アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

かつて安保闘争や三里塚闘争などで戦った皆様、または彼らにシンパシーを持つ皆様にお尋ねします。そうではない立場の皆様は、彼らの心情になってお答えいただければと思います。

非暴力不服従という思想とその成果、すなわちガンジーがインド独立を勝ち取った経緯は、当時の日本でも知られていたかと思います。

ゲバ棒ではなく非暴力で戦うという選択肢は考えられなかったのでしょうか。

(A) 非暴力不服従が常に正しいとも有効だとも思わない。昔のインドや今の日本はともかく、当時の日本では非暴力は根付かなかったと思う。あの時われわれが血を流して戦っていなければ、今の日本はさらにもっと悪い社会になっていたはずだ。むしろ感謝されてもよいはずだ。非暴力が良いと言うのは後知恵だ。

(B) 権力の横暴に対して民衆がやむをえず実力で立ち向かう行為は暴力ではない。だから非暴力とは矛盾しない。

(C) 非暴力は、相手の暴力を逃げもせずに受け止める。これは応戦するよりもずっと高次元の真の勇気が必要だが、それは誰にもできることではない。我々の行為は暴力には違いないが、権力の暴力に対して暴力で応じてしまったことは、やむをえないことである。

(D) むしろ非暴力を望んではいたが、権力の巧妙な誘導によって暴力に流されてしまった。

以上のように挙げてみましたが、どれが近いでしょうか。または、別のお考えがあればお聞かせください。

A 回答 (2件)

ゲバ棒とは、これまた懐かしい言葉を拝見したものです。


あれを見ると、学生などというのは頭でっかちで、社会や
国家というものがまるで解っていなかったのだな、という
ことが良く解ります。


”ゲバ棒ではなく非暴力で戦うという選択肢は考えられなかったのでしょうか”
    ↑
理念的には考えられたでしょうが、現実の選択肢には
入っていなかったと思われます。
(1)当時の共産党などは暴力革命を謳っていました。
(2)欧州でやっていた学生の暴力活動に触発されて発生した、という
 節があります。
(3)暴力だったから、あれだけ共感を得られ人が集まったのでしょう。

1848年、マルクスとエンゲルスは『共産党宣言』の中で次のように書き、暴力革命の方針を明確にした。
「共産主義者は、自分たちの目的が、これまでのいっさいの社会秩序の暴力的転覆によってしか
 達成されえないことを、公然と宣言する」

これに洗脳されていたでしょうから、暴力革命こそが
正しい道だ、と信じていたのでしょう。
非暴力などというのは日和見として、軽蔑され、時には
粛正の対象になっていたと思われます。
「あいつはヒヨッテイル」
というのは、当時の流行語でした。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2012/07/22 23:04

少なくとも当初はソ連、中国型の共産主義革命を目途としていたのだから非暴力主義は眼中にない。



日本は当時も一応独立国なのだから不服従によって支配者が撤退することはない、インドとは全く事情が違う。
非暴力不服従を神格化しているようだがそれで自国の支配者を倒した例があるのか問いたい。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2012/07/20 01:23

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!