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日本の文化は中国から様々な影響を受けていますが

中国は儒教の国なのに何故、中国から日本に仏教が広まったのでしょうか?

A 回答 (12件中1~10件)

簡単な理解


中国、朝鮮、日本でも、儒教も、仏教も伝わった。
儒教と仏教は排斥しあったことが多い。(そうでないときもあるけれど)
日本へは、最初は朝鮮から、続いて中国から、仏教が伝わった。
中国から直接仏教の新しい教えを取り入れるようになったのは、朝鮮経由だけでなく、中国の先進的なものを直接入手するネライもあった。
仏教も、儒教も、ベースは国家事業とか、国策としての導入が基本で、鎮護国家、制度、技術、文物の導入に関連していた。
儒教にも、儒教建築や儒教指導者の持っていた知識技術はあったけれど、思想や考え方などが中心だった。 一方、当時の仏教はもっぱら繁栄を目指す儀式などが多く、お守り、降雨祈祷、病気平癒、護国興隆、極楽往生などの効果を期待していた日本側の希望にぴったりだった。 仏教寺院や仏像、仏具の豪華絢爛荘厳さも、あこがれや尊敬などを集めるのに最適だった。 儒教も荘厳でスゴイところはあったけれど、お守り、降雨祈祷、病気平癒、護国興隆、極楽往生などの効果を期待するのには、向いていないので、流行らなかった。
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この回答へのお礼

回答有難うございます。

当時の日本に合わなかったのですね。

お礼日時:2012/04/19 19:27

「教」という字がついているので、一見、宗教っぽいですが、儒教は宗教じゃありません。

儒教は民主主義とか社会主義とかと同じ政治思想の一種です。

たしかに、むかしの中国は儒教の国といえますが、儒教は政治思想ですから、それは「アメリカは民主主義の国だ」とか「ソ連は社会主義の国だ」といったような意味で「儒教の国」なのであり、宗教的には、道教の国といったほうが適切だと思います。

また、日本は宗教的には仏教や神道の国ですが、政治思想としては、儒教を国家公認の正統なものとして、奈良時代から江戸時代まで、それなりに重んじています。当時、学問といえば、ほぼ儒教のことを意味するといってよく、学問の神様として知られる菅原道真も儒教の学者ですし、忠義とか孝行といった儒教道徳も仏教と同じように日本人の間に広まっています。
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この回答へのお礼

回答有難うございます。

お礼日時:2012/04/19 19:28

儒教を採用するということは、中国の皇帝が一番偉いということになります。


仏教を採用した頃の日本

6世紀後半に仏教公伝
589年 隋 中国統一
663年 白村江の戦い
720年 日本書紀成立
752年 奈良の大仏開眼

俺達は日本だ!
という中国文化圏からの独立の過程にあります。

仏教であれば、中国にとっても外来宗教なので、中国の皇帝が一番偉いということにはなりません。
そういう選択が、国家宗教の選択理由になります。

参考
ハザール
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%B6% …

南方からのイスラーム、西方からのキリスト教に対して、ユダヤ教を採用しています。
イスラームは 宗教も政治もカリフが世界で一番偉い
キリスト教も 宗教も政治もローマ皇帝が世界で一番偉い(東ローマ帝国が直接の相手になりますので、日本人の意識している、ローマのカソリックではありません)
で、ユダヤ教なら、害がないだろうということだそうだ
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この回答へのお礼

回答有難うございます。

お礼日時:2012/04/19 19:29

弘法大師空海が唐に渡った頃は、


都長安では様々な宗教が活動しておりました。

儒教、道教は無論、仏教も
キリスト教もあったしゾロアスター教なんてのも。
宗派の百花繚乱ですね。

仏教の中でも密教が流行っていた頃で、
空海は外国人だったのに数ある弟子を追い越して、
師匠から後継者として全ての秘術・秘宝を受け継ぎ、平安京へ持って帰りました。
真言宗です。
日本こそ密教の本流なのです。
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この回答へのお礼

回答有難うございます。

お礼日時:2012/04/19 19:29

中国が儒教の国と言う判断はどこから来ているんでしょうか?


そこがよく分からないのですが、

日本の仏教について書きます。
日本に仏教が伝えられたのは、古墳時代末期の欽明天皇7年の頃=538年だという説が有力だそうです。

その後、飛鳥時代に入り聖徳太子が現れた時代は、「飛鳥仏教」と呼ばれています。
日本に伝わった仏教はその時代(中国での)の最新の宗派のものが伝わったそうです。
ですから、奈良時代になると南都六宗の1つになる「法相宗」がいち早く伝わったと書かれています。

日本の仏教は、最初は国家鎮護や貴族自身の繁栄を祈念するもので、僧侶が官僚そのものでした。
宗派が確立されるまでは、いろいろな宗派の仏教を勉強するのが仕事=修行でした。

ここで言わなければならないのは、中国での仏教の進化は、インド仏教の原典を訳すことが中心でありましたが、漢訳した時点で解釈をめぐり、インド仏教の原典からの意識的か無意識的にか逸脱をしだしたと言うことです。

また、「施餓鬼供養」などという、独自の仏教経典・仏教物語をも作ったのです。これは中国の儒教や道教を取り入れたものであり、仏教を変質をさせています。
これも仏教の土着化と言えば言えます。

