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私は高校2年生です。

色々と進路を考えなければいけなくなり、大学について調べ始めました。
私は哲学に興味があり、ニーチェの本を愛読しています。なので、大学では哲学をやってみたいなと思ったのですが、講義で一体どんなことをするのかがわからないので、詳しく教えていただきたいと思っています。
あと、哲学をやるのであれば一般入試の際、数学はどこの大学も必須ですよね?私の高校は単位制なので2年になると科目を選べるのですが、私は数2を取っていません。この時点でもう一般入試では不可能ですよね?
回答お願いします。

A 回答 (4件)

 なるほど。

学校秀才タイプの受験生にみられる当たり障りのない答ですね。
で具体的には?。

(1)調べました→国公立大学に在籍する「哲学科の教員」の「研究成果」と「研究領域」に質問者様は魅力を感じましたか?。

(2)国公立を志望しています→なぜ「国公立大学」でないと、質問者様が求める「哲学」それもニーチェを中心とする近代以後の実存哲学を学ぶことができないのか、と考えましたか?。

(3)色々とインターネットを使い大学を調べたところ、入試情報で数2を必須としてる学校が多く、「哲学には数学を必要とすると書いてある」ものも多かった→「数学的理解力」を求められる哲学分野もあります。ヴィトゲンシュタインの『数理哲学論稿』の記述には確かに「数式」がみられますが、ヴィトゲンシュタインが認識の対象とするのは数式に現れた部分だけではありません。あくまでも「数式化」や「数値による定量化」などの現象はほんの一部にすぎません。「哲学」が依って立つものは「テクスト」としての原書であり、それを読み解くだけの語学力と「豊かな感性」そして「冷静で緻密な論理能力」です。
 僕が学生時代に講義を聴いた齋藤信治や木田元そして細谷貞夫といった哲学の語り部に比べて現在の哲学科の教員が「哲学の研究者」に満足している感もいなめません。実際に「つまらない」のです。
 以前話題になっていたマイケル・サンデル教授のように「なぜそのように思うのか?」と相手の言葉に対して畳みかけず「この問題には答が出ているね」としてその答が果たして本当に的を射ているのかとの疑問を持たずに自らの領域を得々と話すだけで、学生から鋭い質問が出されてもうやむやしてしまう傾向が強く感じられます。現在の哲学研究者はむしろ哲学オタクとでも呼びうる存在になってしまったのでしょうか。書店か図書館に行き、竹山道雄や手塚富雄が訳したニーチェの著作と『超訳 ニーチェ』を読み比べてみれば、後者が如何に退屈なものかも判るはずです。

 本題から外れてしまいましたが、国公立大学なら僕は京都大学か東北大学の何れかをお勧めします。京大は言わずと知れた京大学派であり、東北大学は齋藤信治そして木田元の母校です。「哲学」を学ぶにあたって「対象」そして「自己」の両者との距離感をどこまで保てるかの問題(=相対化)だけです。どっぷりと自己満足に浸っても、対象にがんじがらめにされても問題を読み解く糸口に辿り着くことは困難です。
 もし質問者様が「就職」を少しでも意識して「国公立」を選択したならば、それを哲学の先達はどの様に考えるでしょうか?。「大学の名前」や「世間の評価」を意識することなく本質的に現代の哲学を学びたいのであれば、早稲田か中央に行くことをお勧めします。ここはハイデガーやメルロ・ポンティを専門とする哲学者を輩出した大学ですから。
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 まだお返事をいただいていないので、こちらから幾つかのアドバイス(になっているかどうかは質問者様しだいですが)をします。



