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最近、無縁社会とよく聞きます。

私は地方で暮らしも経験があるので、無縁仏が地方にも多いことを
知っています。

無縁仏になる理由は・・・。

1、墓守の不在(老齢化・核家族化)
2,墓への意識が薄い?

色んな理由があると思います。墓の事は、大事に思いますし
唯一故人とゆっくり対話できる場所の一つかと思います。


私がいなくなった後は、若い家族が墓を守ってくれるとは、今は思えません。
仕方ないことです。葬式の最中もスマホをいじったり
焼き場で、家族で悲しんでいるときに一人だけ、離籍して
1時間ほど外にでかけたりした親族。
葬式の日にも涙を流さない。

このような行動は、みんなではないと信じたいです。
でも、葬式に参列しないことや、自分の生活が一番と考える若い世代の
親戚にがっかりしました。お墓の前でも、スマホをいじりましたよ。

私は「最期の別れ」は、きちんとしたいと考えます。

このような考えはもう古いのでしょうか?先の事は、もう知りません、
今を生きるだけです。でも、やはり悲しいのです。

無縁仏が今後も急増すると思います。既婚・独身に関係なく
墓地も身元不明の墓地の管理ができなくなっています。

無縁仏は今後も増えますか?増えない理由は無いですよね?
それに向き合うのみでしょうか?

A 回答 (8件)

 in_go-ing です。



 他の回答者諸兄姉のご回答もは拝読させて頂きましたが、現状はもっと酷いです。『無縁仏』って仏様になってから、生きているうちから『無縁』なんですから『この世こそ地獄』と思ってます。『無縁仏』になって初めて『地獄からの解放』でしょう。

 第一、独居老人では、住むところの確保に苦労します。私も大家ですが、『独居老人』はお断り。義父の物件で『独居老人』がなくなったとき、子供も行政も“そっぽを向き”ました。大家の義父が“後始末”せざるを得ません。これで発見が遅れていたら『事故物件』のレッテルが貼られます。行き着く先は、先の大久保の火災のあったアパートのようなところ。だれもあんなところの大家になんてなりたくない。あとはホームレス?

 質問者様がご覧になった『無縁仏』は、ご先祖のお墓に埋葬されただけ“お幸せ”な仏様でしょう。

 実際、先日お寺で『施食会』の法要があって、行ってきましたが、お布施やお塔婆で2万円以上の“出費”です。これが、『お盆』、秋・春の『お彼岸』と毎年続きます。これが出せるのも“お蔭”と思っていますが、出せない方も当然おられる。仕方の無いことなのでしょう。『もう、パンドラの箱を開けてしまった。』元には戻らないでしょう。
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この回答へのお礼

どうもご回答をありがとうございます。大家さんは、独居老人の住人がいると最後まで整理をする覚悟が
必要になるのですね。本当に今のご時世は大変な世の中になりました。

自由を得た分無縁死も覚悟の上ということも有るのでしょう。

昔は、家族の団欒がありましたが、家族のしがらみや共同体としてもわずらわしさもありました。

自由だけ得ることはないのだと、最近つくづく思います。

お礼日時:2012/07/12 07:28

ご存知でしょうか、地方に無縁仏が多いわけではありません。


地方の寺の無縁仏はそのまま、都市部では墓参の人が嫌がるからと様相を変えてしまうから見かけないだけです。ウチの菩提寺も墓地を増設するのに裏のほうに追いやってしまいました。

そして今増えているのが骨壷の遺失物。要するに電車の中に捨てていくんです。
つまり完全な無縁仏。

誰かに頼ろうと考えるから切なくなるんです。
浄土真宗では死ねば皆仏、だから別に墓を守ってもらう必要も無い。
そして今は樹木葬が流行の兆し。しかも自分の埋葬される場所を確保しておけば、そこに埋めてくれる。
墓石も何も無い、みんな桜の木の周囲に眠るだけです。
生きているうちに予約者同士仲良くなって、お茶をしたり旅行したりしているそうです。

一方で知人のお父さんは末期がん、行きつけのすし屋の幼馴染に通帳とハンコを渡し、後を頼んだ。かかりつけ医に言って証明書を書いてもらい、死んだ後解剖されないようにした。葬儀屋も予約。だから子供は何もしないし解剖にも回されずに無事葬儀を済ませました。

