、助かったわけです。
「日本から、暗号が漏れていたので、ドイツの敗戦が、2年早まった」とも言われています。
日本人は、「大勢でやることは、いいことだ」という価値観を持っていますが、三国同盟は、ないほうがよかったんじゃないでしょうか?

A 回答 (5件)

ANo.2です。



えっと、米国が中立であったとはヒトコトもいってませんが(汗)
米国の裏口参戦論についてはともかく、当時の日本は手を結ぶとしたら独・伊しかなかったんですよね。(少なくとも締結した時には)
まず歴史的流れを追って行きましょうか。

1933年3月27日 日本、国際連盟から脱退
同年10月14日  ドイツ、ジュネーブ軍縮会議・国際連盟からの脱退を表明
同年11月12日 ドイツ、国民投票によってヒトラーの国際連盟脱退方針支持
1935年10月03日 イタリア、エチオピア戦争勃発
1936年5月9日 イタリア、エチオピア併合
1936年7月17日 スペイン内乱勃発
1936年11月25日 日独防共協定締結
1937年11月6日 日独伊防共協定締結
1937年12月11日 イタリア、国際連盟脱退
(割愛)
1939年7月26日 アメリカ、日米通商航海条約廃棄を勧告(1940年1月26日失効)
1939年8月23日 独ソ不可侵条約締結
1939年9月1日 ドイツ軍、ポーランドに電撃侵攻
1939年9月3日 英仏、ドイツに宣戦布告(第二次世界大戦勃発)
1940年9月27日 日独伊三国同盟締結
1941年4月13日 日ソ中立条約
1941年6月22日 ドイツ、ソ連に対して宣戦布告
1941年12月8日 真珠湾攻撃(日米開戦)
(以下略)

こうして時系列を追ってみれば、日独伊三国同盟は必然的に結ばれたともいえるし、そう結ばざるを得なかったとも言えます。
日本、ドイツ、イタリア、思惑はそれぞれですが、国連脱退組として手をつなぐことにしたんですね。
で、最初はコミンテルン(ソ連)の拡大を恐れたドイツと日本が、ソ連を仮想敵とした条約を締結。そこにイタリアがあとから乗っかってきます。
ところが、ヨーロッパでは英・仏と独・伊の関係が険悪化していきます。
一方で、日本は中国からアジア圏に向かって膨張して行きました。
また、ワシントン会議によって軍の思惑と反対に日本が抑えられたことも遠因になってます。
さらに、支那事変以降に門戸開放を謳った米国と中国での利権を確保しようとする日本とでは、当然利害が衝突するのは当然の事でした。
それでも、両国は戦争回避に務めています。
特に、米国はハル国務長官の「中道政策」によって日本と全面的に対立するのではなく、裏から蒋介石を支えることで影響力を残すことにとどめました。

そんな折、ドイツ側から「日独伊防共協定」の強化を目的とした「日独伊三国同盟」の打診が来ます。(つまり、仮想敵国を「ソ連に限らない」としたこと)
支那事変解決の一策として、日本側は歓迎しましたが、その「仮想敵国」を巡って日本国内で対立が激化します。
つまり、陸・海軍の対立ですね。(ソ連を牽制して支那事変解決に結び付けたい陸軍と、英米とは戦いたくない海軍)
そうこうして独・伊側への回答が遅れに遅れてしまい、自体が急転します。
ヒトラー総統、怒りの独ソ不可侵条約の締結です。
これによって、独・伊軍と日本軍によるソ連挟撃の目は摘み取られてしまいます。
さらには、ドイツ軍の破竹の快進撃を目の当たりにして、「バスに乗り遅れるな!」と慌てて三国同盟締結へと一気に話が進みます。
さらに、日ソ中立条約にも目処がつき、いよいよ「南へ!」の掛け声が高まり、ついに真珠湾攻撃となっていきます。

満州事変から日本の国際連盟脱退以降、日本と英・米との仲は険悪化していき、そこに同じく国連脱退し英(そのバックにいる米も)との仲を険悪化させた独・伊と手を結ぶ。
歴史の流れとしては必然的だったのかもしれません。
惜しむらくは、綿密に連携をとった連合軍と、同盟とは名ばかりで個々バラバラに動いた日・独・伊三国同盟側。
その差が、勝敗を分けたものと思われます。

ではでは、参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

そうなんです。
同盟した意味が、ないんです。

ソ連なら、ソ連を挟み撃ちにすれば、勝敗は変わってきたんです。
戦後の世界地図も、変わってきたんです。

お礼日時:2012/03/20 19:58

結果的に見て一番貧乏くじを引いたのはドイツ



中国とは戦争状態
アメリカを戦争に巻き込んだ日本との同盟により
中国から主に輸入していたタングステンとアメリカから輸入していたニッケルの流入は途絶した
タングステンは工作機械のバイトや戦車の高速徹甲弾に必要不可欠
ニッケルは戦車など装甲に必要な鉱物
この両者が入手可能ならかなり戦いは楽になったはず

タングステンは暫くポルトガル領植民地から輸入できたが
連合国の圧力により権威主義政権にも関わらず親英的なポルトガルのサラザール首相によりドイツに禁輸することになった
中立国であれば自由貿易を標榜するアメリカはドイツに対しては公式に経済封鎖施行せねば対独貿易は止められない