【哲学専攻のスタンダードなカリキュラム】

(A)一般教養………人文・社会科学・自然科学の三領域に渡り規定単位を取得する、他にも語学・体育実技もある。
(B)基礎科目………「大学で学ぶ学問の特質」を専攻分野毎に具体的に学ぶ。
  (1)「哲学すること」の意味と目的
  (2)それに関わる分野と領域
  (3)「哲学」のテーマとは?
  (4)それに関する思索の歩み
  (5)現代が抱える諸問題に対する哲学からのアプローチ
  (6)西洋哲学史I・東洋哲学史(中国哲学史あるいは東洋倫理思想史)
  (6)「哲学基礎演習」「原典講読」………英語・ドイツ語・フランス語・漢文で書かれた哲学の原典テキストを読み、「文学や評論の読み方とのちがい」が徹底して強調されます。
 以上が「哲学科」一年次のごく一般的なカリキュラムの一例です。なぜ「漢文」があるのかと申しますと、二年次以後で入ってくる「倫理学」や「東洋倫理思想」「日本倫理思想」などが扱う基本文献は漢文だからです。また西洋哲学を対象とする場合でも明治以後の日本にもたらされた西洋哲学の訳文が文語体や漢語調で記されているケースが多く、これらの研究を理解する上での基本的な学力として求められることもあります。

(C)専門科目………「哲学演習」「哲学講読」文献の本格的な読解。
 「哲学講義」では哲学のさまざまな問題群に即して専門的なテーマが詳細に展開されます。
また二年次以上では「倫理学」「科学哲学」「論理学」といった哲学するうえでどうしても必要な専門分野の授業を選択するようになります。

 たとえ「ニーチェ」に興味があっても竹山道雄氏の訳もあれば手塚富雄氏の訳もあり、訳文の質も異なります。ニーチェの思索を正確に理解にはニーチェの著作そのものを原文で読む以外にはありません。まして「ニーチェ」を相手とするなら、その前に立ち塞がる相手も超大物です。アリストテレスやソクラテスに始まりデカルト・スピノザ・カントそしてハイデガーなどといった目眩を覚えるほどの名前がづらづらと並びます。
 こうした点で「大学が主体的に学ぶ場」でありなおかつ「なぜ~なのか?」との疑問を持ちつつ自らの手でその答となる要素を見つけ出す以外には何もありません。高校までと異なりそこでは常に「主体性と目的意識」が問われる場です。ですから「講義を聴く」といった受け身の姿勢では何も得ることはないでしょう。「哲学科」が設置されている学部は文学部が殆どです。この「文学部」ほど本質的に一筋縄でいかない「厄介な性質」の学部も他には例がありません。「○○の資格を取得し卒業後の進路を考えて××学部に入学する」ということとわけが違うのです。
 人間の思索や足跡を対象領域とする哲学や歴史学は一見して「すぐに役に立つ」学問領域とは異なります。がしかし「問題解決に至る筋道や本質を理解する」との意味で決して無意味な存在でもありません。「数学がどうのこうの」といっているようではお門違いも甚だしい。私大文系の一般入試なら国語・英語・選択科目(社会科)で事が足ります。
 先ずは「国公立」か「私立」か。そして師事したい教員や自分の関心に最も近い専門課程を設けているのがどこの大学かなどの基本情報を調べ直すことから始める必要がありそうです。その際には「ドイツ文学科」までを視野にいれても良いでしょうね。

この回答への補足

詳しく丁寧な回答ありがとうございます。
以前回答していただいた質問に今更ながら答えさせていただきます。
(1)調べました(2)国公立を志望しています。(3)色々とインターネットを使い大学を調べたところ、入試情報というもので数2を必須としてる学校が多く、哲学には数学を必要とすると書いてあるものも多かったので、数2が必要なのかな、と思っています。まぁ、ネットでの情報なので違うのかもしれませんが…

補足日時:2012/04/12 15:14
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http://www.senshu-u.ac.jp/School/philosophy/depa …

原書輪読とかするんちゃうかな
ドイツ語で

んで ニーチェだとギリシャ語もやらんとならんだろうなぁ

専修大学のHPであるように 講義 じゃないです主眼は。対話です。
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 問題点が幾つかあります。


(1)「哲学科」のある大学を調査してみたか。
(2)志望するのは「国公立大学」かそれとも「私立大学」か。
(3)「哲学科」を志望するのに「数II」が必要とはどの様な根拠に基づく結論であるのか。
 以上を記していただければ適切なアドバイスもできるかと思われます。
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