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みなさんは臓器移植についてどう思われますか?また臓器移植についてどのくらい知っていますか?疑問に思っていることなどなんでもいいので意見きかせて下さい。よろしくお願いします。

A 回答 (5件)

 こんばんは、ghq7xyです。

私は臓器移植については素人ですが参加させてください。
 さて、臓器移植ですが、臓器移植法が施行され、ようやく定着してきていいのではないかと思います。ただ、現行法では乳幼児の場合は臓器移植ができず、乳幼児が移植を受けるには海外へ行かざるをえず、莫大な費用がかかり、仮に海外にいけても相手にしてくれないことが多いそうなので、乳幼児の移植が日本でも可能にしてくれることを願ってやみません。
 また、臓器提供意思表示カード(以下、カード)ですが、最近ではコンビニにも置いてありますが、どうせなら全家庭に市町村などが町内会などを通して配布すべきではないかと思います。というのは、このカードには臓器を提供する意思のない人については、提供する意思はない、という欄も設けられているからです。提供する意思はない、というのも尊重すべきですから。
 参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。一般の方の意見、とても参考になります。

お礼日時:2001/05/10 18:25

臓器移植に限らず、科学技術全般についてですが、


「科学でここまでできるようになった!」「じゃあその技術で今まで不可能であった○○をしましょう!」っていう具合に事がどんどん進み、「科学で何をするべきか」という哲学に関する議論が後追いになっていることに、人類のひとりとして一抹の不安を覚えます。

私が考える本来あるべき姿は、
「人類はなにをするべきか」「その目的を達成するには何が必要か」をまずみんなで考え、その結果「これは必要だ」というものを産みだしていく、そのための科学技術を進歩させていく、というのが理想だと思います。

現代社会は、まるで科学技術の品評会場か博覧会場のようです。それに商業主義も加わり、私としてはあまり住み心地のよい世の中とは感じません。

こういう論調を展開すると、「チベットの山奥にでもひとりで住んだらいかがですか」と言われそうですが、私の勝手な希望としては、人類がなにをするべきか考える一員として微力ながら参加させていただきたいと思っていて、チベットの山奥ではそれが叶わないので東京の真中に住んでいる次第です。

物心ついた頃から、医学という学問はよく分からないところがあります。医学の究極の目標は不老不死なのですか? 現実には真の不老不死はありえないと思いますが、この先平均寿命ばかりが伸びていくと、将来地球はどうなるのでしょうか。最悪の場合、ある程度の年齢になったら無作為抽選で指名され安楽死を迎えるってなことになる可能性は絶対にないのでしょうか?

問いかけで終わる文章ばかりで回答と言うには程遠いですが、「思っていることなんでも」ということなので書かせていただきました。乱筆にて失礼します。
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  臓器移植と言っても、色々な段階のものがあります。

角膜移植も骨髄移植も臓器移植には違いありませんが、これらが問題になることはありません。問題になるのはいわゆる、心・肺臓、肝臓、腎臓、などの臓器に関してであり、それは提供者の死、あるいは肉体的侵襲を伴うからです。
 特に心臓移植に関しては脳死問題とも微妙に絡んでくるため、一層複雑化してきています。ですから、この問題はどの臓器を移植するかによって、おのずと答えも異なってきます。
 私は、移植する臓器よってそれぞれ法律が異なるべきだと考えます。そして、それぞれの臓器移植を個別に考えることが重要で、引いては、そのようなやり方が臓器移植への理解を深めるものと思われます。
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この回答へのお礼

今の法律は疑問に思うところが結構ありますよね。角膜や腎臓は本人のはっきりとした意思がなくても移植できるようになっていますし。私ももっと法律をきちんとすべきだと思います。回答ありがとうございます。

お礼日時:2001/05/10 18:33

もしも私の近親者が病気になり、臓器移植で助かるのならば どんなことをしても手に入れたいです。

他人になんと言われようが、思われようがかまいません。
プライバシーを守る為、いろんな問題もあるようだし、犯罪につながる危険性もありますが、基本的に良い事だと思ってます。
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この回答へのお礼

一見して良いことのように思われるし私も最初はそう思っていたのですが、本当にいろいろ問題があって最近では果たして臓器移植が良いことなのかどうか考えさせられます。回答ありがとうございます。

お礼日時:2001/05/10 18:36

世界的に地球の人口で考え、命は等しく平等と考えると、現実に「臓器移植」ということが行なうことが経済的に可能なのは、全人類の5%程度ですから、これを通常の医療と位置付けてよいものか疑問を感じます。


また、脳死などの臓器移植では、結局他人が事故にあって脳死状態になってくれることを期待することになってしまい、人間の心をそんなハイエナのような心に変えてしまうようなことが、本当に医療として良い事なのかどうか考えさせられます。
また、脳死を伴わない臓器移植では、実際に貧困のために自己の臓器を売り、それを経済的に恵まれた一部のものが購入していると言う臓器売買も現実です。
「インド、アフリカ、ラテンアメリカ、東ヨーロッパなどでは臓器売買が許されて
いる。食事や家、借金の返済、さらには大学の授業料を得るため、人びとは臓器を
売るのである。現在、エジプトでは臓器が一万から一万五〇〇〇ドル、もしくは同
額の電気製品と引き換えに売られている。インドでは、生きた提供者からの腎臓は
一五〇〇ドル、角膜は四〇〇〇ドル、皮膚一切れ五〇ドルが相場である。インドや
パキスタンでは、腎臓病の患者で、近親に腎臓提供者がいない場合、新聞に最高四
三〇〇ドルの買い値で「求腎」広告を出すことが許されている。」等
そんなのって、人間の世界なのでしょうかね。
経済的に豊かな人間は生きる価値があり、貧困者は生きる価値がないといっているのと同じですよね。
まるで阿修羅の世界ですね。
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この回答へのお礼

臓器移植もいいところばかりじゃないんですよね。卒論でこのことについてしているのでみなさんの意見がとても参考になります。ありがとうございます。

お礼日時:2001/05/10 18:28

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