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唯幻論とはなにか明瞭簡単に説明できる方教えてください。
岸田秀さんの本を読み始めたのですがこの方がたてた理論なんですか?
難しい本かなと思ったのですが素人の私にでもわかりそうな気がして興味がわきました。
よろしくお願いします。

A 回答 (3件)

>唯幻論とはなにか明瞭簡単に説明できる方教えてください。



唯幻論にしろ、唯識論にしろ、唯言論にしろ、いずれも実在論、実体論の虚妄性を暴こうとする点では大同小異といったところかもしれませんね。

ただ、たとえば、岸田さんが近代日本人の分裂した精神を論じる際、フロイト理論を援用し、黒船来航によって受けた心的外傷で説明するところなど、いささか強引で恣意的すぎるのではとないかという憾みを覚えます。
が、ことセックスを論ずる際、彼の唯幻論は、特に男性の性欲や性的嗜好の基本性格や成因、さらにはその幻想性、虚妄性を小気味良いほど鮮やかに浮き彫りにしてくれていると思います。

なお、彼の唯幻論には、彼のペシミストとしての一面がうっすらと投影しているような気がしてなりません。
たとえば、『続 ものぐさ精神分析』には、文学好きな氏らしく、芥川龍之介、太宰治、三島由紀夫の性格に関する見事な、しかも辛辣な作家論が収録されておりますが、私としては、あたかも岸田さんの告白小説を読んでいるかのような印象を抱かざるを得ませんでした。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
ほんといろんな考え方があってみんな正しいような感じです。
もっと本などよんでいろいろ知っていきたいなと思いました。

お礼日時:2012/05/12 21:06

「存在は本質に先立つ」と言ったのはサルトル。


あらかじめ定められた筋書きも配役ものない演劇の舞台に立たされ、
「さも(本質だから)そうであるかのように」
感覚に訴えるよう演じなければならないのが人生だとした。


例えば「哲学」とか「愛」とか「正義」とか「恐怖」とか抽象概念として
言語を持った人間の脳内にあるだけで
そのものに実体はないもの。

そういうことなんじゃないでしょうか。
唯幻論についてよく知りもせず相当ズレてたらすみません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
いろんな考えかたがあるんですね。

お礼日時:2012/05/12 21:02

岸田さんが全く新しく見出したというより


仏教、老荘思想、哲学、キリスト教などで
述べられたものを岸田流に解説したというべきでしょう。

「すべては幻だ」の一言ですむことを何十冊の著作で
さまざまな説明をしています。

私の解釈は以下のとおりです。

人間とは何か
  人間の赤ん坊は自分では何もできず親の保護なしでは生きていけません。
食べ物とそうでない物の区別もできずなんでも口に入れようとします。  
野生動物の子供が、異物を飲み込んで死んだなどと聞いたことがありません。
なぜそうなるんでしょうか。 
それは人間には本能がないからです。 本能がないから子供を育てられない親がいたり、
楽しみのために生き物を殺したりできるんです。 他の動物ではあり得ないことです。
 本能がなく、生まれたときはほとんど白紙状態なのでなんでも書き込めます。
犬は人が育てても犬になるけど、人間は犬に育てられると犬みたいになってしまいます。   
 太古の昔、人類の祖先はなぜか本能をなくしてしまい滅亡の危機に直面しました。
そこで苦し紛れに本能の代替品として自我を作ったのです。 人間とは本能が壊れた動物であり、
その代替品としての自我は幻想である。 


