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映画「火垂るの墓」で兄弟は亡くなってしまいました。7000円の預金があったとのことですが、これはかなりの価値があるようです。

なぜ、栄養失調でなくなってしまったのでしょうか?そうならないための回避策はなかったのでしょうか?

いくらお金があっても食べ物は買えなかったのでしょうか?

A 回答 (7件)

当初兄は今後のことも少しは考え、お金をちょっとずつ使っていました。


(といっても子供なので、結構無駄金をはたいている場面がちょくちょく見受けられます)

しかし、それによって妹の栄養失調は進行し、兄が貯金を全部はたいて
食べ物を買ってきたときには「時すでに遅し」だったわけです。

[4歳と14歳で生きようと思った]
がこの映画のキャッチコピーですが、
お兄ちゃんだけなら何とか生き延びれたと思います。
(あのお兄ちゃん爆弾が降ってくる中人ん家の飯食ってたりと
結構たくましいし)

あの時代、14歳の子供が体力のない4歳の子供に十分な栄養を取らせてあげることは今では想像できないくらい困難なことだったのです。
(両親のいる家庭でさえ、ほとんどの子供たちは栄養失調だったと聞きます)
にもかかわらず、子供だけで生きようと決意し、結果妹死亡という最悪の結果を招いてしまったことに、お兄ちゃんは激しい罪の意識にとらわれました。

お兄ちゃんが死んだのは、金が尽きて餓死したというより、
妹を死なせてしまったという罪の意識に対する懺悔だったといわれています。
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こんばんは!



映画(アニメ)の方では・・・・貯金をおろして食べ物をたくさん買って帰った時にはもう遅すぎて、#2さんのおっしゃる通り、妹はすでに食べる元気も残ってなかったです。「もっと早く買ってこいよ!」「家出なら自分ひとりでしろよ!妹はおばさんちに置いとけよ!」とつっこみ入れたくなりました。
他にも、兄がおばさんの家で自炊するために調理道具とかを買いそろえる場面がありましたが、「もったいない!もっと後さき考えて有効に使え!」って感じでしたよね。
私の推理では、「兄は貯金全部おろしてメロンとか高級食材をバンバン買ってお腹いっぱい食べ続けたけど、計画性がまるでないのですぐに金が底を尽きて餓死した」んじゃないかと思います。

さてさて。高校時代に、読書タイムとしてほたるの墓の原作(小説)を読まされた事があります。その時に国語の先生が「作者は妹を亡くした過去を持つ。妹を守れなかったのにのうのうと暮らしている自分自身が許せずに、この小説では兄(=自分)を殺してしまった」というふうな事を言ってました。
本当かどうか知りませんが、もし原作者がこんな自虐的な気持ちで書いた小説なら、たとえ貯金が1億あったとしても、兄弟に死の回避策はないですね・・・。

逆に「小説の中では妹を救える」方向で書いてくれたら、あんなに後味悪い物語にはならずに、私ももっと「ほたるの墓」を好きになれたと思います。
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私もうろ覚えで回答させてもらいます。


小説の冒頭で兄は衰弱死したのではなかったかしら。ドロップの缶に入っていたのが妹の骨。そこからそこへ至るまでの物語が始まったと記憶します。
親戚のいじめはたいした事はなかったとおっしゃる方もありましたが、内心頼りにしていた肉親にああした仕打ちを受けるというのは人間として耐えがたいことではなかったのかとも思います。当時はこういうことが良くあったとも聞いています。
世の中の仕組みを知らない子供のまま世間へ焼け出され、周囲の無理解と無関心にさらされ、(7,000円という金額がどれほどのものか分かりませんが、かなりの額として)その使い道も知らないまま(なにせ応用編というか交渉道具となることなんぞ思いもつかないのですから)そうした、いくらでも生き延びる道はあるのに衰弱死する、死なせてしまったということがたまらないのだと、こんなふうにも読めると思います。
死ぬ必要がないのに死ぬ。これは当事者として悔いても悔い足るということのない苦しみであり、だからまず、自分が死ぬ情景から始めなければ先が書けなかったのではないかと思います。
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素人考えですが


