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こんにちは。
上杉謙信公の正式なお墓を調べております。

高野山の奥之院にある上杉謙信と景勝の霊廟(霊屋)は、
謙信が得度した際の髪等がおさめてあるもので、正式なお墓ではないとの話を聞きました。

ちなみに、米沢の墓所も分骨がなされたものだそうで、
高野山の霊廟の4~5m右横に上杉某と刻まれた大きな供養塔が4つありましたが、
そちらが所謂"お墓"となるのでしょうか?

お詳しい方、教えて頂けると有難いです。

A 回答 (2件)

御遺体(地元の方は「御尊骸」と呼んでいます。

)は山形県米沢市御廟の「上杉家廟所」の正面中心の霊廟に安置されています。元々は越後国春日山(現在の新潟県上越市)に埋葬されていたものを、上杉景勝が会津へ移封になった時に後から来た堀秀治の要請で、会津若松、さらに米沢へ移しました。
江戸時代は米沢城内に「御堂(みどう)」を建立してそこに安置、毎日供養を続けていました。特に命日の「十三日」は、藩をあげての「慎みの日」であり、藩主が在国であれば必ず御堂に参拝していました。現在でも米沢城址に御堂の跡があります。
明治維新後には、在世中の朝廷への尊皇の事蹟が明らかなため、従二位を追贈されさらに神式でお祀りされる事になりました。それが現在の「上杉神社」です。「尊皇の事蹟があるために」別格官幣社に列しています。
なお二代目の上杉景勝は亡くなった後は火葬され、御遺骨の大部分は高野山に埋葬されています。高野山には全国の戦国大名が生前の対立を越えて静かに眠られています。
詳しくお知りになりたければ、まず山形県米沢市と新潟県上越市の教育委員会文化課にお尋ね下さい。
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この回答へのお礼

大変遅くなりましたが、ご回答誠にありがとうございました。
大変参考になりました。

お礼日時:2012/07/25 05:34

正式な墓所は米沢にありますよ。

これは景勝は米沢へ移封されるとき、会津若松から謙信の遺骸を移して城内に廟を設け、ここに安置していたのですが、廃藩置県で米沢城が破壊されるときに現在の場所に廟所を作ってここに遺骸を安置したのです。高野山には信長、秀吉、家康の墓があります。光秀のものもあるそうです、当時は高野山に墓を作るのがブームだったようですね。これらは正式な墓所とされているものは全くありません。

  廟所については下記に詳しく掲載されています。

参考URL:http://www.naoe-kanetugu.com/trip_yonezawa/gobyo …
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この回答へのお礼

大変遅くなりましてすみません。
ご回答誠にありがとうございました。

お礼日時:2012/07/25 05:35

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