イタリアもユーゴスラビアやギリシアを戦争に巻き込みルーマニアも枢軸国に引き込まざるを得なくなった
もともとドイツは戦前ユーゴスラビア、ギリシアを含み東南欧とはバーダー取引によりドイツの事実上の経済圏となっていたのである
バーダー取引とはドイツの機械類と東南欧諸国の農鉱物産品を外貨なしで取引する交易で
世界恐慌で外貨不足に陥っていた東南欧諸国にとりかなり助かったのです
ギリシアのメタクサス首相に至っては戦前は親ナチ派の独裁者だった
ルーマニアが枢軸国になった為にルーマニアの油田に連合国の爆撃を受けることになり
防空航空機やルーマニアに対する工業製品や武器類を供出せねばならず経費がかかった

結論として
ドイツは日本と同盟を結ばず、イタリアが局外中立になってくれた方が好都合だった
イタリアの場合、イタリア海軍特殊部隊のデ・ラ・ペンネ大尉がアレキサンドリア停泊中のイギリスの戦艦2隻を大破させ
英地中海艦隊の大型艦を巡洋艦1隻だけにしてアフリカのロンメルが攻勢可能になるまで補給航路を安全にしたなど戦局に影響させることはしたが

日本は対ソ連の牽制にならないどころか
西太平洋の唯一の米軍戦車部隊であるフィリピンの軽戦車大隊に実弾をフィリピンに送ったのが開戦直前というように戦争準備していなかったアメリカを戦争に引き込むなど
ドイツにとりデメリットなことしかしなかった
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この回答へのお礼

そう思います。
ドイツと一緒に、ソ連を攻撃するのでなければ、同盟は、いらなかったです。

お礼日時:2012/03/15 18:54

三国同盟を結んだのは、間違いだったと思います。



勝っているドイツを利用しようとしたのですが、これは他人の力に頼るもので、当て外れになりました。

それは現実を見る目と大局を見る目がなかった、からです。
現実的にはドイツは、当時スターリングラードで苦戦に入り、もう限界が見えていました。
アメリカと戦争をしてはいけない、というのが海軍の方針で、これが大局的には正しい見方でしたが、国民世論の近視眼的熱狂に負けて、貫けませんでした。

アメリカと戦争をしないために、つまり抑止力として同盟を結んだ、という見方の回答がありますが、結局はアメリカとの戦争になってしまいました。

抑止力という考えは、いつもこういう危険性があります。

沖縄基地を抑止力として必要と考える人が多いのですが、これが戦争を呼び寄せる可能性もあります。

この回答への補足

日米戦争は、アメリカが、戦争をしたくて、日本を挑発したから、避けられなかったです。
日本の責任では、ありません。

沖縄基地は、なくなると、中国人民解放軍が来ますよ。
中国は、「沖縄は、中国領だ」と言っています。

「軍事力の空白域ができると、戦争になる」というのが、歴史の常識です。
朝鮮戦争(1950年~1952年)は、米軍が、南朝鮮を武装解除して、ほったらかして、アメリカに帰ったから、起きた戦争です。
北朝鮮には、ソ連の肝いりで、戦車が300台もあったそうです。
南朝鮮には、鉄砲しかなかったそうです。

補足日時:2012/03/15 18:51
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>果たして、日独伊 三国同盟に、メリットは、あったんでしょうか?



当時の日本は、日中戦争の真っ只中でした。
その結果、英国とともに米国とも関係が悪化していきます。
そして、米国は蒋介石を支持するようになっていきました。
このままでは、米国が参戦してしまうと日本首脳陣は恐れました。
そこで、同じく米国を参戦させたくないであろう独・伊と同盟を結ぶことで米国を牽制できると思います。
というのも、当時の独軍は英仏に対して有利に戦況を進めていたからです。
なので、米国の参加はあり得ないと踏んだわけです。

一方、独・伊にしても米国の国力は脅威でした。
更に、英国本土の攻撃にも行き詰まりはじめていました。
そこで、標的を西から東に移しソ連侵攻を画策し始めます。
そこで、大陸の反対側である日本を引き込み、東西両面から挟み撃ちにすることでソ連戦を優位に運ぼうとしています。
また、米国に対しても牽制になると踏んでいました。

以上、簡単に日本と独・伊、それぞれの思惑を簡素化してまとめてみました。
つまり、日本は米国との戦争回避のために、独・伊はソ連と戦争をするために手を結んだんです。

しかし、1941年12月8日に日米開戦をもって日本側の思惑は外れてしまいます。(もちろん、それ以前に開戦が避けられない状況へと悪化したのが原因です。その一因に三国同盟があるのは間違いないでしょう)
一方で、先立つ6月22日にソ連と戦争を始めた独・伊にしても、日本が逆っかわ(米国)を攻撃したため思惑が外れてしまいます。

三国同盟の失敗は、お互いの思惑が一致していなかったことによりますね。
ではでは、参考になれば幸いです。

この回答への補足

日中戦争では、アメリカは、中立ではなく、中国に武器、食料の支援をしています。
援蒋ルートは、ベトナムにあり、日本軍が、ベトナムに侵攻したのは、この援蒋ルートを遮断するためです。

日本は、ソ連と、日ソ中立条約を結んでいますよね。
ドイツも知っていたはずだし。

三国同盟は、失敗だったのは、確かです。

補足日時:2012/03/15 18:46
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この時代が好きなのですか?


僕は個人的に、日本が負け犬で良かったと心底思います。
この時代の日本は地獄でしょう。
兵隊は虫けら同然で敵も味方も同じです。
ばんざい突撃とか、馬鹿丸出し。
気の毒とかとゆうレベルの話ではない。

ドイツも負けて良かったね。

この回答への補足

補足日時:2012/03/15 18:41
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この回答へのお礼

お礼日時:-0001/11/30 00:00

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