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 神を信仰している宗教がありますが

 これって神に見返りを求めていますよね?

 初詣なども、「今年は○○でありますように」など色々願います

 という事は願いを叶えてくれる人(生き物・生命体?)の事を神と呼んでいるって事ですか?

 店のリーダーを店長と呼ぶような感じで

 もし、神という種族がいるとしてもいるだけでは駄目なんですよね?

 信仰する以上は、あの世でもこの世でもいいので

 何かしらの見返りが求められている訳です

 あの世では極楽に行ける。とか

 神はいるけど、何もしません。何も叶いません。ただ崇めてください

 これだと意味ないし宗教も消滅します

 結局、神っていうのは

 そういう種族なのですか?
 
 それとも、そういう願いとか叶えてくれるとされている人(生命体)の事を

 神という言うならニックネームみたいな感じで呼んでるのですか?  

A 回答 (12件中1~10件)

ほぼすべての宗教が「神仏」などを信仰していると思われます。


神道ならアマテラスやその他の八百万の神。仏教の神は、仏の守護神。
一神教なら、ヤーウェ、キリスト、アラー。

東洋の多くの宗教、仏教や神道やヒンズー教などでは「神」は多数います。多神教です。
人のような生物ではありませんが寿命があるとされていることが多いです。
それでも寿命300年とか5000年とか、人間とは桁違いに長いらしいですが。
多神教の場合は神にもピラミッド式に何段階もランクがあって頂点の神を最高神とすることが多いようです。
大乗仏教の場合は如来という仏が最上級で次に菩薩、明王と続き、四番手が天という神々です。毘沙門天や弁財天です。

確かに現世や来世での利益を求めて神に祈ったりするのでしょう。
「極楽」の場合は極楽浄土ですので浄土宗や浄土真宗の阿弥陀如来という仏を信仰するようです。
「天国」の場合は、ユダヤ教やキリスト教やイスラム教の神、唯一の神を信仰します。
唯一の神を信仰している一神教の場合は、神は必ず一人だけです。他の神を一切認めません。
ですので、一神教の場合は種族とは言えません。

見返りを求めるのはその通りですが、反面、悪いことが起こらなかったときに感謝の祈りをする対象でもあります。
このあたりは「神」がどういう神なのか、また宗教や宗派によって違うようですが、
確かに人間の思いを伝える相手であることは間違いないようです。

例えば、ユダヤ教の場合は、昔から隣国から侵略されることが多いユダヤ人の国だったため、
聖典の旧約聖書には、自国を攻める国が滅びるように神に願う言葉がかなりあります。
キリスト教の場合は、天にいる唯一の神と、神が人々を救うために使わした神の子であるイエス・キリストと聖霊は三位一体であるとします。
日本の神道には八百万の神がいます。神道では人を神格化することがかなり多いです。
徳川家康は東照大権現という神で日光東照宮で奉られています。明治天皇なら明治神宮に奉られています。
神道的なのは、政争に敗れて無残な死を遂げた人物の祟りを恐れて、神としてしまうケースです。
菅原道真(太宰府天満宮・北野天満宮)や平将門などがそうです。
死後にたたりや怨霊を恐れて、人々が神として神格化し、崇めることで怒りを鎮めるということです。
これも信仰するのは怒りを静めるという見返りですが、昔は自然災害や飢饉などは怨霊やたたりのせいだと思う人が多くいたので
これは菅原道真のたたりに違いないだろうと思う人も多かったのでしょう。政争でやむを得ず不幸な死に追いやってしまった側の人々の
後ろめたさみたいな心情が生み出した神ともいえるかもしれません。

他にも神は多数います。土着の民間信仰などを加えると世界では数えきれません。
こちらに神の一覧が掲載されていますので参考にしてください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E3%81%AE% …
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種族というよりも、そういう系統です。

願いを叶えてくれるとは思えませんし決してニックネームではありません。

神は青森県津軽地方に最も多く、プルトニウムが集まっています。
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人間の欲望は「八万四千煩悩」あります

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人間の欲望が八百万からあるってことかもね。うっしっし。
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願いをかなえるのが神の勤めなら、神は創造主でもなんでもなく単なる執事でしかありません。

もっとあからさまに言うなら「パシリ」です。それが神だというのなら、そんな神はいません。

神は何もしないしか無いもしない、ただ崇めるだけ・・それが意味無いですか?
私たちの周りの岩も草も木も空気も水も何もしないし何も叶えてくれるわけじゃない。
だから意味が無いから粗末にしたって構わない。
虫も鳥もライオンや絶滅危惧種も私たちに何もしないし叶えてくれないからいらない。

