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5月連休以降、中三になる息子が登校しなくなってしまいました。私達夫婦もこの現実に狼狽し、特に
妻は自分を責め、毎晩苦しんでおります。今まで私達の描いていた価値観の見直しが迫ってきました。周りの子供との比較ばかりに、学校というものが社会で自立するステップということの認識不足に愕然としました。学級委員、部活動の部長をやり責任感があのですが繊細さとまじめさが逆にストレスとなってしまったようです。それ以来部屋に閉じこもり、昼夜の逆転生活となりました。今私達の先ずやらなくてはいけないことは学校に行かせることでなくこの生活リズムを元に戻すことがすべてであります。毎朝毎夜の母親の声がけにも応ぜず、自分の世界に入ってしまっています。たまには母親とTVを見て笑っているときもありますがそれ以外は聞き入れてくれません。時には心配する親に気を使って消灯時間になると電気を消してくれるのですが布団にもぐって読書タイムとなってしまいます。せっかくの心の癒し空間を電気を止めてまで押さえつけることはできません。わがまま放題に育てられた子供にはいまさらながら自分をコントロールできることできないと思います。何を言っても最後は”言うのをやめないと朝まで寝ないよ”との決まり文句。母親は子供の部屋から退場するしかありません。しばらく様子を見るというのがありますがこれでいいのでしょうか。反抗期ということで私と子供との間もうまくいっていません。
八方塞です。ご意見をよろしくお願いいたします。

A 回答 (5件)

お礼に関して少しだけ補足回答を



>本当に苦しんでいるのは息子です。
家族でその思いを共有し、少しでも今の状況を改善させて行こうという姿勢が大事ですね。

少し待って欲しい。
確かに、苦しんでいるのは息子だろうが、その苦しみは、家族で共有するものであることは指摘通りであろうが、 『本当に』 という認識については、少し思慮してほしい。
共有するという意識がある以上は、息子と同等に苦しみを分かち合うべきであって、”息子だけが特別苦しんでいる”というような意識はあまり必然性がない。
そのような意識が出てしまうことの危険性については少し思慮してほしい
もちろん、”家族全員が被害者的な感情に陥るべきではない”とも云う余地はあろうが、
<各人それぞれに違った苦しみ>が存在するものであって、特別扱いすることはない。
もしくは、”家族全員が特別に苦しんでいる”という認識であるなら、問題とは思わないが、特別扱いについては少し検討してほしい。

>いつの日か笑って話し合える時が来ると思います。
改めて本当の幸せが何なのか気づかせてくれた息子に感謝です。

幸福感(観)は様々であるから、否定はしないが、これからが大変であることは理解してほしい
回答したように、息子自身の改心が重要であるが、その改心のために家族の価値観が変容する必要性については、じっくり息子と話し合うべきであって、息子を除いた家族だけでそのような認識を共有化するのは、好ましくない。
”共有してはならない”とまでは言わないが、少なくともそういう素振りは、息子の前では見せないようにしてほしい。
息子が”自分のおいて家族全体の意識が変わった”となった時、孤立感・疎外感を深めてしまいかねない。
できれば、意識変革は息子との会話・対話で漸次的に進捗させるべきであって、誰かが突出して意識変革している状況は、好ましくない。
前回答を踏襲するが、家族全体で沈んだ状態にならないように最大限の配慮をしてほしい
”息子が取り残された”という危機感を抱いた時が、家族での対話・会話の好機であるので、出来るだけ話し合える状況を積極的に創造してほしい。
そのためには、家族の日常を大きく変えるべきではなく、以前と同じような日常生活になるように、出来るだけ振る舞えるのが望ましい。
その状況で、息子が帰るべき空間・状況を維持することが望ましいのであって、あまり気張らないでほしい。
気張りすぎて家族全体が大きな問題を抱えることによって更に状況が悪化することで、息子の自虐人・加害妄想が増幅されかねないのだから・・・

なお、『こうあるべきだ!』という枠組みで思慮するのはやめておいたほうがいい。
”こうあるのが良い”程度であれば否定しないが、『こうあるべきだ!」という類の強迫観念・思い込みはマイナスになる場合が多い。
家族全体が沈んでいるだろうが、出来るだけ現況から逃避する時間を少しだけ作り出すようにしたほうがいい。
愚痴の件でも示唆したように、”良い親であろう”とする強迫観念が好意的結果にはなりえない。
”ダメな親だった”という認識については程度問題はあるが、それはそれで問題はない。
どう改めるべきか?という問題については、家族でしっかり(結論を出さないのがBESTだが)話し合うべきであって、独善的な改心は慎んで欲しい

以上、回答としてはお粗末だが、小生個人の見解を指摘しておく
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丁重なお礼、有り難うございます。



> でも私達はその時、あなたの様な心持で対応できるかは自信がありません。

私も自信など全くありません。
そもそも「自信」と言うのは、基本的に「やったことがあるから出来る!」など、経験したことに対し、持ち得るものではないでしょうか?

