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片山議員がNHK大河ドラマ平清盛の言葉使いが、天皇に対して不敬だと批判しましたが、これは戦前の天皇機関説批判を思い出させるものがあります。

戦前の騒ぎは、戦後になって、機関説の方が正しい、という結論になり、騒いだこと全体がファッシズムそのものだった、と反省されています。

当時の雰囲気では、「天皇を単なる機関だ」などと言うのは、「不敬だ!」という非難でしたが、今回の片山議員の難癖は、天皇のことを「王家」などと呼ぶのは不敬だ!というものです。

「王家」という言い方は、確かに聞きなれない言葉ですので、おやっと思うのですが、どうやらこれは新しい歴史の見方のようです。

片山氏の言い分は、「王家」という未だ定説になっていない言葉を使うのはけしからん、ということらしいのですが、天皇の呼び方について「定説以外は使ってはいけない」などという言論統制を政治家が行って良いものではない、と思われます。

これは明らかに言論弾圧では無いでしょうか?

それとも片山議員は、天皇機関説問題などという過去の歴史のことは、知らないでうっかり言ったことなのでしょうか?

A 回答 (4件)

 質問に関して都合のいい部分だけ抽出して論じる人が多いのはご愛嬌ということでw



ところで、言論弾圧、というよりも、「表現の自由」の領分であることは示唆する必要性はないでしょう。

なにせ、NHK大河ドラマは史実を重視したものではなく、ドラマに過ぎませんから・・ね
ドラマである以上は、定説云々ではなく、作者および製作者関係者の違法性が明確ではない限りは、政治的介入は慎まれるべきものでしょう

履き違えている回答の適否は論じる価値はないので、割愛するとして

少し天皇機関説とファシズムとの見解について精査することにしましょう

まず天皇機関説は、国体論争上において重要な位置になりえることは指摘するまでもないでしょう
そして、論理の適否は別にして、その問題が政局となったことこそ問題とするのが妥当だと思われます
つまり、機関説論争が純粋な論争ではなく、政局・疑獄的な政治騒動になってしまった醜態として捉えることが重要であろう、ということです
 確かに、天皇機関説の適否は、政治学的には機関説が妥当でしょうが、結着をみずに現憲法制定をみているし、1章において明確にはその解を得ることはできません。
 したがって、そういう論争があり、その論争によって・・・ということが重要視されるべきでしょう

ところで、ファシズムとの指摘ですが、それが機関説時代のものであれば、そう評価することは可能でしょうが
現在においてはファシズムと批判することの妥当性は大きな嫌疑が生じえる・・と思います
少なくとも、ファシズム的な体制ではないし、当人がファシストである論説を開陳しているわけではないから、ですが、
ファシズムとは何か?という定義も踏まえて、検討するのが望ましいでしょう

片山氏のヒスのような批判は、まるで昨年の「暴力機関」論批判と似たようなものを感じなくはないですが、これが日本社会の国会議員の現実である・・という認識でいいように思います
これが、内閣の人間であれば十分に問題とされる余地はありましょうが・・・

なお、NHKが公器であろうとも、『定説以外は用いるべきではない』という論説であれば、定説など存在しない政治事象は報道出来無いことになりますから、定説云々などは非現実的な論説と言えるでしょう

そうすれば、当然のようにドラマ・アニメなどは定説に依拠しないので出来無いことになるわけですからね
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この回答へのお礼

>現在においてはファシズムと批判することの妥当性は大きな嫌疑が生じえる・・と思います。

言葉不足でした。ファッシズムの始まり、というような気持ちでした。

片山議員、石原知事、河村市長、橋下市長、などなど全体として、ファッシズムの兆候を示している、と見ています。


ファッシズムと言うのは、排外的民族意識を高揚させた熱狂的大衆がリーダーを定めて、誰かを狙い撃ちにする現象と考えています。

回答ありがとうございました。B

お礼日時:2012/04/03 17:41

 片山議員は,同じ総務委員会でのNHKに対する質問の中で,在日韓国人に参政権を認めるべきだと受け取られかねない報道をするのはけしからんとか,韓国で独島の歌を歌ったことのあるタレントを紅白に出すのは怪しからんなどという抗議もしており、野党に転落してからの自民党に見られる右傾化傾向を如実に反映しています。