私たちも母までは面倒見るけど子供たちには面倒をかけません。墓を守らねばなんて責任は負わせません。
墓に入れたら放置で構わないと言ってあります。ウチは先代の住職と祖父が教員仲間で、実家を捨ててきた祖父に、「芯でも面倒見てやる」といわれて立てた墓。でも代が代わり、パチンコ好きの入り婿現住職は、どうせ墓が増えすぎてまともに檀家周りもできない寺ですから。永代供養料など払っても供養するかどうかも判ったもんじゃない。

テレビのCMじゃないけれど、生まれ変わる予定はありません。家は曹洞宗でも心は浄土真宗。
「いわんや悪人をや」で成仏させていただきます。
成仏して、菩薩行でも観音行でも諸生救済を勤めるのみです。それだけのことです。
あの世でも自分の力で修行を積まねばなりませんから、人の祈りなど期待してもしようがありません。
生きているうちの徳を積むのに不平など言っている暇はありません。
「不満は徳減らし、愚痴は徳こぼし」といいます。せっかく積んだ徳を無駄にするのはもったいないと思いませんか?
人のことに無駄をする前に、人のために祈り(読経)ましょう。それが法施という徳積みです。
わざわざ楽しくないことをする必要などありません。前だけ向いて、無理にでも笑顔で生きましょう。
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この回答へのお礼

とても重い回答だったと、何度も読んでおります。
電車の中で捨てるんですか・・。私は、忘れてしまうのだと。
余りにも気持ちが動転して忘れる人もいるんだと
思っていました。ひどい世の中になったものです。
捨てるのなら、お寺さんで供養してもらったほうが
故人も浮かばれるかと。(また批判をしてしまいました)

家族の宗派も曹洞宗、浄土真宗、」臨済宗と分かれています。
キリスト式で行った時もあります
お墓の事は、何がベストなのか今はわかりません。


私は、無縁仏の実情は調べたわけではありませんが、
地方に墓があり、そこの一帯が無縁になっているので、悲しくなり今回書きました。
自分の事をしっかりとやって、他の批判は慎まなければならないですね。

色々考えて、今は自分の葬式などやりたくないし、家族に迷惑はかけたくないと思います。

支離滅裂に連ねてしまい申し訳ありません。ありがたいご回答と
思い心に留めて置きたいです。ありがとうございます。

お礼日時:2012/04/24 20:51

私は彼女いない歴=年齢40代、容姿見た目が非常に悪いために彼女や結婚が出来ません。


家族もいないために必ず私自身無縁仏になることが確定しています。

人間は生まれた時点から容姿外見が決まってしまいます。
私みたいにハゲチビブサイクな容姿になってしまったのも運命でしょう。

人生は容姿外見できまってしまいますから、ハゲチビブサイクなどの人間は看取ってくれる人間がおらず無縁仏になっていくことがこれからのスタンダードな社会になるでしょうね!

それから、現代の若者は基本的にバカ非常識ですから墓の管理なんてまずやらないでしょう。
墓の制度も崩壊しますね。
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この回答へのお礼

どうも有り難うございます。墓の掃除だけでも大切だとは思うのですが・・。

お礼日時:2012/05/17 04:30

私はもうだいぶ前から、無縁仏が増えていくのが自然の流れだと思っています。



1、墓守の不在
夫は三人兄弟ですが、子どもが出来ず、代々の墓地を引き継ぐ者は、夫の代で終わりです。
私は3人姉妹ですが、子どもは妹に一人、6歳になる姪だけです。
少子化に加え、この長寿社会です。
親と子のどちらが先に逝くか、わかりません。
墓を子どもが引き継ぐという社会の原則は、加速度をつけて、崩れていくと思います。

2,墓への意識が薄い?
そもそもお墓とは何でしょうか?
残された者のためであり、宗教とも切り離せないものです。
暮らしと共にあった信仰心は、すでにほとんどなくなり、お墓に対する考えが変わっていくのも、自然の流れに思えます。

>唯一故人とゆっくり対話できる場所の一つかと思います。
身内にしか堂々とは言えませんが、お墓の前で手を合わせるというのは、私にとっては嘘ごとです。
嘘ごとは、他人には出来ても父には出来ず、父の墓にも滅多に行きません。
対話が出来るのは、父の写真に向かってです。
仏教に対する信仰心が、私には微塵もないのでしょう。