一方「親」「育児」「教育」などは、全ての親にとって、誰もが初めて経験するものですよね?
しかも相手は個々に異なる人間で、たとえ次子でも、その子供とは「初めて」です。
子供と共に、親も成長し学ばねばならないことですから、自信などあるハズも無いと思いますよ。

逆に初めてのコトに対し、「自信がある」「これで絶対に間違いない!」などと言うのは、失礼ながら「バカ親」と言わざるを得ないのでは?と思います。
また経営学者に経営の成功者が居ない様に、「教育評論家の子供がグレた」などと言う笑い話もある世界かと思います。

従い、むしろ「下手に自信や確信など持ってはいけない!」とご提案します。
あるいは、親とか教育に「正解など無い」と言っても良いかと思います。
あるのは「結果のみ」で、「結果的に成功した」「良かった/悪かった」などだけでしょう。

自信が無ければ、そこに生じる気持ちが「不安」ですね。
もしその不安に押し潰されてしまえば、「逃避」とか「依存」するしかないでしょう。

ただ、会社の問題なら「辞めて解決」でも良いですが、親はやめられません。
物理的には育児放棄などは出来ますが、法律的,医学的には、親子は永久に親子です。
逃げたり誰かに頼って、解決出来る問題ではありません。

自信が無く不安な状況で、それに押し潰されないためには、それに拮抗する強い気持ちが必要です。
それは「覚悟」「勇気」「信念」とか、あるいは「開き直り」などではないでしょうか?


> でも結果を恐れている場合ではないことは承知です。

恐れるべき「結果」とは、何でしょうか?

お子様の「結果」などには、それほど責任感を持つ必要は無いのでは?と思います。
その責任感なども、不安の原因でしょう。

仮に子供の人生の良否(≒結果)が「幸福かどうか?」だとしますと、子の幸せを願う気持ちは別として、「そこまで親の責任は重くない」と思います。

言い換えれば、「与えられないモノを与えろ!」などと言っても、無理な話です。
親子と言えど、「幸せ」は人それぞれですから。
実際、高学歴・高所得で「不幸」な人も居ますし、低学歴・低所得でも「幸福」な人も居ます。

親が必死で教育を施し、人が羨む様な就職をさせ、多くの財産を残したとしますと、親として与え得るものとしては、最高水準でしょうね。
しかし、それらを与えたところで、幸せかどうかは本人次第と言うことです。

たとえば、本人が「現状に満足を感じつつも、更に上の幸福を目指し、努力し続ける」と言う状態にならぬ限り、幸福は得られないのでは?と思います。

本来、親が与えるべきは、そう言う「境地」ではないか?とは思いますが・・・。
しかしコレも、言葉は簡単でも本人が最終的にそう言う境地に至るかどうかは、やはり本人次第でしょう。

本人の気持ち次第で一変する様な「結果」より、お子様も質問者さんらも、重要な事柄や責任を放置したり逃避していることに、怯えるべきではありませんか?

私はまず「自分で考える」が最重要ではないか?と思います。
現状のお子様は、現実と将来への不安に対し逃避し、かつ質問者さんらご両親に依存しておられるだけではないですか?
それに対し、「逃避してはいけない」「まず自分で考えろ」と導くべき質問者さんらも、実質的には「放置」し、やはり「逃避」の一種を選択しておられる様に思えてなりません。

自分で考えたその先が、「自分で稼ぎ、自分で生きて行け!」と言う「自立」であり、そこまでが親の責任・責務ではないか?と考えます。

お子様に疎まれたり憎まれることなど、大した問題では無いですよ。
それらは、それこそ「反抗期」と言う、概ねの親が経験する通過点でしか有りません。
親子で殴り合いに発展する様な例でさえ、特に驚く様なコトではありません。

逆に、たとえ憎まれようと、殴り合おうとも、最終的にお子様が自立さえすれば、質問者さんは親としての成功者です。

「不安」や結果(お子様の幸福)に対する「恐れ」も要りませんし有りません。
それは漠然とした「未来」への不安や恐れであり、まだ先のコト。

お子様が、現実や未来から逃避し、重要なそれらを考えない「現状」「今」を怯えて下さい。
また、それを見過ごすことで、親が果たすべき最低限の責務から、今現在に逃避していることも。
更に何より、それらがお子様の未来の幸福の可能性を、昨日・今日・明日・・と日々減少させている点を!