 そして、平清盛問題に関しては、片山議員は「影響力のある番組では歴史考証を取るときにそれが通説なのか、異端説か一般的に使われるものなのかどうか、皇帝が上位で王は下位。天皇は皇帝と同等であるから、王とは絶対に呼ばない。少なくとも明治以降の我々のこのような考え方からいうと、非常に違和感があ」ると述べています。
 片山議員は、天皇という呼称が明治時代以降に定着したものである可能性を認めつつ、歴史教育的によろしくないという理由で敢えてこのような抗議をしているわけですから、むしろ積極的、確信犯的に言論弾圧を行っているのです。片山議員のような考え方をする人には、むしろ天皇機関説を肯定した戦後の考え方自体が許せないのです。
 与党時代の自民党が穏健だったおかげで大半の人は忘れていますが、本来自民党は、日本国憲法はアメリカに押しつけられたものであり自主憲法を制定すべきであると主張していた政党であり、そのような立場からは戦後的な価値観は全否定されることになりますから、それはそれで論理的に一貫性があるのです。
 そのような人たちに向かって、言論弾圧だと批判してもおそらく効果はないでしょう。
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この回答へのお礼

>そのような人たちに向かって、言論弾圧だと批判してもおそらく効果はないでしょう。

確信犯の片山氏を批判しても効果がない、というのは正しいと思います。

ファッシズムと言うのは、大衆の支持があって燃え上がる現象ですから、その大衆をきちっと批判しなければ、意味がない、と思います。

回答を有難うございました。B

お礼日時:2012/04/03 17:25

”天皇のことを「王家」などと呼ぶのは不敬だ!”


  ↑
不敬というのはともかく、王家というのは適切では
無いと思います。
(1)天皇という呼称は、中国に対する日本の独自性、対等性
 を指すもので、当時の中国は、中国の皇帝より偉そうで
 けしからん、と怒りました。
 これこそ日本が、この呼称を使用した目的なのですから
 王家ではふさわしくないでしょう。
(2)韓国が天皇と言わず、日王 と呼んでおり、王家はこれを
 認めたととられかねない。


”天皇の呼び方について「定説以外は使ってはいけない」
などという言論統制を政治家が行って良いものではない”
  ↑
報道機関は、公器としての役割を負っています。
特に、NHKは公共放送として税金まがいの受信料で経営していますから
よほどのことが無い限り、定説を使うべきでしょう。
王家などという、韓国まがいの呼称を使用するのは
妥当とは思えません。

最近のNHKは、日本が台湾と戦争したとか、
反日的言動が目立ちます。
それに釘を刺す、という意味で良かったのでは
ないかと思っています。


”片山議員は、天皇機関説問題などという過去の歴史のことは、
知らないでうっかり言ったことなのでしょうか? ”
  ↑
片山さんは、旺文社全国模擬テストで一番になった
人ですよ。
そんなことは百も承知だと思いますが。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>片山さんは、旺文社全国模擬テストで一番になった人ですよ。

これは良い言い方を教えてくださいました。

まさしくこれが片山氏の性格を正確に現したものだ、と納得しました。

つまり何でも知っているけれど、知っているだけで、善悪を判断することは何も出来ない、秀才馬鹿というやつでしょうか?


>(1)天皇という呼称は、中国に対する日本の独自性、対等性を指すもので・・・

お蔭様で、結局これが片山氏の本音であり、またこの発言を支持する人々の本音でもあることがわかりました。

中国に対して、こんな些細なことまで肩肘を張りたい、という子供じみた態度を惨めだと思いませんか?
それを国会でまで表明してしまう、などというのは、国辱ものではないでしょうか?

