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平清盛を見ていて、昔から疑問に思っていたことを思い出したのですが、
日本の鎧はかなり隙間だらけなのですが、あれで十分に防御できたのでしょうか?

西洋の鎧だと前身くまなく覆って隙間も鎖かたびらで防いでいますが、日本の
それだと、隙間を狙われるとかなり弱い感じがします。

あと、なぜ手持ちの盾を装備していないのも不思議です。

A 回答 (7件)

 鎧については,西洋でも時代による変遷があります。

全身をくまなく覆ったプレートアーマーが発達するのは15世紀頃からで,それ以前は西洋でもチェインメイルやスケールアーマー,ブリガンディンといった鎧が重武装の主流でした。特にブリガンディンは,革鎧などの内側に鉄板を規則正しく並べて防御力を高めたもので,基本的な発想も防御力の程度も日本の鎧と大して変わらないと思われます。
 プレートアーマーが発達したのは,銃による攻撃から身を守るためですが,機動性をかなり犠牲にしており,騎士が落馬すると身動きが取れなくなってしまうような代物もありました。16世紀に入り,さらに銃が発達すると,もはやプレートアーマーでも銃による攻撃を防ぐことができなくなり,実戦で用いられる鎧は腕や足の防御を諦めた胸甲などが中心となり,次第に甲冑そのものが用いられなくなっていきました。
 日本人の多くが知っている全身をくまなく覆ったプレートアーマーは,実は馬上試合用や儀礼用,装飾用といったものが多く,実戦であのような鎧が多用された時期はそれほど長くありません。金属加工技術や発達すると,比較的軽くて丈夫な金属鎧も開発されたようですが,その防御力も銃の前には絶対的なものではなく,しかも実際には高価すぎて一部の王侯貴族しか着用できませんでした。
 盾については,西洋でもそれほど意味があったわけではなく,あまり丈夫で重いものを作っても戦闘に支障を来すので,むしろ木製などわざと壊れやすい素材で作り,敵の攻撃を盾で防ぐと,敵の武器が盾に食い込んで使えなくなってしまうようにするのが盾の主な役割でした。盾は単なる使い捨てで,使えなくなったら武器だけを持って戦うのです。しかも,最初に投げ槍などで攻撃されれば,それを防ぐ段階で盾が壊れてしまうので,防具としてもあまり有用とはいえませんでした。
 日本では,武器として両手持ちの刀が発達し,それを使いこなすための剣術も発達したほか,西洋のような使い捨ての盾という発想も日本人の美意識には合わなかったでしょうから,盾があまり普及しなかったのも不思議ではありません。
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平清盛の時代の甲冑に限定してお答えしますと、騎射に特化した大鎧で、騎乗すると全身を守るのに非常に合理的な構造となります。


札による構成は柔軟な動きができる上に、馬上ではゆれて矢の威力を半減させます。
また、一見隙間だらけの肩から首にかけても馬上で弓を持っていると大袖が肩から胸を覆い、頭も下げるので庇で顔も防御できます。
このため、馬上での弓矢の打ち合いは遠距離ではほとんど効果がなく、接近してのすれ違いざまにわずかな隙間に矢を放つという高度なテクニックが必要でした。
大鎧に関しては、主流であった馬上での弓矢の戦いでは全身を防御できていたのです。

この基本構造は騎射が廃れ歩兵戦が主流になった時代でも通用しました(不足部分は喉輪や佩楯などが補う)。ちなみに戦国時代でも合戦の死傷率はあまり高くありません。
特に肩の袖は小型化しましたが、武器を持った際に前にたらすことにより両手を塞ぐことなく肩・胸を守ることができました。日本の戦闘においては盾を持つよりも合理的だったわけです。

動きやすさと防御のバランスを上手くとった構造といえるでしょう。
動きやすさを犠牲にして防御に特化した鎧とそれを砕く武器との競合が続いた西洋とは別の面白みがありますね。
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 日本は山が多く、軽量な鎧が必要でした。



