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『(理想的な)絶対無』は、
『未知の全存在』をも許容範囲に含み尽くせるのでしょうか?

A 回答 (7件)

#6の者です。



>想像上の可能世界を超越しているのでしょうか?

この現実自体が「想像上」のものに過ぎない、という事です。
観察者の不完全性により、不確定性原理の無限不確定化
が回避され、階層現象表面的(仮想的)に有限的存在性が
派生する時、その仮想性を除外した“観察者とは独立した
存在”というものはない=「無いとは分からない事が有」と
言えるのです。
元々本質的に無である時、あらゆる“可能性”を包含する事
など容易です。

この回答への補足

有り難う御座います。

非常に勉強になり、助かりました。

補足日時:2012/06/22 13:36
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この回答へのお礼

http://okwave.jp/qa/q7554125.html
上記のページでも、御教授を賜れませんでしょうか?

お礼日時:2012/06/25 13:55

#4の者です。



>状態の平板化は存在の無効化と同じなのでしょうか?

絶対無が不確定的な無限性(不確定性が無限大になる
=不確定なものが無限に詰まる)と等価であるという時、
それは「存在の無効化」を超えて、観察者自体も含んでの
“相対性の無効化”だと言えます。

この回答への補足

有り難う御座います。

『(共同主観性から解脱した後の)客体的な無我』もが『絶対無』に包含されているのでしたら、想像上の可能世界を超越しているのでしょうか?

補足日時:2012/06/22 12:24
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>『未知の全存在』をも許容範囲に含み尽くせるのでしょうか?



 ま、含み尽くせることになるんだろう・・・たぶん。 と言うところでしょう。
 なんせ、未知の事柄について、断言できませんし。

 『(理想的な)絶対無』と『未知の全存在』は同じものとなるでしょう。
 視点が異なるだけなんですが、自分が「全存在」の中に入っているので、その外側からの視点を
 確定できないってことですね。



 

この回答への補足

有り難う御座います。

純粋に質問の意図を汲んで下さいまして、
嬉しく思います。

因みに、私の言葉が不足していましたので、
追記を致しますと、下記の通りの内容になります。

つまり、
「『(あらゆる)認識主体の完全な客体化』が維持されている段階に於きましては、『未知の森羅万象』が『絶対無』へと織り込まれていくのでしょうか?」、
という内容です。

補足日時:2012/06/22 11:47
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全ての存在が不確定性原理の確率的本質を持つ以上、


無限に重ね合わせれば、特定の波形には必ずそれを
打ち消す波形が約束され、存在確率の山は平らにな
ります。
この「不確定性無限=絶対無」において、そこから
引く事(それによって相殺されていた波形の顕在化)
と、加える事は等価となります。

たとえば、通常の粒子は輻射して低エネルギー状態
に落ち込むが、実はエネルギー0(静止)状態の下
にも負エネルギー状態があり、エネルギーを放出し
ながら加速する(引っ張ると遠ざかる)という奇妙
な負エネルギー粒子の存在を予言し、加えて全ての
通常な粒子はエネルギーを放出してその状態に陥る
=安定しないはず、という結論に至ります。

発見したディラックは、その奇妙な状態の先に現状を
導きました‥‥どんどんエネルギーを放出し負エネル
ギー状態に落ち込んで、全てのエネルギー準位が充た
されれば、それ以上落ち込まなくなり安定する、とい
う話で。
彼はその結果として、エネルギーを集中すれば負エネ
ルギー状態の粒子は正エネルギー状態にたたき出され、
その跡は、ギッシリ詰まった負エネルギー粒子の空白
=正エネルギー粒子として捉えられ、しかも通常の
粒子の反対の性質を持つ、即ち反粒子の存在を予言し
たのです。

ところがそれとは別に、相対性理論において、物質と
エネルギーの互換性が指摘され、エネルギーを集中す
ると粒子が発生する、ただし粒子数などの保存のため、
逆の性質を持った反粒子との対発生の形をとると予言
されました。

実はこの2つの物理現象は等価である事が、明らかと
なっています。
「負粒子が詰まった状態」と「何もない状態」が同じ
とは、どういう事か?
最初に述べた「存在確率の山が平らになった状態」は、
波が重なって干渉して消えた状態だと言えますが、
「その波を形成していた水はあるのでは?」と指摘さ
れがちです(エネルギー0の平面から高いレベルでの
「平面」だろう、ていう)。
しかし、元々の「エネルギー0の平面」を海抜0mの
水面とするなら、通常ならそれは海岸線を基準に決定
されるところ、この“ディラックの海”には陸地もなければ
海底もない、即ち「平らになったらそこが0」なのです。

人は「足す」という事は「引く」の反対だと考えがちですが、
それが等価になる時、無と無限もまた等価になるのです。

この回答への補足

有り難う御座います。

状態の平板化は存在の無効化と同じなのでしょうか?