映画を見て漠然と「貯金は叔母さんにとられたんだろう」と思っていました。お米なども叔母さん家族にあらかた食べられていた場面があったような気がしたので・・・。「とられた」のではなくとも叔母さんにイジワルされる前に、叔母さんに全部(お金・お米など)あげてしまい、イジワルされたのでその場の感情で飛び出してしまって取り返しがつかなくなったとか。

ご質問を見てじっくりと考えましたが・・・。
あの時代、お金があってもまず物資がなかった。物資に取り替えるためにはヤミ市のようなところに行かなければならないのだが当然子供の彼にはそんなことは思いつかないしどこに行けばいいのかもわからない。そんな途方もなく手間のかかるお金なんて彼にとってはただの紙切れ同然で、それよりも目の前の畑にある野菜の方が彼にとっては価値があるように思えた。彼はなんと言っても子供なのですから。
のではないかと思いました。すべて想像の粋を超えません。根拠もありません。
こう考える者もいる、程度に思っていただければと思います。失礼いたしました。
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確認ですが,ご質問の「火垂るの墓」というのは,


野坂昭如原作で,高畑勲監督のアニメ映画「火垂るの墓」
でしょうか.違ってたら,この回答は無視してください.

この物語は,野坂昭如の自伝的な小説です.
したがって,設定がリアルです.
一見お涙頂戴な物語ですが,非常に奥が深いのです.

その点では,ご質問はかなり的を得ていると思います.

一言で言えば,私は,主人公の兄弟は,何も死ぬ必要(必然性)はなかったと思います(私の記憶では,妹だけが死亡したように描かれていたと思います.).その他の人々と比較しても,生きていく上での条件は決して悪くなかったのです.
 ・伯母さん夫婦に世話になっていた.少々のイジワルにさえ耐えられれば,生きていけた.
  私の印象では,耐えられないほどのいじめとは感じなかった.
 ・貯金がかなりあった.
  

ほかの状況を鑑みると,私は下記のように考えます.
 ・兄がもしも妹のことを真に気遣っていれば,たとえいじめられていたとしても,叔母の家を出るべきではなかった.
 妹を連れて家を出たのは,わがままな兄のエゴにすぎない.
 家を出た後も,妹をしなせるまで,世間知らずとしか思えない行動が目立つ.

 個人的には,この小説は,野坂昭如氏が,「妹をしなせてしまった(バカな)兄を許してくれ,時代もわるかったが」というような気持ちでかかれたものであったと思っています.

 少々否定的に書いたように感じるかもしれません.
そうであったとしたら,申し訳ありません.
 そうはいっても,戦争さえなければ,兄妹は幸せに暮らせたはずであり,妹も死なずにすんだはずです.そのことに変わりはありません.
 単純な,「お涙頂戴の反戦映画ではない」ということを言いたかったのです.

ご希望通りの回答でないと思います.申し訳ありません.
異論あるかもしれません.
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この回答へのお礼

皆様、回答どうもありがとうございました。

>>野坂昭如原作で,高畑勲監督のアニメ映画「火垂るの墓」 でしょうか.

 そうです。やり方によっては、生きられたかもしれないのですね。残念ですね。

お礼日時:2004/01/06 23:28

兄は預金をおろしてメロンなどを妹の好きなものを買って帰るのですが、もはや妹は衰弱していて間もなく亡くなってしまいます。

兄の死因も、気力の減退と栄養失調による衰弱死でした。回避策はもはやなかったのではないでしょうか。そして、その絶望感がこの作品のテーマを支えていたのだと思います。
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物不足で、お金があっても買えなかったのでは・・・? 家出をしていたから、食料の配給も貰えなかったでしょうし・・・。

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