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日中戦争は侵略戦争だった、と言われていますが、その侵略というのは、どのことをさしているのか?よく解りません。
例えば盧溝橋の実弾一発が戦争の発端といわれていますが、これはどうも共産党側からの挑発的行為だったという要素が高いようです。
日本側はすぐに不拡大方針を現地に伝達していて、侵略しようという気持ちは無かったようです。
こういう経緯をみると、どの行為が侵略だったか?よく解らなくなります。

どなたか教えてください。

A 回答 (19件中1~10件)

日本が盧溝橋に軍をおいていたのは北清事変で結ばれた北京議定書に基づくもので、戦勝国だった八カ国連合の各国はいずれも軍を数十年前から駐屯させ、演習も行っていましたので、法的には問題はありませんでした。


問題だったのは当時の日本側の事情です。
当時の日本では「中国大陸で明治以来獲得してきた権益は日本という国家の存亡に関わるものであり決して手放してはならない」とする意識が非常に強かったのです。
現代人の感覚ではピンとこないかもしれませんが、戦後の日本でも「自衛隊を海外に出せば日本は軍国主義化するから、決して自衛隊の海外派兵を認めてはならない」などと今から見れば馬鹿げた主張が国政の場で唱えられていたのと似たようなものだと思えばいいでしょう。
このため同時期に中国で起きていた、列強に奪われた権益を中国人の手に取り戻すための運動である「国権回復運動」は日本人から大きな脅威と見られていました。
また政情不安な地域において、この手のナショナリズムに根ざす運動が過激化しやすいのは世の常で、このため日本を含めた列強の活動に対するテロが中国内部では頻発しており、日本側でもマスコミが大きく取り上げていました。
この結果として昭和初期には日中双方共に不信感が高まっていたのです。
そんな中で起きた盧溝橋事件ですが、発端となった事件について言えば、アフガンなどの紛争地域で駐屯している米軍に向けて砲弾を撃ち込めば報復を招くのは必定ですから、そこまでならば問題は無かったでしょう。
しかし日本側ではこれを機会に国民党政府を一気に屈服させ、前述の問題を解決すべきという主張(いわゆる「対支一撃論」)が起こり、このために不拡大方針と拡大論が混在する中、世論の多くが戦争拡大を支持した事もあって、政府は明確な方針を打ち出せずズルズルと戦争を続行する事となり、その結果として犠牲と戦費、そして戦果の拡大に伴い辞めるに辞められない状況へと追い込まれてしまうのです。
結局のところ盧溝橋事件の段階で「砲撃に対し報復はするが、そこで武力行使は終了」ならば問題は無かったのですが、その後の戦争の拡大は明らかに「侵略」と言えます。
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この回答へのお礼

詳しい説明をありがとうございました。

お礼日時:2012/03/22 16:51

No11です。



返事がないということは質問の主旨は↓でよろしかったということでしょうか。

>【日本は侵略をしたと言っている人が思う日本の侵略行為とは何か?】
>(侵略の定義や日本は侵略をしたか? ではない)

補足部分の対する ぼくのいけん を言う前に、肝心の部分にお答えいただきたいのですが。


返信についてですが、質問者の読解力に疑問を感じました。

>ここで多い議論の仕方として「西洋と同じことをしたのだから、侵略ではない」という言い方が多いことに気がつきました。

他の方の回答を評価するつもりはありませんが、
私はそのように回答をしたつもりはありません。

私は当時の国際法や国際常識から、日本の行為を侵略とすることはできない と言っているだけです。
特に、欧米のパリ条約についての法解釈を用いるなら、日本の行為についても同様にも自衛権の範囲になると言っているだけです。

(私は、西洋は侵略をしたが、明治以降の日本は侵略をしていないと思っています。詳細は質問とは無関係なので、ここで説明しません)


私はこの問題では、侵略の意味をはっきりさせないと、各人の ぼくのおもうしんりゃく と ごりっぱないけん の垂れ流しになると考えたので、国際法を根拠として回答しました。

国際法に拠らないのなら、質問者様は、自分の侵略の定義を明確にして質問をするべきです。
それらが自分の中で意味も認識も曖昧になっているなら、どのような回答もあなたを満足させることはできないと思います。
質問者と回答者のそれぞれが考える侵略の定義が同じとは限りませんから。

私は、進行中の国家間の問題を評価するのは、国際常識と国際法しかないとも思っています。
また、現代の価値観で当時の常識を断罪したり、個人間ですら異なる正義感でそれらを評価して、平和を愛する立派な人間を気取るつもりはありません。
安っぽい友愛や、目先の平和主義は、視野を狭くして問題に対する判断を誤らせる害悪ですらあるとも思います。


>たとえばソ連の満州侵略は、侵略戦争である、という考えから、考えてみるのはいかがでしょうか?
>しかしだから侵略戦争ではなかった、と言いきるのは単純すぎませんか?