 また、実戦では斜面などの戦闘で
  片手で武器を扱わざるえない場面の方が多くあったようです。
  なので盾は邪魔になるだけのようでした。

 西洋鎧は後期のものになると、技術が進み、
  転んでも自力で起き上がれたり、
  人によっては鎧を着たまま逆立ちをすることができたようです。
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”日本の鎧はかなり隙間だらけなのですが、あれで十分に防御できたのでしょうか”


    ↑
十分ではありませんでした。
鎧通という小さいが堅牢な刀で、隙間を狙い
ました。

ただこれにはメリットもあります。
(1)自由に動き回ることができる。
 間接まで防御している西洋鎧では動きが鈍い。
(2)湿気が多い日本では、密封式の鎧では耐えられない。
 特に長時間の行軍などでは不可能。


”手持ちの盾を装備していないのも不思議です”    
     ↑
日本刀が専ら両手で扱う刀だったからです。
身体の小さい日本人が片手で相手に致命傷を
負わせるのは困難です。
だから、両手刀が発達しました。
従って、盾を持つことが出来ません。

その反面、両手で扱うので、威力とスピードに
おいて西洋剣術を凌駕しています。
幕末、英国人水夫二人が、榊原健吉の道場に乗り込んで
サーブルVS竹刀 の試合が行われたことが
あります。
日本の習いとして、一番弱い弟子が相手をしましたが
圧勝した、という記録が残っています。
これなどは両手刀と片手刀の違いだと思っています。
尚、その水兵二人は、榊原健吉の弟子になっています。
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日本の鎧、つまり日本兜・甲冑は、今の剣道の防具に名残があります。



動き回れますよね。高校くらいだと暴れ回っていますよね。戦国時代の当世具足もこのくらい動き回れます。

西洋の甲冑は、機動性が悪く、一人で装着できません。時期によっては落馬、もしくは転倒すると自力で立てないので、死、あるのみです。基本的にプレートを重ねて作っているからです。

日本の甲冑は、プレートやチェイン・メイルを布と紐で組み合わせて、スネからアタマまで防護しています。スネは今でも薙刀で使っていますが、このようにカラダの各部各部にあわせたパーツを装着していきますが、あるパーツが他のパーツの機能・動きに邪魔にならないように組み合わされています。

無理に隙間をなくして機動性を犠牲にしたのが西洋の甲冑です。日本の鎧兜はまぐれのような隙間へのヒットより、機動性と、量産することにウェイトがありました。

両手を使うこと前提に作ってあるので刀を両手で保持し強力な打突を可能にしています。馬上から弓をいることも簡単です。また、戦国時代末期には西洋の甲冑技術も入ってきており、鉄砲の導入にあわせるように、南蛮甲冑のようなボディプレートにも出てきます。そして、隙間にチェイン・メイルを使うようになります。同じ時代の欧州ではネーデルランド反乱戦争をしていましたが、日本の甲冑・具足ほど兵士の装備はよくありません。

日本の鎧兜は暑くて湿度の高い日本で使うこと前提に進化しました。
剣道では小手で一本とれますが、実戦で小手をやると刀が持てなくなるので非常に効果があります。面・胴だと即死ですよね。でも、竹刀でふせげるのできれいに一本とるのは至難の業です。盾、いりません。

体育とかで剣道やるとわかりますが、あれでかなり防げます。私、一応三段で、イタイ思いはたくさんしました。経験から回答していますが、お納めください。
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力の差です。

体格が違うのです。西洋人はひたすら肉を食べてフィジカルを鍛えます。日本人はひたすら技を磨いて術を鍛えるのです。非力を技術で補うのが日本人の戦い方だった。鎧は、ひたすら軽量化が求められました。片手では力が無いから打撃を与えられない。だから両手刀が発達しました。両手とも攻撃に使いますから、盾を持つ手が空いていないわけです。日本の盾は地面において矢を防ぐためのものでした。皮を切らせて肉を斬る。肉を切らせて骨を絶つ。攻撃は最大の防御。
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隙間だらけで塞ぎ切れなかったでしょうね。


それでも鎧の重さは30kg近くあったそうですね。

盾が無いのは扱いにくいからだと思います。
馬に乗る武士の槍の長さは、馬に乗りながら扱える長さ。
しかし足軽の槍は馬に乗る武士よりも長い槍を使います。
とても盾を使える状態ではないと考えられます。
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