人間の欲望
 人間には食欲、性欲などの生理的欲望と金銭欲、名誉欲などの二次的欲望があると言われていますが、もっと根元的な欲望がふたつあります。 人は赤ん坊の頃全く無力で自分では何もできず
完全に親(特に母親)に依存していて、親に見放されれば生きていけません。
 母に抱かれ乳を飲まされるときの快感、自分では何もしなくてもよい安心感を味わった人間は、
成長してからも絶対的な存在に自分の身も心もあずけてしまいたいという欲望を持ち続けます。
人間が神や仏を信仰したり、特定の芸能人を絶対視したり国家や会社に忠誠を尽くすのはそのためです。
 もうひとつの欲望について書きましょう。 それはやはり赤ん坊の頃、人は空間という物を知らず
自分と他者の区別がつきません。 そして時間という観念もなく、しかも何かをしようとしてできなかったという挫折感も知りません。 そこで赤ん坊は自分が全知全能であるかのように錯覚してしまいます。
 何でもできるどこへでも行けるという快感を味わった人間は大人になってからも幼い頃の
全知全能感を取り戻したいと願い続けることになります。 人間がロケットで月に行ったり、
スポーツやゲームに夢中になるのはこの欲望のせいです。 
命がけでエベレストに登ることが日々の生活に必要でしょうか。 世界記録より0.1秒速く走ることに
どんな意味が有るんでしょうか。 
 神のような存在に自分をゆだねたい、そして自分が神のような存在になりたい。 
この相反するふたつの欲望からのがれることはできないでしょう。
  
 相対的世界
  人間社会では、何ごともふたつでワンセットになっています。 例えば暑い寒い、大きい小さい、
右と左、戦争と平和、幸福と不幸など、数えればキリがありません。
 人間の脳は本来一つの物を知恵という刃物で切り刻んでそれぞれに名前を付けなければ
認識できません。 「わかる」と言う言葉は「わける」と言う言葉から来ているようです。  
これらふたつでワンセットの事柄は、相反するふたつの物のように見えるけど、
本当は一つの物のふたつの面にすぎません。 たとえば手のひらと手の甲のようなものです。
 手のひらだけで手の甲がない手が存在しないように、右ばかりで左がない世界や、
幸福ばかりで不幸がない世界は有り得ません。 理想社会を実現できたり天国や地獄が存在すると
思うのは幼稚な考えです。
 また手のひらと手の甲はいつも同じ大きさなので、手のひらを大きくすれば手の甲も大きくなってしまいます。 平和運動をすればかえって戦争を多く大きくするし、幸福を強く求めれば大きな不幸を背負う可能性ができます。 かわいい子供をもって幸せな人が、その子を失ったとき受ける不幸ははかりしれません。
 子供のない人は子供をがいることの幸福がないけど、子供を失う不幸をうける危険性もないのです。 
プラス100はいつでもマイナス100になる可能性があるけど、プラス10はどう転んでも
せいぜいマイナス10にしかなりません。 
 アメリカは世界の警察官と言われるほど正義感の強い国ですが、大きな正義があるということは
それだけ大きな悪が存在する国だということです。 
  このような相対的な世界は人間が作り出したもので、人間の頭の中にイメージとして存在するだけでどこにも実在しないのです。 


人生とは何か

 人が見たり聞いたりすること、考えること思うことはすべて幻想です。 私たちの経験のすべては幻想です。
人生はまるごと幻想なんです。
 人は何一つ知ることができません。  例えば犬を見たとき「かわいい」と思う人、「こわい」と感じる人、「きたない」と言う人、「強そうだ」と言う人などひとさまざまです。 犬は同じ一匹の犬なのになぜ
こうなるんでしょうか。  それは人が犬そのものを見ずに、自分が犬を見たときに作り出した犬に対するイメージを見ているからです。  聞いたり感じたりする事についても同じです。
 私たちは自分が作り出したイメージの世界からは一歩も出ることができず、
現実を認識するということはまったく出来ません。
  このようにしてさまざまなイメージを体験することによって出来上がった自分、
イメージや観念の蓄積体としての自我とはいったい何でしょう。 これもまた幻想です。 
 そんなバカな自分は確かにここに存在すると誰でも思うでしょう。  しかし自我は幻想として存在するだけで実在しないのです。 例えば空に虹が出ていればだれにも見えるでしょう。 犬にだって見えます。  
それは疑いようのない事実です。  でも空に飛行機を飛ばして行ってもそこから七色の物体を
取ってこれるわけではありません。  虹はただ、太陽光線が水蒸気に反射して七色に見えているだけです。
 自我も人生もあたかも存在しているように思えるのは事実ですが、それらはすべて幻想であり実在しません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
素人の私にもわかりやすい説明でした。

お礼日時:2012/05/12 21:00

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