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現代は「ストレス社会」とよく聞きますが昔と何が違うのですか?

情報化社会だから?

ストレス耐性が低い人が増えた?

昔もストレスはあったはずですが…

頭脳労働より肉体労働の方がストレスは溜まりにくいのですか?

それを当てはめると第三次産業が発展してきてから変わったのでしょうか?

江戸時代は別の意味でストレス社会だったようにも感じますが…

A 回答 (5件)

処理量の増加と、スピードアップが原因でしょう。



引き算していけば判り易いです。

たとえば20年くらい前、1990年代初頭のバブル期と比べますと、PCも携帯電話も、今ほど普及していませんでした。
自分が出張や外出していれば、たとえ職場で緊急事態が発生していても、「それでは仕方ない」で片付いていたこともあったワケですが、今だと携帯にバンバン連絡が入り、モバイルPCで処理を求められます。

更に20年さかのぼれば、高度経済成長などと言われた時代で、この頃は電卓が現在のPCの何倍もの値段と言う時代でした。
当時の物価で言えば、電卓が100万円くらいした時代で・・・主戦力はソロバンですよ。
表計算ソフトなども無く、手書きで罫線を引いた表をつくり、ソロバンで縦横計算してたんですよ。
「あ~間違えた!」なんて言いながら、せいぜいA3で1cm幅くらいの荒い表を、一日掛かりで作ってたんです。

なんともノンビリした時代と感じませんか?
違う言い方をしますと、当時の人間は、今じゃ使い物にはならないです。
間違い無くビジネスマンに求められる要求水準は、引き上がってます。

おまけに、バブルにせよ高度経済成長にせよ、「真面目に働けば、そこそこ豊かになる」と言うビジョンは有ったんですよね。
何倍もの量や速度を求められ、豊かになれる明確なビジョンが無い時代に、ストレスを感じるのは仕方が無いとは思います。

ただ、それでも時代が要求するスタイルに合わせ、真面目に働くしか無いです。
昔も今も、変わってないのは、コッチだと思いますし、質問者さんの「今も昔も同じでは?」と言うのも、この部分ではないでしょうか?

社会が複雑化,高度化し、量と速度も求められ、環境適合が難しくなってきているのかも知れません。
その結果、人間の環境適合能力が、限界に近付きつつあるのかも知れません。

しかし、殆どの人は適応しています。
進化・進歩も自然界の定めですから、自然淘汰の一種と言えるかも知れません。

違う視点で言いますと、地球上には、人間は100億人しか棲めないと言われていますが、現在は70億人で上限に近付いていますし、増加の速度は加速度的ですから、淘汰作用があるのも、当然のことかも知れません。

我々は普段は自覚・意識していませんが、マクロ的には、一部の先進国が大量のエネルギを駆使し、大量生産に寄与することで、大量の後進国の人達の胃袋も満たしてるんですよ。
簡単に言えば、日本の先端技術で作られた機械など使い、アメリカで大量に穀物を作って、地球人を食わせている格好です。

日本の人口は余り変わってませんが、アフリカなどの人口は、爆発的に増えてます。
適当な数字で恐縮ですが、江戸時代の日本人は、日本人が食えるだけ生産すれば良かったので、世界平均並みくらいの生産していれば良かったとします。
明治維新後は、日本の人口増加や富国強兵に伴い、5倍10倍と要求が高まってきました。

現在は・・・世界経済の一旦を担う経済大国として、200~300倍くらいを生産せねばならない様な感じです。
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あくまで参考マデ。



 いろんな複合的な要素があるとは思いますが、私は、日本経済が成長していないからだと思います。

 仕事が拡大するときは、給与など待遇もよくなるし、仕事はたいへんかもしれませんが楽しいことも多いです。縮小社会では、経費節減やリストラなど暗い話が多くなります。

 身分社会であった江戸時代とは比較ができないと思います。
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江戸時代は立場がきっちり別れていました。


士農工商と言われるように、武士の下に農民、大工さん、商人と続くように、
働く人が稼いでいる人よりも尊重された世の中でした。
農民と言えどもしっかり耕せば、身分としては商人以上だったわけです。

ところが今はどうでしょうか?
しっかり働いてもそれが実りになるとは限らず、
ずるして儲けたり、詐取して儲けたりし、理不尽な思いをする人が増えました。
また、様々な誘惑にかられて、我慢することが弱くなった人も増え、
我慢できないからストレス耐性も低くなり、たいしたことでなくとも
ストレスを感じるような、被害妄想的な人が増えたことにあると思います。
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物事が単純でなくなった。


昔のように、年功序列、親方、先輩、親、先生。年上は必ず偉いという定義はなくなった。
これは大変なことで、年齢という物差し一本で測ればよかった物が、物差しを見つけられない状況にもなったのです。
昔は会社ではアホでも先輩は先輩。上司は上司だった。問題はそのことではなくこれを疑わなかったこと。世の中全体がそう考えていたから、上司をアホ扱いしたらまずいんじゃないか?と自分で制御した。
でも今は従う方が間違ってるというジレンマを抱えるように。その原因は情報過多。他の人の心がTV、ネット、週刊誌から簡単に入ってくる。こういう考えを持っても良いんだと思うようになった。
昔は人の本音を聞く機会のほうが少なかった。公には人と違う意見は言いにくかった。なぜなら、マスコミにでる記事はみんなが納得するものを出すルールだったから。
思考の自由という選択肢を得たおかげで、逆に絶対が無くなって頼りなくなった。何が正解かは自分で決めなくてはならない。
だから子供も怒れない、後輩や部下を殴ることも出来ない。絶対の正解が無くなったからだ。お互いに正解を探しながら気を使って生きるようになった。
昔の映画、ドラマのさわやかさ、完全懲悪、見ていてバカらしくなるほど明快。でも誰も疑わなかったからヒットした。それが証拠。
ストレスはすべて貧乏から来ていたし、働くこと稼ぐことがすべての目的であった。夢とか旅行とか車とか、贅沢は手が届くものではなく初めから頭になかった。憧れの新婚旅行は熱海が定番。仕事さえあれば良かった、土曜も休みは無い、残業はして普通。あとは家庭での夕食の事だけを考えればよかった。
総論すると、日本人は上を見てしまったから不幸になったということでは?
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いろいろと要因はありそうですが


・パソコンの普及による単純作業が大幅に減少(または消滅)
・同じく情報処理時間の大幅な短縮化による労働密度の向上
・携帯電話の普及による実質的な拘束時間の増加
・グローバル経済による低賃金(世界的には高賃金)、長時間労働の激化
あたりでしょうか。

>頭脳労働より肉体労働の方がストレスは溜まりにくいのですか?
労働内容によりますが精神的なストレスは溜まりづらいのではないかと。

>江戸時代は別の意味でストレス社会だったようにも感じますが…
そちらは「生きるか死ぬか」というレベルなので、ストレスを感じる前に
あの世行きだったんじゃないですかね...
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