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アキレスと亀のパラドックスを説明するのに無限等比級数が出てきて、収束しますが、現実には無限の操作なんてできっこないんだから結局は意味ないんじゃないんですか?

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A 回答 (7件)

 お礼、ありがとうございます。

#6他です。

>1+1=2に数百ページも使うなんて・・・。ゲーデルってすごいですね。

 おおお…、お分かりいただけましたか。拙い回答からくみ取っていただいたことを感謝します。

 はい、ゲーデルは凄いです。ゲーデルは物理学にも言及していて、なんと時間が閉じた宇宙の数式解を出しています。恐るべき宇宙です。今は量子力学による確率論で未来は決定していないとされていますが、そうでない宇宙があり得ることを数式で示したのです。

 只者ではありません。宇宙論は、きちんと論じるには、最低でも一般相対性理論と(特殊相対論的)量子力学が分からねばならないと、碩学に教わったことがあります。試みて、その通りでした。私ごときでは返り討ちです。

 そこには、無限がいっぱいあります。物理学は無限大が出ると答が出せないんですけど、ゲーデルは(外野から見た目は)いともたやすく突破したわけです。実は物凄く努力したと思います。

 特殊相対論でアインシュタインに先んじたのも、数学者ポアンカレでした。天才的なアイデアはポアンカレのものだったわけです。だらかホーキング博士も敬意を表するのでしょう。

 惜しむらくは、ポアンカレは物理より数学だったのでしょうね。アインシュタインの元論文は野暮ったいものでした。アインシュタインの数学教師のミンコフスキーがすっきりした形に書き直さねば、注目されなかったかもしれません。ポアンカレなら、突き詰める気があれば、ミンコフスキーの分もやったでしょうね。

 私ら物理ファンはもちろん、物理で飯を食う「物理屋」(物理学者を超える尊称です)は、結局は数学者には敵わないのでしょう。

 それでいいと思っています。

 しかし、質問者様が最初に疑念に思われたことは、決してどうでもいいことではありません。

 疑うことが無ければ、進歩はありませんから。実は、私は質問者様が疑念に思われたことを思いつく事すらできませんでした。得たものを使うことしか興味が無くて。

 だからといって物理に関わる人、それは私自分を含めて自分を卑下はしません。そもそも私は工学屋です。しかし、何事も疑念に思う人は究める人です。当たり前の裏にあることを見抜くにはそうでなくてはいけません。それでいいのだと思います。
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 補足、承りました。

#4他です。

>すみませんでもその質問にあなたは答えてくれてない気がします・・。

 その質問とは、ゲーデルの不完全性定理ですか? それでしたら、前回(#4)でお答えしております。念のため、再掲いたします。

> ゲーデルが示したのはヒルベルトの公理主義(数学を規定する数学)の完全性と無矛盾性が、その公理体系で証明不可能ということで、ゲンツェンは数学での数論の無矛盾性ですからね。両者の証明についての対象は違うものです。

 ゲンツェンはゲーデルの不完全性定理を否定するものではないということです。

 こと無限に関しては数学の証明手段を放棄してでも数学の完璧性を期した直観主義に対し、当時の大数学者ヒルベルトは、それを嫌い、公理主義による数学の整備というプランを提唱したわけです。

 数学を規定する数学、それを超数学、あるいはメタ数学と呼んでもいいですが、そこで無限が現れなければいいとしたわけです。

 当時まだ若かったゲーデルは、おそらくはそれに敬意を表しつつも、検証してみたら、自然数論ですら完全性も無矛盾性も証明できないと論証せざるを得ませんでした。超数学・メタ数学の範囲では、ですね。

 もちろん、メタ数学で規定される数学に無限は当たり前に表れます。たとえば自然数に上限はありません。そして、たとえば自然数を0から順番に並べた無限個の要素の集合では、必ずそれに含まれない自然数があることは申し上げました。素朴集合論が破たんする例です。

 ゲーデルの論証について、その後も反論は試みられています。しかし、自然数論に超越数を持ち込んだりと、誰もが納得するものは現れていません。

 もし「その質問」が元々の無限についてのものでしたら、私以外に良い回答が既にあります。もう「無限大の回数ができるか否か」なんてレベルで数学は悩んだりしていないのです。もっと無限の謎に迫ろうと試みられています。

 私は、あまりにも気味が悪いので、そいうことを扱う数学基礎論にあまり立ち入らないようにしていますが(正気を保てる自身が無い)、もし質問者様が無限を含めて、数学がどうして数学として正しいかにご興味があれば、数学基礎論を熱心に、しかし慎重に学ばれることをお勧めします。

 それは、1+1=2として良いことを示すのに、数百ページも費やすような世界ですが(数学原論という本がそう)。何の前提も無しに、数学を組み上げて行くのですから、基礎論をやる人にすれば、それくらいは当たり前のようです。しかし、私は物理とかに数学の助けを借りたいだけなので、そこまで立ち入る余裕はありません。また、あまりにも厳密過ぎて、一般人の私では、方法論が尋常に見えません(それが正気を保つ自信が無い理由の一つ)。
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この回答へのお礼