必要なのは、それらを怯え、親としてやるべきことを「やる」だけです。
「出来る/出来ない」「可能か?不可能か?」と言う話しでは有りませんよ。
「やる/やらない」であり、「絶対にやる!」と「覚悟」すれば、絶対に出来ることです。
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私も息子を持つ親ですが・・・ちょっと質問者さんの感覚が理解出来ないです。



私自身には教育観などは無く、「子供を自立させること」のみしか考えていませんし、それが出来れば親の役割は終わりと考えています。

その先は、子供が自立的に考えた上で、親の協力や支援が必要なら、求めてくるでしょう。
逆にもし私が邪魔だったりすれば、考えた末に、私に牙を向いて立ち向かってくるかも知れませんが、それはそれで頼もしい限り。私も臨むところです。

一方、質問者さんは、お子様に何をお望みなんでしょうか?
お子様との「生涯に渡り、良好な関係」とかですか?
”言うのをやめないと朝まで寝ないよ”と脅され、なぜ「退場するしかありません。」なのでしょうか?
子供を自立させるべき親である質問者さんが、何らかお子様に依存していませんか?

「親でさえ脅せば勝てる」と言う概念が、社会で通用しますか?
そんな概念をお子様に植え付けて、お子様に有益ですか?
私なら「親を脅しているのか?」と逆に恫喝し、返答次第では殴り、家から叩き出しますよ。

社会では、たとえ自分が正しくとも、相手に従わねばならない局面が多々あります。
まして自分に理が無き場合に、相手に従わなければ、相応の制裁を受けます。
そう言う厳しいコトも、最初に教えてやるのが、親の役目ではないですか?
そう言う重要なコトを教えるためには、子供から「殺したい」と思われるほど、憎まれたり嫌われたりしたとしても、それを躊躇すべきでしょうか?
私は全く平気ですが・・・。

質問者さんが育てているのは、お子様では無いですよ。
未来の大人・親になる人格を育てておられるのです。
上から目線とか、子供と言う目線は、お捨てになられたら?

今のお子様などと判り合う必要など無いのではないでしょうか?
お子様が親になり、今の質問者さんと同じ様な思いをした時、質問者さんの気持ちが判れば良いのではないですか?
今の質問者さんは、その時の手本になる行動をして上げねばならないのです。

私の様に、殴る蹴るで解決しようとすれば、反面教師になるかも知れませんが・・・。
反面教師にでもなれれば、それでも手本でしょう。
一応は合格圏内と思ってますヨ。

質問者さんの今の行動は、将来のお子様に、何か手本やヒントになりますかね?

私なら、たとえば「学校に行くべき」だと思います。
従い、それが最適と考えたら、子供の首に縄を付けてでも、学校に引っ張って行くでしょう。
それが出来るのは、世界中で「親」しか居ないのだから。

息子は私の分身やコピーでは有りませんから、息子が大人や親になれば、自立して好きに生きれば良いです。
しかし自立するまでの間は、私が正しいと思う自立するための術は、私は強要しますヨ。
自信など無いですが、息子を自立させるために、他の術は無さそうだから。

もし私より上手く息子を自立させてくれる人がいれば、悩まず託しますけどね。
有史以来、そう言う存在は、まだ地球上に存在していないんじゃないでしょうか?
あるいは、全ての生物界を見まわしても、そう言う役割を担えるのは、やはり「親」しか居ないのかも知れません。

もし私が間違っており、私の振る舞いなどが原因で子供が自殺でもしちゃったら、私も生きてはいられません。
喜んで一緒に死んでやりますヨ。

いや、絶対に死なせませんね。
そんな心配があれば、仕事を辞めてでも、四六時中、見張ってます。
私は常にそれくらいの覚悟で、子供と接しています。
子どもが私の命で、私の命より子供が大事だからです。

とは言え、上述の通り、何より大事なコトを、最初に教えるのが親の役目です。
子供が物心ついた頃から、「死んではいけない。」「殺してもいけない。」は、教えているつもりです。
「自殺するくらいなら親でも遠慮せずに殺せ!」と言いつつ、「殺しちゃダメ。でも、いつでも消えてやるからな。」などとは教えていますよ。
また「死ぬなら先に言えヨ。その前に有り金をはたいて、好きなコトを全部させてやる。」などと約束もしてますし。

私は私の命より子供が大事です。
だから子供とは、多くの部分で、対等以上の関係で向かい合ってるつもりです。

遠慮やキレイ事などは、その先の話しではないでしょうか?
子供に気を使ったり、腫れモノに触る様に接する前に、親が命や全てを懸けて接したら、解決出来ない問題などあるでしょうか?