私は、自分は信仰心のない人間だと、長い間思っていました。
でも最近は、仏教が入ってくる以前から日本にあった信仰、自然に対する信仰心のようなものが、自分の中にもあると感じます。
骨壷を置くより土に帰していたら、その墓石の前で父とも対話できただろうと、私は思います。
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この回答へのお礼

ご回答を読み返しました。お墓の前で手を合わせるだけが、信仰では無いと
思います。私は嫁に行っているので、自分の親の位牌を持つことも出来ません。

墓も血の繋がらない嫁ぎ先に入るのかと思うと、考える所があります。

お墓の意味が、時代と共に変化していきましたよね。
これを機会にもっと考えてみたいと思います。

どうも有り難うございました。

お礼日時:2012/04/23 14:07

残念ながら、質問主様が危惧している方向に向かうのが本流になっています。


何時頃からか?
マスコミで子供が家を出ていって生活の基盤を他に置く事を「独立」と言うようになった頃からと考えます。
当然、墓を守る人が居なくなり、荒れ放題。
寺の境内にある墓は護寺会で除草剤なりをするのでまだ良いのですが、
町内会の墓地や一族だけの墓地などは、守る人が居ないと墓石より高くなる草で何も見えません。
法事はおばあさんが居るうちはやりますが、おばあさんが亡くなるとその葬式を持って終了。

寺は、そう言う状況を先取りして共同墓地(大きな区画に大きな墓を建てて、檀家なら誰でも入れるようにしてある物)を、
建てています。新たに入る人だけでなく、すでに墓がある人も希望が有ればそちらに移して、供養しているようです。
なので、寺の墓地も、町内会の墓地も、空きが出てきています。
空いたと言う事は、今守っている方がきちんと手続きしたのでしょうから、それはそれで良しとして、
荒れ放題がどうなるのか???
無縁仏(墓)は必ずしも増えるとは言えないと思います。
ただ、個々の家の墓というのが減って、寺単位、或いは葬儀屋単位の墓というのが増える気がします。

戯れ言ですが・・・・・・
葬式の時、携帯をいじって離さなかったり、学生服が腰パンだったり、セーラー服のスカートが短くてパンツ丸見えだったり。
(パンツ丸見えは許せます、お礼をしたい位です)
若いのが葬式には場違いなのも居ますが、その対策として、
孫一同、ひ孫一同でお別れの言葉を祭壇の前で読ませると、式が始まる前から緊張して居ます。
あ、これも手だなと思いました。最初は、何で孫一同なんだ?孫代表だろう、と思いましたが、色々あるようです。

今、仏としてあの世に旅立つ人たちが、自分の息子を独立させちゃったのが原因ですから、
「回る因果は糸車」です。
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この回答へのお礼

最近、お寺で共同の墓地なるものが、増えている理由がわかりました。当たり前ですよね。
家族がいる人でさえ墓参りをしないのですから。

私も子供の頃は祖母に連れられて、墓参りに行きました。その祖母が居なくなり
また親も居なくなりました。でも、今の年になってやっとお墓にいけば
血の繋がった家族と独り言ではありますが、話しかけられます。

他人とは通りすがり、家族はあの世へ旅立った後も繋がっていると
私は信じています。

悲しくて今はどうしようもないです。でも、時代の流れですし、このままいくと
うちのお墓もいずれ無縁になります。全てその家族の生きていた証しが
消滅するということです。 受け止めるしかないですね。

有難うございました。

お礼日時:2012/04/23 12:22

 家族力がなくなってきているので、増えるでしょうね。

ウチは祖母がホントにまめに毎月参ってたので、それが当たり前と思っていました。育ての力ですね。「墓を大事にしないところは没落する」親戚を見てもなんとなく当たっている気がします。それを伝えつつ、親の背中を見せる。それをしていなければ、子どもは学んでいないんだから、ある意味当たり前。
 無縁仏になるかどうかは、昔は子どもが出来なかったための、物理的理由でしたが、今は確かに事情が変わってきているのかもしれませんね。
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この回答へのお礼