何を言いたいのか全くわかりません。
だいたい、~という考えから、何を考えるのでしょうか。
自分の表現力や国語力の不足に対するフォローを、他人の洞察力に期待するのはやめてください。
ソ連の満州侵攻と日本の中国大陸への出兵は、理由や性格が異なる事は説明した筈です。

質問者様は、他国に兵を出せばなんでも侵略と考えているのでしょうか。
だとしたら、No11の、国連軍についての文を読んでいますか?

この回答への補足

正直言って、回答者さんが書いている論理を理解できませんでした。

回答者さんは私の質問が次のようなものといっておきながら、答えが書いてありません。

>【日本は侵略をしたと言っている人が思う日本の侵略行為とは何か?】
>(侵略の定義や日本は侵略をしたか? ではない)

その答えを推測すると、
>私は当時の国際法や国際常識から、日本の行為を侵略とすることはできない と言っているだけです。
つまり「侵略は無かった、だから私の質問にはそもそも答えが無い」ということなのでしょうか?

これは侵略の定義を自分で決めて、そういう侵略はなかった、と答えているだけです。

私の質問は、あくまでも
>(侵略の定義や日本は侵略をしたか? ではない)
のですから、
>【日本は侵略をしたと言っている人が思う日本の侵略行為とは何か?】
という私の質問に、直接答えてほしいと思います。

補足日時:2012/03/21 07:11
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この回答へのお礼

一生懸命答えていただいて、感謝します。

お礼日時:2012/03/22 16:49

 前回から感じていたことですが、質問者様は一つ一つの史実を採り上げてそれを括りとしての史実に位置付けようとしないことで混同を来している印象があり、そのために回答者からの回答に対してトンチンカンな補足でコメントされる結果が続き、更に問題の所在が不明となってしまっています。


 「日中戦争」が時間として何時から何時までの間を指すのかは同時に「日中戦争」を近代史の中でどう位置付けるのかとの「歴史評価」の問題にもなります。
 教科書的な意味(5W1Hによる知識の集積という意味)で一応の定義付けをするなら1937年7月7日の「廬溝橋事件」に端を発した日中間の戦争。戦争は中国北部の北支事変から第二次上海事変を経て上海・南京・広東・武漢三鎮を占領し宣戦布告をせずに事変という名称のまま全面戦争に発展、国民政府は重慶に移り抗戦を続け1945年日本の降伏に至るまで続いたとなりますが、この間に戦果の拡大により名称も「北支事変」「支那事変」「日華事変」と変化していきます(ここで使用した表現は当時の新聞などに使われていた記述表現です)。
 しかしながら「実際の日中戦争」はこの8年間の戦争だけではありません。「廬溝橋」に至るまでの過程が前提としてあります。ではそれは具体的にどのような史実か、と質問者様はお尋ねになることでしょう。それは1927年から1928年の三度にわたる「山東出兵」、1928年6月4日の「張作霖爆殺事件」1931年7月の「万宝山事件」9月18日の「柳条湖事件」そして1932年3月の「満州国建国」に至る一連の過程です。こうした点で日中戦争と太平洋戦争を総称し「15年戦争」と呼ぶ研究もあります。
 質問者様は「政府は不拡大方針を発表していた」ことを根拠として「日中戦争は侵略戦争だった」ことに疑義を示されているようですが、第一次近衛内閣で一度は不拡大方針を出したものの、ドイツの中国大使トラウトマンを介しての和平交渉に失敗すると「爾後国民政府を相手とせず」との声明を発表。アメとムチの使い分けによる国民政府との和平交渉を事実上放棄する形を採りました。
 ここで大切なのは「政府が戦線の不拡大を表明した」からといっても「実際に戦線を縮小したり中国から撤退しなければ実効のない空手形」も同様です。日本が実際に中国から撤退するのは1945年であり、こうした事実からは「不拡大方針」と「日中戦争」はイコールで繋がることのない問題であることもはっきりします。
 更に「日中間の戦争」が侵略戦争でないとしたならば、それはどの様な性質のものかとの問題にもなり得ます。こうした時に右よりの方々から聞かれる主張の根拠は「日本が盟主としてアジアを欧米人の手から解放した」との話ですが、これも実際に「アジアの人」が望んでいたことかどうかとの問題に明確な証拠とそれに基づく答を出せないのならば、説得力を有することにはなりません。
 少なくとも明治維新以後の日本がとった方向性は対外的には帝国主義外交であり、国内的にはそれを後押しするための擬似近代国家の構築過程だったと思われます。 
 
