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なんだそうだったのかと死んでから気が付く事ってどんなことがあると思いますか。 

亡くなる人と気が付く人は同一人物であなた自身とします。
亡くなってから気付くことはできないという矛盾がありますが、
そこは気が付く事ができたとした場合としてお答え下さい。

A 回答 (11件中1~10件)

死は定義にすぎない、ということかなー。

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この回答へのお礼

上手い。

お礼日時:2012/07/14 15:08

死んで三日目に気づくこと:「こんなにも大勢の方々が私の死を悲しんでくれるのか!」



死んで三年目に気づくこと:「誰一人として、私の存在を必要としていなかったのか!」
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この回答へのお礼

意外な驚きですね。

お礼日時:2012/07/14 15:09

いやー自分はこんなに嫌われてたんだ、とか


こんなに想ってくれてた人が居たんだ、とか

実にどうでもいい存在だったんだ。でしょうね。
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この回答へのお礼

何と無く真実を知るというわけです。

お礼日時:2012/07/14 15:10

そんなもの、無い、と願いたい。

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この回答へのお礼

あくまで仮定です。

お礼日時:2012/07/14 15:10

それは決まっています。

わたしにたいする客観的な評判でしょう。
棺のふたが閉まったあとでそのひとの真の価値が定まるといわれますから。
悪口も批判も褒め言葉もすべて聞きたいと思います。

真か偽かはもちろん私自身が決めますが。
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この回答へのお礼

聞けたならの場合ですね。

お礼日時:2012/07/14 15:11

 《本質》と言った時点で 《無ではない》と言ったことになると分かること。

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この回答へのお礼

難しくて解りません。

お礼日時:2012/07/14 15:12

本質は無である事。

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この回答へのお礼

噛み砕いてお答え下さい。
素人ですので。

お礼日時:2012/07/14 15:13

 こんばんは。



 例の《阿 Q 》は 処刑されて死んでから 自分は死んだんだと気づいたんだったような。

 これは 作者と阿Qとの人間関係を映していると見ます。
 作者――魯迅とか言いましたか――は 要するに無知で阿呆な人間が気に入らないのです。だから いいように作品の中で殺したい。そういう願望がはたらいたのではないかと見ています。

 つまりは 阿Qにあたかも代表されるような《阿呆人間》からしてみれば 存在を鼻から否定されているわけです。
 そうとも知らず魯迅は――よほど阿呆であったのでしょうか―― 阿Qをころす場面で とうとう 阿Qからあたかも仕返しをされたかのごとく 死んでから死んだときづいたという事態として書かざるを得ないはめに落ち入った。
 つまり阿Qは 作者に対して人間のいのちのとうとさを知らしめるというようなかたちで 静かに死んでやった。ということだと思われます。そのように書かなければ 阿Qの死を作者は書けなかった。《にんげん》の勝利です。


 ★ 亡くなる人と気が付く人は同一人物であなた自身とします。
 ☆ という条件を満たしているかあやふやですが この話を思い出しました。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2012/07/14 15:14

何事も体験しなければ本当にわかったことにならないとすれば氏はまさにその一つだと思いました。

案外睡眠というのは、その亜形かもしれないと思いました。睡眠を体験している間睡眠は意識されない。
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この回答へのお礼

やはり矛盾した質問でした。

お礼日時:2012/07/14 15:14

生きていることが幸せなんじゃないかなって思います。



大嫌いな勉強もイライラして仕方なかった家族関係や友達関係、中学生なのでまだ分かりませんが仕事など...。

すべてがとても大切に思えるんじゃないでしょうか?



死んだことないので分かりませんが^^


面白半分では死んだ世界ってこんなだったんだって思うかもしれないです♪
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この回答へのお礼

皆イメージでしかわかりませんね。

お礼日時:2012/07/14 15:15

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