これこそ自虐史観に他なりません。

「天皇と言う日本語の呼称」を私は尊重しますが、それを中国に対して威張るために使う、と言うのは、如何なものでしょうか?

そんなことで威張ることが出来るものなのでしょうか?

お礼日時:2012/04/02 09:10

>片山議員がNHK大河ドラマ平清盛の言葉使いが、天皇に対して不敬だと批判しましたが、これは戦前の天皇機関説批判を思い出させるものがあります。



 ん・・・個人的には、天皇機関説批判と一緒にするのは、失礼なような気がするのだが・・・
例えば、当代において吉野作造のようなリアリストであっても、デモクラシーを『民本主義』を訳していた現場を鑑みても
美濃部との論争における論理展開などを見て、片山女史と同列するのは、いささか先人に失礼だと思うので、
「同列」とすることには検討を要請しておきたい。

>戦前の騒ぎは、戦後になって、機関説の方が正しい、という結論になり、騒いだこと全体がファッシズムそのものだった、と反省されています。

 どうなんでしょうかね?国家法人説などの関連概念についても十分精査する余地はあろうとは思いますが・・・
小生は、美濃部の方が妥当だと思いますけどね・・・
 『国体』なる概念の不明瞭さ含めて、現憲法1章の全体像を勘案しても、機関説が勝利した、という結論は持っていますが、
『そう確定している』とするのは、実証的とは言えない・・と思います


>当時の雰囲気では、「天皇を単なる機関だ」などと言うのは、「不敬だ!」という非難でしたが、今回の片山議員の難癖は、天皇のことを「王家」などと呼ぶのは不敬だ!というものです。
「王家」という言い方は、確かに聞きなれない言葉ですので、おやっと思うのですが、どうやらこれは新しい歴史の見方のようです。

  歴史視座があっての批判というのは、インフレ評価のような気がする。
単なる『批判のための批判』の域を出ていない部類の意見・・として唾棄するのが私見だが・・・

>片山氏の言い分は、「王家」という未だ定説になっていない言葉を使うのはけしからん、ということらしいのですが、天皇の呼び方について「定説以外は使ってはいけない」などという言論統制を政治家が行って良いものではない、と思われます。

 然り。ただし、「定説」云々については精査するべきだろう・
つまり、定説なんかないでしょ?ということであるのだが・・・w

>これは明らかに言論弾圧では無いでしょうか?

 言論弾圧というよりも、封鎖がニアンスとしては近いだろう。弾圧とは言えないのは、言論統制の権限がないだから、弾圧とも言えないこともある・・・・

>それとも片山議員は、天皇機関説問題などという過去の歴史のことは、知らないでうっかり言ったことなのでしょうか?

 知らない可能性はあるだろう。忘れた可能性もあるだろう。
そもそも学校教育において、適切な天皇機関説の理解誘導が出来無い現実があるし、理解するための周辺知識の多さ・深さを踏まえると一概には、天皇機関説の適否を結論付けるのは困難だろう。
 法哲学・政治哲学などの各領域で個別に思慮しつつ、現実的な政体秩序を踏まえるリアリズムがない日本の政治家の現場からすれば、不思議な話でもない・・・というのが私見である

この回答への補足

>美濃部との論争における論理展開などを見て、片山女史と同列するのは、いささか先人に失礼だと思うので、「同列」とすることには検討を要請しておきたい。

ここがちょっと理解できませんでした。

先人というのは、具体的には、誰のことを意味するのでしょうか?

補足日時:2012/04/02 18:11
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この回答へのお礼

回答をありがとうございます。

>現実的な政体秩序を踏まえるリアリズムがない日本の政治家の現場からすれば、不思議な話でもない・・・というのが私見である。

というニヒリズムに異論を唱えるのは、難しいと思います。

もうすこしこの問題を考えて見ます。

お礼日時:2012/04/02 18:02

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