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この回答へのお礼

日中戦争についていろいろ教えていただいてありがとうございました。

お礼日時:2012/03/20 23:55

#5です。



政府の不拡大方針にたいしても、兵力を増強する方法で軍内部の勢力争いをして戦争に直結しました。
どこの戦闘が侵略で、どこが防衛だったのかとはわけられないと思います。
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この回答へのお礼

>どこの戦闘が侵略で、どこが防衛だったのかとはわけられないと思います。

どうもそんな気がしてきました。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/03/20 23:51

中国で(日本ではなくて)日本の軍隊が戦っているのだから、全体として「侵略」なのは明らかでしょう。

当時は、それ(今で言う「侵略」)はどこの国もやっている普通のことだった、という言い方は成り立つ余地はあるでしょうけど、あれを(現在の意味で)「侵略」ではない、というのはどうやっても無理です。日本国内で日本人相手に好き勝手言うのはかまいませんが、バカな説を外国に向かって説かないでくださいね。
当時の日本の行いを、(現在の意味で)「侵略」ではないと言い張るのは、(中韓以外の)外国人からみても、韓国人が「対馬は韓国領」と言い張るのよりも、もっとバカげた主張に聞こえます。(これは100%です)
バカげた主張をすると、本当は正しい主張(南京事件の死者数、など)まで受け入れられなくなってしまうことに気づいてください。バカな主張をするのは、左翼的な主張よりも、もっとずっと大きく日本の国益を損う、ということを自覚してくださいね。よろしくお願いします。


>日本側はすぐに不拡大方針を現地に伝達していて、侵略しようという気持ちは無かったようです。
現地が伝えた方針通り動いていれば、その通りなんですけどね。
実際の話は、現地の指揮官は、東京からの指示を完全に無視して(現在の基準でいえば明確な命令違反です)、戦線を拡大してしまったので、東京も追認せざるおえなくなってしまっています。

当時の日本は、政府の言うこと、軍(上層部)の言うこと、現地軍が実際に行うこと、が全く一致していない、という外国から見ると、本当に不気味な国に見えました。外国から見て、日本という国が一体何を目指しているのかが全くわからないわけです。国としての意思決定の過程が全くみえない。というか、実際のところ、グランドデザインを描いた人は一人もいないわけで、政府、軍(上層部)、現地軍が、それぞれ勝手にてんでばらばらに、その時々の出来事に脊髄反射的に行動しただけです。こういう国は、外国から見ると最も危険です。政府となんか交渉して約束しても、全く意味ないわけですから。
実際、日本政府は、盧溝橋事件の後、何度も何度も不拡大を宣言していますが、(外国から見ると)ことごとく嘘だったわけです。(現地軍が勝手に戦線拡大するので、政府としてもその状況を追認せざるおえない)

良いか悪いかは別にして、当時のドイツは、ヒトラーが言っていること=ドイツが目指していること、というのがはっきりしています。こういう国であれば、外国から見て、まだ交渉の余地があると思えるでしょう。
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この回答へのお礼

回答をありがとうございました。

しかし私が「侵略戦争でなかった」と言っていると誤解しています。

質問の趣旨は、どの戦闘が侵略にあたるか?を教えてください、と言うものです。

お礼日時:2012/03/20 23:40

朝鮮半島、満州に関しての認識は、どうなっていますか?


盧溝橋事件においても、日本軍が中国側に侵略する意図があったのは、たしかです。
日本軍によるその後の展開をみれば、それは明らかです。
だいたい、最前線で、軍事訓練など、相手を挑発する以外の意味がありません。
侵略は、最初の開戦の問題ではなく、どちらが相手国領に、侵攻する意図があったのかどうかです。
日本軍は、中国国内に侵略する意図を持っていた。
そのため、国境の事故がおこりそうな場所で、軍事訓練を行った。
日本軍か、中国軍か判明しない弾丸が日本軍に向かって飛んできた。
これが、事件の直接のきっかけですが、相手国の目の前での軍事訓練など、相手国への挑発行為そのものです。
北朝鮮が、東京湾の入り口の公海上で軍事訓練を行ったとしたら、質問者は、それを徴発行為とみないのでしょうか?