質問者さんが真剣に立ち向かっておられるのは重々承知ですが、親しか解決出来ない問題で、たとえ八方塞がりでも、絶対に諦めてはならず、解決せねばならない問題です。

学校に問題があれば、学校に乗り込んで下さい。
「既にそんなコトはやった!」などと仰るなら、反論する前に、問題が解決するまで、毎日でも乗り込んで下さい。
お子様のためにそれが出来るのは、世界中でも古今東西でも、質問者のみです。

私はそういうコトをしてきた人間です。
但し、モンスターペアレントでは有りません。
モンスターペアレントは、子供の自立に対し、有益ではないですから。
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この回答へのお礼

key00001さん、力強いアドバイスありがとうございました。
不登校になる前と不登校になった後の問題は別物と思います。
息子が何らかの理由(本人も分からない)でいけなくなってしまったのは事実です。
今一番苦しんでいるのは本人自身です。でもこのままの生活では何も解決しません。
ほんの少しの休憩が永遠の引きこもりになってしまったらそれこそ親の責任です。
今私達夫婦ができることはまず普通の生活リズムに戻すことだと思います。
逃避する為の道具がネットゲームであり、それが生活リズムを狂わせてしまっている
ならばアルコール依存症と同じで治療が必要です。
そのためにはkey00001さんの様な心構えが必要になってきます。
当然子供は切れ暴れるでしょう。
でも私達はその時、あなたの様な心持で対応できるかは自信がありません。
攻撃的な行動に出たら、私達はお財布と車のキーをもって逃げてしまうかもしれませんね。
でも結果を恐れている場合ではないことは承知です。
私達の背中を押してくれたkey00001さん、ありがとうございました。

お礼日時:2012/05/30 08:48

小生、元教師・現役予備校講師で、教育臨床論を専門にしているので、回答しておきたい


なお、語尾はタメ口になるが文章量の都合と理解されたい

>5月連休以降、中三になる息子が登校しなくなってしまいました。私達夫婦もこの現実に狼狽し、特に妻は自分を責め、毎晩苦しんでおります。今まで私達の描いていた価値観の見直しが迫ってきました。
周りの子供との比較ばかりに、学校というものが社会で自立するステップということの認識不足に愕然としました。

勘違いしないでほしいのだが、
”『学校というものが社会で自立するステップということの認識』がなかったから、不登校になった”とは限らない。
そして、周囲の子女との比較は悪いことではない。比較して評価する必要性もあるし、比較するに適さない場合がある、というケースバイケースの話である。
もっと重要なのは、当人の前で「あそこの子は・・・」という比較論をしないことである。

そして、本サイトでもたびたび指摘しているのだが、
狼狽・悲嘆に暮れるのは、当人の前では避けるべきである。当人も自責している状況で、更に家族まで自分のせいで苦しんでいる、という状況であれば、当人の心のある場所がなくなってしまう。
少なくとも、当人の前だけは、普段通りの生活であるように努力してほしい。
当人に必要なのは、周囲の日常生活であって、その周囲の日常生活の中に存在する自分について懸命に葛藤しつつ思慮しているのだから・・・
苦しみは、苦しみで吐き出すにしても、当人の前では避けて欲しい
吐き出す時は、吐き出し合う状況を積極的に創造した上で、家族の話し合う時にだけ・・と指摘しておきたい、

>学級委員、部活動の部長をやり責任感があのですが繊細さとまじめさが逆にストレスとなってしまったようです。それ以来部屋に閉じこもり、昼夜の逆転生活となりました。今私達の先ずやらなくてはいけないことは学校に行かせることでなくこの生活リズムを元に戻すことがすべてであります。

優先順位として、まず日常生活を思慮したことに賛同したい。むしろ、”学校へ”ではなく、「日常家庭生活への回帰」という選択肢は、正解だと思われる。
もっと当人の仔細状況次第の部分があるが、限定される情報から斟酌するに、妥当だと思う。
そして、日常生活に戻すために重要なことを助言しておきたい。
当人が家にいる動機を作るようにしてほしい。具体的にいえば、家事なり、家庭生活における役割を担うことが重要である。役割を持つことによって、自己の存在価値を家族で再認されれば、好意的な方向性になる可能性が高いだろう。