別に空も海も土地も山も宇宙も、貴方のために存在しているんじゃない。逆に考えれば自然を傷つける人間は害以外の何者でも無いんだから人間なんて要らない。そのほうが平和な自然が残る。多数決ならそういう結果になります。
そして貴方は私にとって何も無いし叶えてもくれないから存在意味は無いです。
それは結局「自分の思い通りにならないから邪魔な奴は要らない。だからこの世から消えればいい」と考える輩と薄紙一枚の差も無い考え方ですよね。

べつに宗教があるから神があるわけじゃない。宗教は人間が神を知ろうとして考え出したものでしかありません。
唯一神を神として捉えようとしているのは神道です。
宗教が教えを有する信仰であるなら、神道は本来教えの無い信仰。進行の中から各自が森羅万象の理を感じ取り実践する。唯一敬神崇祖の念のみが存在する信仰ということです。
しかし神道もまた、人間の我欲の為に本質を見失いつつあります。

在るものはあるべくして有る。それを尊び、自らを律する。私たちは皆、今のすべてがあるから存在する。
だから存在する全てのものに感謝することに「意味無い」なんて事はまったく無いのです。
太陽は別に私たちのためにあるわけじゃない、でも太陽があるから私たちは存在できる。だから太陽に感謝し。でき得れば安寧な一生を送れるようにと願う。
願いは人間の自然な心の発揚です。やれ縁談だ、やれ金儲けだなどと我欲の塊のようなことばかり考えているから、或いは触れているから「願いが叶わないのは意味無い」などという発想になるんです。

天然自然の根源である神に対してもそれは同じこと。天然自然、森羅万象そのすべてがあるから私個人がいる。だから森羅万象の全て、見えるもの見えざるものの全てに感謝し、でき得れば安寧な一生を願う。それは「思考」という賜物を頂いた人間だけに可能な心の発揚なのです。

目の前にあるものや自分に直接益のあるものしか存在として認識できないから。見えないものに感謝できない。だ
から、今回の放射能騒動のように身近にあっても危険性すら認識できない愚鈍さ、他人が苦しんでもその気持ちの一旦も理解できない非情さが生まれるし、いつまで経っても同じような事故や災害犯罪が耐えないんです。

例えば富士山の荘厳さや自然の美しさを言葉にしたとたん、その美しさは半分の伝わりません。それは例え写真にしても同じでしょう。
つまり神の理を人の口を付いて表現した時点で神の尊厳は数億分の一でしかない。そう考えれば宗教をどんなに批判しても当たり前のことですし、まして今のご利益ブームは一芸人が作り上げた流行でしかありません。
それに便乗して金儲けを考えるのも神の存在とは関係ないことです。

まずは見えないものの有ることを知る。それが基盤になるでしょうね。神はその先にいます。
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どんな宗教の神様でも良いのですが、お祈りや願い事をしますね。



でも、自分が行動をしない限り何も起こりません。

逆に何も悪いことをしていなくても災害に遭ったり、病気になったりしますね。

また、良い人に巡り合えたりもします。

こうしたことを、いくら神様と結び付けて考えても納得のいく答えは出てきません。

つまり、あまり関係がないと思った方が良いと思います。
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>>(1) 神を信仰している宗教がありますが


>> これって神に見返りを求めていますよね?
>> 初詣なども、「今年は○○でありますように」など色々願います
>> という事は願いを叶えてくれる人(生き物・生命体?)の事を神と
>>呼んでいるって事ですか?


神は人間の願いを聞いて下さいますが、この世の生命体ではありません。


>>(2) 店のリーダーを店長と呼ぶような感じで
>> もし、神という種族がいるとしてもいるだけでは駄目なんですよね?
>> 信仰する以上は、あの世でもこの世でもいいので
>> 何かしらの見返りが求められている訳です
>> あの世では極楽に行ける。とか


神はこの世の存在ではありませんから、店長という存在ではありません。
また、極楽に行くには神を信仰するだけでは行けません。
神の戒めを守らなくてはなりません。
**************************************
『殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。偽証し
てはならない。父と母を敬え。あなたの隣人を自分と同じように愛せよ。』
(新約聖書)
**************************************
これが神の戒めです。


>>(3)神はいるけど、何もしません。何も叶いません。ただ崇めてください
>> これだと意味ないし宗教も消滅します
>> 結局、神っていうのは
>> そういう種族なのですか?


叶わなかった願いは一つもありません。
**********************************************
《まことに、あなたがたに告げます。もし、あなたがたが、信仰を持ち、疑うことがなければ、いちじくの木になされたようなことができるだけでなく、たとい、この山に向かって、『動いて、海に入れ。』と言っても、そのとおりになります。あなたがたが信じて祈り求めるものなら、何でも与えられます。》
(新約聖書)
**********************************************

山に向かって海に入れと言いましたが、山は動きませんでした。
なぜでしょうか。
信じていないからです。

では何を信じているのでしょうか。
『山が何の力も加えずに動く筈がない』
この物理的な論理を信じているからです。
あなたが信じて求めたとおり、その祈りが叶って山は動かないのです。


>>(4) それとも、そういう願いとか叶えてくれるとされている人(生命体)
>>の事を 神という言うならニックネームみたいな感じで呼んでるのですか?  