>日本側はすぐに不拡大方針を現地に伝達していて、侵略しようという気持ちは無かったようです。
これは、政府レベルの話
軍の前線に、政府の意向が通じないことは、満州事変で確認済みです。

現在のWikiの盧溝橋事件の記載は、日本の右翼的な味方だけしか書かれていないため、参照すると、偏向したものとなります。
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この回答へのお礼

最近行われた、米韓軍事演習は北朝鮮を挑発するものだからやってはいけないことだ、と言う考えに賛成いただけると思います。
ご意見ありがとうございました。

お礼日時:2012/03/20 23:35

いろいろな意見があると思いますが、日本の行なったことはやはり侵略で間違いないと思います。



但し、当時は弱肉強食の時代でした。ヨーロッパの列強も侵略していました。イギリスやフランスなども植民地でひどいことをしていました。イギリスなんて中国にアヘンを売りつけて中国が怒ったら武力で抑え込みました(アヘン戦争)。当時のイギリス人の居留地には「犬と中国人入るべからず」という立て札があったそうです。まあそんなめちゃくちゃな時代のことですから・・・

私は中国とは仲良くなれるような気がします。靖国さえ総理大臣が参拝しなければ次第に忘れて行くでしょう。あと南京の話は触れない方が良いと思います。中国の言うことが嘘なのはわかっています。でもそれを政治家が反論するとろくなことがないからです。国際関係は抑えるところは抑えてうまく付き合っていかないといけないと思います。
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この回答へのお礼

大変賢明な考えと思いました。

中国との関係については、特に慎重な発言が望まれます。

ありがとうございました。

お礼日時:2012/03/20 23:30

戦争ってのは勝てば官軍負ければ賊軍。


勝者が正義を作る。
よって勝者側だった中国の言い分がそのまま通ったと。
ただ戦後賠償を求めなかったのは日本から見ればとてもいいことだった。

当時の日本の一番の問題点は勝てない戦争をしたこと。
外交オンチ 政治オンチ 軍人は軍人であって政治も外交もど素人だったということで。
なぜこんな状態になったのかきちんと研究、検証をしようとしてないので同じ過ちを繰り返す危険性は高い。
失敗から学ばないよね、日本人、特に政治。
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この回答へのお礼

すべて同感です。

しかし私の質問に対する答えではないようです。

でも賛成できる意見をありがとうございます。

お礼日時:2012/03/20 23:26

質問の主旨ですが、↓でよろしいのでしょうか。



【日本は侵略をしたと言っている人が思う日本の侵略行為とは何か?】
(侵略の定義や日本は侵略をしたか? ではない)


回答:日本から戦闘行為を仕掛け、中国領の一部を占領した。

しかし、後述の理由で↑の行為は、当時の条約で認められている自衛権の範囲であって、侵略ではないと思います。
また、日本が侵略したというのは当時の諸外国の都合でそのように言われているだけです。
東京裁判で日本を裁いた連合国も、後から日本の戦争は自衛の為だったと認めています。(でも謝罪はしない)

理由の如何に関わらず他国に軍隊を出すのが侵略なら、
国連軍は侵略をしていることになります。
でも、世界の常識ではこれを侵略とは言っていないように思うのですが。

それから、侵略は、WW1後のパリ条約によって国際法で違法となっています。
しかし、この場合「罪刑法定主義」の原則から、侵略の定義を明確にしなければならない筈なのですが、
その条約では侵略の定義を

「当事国の自国裁量権に任せる」

とされており、これは実質的に、当事国が 侵略をしました と言わなければ法を適用できないザル法でした。
(朝鮮戦争を仕掛けた北朝鮮も、イラクに武力介入したアメリカも、「侵略戦争」とは認めていません)
それなのに、日本は他国から侵略をしたと決め付けられ、非難されています。


ザル法でも侵略が違法となった以上、それ以外の戦争の定義も明確にする必要があり、自衛権という事も問題になりましたが、
当時のアメリカは、↓のように言っています。

【この条約は自衛権を制限するものではなく、その内容と範囲は各国が判定できる】
【当事国が決定するものであり、その自衛の範囲は海外への軍隊の配備まで含む】

さらに、東京裁判で、日本の弁護についたローガン弁護人が↓のように言っています。

「自衛権は経済封鎖にまで及ぶ。一国の生存に必要な物資を奪う行為は、国民の士気・福祉の破壊を目的としている分、武力による殺人以上に激烈な戦争行為いえる。」
(石油の禁輸に対して戦争を行うのは自衛権の範囲に入る)