長文ありがとうございます。 1+1=2に数百ページも使うなんて・・・。ゲーデルってすごいですね。

お礼日時:2012/06/26 20:15

1=0.9999・・・・・・ を認めることだと思います。


それは、コーシー列の収束(有界な集合は集積点を持つ)に表されています。

・・・・・・の数が無限個無いのでは?というご質問であられますが、
僕は、宇宙空間の総電子数という途方も無い大きな数を無限個と考えていいのではという立場です。
応用数学・数理工学の立場におりますので、数学基礎論は趣味程度でしかありませんので、厳密な議論は出来ないとの言い訳した上ですが、無限の操作を出来ないということは本当なのでしょうか?地球が滅びないという前提の上で、ある人が1+1、2+1、3+1、とどんどん計算していくとします。死ぬ前に、次の人にバトンタッチするとすると、その計算は人類が滅亡しない限り永遠に続く可能性は否定出来ません。しかし、この考えでは、無限とは具体的に表せる数値数があることになります。なので、宇宙空間の総電子数を考えることにしたのです。

アキレスと亀のパラドックスに対する解答には様々なものがあると思います。ご専門にされるのなら、様々な考えを知り、自分で考えていかれることが大事だと思います。また、他ご回答者さんに、信頼出来る数学基礎論的な解答をされている方がおられましたので、よくよく、「頭を柔らかく」考えることが大事であると思います。
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 補足、承りました。

#3です。

>ゲーデルの不完全性定理のあと、論理学者ゲンツェンが自然数論の無矛盾性を証明したんじゃないんですか?

 ゲーデルが示したのはヒルベルトの公理主義(数学を規定する数学)の完全性と無矛盾性が、その公理体系で証明不可能ということで、ゲンツェンは数学での数論の無矛盾性ですからね。両者の証明についての対象は違うものです。

 それはそういうものだとして、それが無限の有無や取扱について、どういう関係があるのでしょうか?
 ご質問は「無限の操作なんてできっこないんだから結局は意味ない」かどうかではないのですか?

この回答への補足

すみませんでもその質問にあなたは答えてくれてない気がします・・。

補足日時:2012/06/25 20:45
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 確かに無限回の操作はできません。

ゼノンの狙いもそこでしょう。

 しかし、古代ギリシア以降、数学は発達し「もし無限回ならどうなる?」に答える手段を開発しました。

 それは、「だいたいこうじゃないの?」なんて生易しいものではありません。まあ、実は、その手法の開発途中には間違いもあったようなんですけどね。

 そして、デルタ-イプシロン論法などを始めとする、強力な数学が開発されました。もう無限など怖くはありません。

 それでも、無限については拒否する数学もありました。直観主義といいます。数学の完全性を守るため。天才の仕事です。無限とは操作を繰り返す制限の無いものだということになりました。そのため、数学の強力な証明手段も捨てることを厭いませんでした。

 これに対して、無限はあるとする人々の中にも天才が現れました。その天才は言いました。「よろしい。数学に無限大は無い。しかし、数学に無限大が現れたとしても、その数学を規定する数学が、それを有限回の操作で済ませれば、それでいいね?」と。

 こうして数学に無限があっても、それを規定する数学が有限なら良いことになりました。その無限は、実無限とも呼ばれます。そして、そういう数学を規定する数学で整合性があれば良いとする立場を公理主義と言います。しかし直観主義が完全に納得したわけではありません。

 そこへ、有名なゲーデルが現れました。彼は自然数について論じ、それが無矛盾とも完全とも証明できないことを示しました。これには非常に強力な対角線論法というものが使われています。それを使うと、たとえば、0から無限大まで自然数を並べても、その中にない自然数があることを示せたりします。

 もう「無限どこ行ったあっ!」てな状況です。いやいや、無限が絡んだことなんですけどね。

 当然ですが、無限について考察が為され、定義もされました。操作だろうが実だろうが、もう関係ありません。あるなしも関係ありません。でも、考えることはできるということです。

 初歩的な数学でもlimという記号を用いて数式で無限を扱います。数式の出す答えとして、無限も許容します。

 でも数学での無限はもっと深くまで考察されています。たとえば、数直線で0~1の間にある有理数を全て集めた「長さ」は0です。有理数全てを集めても、点に収まってしまうのです。無理数だと、「長さ」は1になります。

 こうして無限には「濃度」があることが分かってきました。有理数全ての集合は無限大でも、集めると点に収まってしまう。こういうのをアレフ0といいます。無理数はアレフ1です。無理数は有理数より「濃い」のです。

 アレフ2があるかどうか、分かっていません。

 無限については、そんな状況です。ゼノンの論法など、今や幼稚でしかありません。数学のしもべである物理学も、無限は困るけど、無限はあると言っています。たとえば、ブラックホールに落ちて行くと、無限が2回あると言っています。無限が2回。なんのこっちゃと思えますが、きちんと数式に現れます。無限が怖くては、数学、そしてそのしもべたる物理学はやってられません。

この回答への補足

ゲーデルの不完全性定理のあと、論理学者ゲンツェンが自然数論の無矛盾性を証明したんじゃないんですか?

補足日時:2012/06/25 00:30
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 アキレスと亀のパラドックスには、アキレスと亀の間の距離の無限分割が出てきます。

「無限の操作なんてできっこない」から無意味とすれば、アキレスと亀のパラドックス自体が無意味になります。

 アキレスと亀のパラドックスを語った時点で、無限操作を認めた訳ですから、無限等比級数の結果も認めて良いんじゃないですか?。

 無限等比級数は、アキレスと亀のパラドックスがそういう問題設定を行ったので、仕方なく使ってるだけです。
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何が意味ないと思うのですか?



無限級数は意味ありますけど。
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