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こんばんは、

白いマラサイです。
今回は名詞の連体形について問題があります。
「学生な日々」のような、学生と日々も同じく名詞でしょうか、なぜその間に「な」を使いますか。

辞書に調べたら、「な」は助動詞「だ」の連体形であり、他の語に接続とき使っている、例えば、「学生なので」。

けど、なぜ名詞と名詞の接続は「な」を使いますか、 「学生の日々」ではだめですか?

お願いします。

A 回答 (5件)

名詞の連体形とはうまいこと言いましたね。



日本語は単語の後ろになんやかんやがくっついて、いろんな変化をするのが特徴らしいです。
元はどんな言葉だったのかよくわかりませんが、とにかく単語の後ろの部分がその単語の性質を決めています。

で、その流れで、それと同じようにして新しい単語を作る、というワザが受け継がれてきました。外来語によく使われます。
後ろに「る」をつければ動詞。サボる。写メる。元は動詞か、動作を表す名詞です。
後ろに「い」をつければ形容詞。ナウい。きもい。テツい。元は様子を表す言葉です。

で、後ろに「な」をつければ形容動詞なんですね。これはもう、あらゆる名詞に付くと言ってもいいでしょう。ただ、それが通用するかどうかは別として。
パソコンな日々。テニスな毎日。うどんな生活。

「学生な」は一言で言えば「勝手に作った形容動詞」です。


いいかわるいか、好きか嫌いか、使うかどうかは別ですよ。私は努めて使いません。

この回答への補足

marisukaさん、
ご説明ありがとうございます、失礼しますが、ご説明について、もう一つの問題があって、
教科書によると、「その日、彼女は僕と一緒だったから、犯人なわけがない」という言葉で、「犯人なわけがない」のようなことはmarisukaの言ったことと同じ意味が持っていますか。

すみません、日本語が下手なので、もう少し説明してもらえませんか。
ありがとうございます。

補足日時:2012/06/11 23:17
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 日本語の成り立ちから考えれば、形容動詞の語尾の「だ」も、断定の助動詞「だ」も、元は同じ物なのでしょう。

要するに「こうなんだ!」と決めつける働きです。だから、形容動詞の存在を認めない文法まであるくらいです。

 様子や状態を表す名詞に「だ」がついたものが形容動詞、と考えてください。
 「学生」や「犯人」は様子や状態ではなく、物を表す名詞です。でも、この文の話者・書き手は、わざとその物の持つ性質に注目し、その性質に「だ」を付けて形容動詞にしてしまった、ということでしょう。

 しかし、「犯人」という名詞に助動詞「だ」がついた、その助動詞が活用して連体形「な」になった、という解釈も、文法的にはまちがいではないと言えます。ただ、そのやり方は、形容動詞と紛らわしいため、あまり多くの人が使わないのです。「犯人であるわけがない」「犯人のわけがない」という、もっと明瞭な形が存在するからです。同じ意味を表せるいくつかの方法がある場合、いちばんよく使われてきた方法が、文法的に正当とされやすいのです。


 でも、そんな「学生な」とか「犯人な」などの例文を載せるのは、あまりいいテキストとは思えませんね。基本からはずれていますよ。
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この回答へのお礼

marisuka さん、

もう一度ご回答ありがとうございます。
この「犯人なわけがない」を乗っている教科書は、確かに間違っているところが多いですから、やはり、その内容をしっかりとしらべなければ正しくない知識を勉強してしまうかもしれません。

とにかく、ありがとうございます。

お礼日時:2012/06/17 01:08

「学生な日々」は「学生」を形容動詞として扱っていることになります。


形容動詞というものをわかりやすく説明するために他の例をあげてみましょう。
たとえば、「静寂」は名詞でもあり形容動詞でもあります。
形容動詞というのは、形容詞と同じく【性質や状態を表す用言】のひとつで、殆んどの形容動詞は名詞から生まれています。
「静寂な日々」は「静寂という性質を持った日々」という意味になります。
「学生な日々」は「学生という性質を持った日々」という意味になります。

「静寂という性質」はすぐに理解できると思います。
では、「学生という性質」とは何か?
そんな性質なんか存在しない、と解釈すれば、「学生な日々」は間違った表現ということになります。
しかし、
「労働を免除され、自分の好きな勉強や研究に没頭したり、自由な時間を謳歌できる」を「学生という性質」と捉えることも可能でしょう。
そのような性質を持っている日々、という意味で、形容動詞的な「学生な日々」という表現は可能だと個人的には思います。
「学生の日々」は、「学生という状態の日々」という【事実のみの表現】にすぎません。
その性質について表現しようとする意図が無いので、同じ意味にはなりません。

「学生」という名詞に「学生の性質という意味」も付与させて形容動詞として扱っているわけですが、良くも悪くも奇抜で斬新な発想である、ということが言えるでしょう。
個人的には理解できます。
      
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この回答へのお礼

詳しい説明がありがとうございます

お礼日時:2012/06/14 23:54

学生な日々、正常な言い方ではありません。


どこで聞かれたのかわかりませんが、学生の間で使われる俗語だと思います。
学生の日々は学生の毎日という意味なので、学生の日々は勉強に就職活動にと大変忙しい。
などと使えます。「な」はこの場合間違った使い方です。
名詞にながつくのは名詞ではあるが形容動詞にもなる言葉です。
例えば優秀 彼は優秀です。名詞 彼は優秀な成績です。形容動詞

学生の頃~学生であった日々のこと、という意味で使えます。
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この回答へのお礼

確かに「学生な日々」というのはちょっとおかしいって感じがあるかもしれませんね。とにかく、ありがとうございます。

お礼日時:2012/06/14 23:58

>学生な日々


文法的に間違っています。「な」が用いられるのは,その前に形容動詞がくるときに限られます。
したがってこの場合は「学生の日々」が正しい。
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