他にも日本はパリ条約以外に、ソ連と↓の内容の 「侵略を定義する為の条約」 を結び日ソ間での侵略の定義を決めています。

1:先に宣戦布告する
2:先に戦争行為を行う

ところが、その後ソ連とオランダは日本に宣戦布告をしています。(それまで日本はソ連に↑の行為はしていません)
これを侵略ではないというなら満州事変も同様であり、侵略を合法とするならこの条約は無意味です。
ソ連のこの行為は裁かれていません。


以上から、日本の戦争は侵略ではないと思います。


日本が中国と(侵略ではない)戦争をした理由ですが、
当時の中国の状態と各国の認識は以下の通りでした。

共産党が支配地域で独自の政府・法・軍隊を持つ勢力となり、国民党と戦っていました。
当時の世界では、共産主義はその掲げている理想に関わらず、結果的には国家そのものを滅ぼす思想であると思われていました。
だとすると、当時の中国の状況は、異なるイデオロギー間の内戦ではなく、外敵の侵略に等しい状態です。
そのような国と国境を接し、現実に日本はその脅威を受けていました。

また、日本以外の列強国の中国での権益も失われかけていました。
中国各地には外国人の居留地(租界)が存在していましたが、その治安も悪化していました。

当時の国際常識では、外国人の生命・財産の安全を保証できない国は、それにより被害にあった国が保護監督下においてもよいという認識です。

当時の日本と中国(国民党)の状況ですが、
国境付近で、国民党軍の陰湿な挑発行為が頻発し、兵士の怒りと緊張がピークに達しており、問題を解決する必要がありました。
当時の国民党の本拠地は中国奥地の重慶にあり、安全を確保するには重慶を陥落させる必要がありました。
それを行うと、大規模な軍隊を動かす事になり、結果的に戦争になります。

日中戦争は、このような状況からはじまりました。


また、軍部が独断で動いたこと=侵略 ではありません。
前述の条約で対外的に侵略か否かを決定するのは、国家であって軍ではありません。
(侵略か否かは政治的な判断であり、それは政府(国家)の権限です。)
更に、前述のように当時の日本軍の行動は、安全保障上の自衛行為に入ります。

この回答への補足

ここで多い議論の仕方として「西洋と同じことをしたのだから、侵略ではない」という言い方が多いことに気がつきました。

たとえばソ連の満州侵略は、侵略戦争である、という考えから、考えてみるのはいかがでしょうか?

ソ連は裁かれていないのに日本が裁かれたのは、不公平だ!と言われるでしょうが、それは私も同感で、不公平だと考えています。

だから東京裁判は不当な裁判である、と考えます。

しかしだから侵略戦争ではなかった、と言いきるのは単純すぎませんか?

補足日時:2012/03/20 23:24
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日中戦争は中国が日本を侵略した戦争です。

1941年12月9日に蒋介石が日本に宣戦布告しました。日本は受けて立ったまでのこと。盧溝橋事件は1937年の武力衝突事件ですが、これがただちに戦争に発展したわけではありません。そもそも日本軍が中国に駐留していたのは日本人居留民の安全を守る為であり、北京議定書に定められた正当な権利だったのです。北京議定書は、義和団事件の最終処理の為に清朝と日本を含む欧米列強の間で定められた条約です。

現代の日本にだって外国人が居留しています。その外国人の安全を守る義務は当然日本にある。

ところが当時の清朝は外国人の安全を守ろうとするどころかテロリスト集団である義和団に勢いづけられて、あろうことか列強に宣戦布告しました。その解決の為に結ばれたのが北京議定書です。清朝に外国人の安全を守る意思も能力もないから、外国の軍隊の駐留を認めるしかなかったわけです。

外国人の安全を守る意思も能力もなかったのは辛亥革命が起きて中華民国が成立した後も同じです。だから北京議定書はそのまま有効でありました。

盧溝橋事件の3週間後に、大規模な日本人虐殺事件が発生しました。通州事件です。

侵略されたのは日本の方なのですよ。勘違いされては困ります。日本が侵略したなどという荒唐無稽な事実は全くない。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2012/03/20 18:05

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