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密教の行法の準備の関して参考になるサイトを教えてください。

密教の行をするわけではないのですが、コンディションづくりなどを異なる文脈から観ることにより
経験済みの自派の行を再発見したいわけです。よろしくお願いします。

A 回答 (2件)

自己管理の一環としての仏教(密教)の活用をと考えておられるのならば


スタートラインが違っているように思います。
仏に身を任す、という信心がそこにない以上、どのような修行をしても相応の仏果を得ることはないように思います。
また、仏書を読むにしても、その白い紙に下書きとして大きく「信」と書いてあることを心すべきと思います。
「信」を読み取ることができなければ万巻の書も無意味です。

仏果のレベルの違いは様々であっても、それらを「信」なくして手にしようと思うのは間違いです。
自己管理のギリギリのところで踏み留まれるのも「信」あればこそです。
人として崩れないものを人は持ち合わせてはいない
けれども、「信」を通して人はそれを得ることができるのだと思います。
それは、善悪の判断も含めた行為全般に及ぶような気がします。
仏に近ずくための行を、仏への信心なくして行う事は無意味でありお勧めできません。

自派の行とは、自力の行とも読めます。
「信」とは同時に与えられることを意味しますから、他力を意味します。
どこへ行くのか分からない自力の世界に、決して他力は与えられないと知るべきだと思います。
辛口ご容赦ください。

この回答への補足

回答ありがとうございます。

なぜ「信」をもっていないと判断されるのか?
なぜ自己流でやっていると思われるのか?
なぜ「他力」を確信していないと考えるのか?

まあ、そこには定義の違いによる会話の不一致もあるのでしょうが一方的過ぎますね。

例えれば、「努力」の定義もしないまま、「お前は(俺の考える)努力をしてない!」と批判されるようなものです。

密教でも、<定義を確定し>議論や修行はやるものでしょう。
密教でも、<根拠をもって>議論や修行はやるものでしょう。
密教でも、<相手の話を聴いて不明点は質問して>議論や修行はやるものでしょう。

なぜこの質問に関してはそれができていないのですか?

補足日時:2012/04/13 21:50
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あくまで行の準備ということでしたら


三密行のうちの身密としての座禅が基本のようです。
生半かに密教学を学ぶくらいでしたら、こちらを修めたほうが進境が早い
実修面で後が楽になるといった話もあります。
学科というか、理具の成仏といって心に仏を描くことも必要です。
まずは座禅からでしょうね。
信頼できる禅寺に行かれることをお勧めします。
>自派の行・・・
辛口かもしれませんが、魔障に捉われて、にっちもさっちも行かなくなる危険大と思います。

この回答への補足

回答ありがとうござます。
最近、お見かけする機会が少なかったですので、お元気か心配しておりました。

さて、私の質問が言葉足らずでしたので、いくらか補足させていただきます。

現在、四念処(単純な体受心法の観察)のみに集中して修行しております。
およそ一時間程度行うなうだけでも、集中による頭痛や疲労感が大きく仮眠をいれながらやっております。
しかし、その仮眠がもったいない。

そこで、密教では体調管理をどのようにしているか興味が湧いたわけです。
ちなみに、おっしゃるような魔障が怖くて体調管理以上のものを求めようとは露ほどもないのです。あと、最近は座禅も怖くて・・・勧行一筋です。

補足日時:2012/04/13 00:15
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この回答へのお礼

間違えました。

×勧行

○観行

お礼日時:2012/04/13 00:16

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