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霊魂自体が存在するかどうかもよくわかりませんが存在するとお考えの方、
それは死んだときの人格が宿っているのですか?

A 回答 (7件)

jintarohさん、こんにちは。

mori0309といいます。

次のものを観念と実在に分けてくださいと言われたらどうします?

(1)日本(2)株式会社○○(3)明治時代(4)虹
(5)自分(6)心(7)神

これらはすべて「あると思えばある。ないと思えばない」と言える
のではないでしょうか。

観念と実在をはっきりと区別することははできないと思うんです。
私は、神も心も自分も霊魂も、その存在を信じています。多分に
文学的な信じ方ですけど。

私にとってはその存在が私の理性や感性に感じられて、影響を受け
たり生きる力を与えてくれたりするものは、すべて「実在」です。

逆にすべてが無実体な観念であるという論証も可能だと思います。
もちろん物質も含めて。

ところで私は金縛りにかかりやすいたちで、寝入りばなや目覚める
直前によく幻覚を感じます。いわゆる霊がやってきます。男であっ
たり女であったり子どもであったり動物であったりします。見える
わけではなく気配をまざまざと感じ取るのですが、そのリアルさは
私にとって現実そのものです。(それが脳内幻覚というものだと
言われるでしょうけど)

> それは死んだときの人格が宿っているのですか?

陳腐な言い方ですが故人は遺族のこころのなかにすんでいると
思います。これは味わうべき言葉です。もしかしたら霊界とは生きて
いる人間のこころのネットワークのことかもしれないな、なんて
たまに想像します。

でも、いわゆる、意識や意志や性格を持つ「霊魂」が無媒体で存在
するとは、いまのところ考えられないと思います。

(結局、否定論でしたね。ごめんなさい)
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この回答へのお礼

"陳腐な言い方"と呼ばれている内容は、なるほど、という感じですね。

お礼日時:2001/05/11 11:11

 あ、どうも。


 一番最初に回答して、シラけさせてしまったとしたらすいません。お詫びに、もう一度。

 心霊写真に写り込んだ霊の姿を、「この人は自殺した人」「この人は事故で亡くなった」「戦争で殺された」とか、解釈する人がいます。昨日も「アンビリーバボー」でやってました。…いや、あの、エンターテイメントとしては良いと思うんですけど。
 そういう解釈だと、その場所で死んだ人の気持ちが、霊魂という形でその場所に残っているということになるでしょうね。つまり、「霊魂には人格があり、死んだ瞬間の気持ちが残る」と。
 科学的に説明すれば、「その写真はトリックないし偶然によってそういう形が写り込んだだけであり、霊魂が写っているわけではなくてそのように解釈する人の心があるだけだ」という線になるでしょう。が、科学よりも少し間口を広げてやれば、別な見方もできると思います。
 すなわち、ある人が、ある場所で死んだということが、その場所に何らかの「意味」を刻印している、というふうにです。

 人間にとって回りの空間って、必ずしも数学的な三次元空間としての意味しか持たないものではありません。そこに人が立つだけで、まず「うしろ」という方向が生まれます。見えない空間です。オバケはたいてい、この「うしろ」の方から近づいてきます。「うしろ」という方向は、それだけで特別な意味を持っているのです。
 地形などの自然物や、人工的な建築物の配置などからも「意味」が生じる場合があります。洞穴なんて、それだけで何か神秘的でしょう? 死者の世界に通じているような気がするかもしれません。建物と建物の間にほの暗い空間が生まれて、妙に不気味な雰囲気を醸し出していることもあります。地名などでも、民俗学的に見ると例えば「端」のつく地名の場所は「死者の世界との境界」と考えられていた所だった、なんてのが出てきます。

 そういうのと似た理屈で、ある場所が「何となく陰鬱で、自殺に向いていそうな雰囲気」だったり「トンネルに入ると急に暗くなって明暗順応が追いつかずに何となくヒヤリとさせる雰囲気」だったりすれば、そこを通る人間は何らかの「意味」を感覚するでしょう。その「意味」が、時には「霊」や「「心霊現象」と認識される。で、後で聞いてみれば事実そこで自殺者がいたとか、事故多発地点だとか聞いて、「あ、やっぱり」と納得する。そういうことではないかと思うのです。
 「何となく感じる空間の意味」を「霊魂がそこに宿る」という意味に解釈させるには、自殺や事故といった事例がただ一つでもありさえすれば十分でしょう。いや、無くてもいいのです。「…と言われている」「…といううわさがある」というだけで、その場所には「霊魂が死んだ瞬間の意識を残している」という意味を裏付けることでしょう。

 もちろん、霊魂についての考え方としてこれがすべてとは言えないでしょうが、「人間が空間について感覚する特別な意味」という形では、「霊魂はそこにある」と考えることもできましょう。

     *

 余談ながら。
 私、霊魂については「別にいてもいいよ、でも、おいらの人生に干渉しないでね」とか思ってます。
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この回答へのお礼