つまり、日本の仏教は、そのような中国仏教を、漢訳された原典を和訳した訳ですから、ますますの逸脱が行われていると言うことです。

中国が儒教の国と言うのは疑問ですが、日本が仏教国かと言えばそうであるともそうでないとも言えます。
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この回答へのお礼

回答有難うございます。

お礼日時:2012/04/19 19:31

日本に儒教が伝播したとき、その思想的に受け入れられなかったモノが二点ほどあります。


1点目。
儒教では支配者は徳があるので天から世の中の支配を任せられていると考えます。
逆に言うと世の中の乱れは支配者の徳が低下したためであると考えられ、支配者の交代があった場合、それは前任の支配者の徳が無くなったためであるとされます。
中国では王朝の交代が何度もあり、その度に前王朝の悪行三昧が宣伝されてます。これは世間に「前王朝はこんなに悪いことをしていたから徳がなくなったのですよ」と訴えることで新王朝の正当性を訴えているのです。
これは儒教の思想が残っている現在の韓国において、政権が変わるたびに前政権の大統領やその家族が逮捕されることが頻発することに名残が見られます。
しかし日本では天皇家が絶対支配者でした。徳があるから支配者であるという考え方ではなく、支配者であるから支配者である、という考え方です。
そのため儒教の考え方が受け入れられなかったのです。

2点目。
儒教の思想では支配者は徳による天下泰平をもたらす象徴であり、実際の政治は優秀な官僚にて行われます。このため在野から必要な優秀な人材を官僚として登用しました。人材を集める方法として公平な採用試験を制度化しました。これが科挙です。(実際には裕福な家庭でないと勉強できなかった時代ですが…)
科挙は儒教の思想から派生したものです。
しかし当時の日本は、官僚も家柄(つまり血縁)で独占されていたのです。たとえば関白は五摂家と呼ばれる家柄の出身者しかなれませんでした。
このため。官僚層からも儒教の教えは受け入れがたいものでした。だって自分たちの地位が危なくなりますからね。

上記のとおり、支配者とそれを支える官僚の両者によって受け入れがたい思想だったのでで、浸透しなかったワケです。

しかし江戸時代、戦国時代の下克上による世の乱れを秩序ある世の中に変えていくための手段として儒教が見直されます。
武士階級に広まった朱子学は儒教の一派であり、徳川家が保護した思想者により広められます。今の日本に残る儒教的思想は朱子学がベースになってます。
ちなみにこの朱子学が、その後数百年を経過し尊皇攘夷運動につながっていきます。
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この回答へのお礼

回答有難うございます。

お礼日時:2012/04/19 19:32

 仏教が,大雑把に言えばインド→中国→日本というルートで広まってきたのは確かですが,インドの仏教ははるか昔に廃れてしまい,ヒンドゥー教に取って代わられています。


 中国には,仏教の寺院もたくさんあり,現在でも仏教が廃れたわけではありませんが,道教など他の宗教もありますし,日本と違って国家の支配原理として仏教が活用されることはあまりなかったので,神道と融合して独自の発展を遂げた日本仏教の伝来元としては違和感が生じる状態になったのかもしれません。歴史的には何ら不思議なことではありません。
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この回答へのお礼

回答有難うございます。

お礼日時:2012/04/19 19:33

>日本の文化は中国から様々な影響を受けていますが


中国は儒教の国なのに何故、中国から日本に仏教が広まったのでしょうか?

 歴史的に中国を儒教国家とするのは、実は微妙である
というのは、政治体制としては、儒教を主体にすることは漢民族王朝では見られなくないが、
実際には、道教的な為政者が概して多い
 儒教的文化は確かに根付いている部分はあるが、国政においては古代周王朝を規範する道教・老荘思想な政治家がかなり多いのである
 したがって、『中国を儒教の国』とするのはあまり適切ではないだろう

日本も儒教文化的側面が強いが儒教が政治基盤にないよう(例外は江戸時代中期以降)に、中国も精査すると儒教国家とはいい難いことを指摘しておきたい

なお、日本の仏教伝播の歴史は、まだ確定的なことは言えない
ただし、日本の仏教が朝鮮の百済王朝経由であることは間違いないようである。
では、百済の仏教は中国由来なのか?という問題についてはまだまだ不明瞭な部分が多い
系統としては、北伝仏教(大乗仏教)に属するのが日本の仏教ではあるが、日本原初の仏教が、北伝・南伝のどちらであったのか?という疑問はまだ解決を見ていないのが現状である

以上のようなことから質問に回答することが困難である
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この回答へのお礼

回答有難うございます。

困難なのですね。

お礼日時:2012/04/19 19:34

仏教伝来当時の中国北部の王朝「北魏」は、


皇帝が篤く仏教を信奉していました。

歴史教科書に良く載っている「雲崗石窟」の磨崖仏は、
この王朝時代のものです。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E9%AD%8F
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この回答へのお礼

回答有難うございます。

当時の皇帝は仏教信者だったからですか。

お礼日時:2012/04/19 19:37

中国は儒教の国だと思うのは中国に行ったことがないからです。


中国は仏教の国です。

現代中国人で論語を読んでいる中国人はほとんどいません。
儒教は思想であって宗教ではありません。
信仰するものがないんです。
だから中国人の大部分の宗教は仏教です。

日本も仏教です。
江戸時代は武士道を成り立たすために儒学を用いましたが、
日本のそれも思想であって宗教は仏教なんです。
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この回答へのお礼

回答有難うございます。

お礼日時:2012/04/19 19:40

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