No.1ベストアンサー
- 回答日時:
>誰が何のために上杉家を美化し始めたんですか。
根拠はありませんが、
江戸時代のそれも元禄時代あたりからではないでしょうか。
日本人には判官びいきというのがあって、
強者、権力者へのあてこすりや批判に
それに対抗するものを作りたがるからです。
権力が不安定な時代であれば弾圧されますが、
安定してくると、それも一つの読み物、娯楽として
庶民の不平不満のガス抜きとして認められます。
家康がたぬきおやじで、真田幸村や直江兼継が
反権力のヒーローみたいに特徴づけられるわけです。
たぶん、講談や辻講釈の一節として定着していったのでしょう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AC%9B%E8%AB%87
No.9
- 回答日時:
> なんだか義に生きて義に死んだみたいにすごく美化してますけど、
まあ、あの時代、戦うだけ戦って自分の領地を増やさなかったのですから、褒めていいんじゃないですか。
それも戦争を始めたきっかけは、たいがい、Aから攻められて滅亡しそうになったB(殿様)側からの救援要請がきっかけでしたからね。
現代で言えば、社長からの救援要請で、会社のために残業の上にも残業して、残業代を要求せず、その上、ストレスで酒を飲み過ぎてトイレで急逝してしまったのに労災適用も要求しなかった社員、遺族と同じ行動ですから。
働いた分はもらうべきなので、何も要求しないのは、まあ、愚かと言えば、愚か。馬鹿と言えば馬鹿でしょうけど、私は褒めてあげたいですね。
> 誰が何のために上杉家を美化し始めたんですか。
そもそもは、織田とか豊臣とか、近くで言えば武田とかに併合されて、消滅してしまった殿様の家臣じゃないでしょうか。
「あいつらが、謙信のように清廉で、自国に併合さえしなければ、オレたちも一人前の武士として生きていられたのに、強欲にも彼奴らは併合吸収してしまったからオレたちは浪人することになった」と。
自分たちの殿様を滅ぼしたヤツを罵倒するには、対極にある上杉の殿様を褒めるのが一番ですから。
> 実際のところ上杉軍って、攻め込んだ先で百姓とかぶち殺しまくったり、女を犯しまくったり、すごく恐れられていた
それは、ちょっと調べて頂ければお分かり頂けると思いますが、雑兵たちはそれが楽しみで参加していたようなのは、どの軍でも同じでした。
上杉、武田、織田、毛利・・・ 全部の軍。
ただ、上杉軍は強かったので、いつも勝った。いつも加害者側になった。だから目立った。それだけの違いです。
日本国の中の「国(地方)」などだけではなく、地球上のどの「国」でも同じだと思いますね。
命を張って戦うので、上の人間もある程度の強姦や略奪は許していたようですよ、どこの殿様も。
逆に、それだから、そうならないように、勝とうとしたわけです。勝てば強姦もぶち殺されもしなかったわけですから。
ちなみに、外国(日本以外)に比べると日本は穏やかでした。
関ヶ原の戦いなどは、近くの農民は弁当を持って山へ戦の見物に行っていたという記録も残っているようです。
> 上杉謙信に至っては、ただの戦好き。
そのように見えますね。
関東管領の立場だから関東に攻めこむ。
現地の殿様は降伏するからアッサリ許す。
越後に帰ると、関東勢はまた反乱を起こす。
また越後から関東に攻め込む、の繰り返しでしたから、そう見えても仕方ないでしょうね。
> 今で言うところのブッシュ元大統領みたいなもの
それは正しくありません。
今の「民主党」と同じ、というベキです。民主党を支持する国民と同じ、と言うべきかな。
自民党時代も、後に民主党として結集することになった勢力が反対するので法改正ができなかったのですが、今の日本が謙信と同じです。
攻めてくると、撃退するだけ。
領空侵犯しようが領海侵犯しようが、攻めてきたことがハッキリしないと武力を使って追い出せない。こちらからミサイルは撃てない。
相手のミサイルでこちらの戦闘機が撃墜されて、「ああ攻撃されたんだね」とハッキリした後も、撃退するだけしか許さない。
上杉軍よりももっとマズイことに、相手の本拠地(謙信の場合の関東のような場所)に攻め込むことが許されないシステム。
相手の根拠地へ攻めて行けない、息の根を止めない。だから、相手は何度でも攻めてくる。何度でも撃退する。
何度でも、まるで戦争を楽しんでいるかのように戦争を繰り返す仕組み。
相手を撃退する程度の戦争を何度も繰り返すような仕組み、にしてあるのです、今の日本は。
くどいですが、民主党系の勢力(含む:一般国民)のおかげで、そういう仕組みになっています。
> 上杉家を義に生きる集団みたいな情報操作をしたんですかね。
もちろん、当然ですが、上杉謙信のような行動を「是」とする人たちです。
攻め込んで行って、相手の息の根を止めて、1度で戦争をなくすような戦いを拒否する人たちです。
質問者さん流に言うと「ただの戦好き」ということになるのでしょうが、そういう防衛的な戦争を、なんどでもやらせておきたい、と考えている人たちでしょうね。
あえて言えば、社民とか民主党系の思想を持つ人たちではないでしょうか?