またまた返答ありがとうございます。
そもそも、意味付けする人間、環境によるところが大きいのですかねえ。

私の場合は霊魂と干渉してみたい気もします。

お礼日時:2001/05/11 13:59

霊魂事態にレベルがあり、そのレベルのどの段階で霊魂での人格を指すかによって答え方は変わると思います。


 魂は長い人生を負うわけですが、その魂は、いろんな経験をしていくわけです。
学ぶ、人生を・・・そして進化していくために、

 でも、人の形になって、生きているのか、動物、植物、鉱物、星のような形、それとも人間としてではなく、霊そのもので活動していうかもしてません。

 その時の生き方によって人格もかわるでしょう。
 
 魂・命・進化・経験・学び・・・
悪・善・欲望・執着・受け止められなかったその時の人生を繰り返し、課題を成し遂げる事ができずに、似たような人生・経験をする場合もある。
 これらは、人格と深く関わってくる。

 魂の本質があり、その上に人生・経験・成長・進化が伴ってくるときの人格が出来てくる。

 人が生まれた時から大人に成る為の環境・体験・もって生まれた人格などをを想定してみて下さい。
 魂にも似たようなことが考えられます。
 でも、近いようで遠いい人格ですが!

 死んだときの人格と書いてありますが。
 その時の状態によるものだと思われます。
 死んだ時、まだ心残りか、課題を乗り越えられなかった場合、人間として生きる時、その人格に近い状態で人生を歩む可能性はあります。
 だたこれは、人間として生まれ変わった時の話です。

 もし、課題をクリアして、次の段階へと成長・進化していくのなら、死んだ時の人格を抱えないですむのでは・・・・

 ただ、死んだ時の人格を抱える場合は、必要に応じて出てくる場合もあります。
 魂が、乗り越えなければいけない体験がある場合引き起こす原因になる。
どれだけ、強烈な人生、体験が遭ったかにもよります.

 答えは、一つではなく、その時の状況・状態によって変わってくると思われます。
 
  魂そのものの人格、多少なりとも命あるその人生は、何かしらあるとをもわれますが・・・

 今生きている、人間としての人格より柔らかく、柔軟性があり、オープンな状態なのではないのでしょうか?

 命ある魂は、ただ生きているのではなく、進化したり成長したり必ずどこか意味があり、その過程が人間として体験しているのではないのでしょうか。

 上手く回答になっていなく、申し訳ありません。
 少しでも参考になればと思います。
 soulより
 

 
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この回答へのお礼

返答ありがとうございます。
柔軟性があり、オープンな状態というのは面白いですね。

お礼日時:2001/05/11 11:23

霊魂をどのような意味で使われているのか分かりませんが、霊魂は存在します。

そして霊魂そのものが人格です。肉体には人格はありませんから。
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生きている人間でさえ、長い間に人格は変わりますし、


ショッキングなことや薬物、手術、もっと肯定的には一大決心などでも
短時間に変わったりします。
でも、何があっても変わらない人もいます。

霊魂が存在すると仮定してみますと、
「死」というのは言わば人生最大のイベントですから、
死を境に変わる可能性はあります。
しかし何があっても変わらないような人は変わらない可能性もあります。

結論として、「人それぞれ」でしょう。
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存在するとお考えの方ではありませんが、存在しないとも考えていないので、書き込みしときます。


人の霊ならば、人格があります。猫の霊なら猫格が、犬の霊なら犬格が…。
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 私は今まで、交通事故や山道からの転落など、死んでいてもおかしくないような事故を数回経験していますが、大した怪我をすることもなく無事に切り抜けています。

そんなとき、ふと、小6の時に亡くなった祖母のことが意識に上ります。
 こんなふうに、故人を感謝の気持ちと共に意識するよすがとして、「霊魂」という観念は、人間にとって一定の意義を持っていると思います。
 もう少しちがうレベルでは、霊魂という観念の存在は娯楽や芸術の題材として欠かすことのできない意義を持っていると言えるでしょう。
 が、やはりそれはあくまでも「観念」であって、軽々に実在するものと考えるべきではないと思います。その意味で、私は「存在するとお考えの方」という限定から外れるかもしれません。

 この点についてちょっと…。
 jintarohさんのご質問は、質問自体で回答を決定していると言えるのではないでしょうか。「存在すると考える人」がここで回答すれば、それはそれぞれの人が信じる形で「霊魂の人格の在り方」を説明するものになるでしょう。さまざまに異なった説明が出されてくるかと思います。これを楽しもうというのが、ご質問の趣旨でしょうか。だとしたら…こんなふうにマジメに答えてしまったらご迷惑だったかも…。
 もしそういうことなら、次は「信じてるフリして」遊びに来ます。
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この回答へのお礼

返答ありがとうございます。
一部自分で回答をイメージしていたようで、すみません。

考え方、参考になりました。

お礼日時:2001/05/11 11:13

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