「墓を大事にしないところは没落する」親戚を見てもなんとなく当たっている気がします。

これは、一理あると思います。きちんと墓守をするのは、核家族では大変なことですが、
大切だと思います。
有難うございます。

お礼日時:2012/05/17 04:29

我が家には子供がいません。


また姉妹は妹のみ、跡取りの立場です。とても私たちのことまで意識してもらおうなんて思えません。

なので私たち夫婦の死後墓の管理をしてくれる人はいません。でもそれは仕方がないことと思っています。
義親の墓がありますが夫の姉も子供がおらずこのお墓もだれも管理するものがいなくなります。

私の両親は共同墓地を用意しています。我々も共同墓地を利用しようと思っています。

守る人がいなければ無縁仏がすべてではなく共同墓地という手段もありますので、そこまで思い詰めて考えなくてもよろしいのではないでしょうか。
またお墓は故人の住まいであるとともに、残された者たちの心のよりどころでもあるのではないかと思っています。ここにいれば近くに寄れているような気持ちで・・

他家の事情がそれぞれあると思います。増える増えないは状況次第でどうなるのか私にはわかりませんが、ご自身が納得できる墓守をされ続けていかれればいいのではないでしょうか。
常識のない方はどこにでもいらっしゃいます。通夜の席でぐでんぐでんに酔っ払い警察沙汰になった知人もいます。故人をしのぶのではなくご自身の飲酒が優先という恥を多くの方にさらして・・

金髪なのは仕方がないとして以前若者の中ではやっていた腰パンで参列した高校生もいました。パンツが見えている状態。葬儀の時くらいきちんとできないのかと親戚は恥ずかしがっていました。
お清めのお料理に大声でケチをつけたり持ち帰るから容器ないのかと大声で騒ぐ人。
焼き場近くにあった競艇に行ってしまう人・・

そのような方々はご自身が最後の別れになった時にきっといいお別れをしてもらえないのではないかと思っています。またそうであってほしいなどと思う事もあります。

墓を守ることは出来る方がするしかない。守ることが出来ない場合はそれぞれで対処を考えるしかないのではないでしょうか。
若い家族でも両親や親族が大切にしていることを知っていれば継続して守ってくれるものだと思っています。その思いを伝えていかれればいいのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

>腰パンで参列した高校生 空いた口が塞がりません。もう、常識の域を超越していますね。
お酒の事は、私も経験有ります。アル中の親戚が相当お通夜で、お酒をのみました。

最期の別れは、今生の別れですよね。私は、どんなに忙しくてもこれは
最優先してきました。

でも、そうと思わない人がいる事も、事実です。

自分のポリシーは変わりません。自分の意思を若い人に伝えることはできても
押し付けは出来ません。反感を買うだけですね。

先日、墓地が「○月○日に無縁仏になりますので、所有者は申し出てください」と
張り紙がありました。つるつるの倒れそうなお墓が半数以上ありました。

とても悲しい光景でした。

先祖がいるから今の自分が生きていると思い、私はこれからもすごしたいと思います。
そして、自分の最期についても考える時期なのでしょうね。

暖かいご回答をありがとうございました。答えは見つかりませんが、受け入れるしか
ないと感じております。

お礼日時:2012/04/23 09:21

 戦後の日本は地縁・血縁で結ばれた『村落共同体』を『旧弊』として徹底的に壊してきました。

そういうものが個人を束縛するのは『新しい時代?』には“邪魔”だと考えられたのです。その結果、一番小さな『共同体』である『家族』さえ壊し始めたのでしょう。これはもう元には戻りません。

 ですから、『墓地』という、ある意味『家族・血縁』の“象徴”も破壊される結果となり、『お墓参り』など“『旧弊』の際たるもの”となってしまったのでしょう。

 『個人』を最も“尊重すべきもの”として考え、『プライバシー』は、なん人も、仮令公権力さえ、犯してはいけないものとなれば、『孤立死』も『無縁仏』も当たり前、“不審な?”部屋に警察官同道で入った大家を『不法侵入』として訴えるようなバカ<http://oshiete.homes.jp/qa7406123.html>がいる社会では今後は『孤立死』は白骨になっても分からない?そして落ち着く先は『無縁仏』でしょう。
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この回答へのお礼

どうもありがとうございます。孤独死は増加するのでしょうね。

お礼日時:2012/05/17 04:27

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