少なくても、「上杉軍のような戦争のやり方はおかしい」と感じている人たちではありませんね。
No.8
- 回答日時:
紀伊徳川家です。
徳川本家は、旧武田家家臣が多かったために、親武田です。
それに対して、江戸の本家に負けない正当性を考えた紀伊徳川家では、上杉謙信を持ち上げます。
詳細は
異説もうひとつの川中島合戦―紀州本「川中島合戦図屏風」の発見
という新書に詳しい。
この本は、川中島合戦の正しい姿がどうだこうだというのは詳しく触れず、なぜ紀州本川中島合戦図屏風が生まれたかを説明しています。
自称 越後軍学の継承者 宇佐美定祐を紀州家がバックアップして作らせたのが上記の屏風となります。
南龍公 < 徳川頼宣
越後の龍< 上杉謙信
アマゾンの書評にもかいつまんだ説明がありますので、ご参照下さい。
No.7
- 回答日時:
>誰が何のために上杉家を美化し始めたんですか。
戯曲作家が、金儲けの為に美化し始めた。
元禄文化が花開いた頃には、歌舞伎・浄瑠璃などが全盛を迎えますよね。
それまでにも、判官義経・絵本太閤記・仮名手本忠臣蔵など色々とフィクションで物語が書かれています。
義経なんか、勝つ為には手段を選ばない(当時としては)卑怯な戦法を駆使しています。
集落を焼き討ちにしたり、船頭を殺したり・・・。
当時は、非戦闘員を殺す事は「卑怯な戦法・恥ずかしい戦法」なんです。
忠臣蔵にしても、お家取り潰しで失業した侍が逆恨みしたに過ぎません。
当時の尾張藩奉行の私的日記にも「江戸で暴動が起きた」と、たった数行の記述です。
江戸の瓦版でも、同じ記事ですね。
で、上杉謙信の場合。
「鞭声粛々夜河を渡る(鞭声は粛々として夜に乗じて河を渡り)」で有名な詩吟川中島。
作者である頼山陽によって、美化が始まっているようです。
No.6
- 回答日時:
明治維新の影響だと思います。
これはどこの国、いつの時代でも同じですが、
革命などが起こると、それ以前の政権を悪者
にします。
明治維新では、徳川家が悪者にされました。
清廉な勤王の志士 VS 堕落した徳川
という図式が、明治政府の手で、意図的に
作られたものだと思われます。
当時無名だった坂本龍馬が維新後、英雄に
なったのもその一環でしょう。
そこで上杉家ですが。
1,関ヶ原に出陣せず、反徳川であった。
2,上杉謙信は仏門に入り
生涯妻をめとらなかった、などのエピソードが
沢山ありますので、義に生きるなんてことを
仕立てるのに便利だった。
No.5
- 回答日時:
三国志の劉備と一緒ですよ。
たとえ実態とは異なっても,何となく「義に生きる」タイプの登場人物がいないと,面白くて盛り上がる軍記物は書けない。その点,上杉謙信は生涯妻を娶らなかったり,家出して高野山で出家しようとしたり,当時の戦国大名としてはずいぶん変わったところのある人だったので,「義の人」タッチに仕立て上げやすかったのでしょう。
また,上杉謙信が戦争にやたらと強く,軍神として信仰の対象になっていたことは事実であり,神様の歴史であれば,次第に神様らしい方向に話が捏造されてしまうのも仕方ない面はあると思います。
No.3
- 回答日時:
>上杉謙信とか上杉家とかを
なんだか義に生きて義に死んだみたいにすごく美化してますけど、
誰が何のために上杉家を美化し始めたんですか。
↓
歴史や英雄&偉人伝には、歴史的な勝者であったり、滅びの美学で判官びいきが有ったり、史実が明らかでない部分に誇張や美化は多く有ります。
上杉謙信や上杉家、また直江兼続の人物像やエピソードに多くの脚色や尾ひれや称賛のエビデンスの捏造歪曲が入り混じった所以、後世の小説や講談での創作、NHK大河ドラマ:「天と地と」「天地人」での描かれたイメージが影響し原因だと思います。
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/3967.html
<順不同>
◇貴重品であった塩を贈る故事(史実ではないと言う説が多いが・・・)海の無い甲斐の武田家とは対立反目していたが、北条や今川との係争で塩が経済制裁の如くストップして困窮しているのを越後より救援した。
◇武田信玄の領土拡張の中で、北信濃の小豪族や部族が制圧されたり屈服を強いられている中で、後ろ盾と成り、支援して何度も出兵している。
それを領土拡大でなく義による支援と美化・評する口述や歴史書がある。
◇足利義昭の織田追討の要請を受け出兵を行ったり、関東で勢力拡大する北条氏とも合戦をするが、領土欲や支援の見返り要求が有ったのか無かったのか詳細は不明だが、無欲&義に厚い人物として描かれている。
◇妻子を娶らず(不犯・男妾趣味?)、英雄色を好むのイメージとは異色な人物として美化されている。
◇秀吉後の徳川に対する恩顧大名の一角、さらに石田三成との連携で豊臣家に取って代わろうとする徳川家康の野望を挫くべく、徳川&東軍を引き付け、石田・宇喜多・小西等と連携し、挙兵する事で挟撃を画し関が原の戦いの発端と成る行動が、豊臣恩顧に忠実とする観方からは義に厚い家柄・伝統家風とされる。
一部は史実だろうし、多くは観方や見解の分かれる所でしょうが、一つの歴史観や擁護サイドから見ればイメージ的には義に厚く、節義を重んじた大名だったと見られる。
No.2
- 回答日時:
関ヶ原で大幅に領国を削られた上杉景勝らが、家中をまとめるために謙信の神格化を進めたという説がありました。
すぐに文献は出てこないのですが。景勝以降、徐々にそれが浸透し、朱子学の影響もあって社会に根付いていったのでしょう。
自力救済の時代で義に生きることなど不可能でしょうね。本人がそうしたいとしても、それぞれの領地を持つ家臣が従わないでしょうから。
ただ、戦地での略奪は上杉軍に限らないでしょう。
もっとも謙信の場合は、越後の冬の食糧難をしのぐため、国外の食料を奪うという目的があったなんて言われてますが。
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