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1973年アランドロン主演の愛人関係の、ラストシーンでは銃声が2発という記事が見られます。
私の持っているベスト・ライブラリー :隠れた名作特集DVDでは、何度見ても、最後まで見ても銃声は一発しか聞こえないように思います。
どうなっているのでしょうか?
オリジナルサウンドトラック版の古いレコードには銃声二発との話もあるようです・・・
一発はどこで鳴っているのでしょうか?
お分かりの方いらっしゃいますか?
よろしくお願いします。

A 回答 (1件)

映画の場面や内容そのものはもうはっきり覚えていないのですが、サントラの観点から。



東宝レコードから公開当時に発売になったサントラEPはラストに銃声が2発入っていますが、近年発売されたフランス盤のCDには銃声は1発しか入っていません。
どうも日本のレコード会社が自分たちで音源を編集してしまったようです。
むかしはセリフを入れたり、1分台の短い曲を編集で3分くらいまで延ばしたりなど、いろんな工夫?されたものが多々ありました。

そんなわけで、サントラの印象から銃声が2発と勘違いしている方が多いのではないかと思います。
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この回答へのお礼

回答一覧で見つけられなかったため、反応が遅くなってすみませんでした。
やはり、一発・・・ですか。

じつは昔この映画を見たとき、ラストの銃声(一発)が非常に印象的で、「ああ、そうするしかないのね」と思ってこの映画の感想が固定化していました。
その後も(何十年もですが・・・)、たまに、ラストに近いシーンでミレーユダルクがアランドロンの突然の登場に寄り添って行って、その後の展望台でのラストシーンを思い出して情感を自分の中で再認識して、DVD買っておこうかなとか思っていました。

ずっと銃声は一発だと思っていましたが、つい最近ネットで「二発の銃声が響きわたった・・・」とのコメントを読んで、「えっ?そういうことなら映画の解釈というかアランドロンの位置づけというか、人間観というか・・が、全然違うぞ・・」と思って、やっと重い腰を上げて復刻版のDVDを購入してみました。

すると・・やはり、銃声は一発。
スタッフロールの最後までまんじりともせず画面を見つめつつ聞きましたが、音楽が流れるのみ。
(ま、1974年ころですから、そこでキャストが登場してVサインやったり、NG集が挟んであったりはないでしょうけど・・)

ということで、一応銃声は一発=アランドロンは、「こうするしかない」と彼女と二人で生活をする将来を語りつつ幸せの会話の中で状況を終息させる超法規的だが必要な強い男の役割というイメージでよいのではないかと思っています。それは、彼女にとって真に必要な役割の存在であった・・・と。

本当に銃声が二発だとすると、愛の終着駅的心中結末となって心情的すぎるし湿っぽすぎるし、ミレーユダルクの婚約者も見ているのですし、そこでドロンの愛が追い付いて追い抜くようでもあり・・・なんか違うなーと感じます。

ということで、えーっ二発ってほんとですか?・・・一発であって欲しい・・・心中モノじゃないよね。という願望を含めた質問でした。

ご回答していただいた、なんらかの経緯で70年代の日本で2発にしたのでは?というご指摘は、その時代なりの日本的解釈で
「仇討ち(ではないですが・・)の本懐を遂げたあかつきには自らの命も差し出す覚悟で・・・」とか、
「愛人殺しといて、おめおめとは生きていられないだろう」とか、
「殺すくらい愛していたなら自分も運命をともにするのが本当の愛ってものだろう」とか、
いうイメージと重なりますので(ここであまり厳密な話しはしたくないですが・・・)、日本人の後付け説には多いに納得がいきます。

いずれにしても、私は一発であるべきだと思っていますし、最後の山々の景色を映すシーンはアランドロンが扮した弁護士が愛の日々の追憶と、終息に他の選択肢がなかった悲しい現実の人の世の虚しさをかみしめる心境を表現しているシーンなのだと理解しています。

どうも、情報ありがとうございました。

お礼日時:2012/03/28 15:36

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