世界の言葉が多様なように、神の名前は色々あります。
しかし、神は唯一絶対の神であり、宇宙に一人です。
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>>それとも、そういう願いとか叶えてくれるとされている人(生命体)の事を


神という言うならニックネームみたいな感じで呼んでるのですか?  

○ そうですよ。神はニックネームですね。
わかりやすき言えば会社で課長や部長に褒められれば給料も上がりますね。出世も早いですね。課長や部長よりは役員や社長に気にいられたほうがよりいいですね。
会社組織では課長、部長、役員、社長と呼びますが宗教では全て神というのです。これは自分より上(うえ)という意味を含んだニックネームなんですね。神様にも皆、ちゃんと名前があるのですが、わりとわからないんですね。そこでごまんとある宗教は神様と言っているだけですね。
「私が信じる宗教の神様は誰それで、信じればこれだけの御利益があります。」という宗教はわりと少ないですね。でも高等宗教は本来主宰神がはっきりしているものですね。
神道は教えはありませんが、主宰神はアメノミナカヌシかアマテラスですね。仏教は釈迦如来、キリスト教はイエス、イスラム教はモハムンド、儒教は孔子、とはっきりしてますね。
この方たちは皆、社長や役員、部課長クラスの人ですから、御利益はありますよ。ただね、御利益の多くは死後もらえるものが多いですね。
生きている間に大きな御利益を得られる宗教もありますが、主宰神はたいてい神を詐称している悪魔たちですね。悪魔といえど皆、名前があるのですね。彼らも神と呼ばれたくて悪さばかりしてますが、凡人にはわからないのですね。
宗教も客観的によく勉強するとわりと簡単に区別、判断できるのですが、ほとんどの人は勉強もしないから、わからないだけですね。
まあ、上に挙げた宗教範疇を信じていれば、御利益はありますよ。
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ヒンドゥー教、道教、古代エジプトの宗教などでは神は種族です。


現在の一神教(ユダヤ・キリスト・イスラム)においては、神は唯一の存在ですから、生物ではありません。
原始仏教においては神は宇宙の真理の別名です。
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こんばんは。



この世界に於いて、貴方は重要な一人の人間です。貴方がこの世界で物質的に無になることはありません。精神も無くならないと思います。
私は、神とは人間の誰の心にもある観念のことだと思います。だから、神は貴方の五感、感性、理性によって生まれます。貴方が自分の中の神という観念を信じれば,神は貴方の中に現れます。すなわち、貴方の信仰のことです。貴方の神は、そのままでは他の生き物とあまり変わらない感情=蛇です。

人間が他の生き物と違うところは、知恵を得て理性を発達させたということです。それが、釈迦によれば喜怒哀楽になり四苦八苦になったというのです。キリスト教では人は知恵の実を食べたことにより、過ちを犯すようになったということです。
人間は、親の愛という営みによって生まれました。「三つ子の魂百まで」(幼時の性格は、年をとっても変わらないということのたとえ)と言います。人間の子供は、生まれて知恵がつきます。この時期に両親の愛情を沢山もらった子供は、精神が安定して優しい感情を持つことができます。そうでない子供は、精神が不安定になり苦痛をその時から感じます。人が自立しなければいけない状況に置かれたとき、人は、自分の中に信仰を持ちます。愛情いっぱいの子供時代を過ごした人は、自らの中の愛(神)を想定し信仰します。そうでない人は、苦しみ、悩みます。

釈迦は、分からないことを非我とし、この世の変化を諸行無常、空として中道に生きなさいと言いました。心身を常に平常になるように心がけなさいということだと思います。
イエス・キリストは、アダムとエワが知恵の実を食べた原罪を背負うと言いました。人は、知恵を使って生きなさいということかと思います。
仏教は釈迦の教えを仏典でキリスト教は聖書で、自己の中の愛(神)を見出せない人に自己の中の愛(神)を信仰できるように説いた教えです。昔からの宗教は同じように苦しみ、悩む人に、自己の信仰、愛の教えを説いたのだと思います。貴方は、愛という営みによって生まれたんだということです。

だから、宗教が教えるところは、いかなる人も生き物も愛の営みが生んだということなのです。誰にも愛はあるんだ、自己の中の愛(神)を信仰しなさいということだと思います。私は、自己の中の愛(神)は、自分で見出すしかないと思います。もちろん、宗教の教えや先人の言葉は自己の中の愛(神)を導いてくれると思います。それは、愛という営み=生命の絆のことです。ちなみに、私は新興宗教のことは分かりません。
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