私のレベルが低過ぎるせいで、酷く格好が悪いのですが、
御教授を賜れますと、助かります。

補足日時:2012/06/22 11:47
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追加質問に感謝@記不足でゴメン



時間軸を考慮に入れない ある瞬間からの未来になら
絶対無もあり得ると思うけど それは限定無ですよね?

全存在には 解脱前時間の認識存在も含まれるかと、

この回答への補足

有り難う御座います。

確かにそうですね。

御想像の通りに、
私は時間軸の逆行の可能性を見落としていました。

補足日時:2012/06/22 11:47
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【我思う故に我あり】かな



【私輩の今】がある時点で
【絶対無】は無いと思うよ

既知の存在が存在するから

この回答への補足

有り難う御座います。

確かに、若し認識主体の我が存在していましたら、
其の時点で、『絶対無』が成り立たなくなりますが、
全てが『無我への解脱』を果たし終えている状況の下では、
たとえ誰からも其の状況が認識されませんでしても、
寧ろ『絶対無』の条件を満たせるのではないでしょうか?

補足日時:2012/06/22 05:27
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 次のように考えます。



 ★ 『(理想的な)絶対無』
 ☆ 絶対有にせよ絶対無にせよ 《絶対》には ここまで来れば《理想的》であって ここまでに留まれば理想的ではないといった見方は 出て来ません。

 全部が 理想どおりだと言えば 理想どおりです。

 あるいは この理想というのは 人間の考えによって判断した内容を言っていますが 《絶対》にかんしては この人間の判断を超えていると言うべきでしょう。


 ★ 『絶対無』は、『未知の全存在』をも許容範囲に含み尽くせるのでしょうか?
 ☆ もし《未知》というのであれば そのものごとは 経験的な事物です。既知も未知も(――未知は やがて知り得ましょうから――)そして不可知でさえ(――不可知は 《知り得ない》と知り得たことですから 経験事象です――) 経験世界に属します。

 ゆえに 《絶対》は まづ この経験世界を超えています。非経験の場を言います。経験的な合理性あるいは因果関係から自由な非経験の場を言います。

 つぎに 経験現象から自由だということは その経験世界をむしろ覆いつつむと 〔これは 単なる〕推理〔ですが〕され得ます。
 言いかえると 推理としては
 (1) 絶対なる非経験の場は 経験世界とは それこそ絶対的に隔たっているという推理。
 (2) それでも 《絶対》は この経験事象という相対世界と激しく接していると推理する場合がある。あるいは 指先で触れるように そうっと触れているかも知れないという想像。
 (3) 絶対は 経験世界を ニュートリノのごとくつねに突き抜けている。
 (4) 絶対は この経験世界の到るところに臨在している。神〔の霊〕の遍在説。

 ですから (4)の遍在説に立てば 
 ★ 『絶対無』は、『未知の全存在』をも許容範囲に含み尽くしている
 ☆ と考えられます。《許容範囲に》と言いますか 難なく無理なくそのまま全経験世界を 覆いつつんでいると推定しうると思います。






 ★ 断片を取り出させてくれ得ない全体
 ☆ これは 経験世界のことを言っているのではなく 絶対世界のことだと見ます。
 《絶対》は 《無限》のことです。

 すなわち 無限を二で割っても三で割っても その商は やはり無限です。
 無限から一部分としての断片を取り出したとしても その断片もあとの残りも どちらも無限なる全体だとなります。経験合理性を超えています。人間の成しうるあらゆる論理やそれによる規定から自由な世界です。

 また それゆえにこそ 絶対=無限=非経験の場は――つまり 一般に神のことですが 神は―― 相対=有限=経験世界を覆いつつんでいると考えられます。

この回答への補足

有り難う御座います。

『実数的な経験対象世界』と『(想像上の)複素数的な可能世界』と『(其の他の)イデア世界』との境界線を、『絶対無』は無効化するのでしょうか?

補足日時:2012/06/22 01:15
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