>わがまま放題に育てられた子供にはいまさらながら自分をコントロールできることできないと思います。何を言っても最後は”言うのをやめないと朝まで寝ないよ”との決まり文句。母親は子供の部屋から退場するしかありません。しばらく様子を見るというのがありますがこれでいいのでしょうか。

”寝ないでもいいよ”という路線で、会話し続ける方法もあろう。
その会話において日常生活で当人が担うべき役割を指定して、それを行わない限りは、「ブレーカーを落とす」などの制裁ありき、で対応するのも方法であろう。
昼夜逆転型の生活の子女は、電源なくば、夜の生活が営めない。もっとも、家出という危険性ものあるので対応策としては難しさがあるが、更生過程の一例としてお薦めしておく
様子見という姿勢はあるだろうが、時間が解決する部類の不登校とは思えない。

>反抗期ということで私と子供との間もうまくいっていません。
八方塞です。ご意見をよろしくお願いいたします。

中三では、おおよそ反抗期は終了しているはずである。
反抗期と思わないほうがいいだろう

さて、昼夜逆転の生活の改善方法として、上記したもの以外を指摘しておきたい

食料保管環境の統制である
夜型生活を維持するためには、夜中に食糧補給する必要性がある。
具体的には、夜は冷蔵庫に鍵を締めるのである。お小遣いなどを利用して買い食いする方法もあろうが、”小遣いなし”の状況になれば夜型生活が維持できない。
必然的に昼型になるが、この方法は完全ではない。(寝ている昼間に冷蔵庫をあさり食糧確保してしまう)
もっとも、手段として簡単である

ちなみに、読書の時間が「心の癒し」とは思い込まない方がいい
むしろ、不登校の自分に対する自責の情念から逃避する手段に変貌している可能性もある
ある意味、現実逃避としての読書だと推測できるが、昼夜逆転生活を返上するためには、電源まで落とす方法も検討するべきように思う。

・・・・・・・・・

とりあえず、スクールカウンセラーに相談するのが望ましい。
大型連休以降・・というのが気になるのだが、あくまでも可能性を示唆しておきたい

単なる五月病。中学三年生の五月病といえば、受験逃避。
進路関係の話などを自重するか?もっと強く展開するなりのアクションで動静を伺ってみるといいだろう

限定された情報からは判然としない部分が多いが、仔細補足情報があれば、助言したい

なお、愚痴の類は、ドンドン吐き出すべきであり、家庭の不幸を恥じることはない。
その不幸を放置することは恥じるべきだろうが、解決しようと努力することは、無駄ではないのだから
吐き出すことで沈んだ気分が幾分か和らぐならば、いいが、愚痴ることで自己嫌悪するならその限りではない。
同時に、こう指摘しておきたい
不登校は問題ではない。不登校であろうとも人として恥じ入ることがないなら良いのである
不登校であることは悪いことではない。不登校であろうとも社会的に意味をなしえる存在であればいい
学校が当人の価値を高めるわけでもない。当人の価値は当人でしか変化させられないのである

したがって、保護者としては、毅然とした態度で、不登校よりも 昼夜逆転生活の改善の道を思慮されるのが望ましいだろう

以上
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この回答へのお礼

事細かくご指摘ありがとうございました。
本当に苦しんでいるのは息子です。
家族でその思いを共有し、少しでも今の状況を改善させて行こうという姿勢が大事ですね。
いつの日か笑って話し合える時が来ると思います。
改めて本当の幸せが何なのか気づかせてくれた息子に感謝です。

お礼日時:2012/05/24 09:18

狼狽しても、文章はきちんと改行くらいするものです


読みづらい
お子さんに対しても同じでは?

残念ですがこれで受験も進学も、もう終わると思うしかありません

今何を言っても、意味ありませんし
何をしても徒労に終わるだけです

やるべきことは、治療です
必要なら入院させる

親をバカにして舐め切っています
親の存在は、飯炊きと掃除、洗濯だけ

しばらくは、死んだものとして
放って置きましょう
気に病む必要はありません

中三です
結果どうなるかはわかっています
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この回答へのお礼

お見苦しい点申し訳ありませんでした。
結局は本人の意思次第ということですね。
幸せの基準ということを考えさせられた今回の出来事、
原点に立って、子供の成長を見守って行きます。
激励に感謝です。
ありがとうございました。

お礼日時:2012/05/24 17:02

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