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聞いた話だと あの越後屋は実はワルではなかったと言うんです

それどころかめちやめちゃ良い商人だったと言うではないですか

なぜ越後屋は悪代官と結託した悪者 と言う事にされてしまったのでしょうか?

A 回答 (5件)

「越後屋が悪人の代名詞としてTVで使われる」と言うお話自体が都市伝説である可能性があります。



やや古いですが、週刊文春が2005年に「大岡越前」、「銭形平次」、「世直し順庵!」、「水戸黄門」(これのみ2002~2005年)の悪商人と善商人の屋号をチェックした結果は以下の通りだったとのことです。

(悪商人)
1位 西海屋(6回)
2位 湊屋(3回)
3位 潮屋/河津屋/川本屋/真砂屋/三崎屋(2回)

(善商人)
1位 加賀屋(4回)
2位 和泉屋(3回)
3位 井筒屋/近江屋/淀屋(2回)

リソースは間接的ですが、下記。
http://blog.goo.ne.jp/giants-55/e/b77755ce194c71 …

「越後屋」の屋号は悪側でも善側でも殆ど登場していません。

誰が「越後屋伝説」を流行らせたのかは不明ですが、私の記憶では1980年代の後半には既に「常識」として成立していたと言う記憶と、70代以上の世代ではこのような意識の共有はなく、今の50代より下の世代で広まっているようなので、初期の「必殺」シリーズあたりにルーツがあるのかなあと想像しています。
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この回答へのお礼

そうなんです 確かにテレビで 越後屋を見聞きした記憶がないんです

いったい誰がひろめたのか

お礼日時:2012/07/22 12:28

物真似のネタから、だと思います。



昭和30、40年代の物真似芸人、桜井長一郎とかって、よく映画の時代劇の物真似をやってました。
30年代だと私自身、ご幼少だったのであまり誰、と云う記憶は定かではないのですが、その辺りの物真似芸人が、ネタでやってたんではないかなぁ、と。

他の回答者さんにもありますが、語呂が良いんじゃないでしょうか。
多分、結構古いネタではないのか、と思います。

山本富士子とか長谷川一夫は関係ないと思いますが。

物真似ネタ、と云うご意見が無かったので、ちょっと寄らせて頂きました。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2013/02/28 21:20

 数ヶ月前に、地元の新潟日報がコラムで論じていましたね。



 一応それとは関係なく私の知識、意見をお話しますと、当時、越後からたくさん江戸に出稼ぎに出ていたんですね。

 「いまでも東京の風呂屋さんの大半は越後出身だ」という話を読んだこともあります。

 従って、江戸庶民には「越後」というのがなんとなく身近な名前であり、同時にはるか遠くの、自分には関係ないような(悪口を言いやすい)場所だったのです。

 聞いたことがない場所なら、名前を聞いてもすぐ忘れますからね。いまでも、申し訳ないですが、島根県などはどこにあるのか地図で示せない人、多いでしょ。学校でキチンと習うのに。

 そんなことから、水戸黄門漫遊記などで、黄門様の仕事は「越後の縮緬問屋」ということにもなりました。別に越後の縮緬問屋である必然性はなく、富山の薬問屋でも、山形あたりの紅花屋でもよかったのですが、越後が選ばれました。

 そこへもってきて、(時間の前後はおくとしますと)、越後屋が有名になりました。今の「三越」の前身、越後屋呉服店。

 店主の「三井」家のご先祖が「越後守」だったことに由来します。

 「現金掛け値無し、薄利多売、正札販売」という画期的販売法での販売を始めて大繁盛し、江戸の人間なら知らない人はいないくらい超有名となりました。

 観光名所になり、公儀御用達にもなり、「日本永代蔵」という本にも書かれるくらいになったようです。

 そうなると、貧乏人の悲しさ・・・ あんなに大きくなったのは、裏で・・・ というやっかみ、陰口も出てきますな。人の世の常。

 よく聞く名前で、悪口を言っても叩かれない程度の親しみがあり、なんとなく悪いこともしていそう・・・ ということで、「おぬしもワルじゃのう」という時の名前にされたのではないかと思います。
 

 先の新聞には、「越後が有名になったのは、水戸黄門が越後の縮緬問屋と言われたことも影響しているんじゃないか」というようなことも書いていましたが、私は上述の通り逆だと思っています。

 つまり、越後が有名だったから、越後の縮緬問屋になった、という関係だと思っています。 


 ちなみに、その新聞によると、当然ですが、三越は「弊社のことではありませんので、関知しません」というコメントを出しているそうです。
 
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この回答へのお礼

そもそも商人と代官が結託していたという話自体 怪しいですよね

お礼日時:2012/07/22 12:29

聞いた話というのは、どのような話でしょうか。



聞かれた「あの越後屋」というのは、特定の越後屋だと思われます。

なぜ越後屋は悪代官と結託した「越後屋」とは別の「越後屋」だと思います。

時代劇で出てくる「おぬしも悪よのう」という業者はどのような名前でもいいのでしょうが、一般的にありそうな名前ということで、どの地方(越後地方は除く)でもよくある「越後屋」がよく使われただけだと思います。
というより、時代劇で出てきた悪徳業者の名前は、もっといろいろあるのかもしれません。テレビ等で、いつも悪いのは越後屋なら、実在する越後屋から苦情が来るように思います。ですから、テレビ局は「越後屋」だけでなく「駿河屋」「上越屋」等いろいろな名前を使っているように思います。
私も「おぬしも悪よのう」というフレーズを使う時には「越後屋」と続けていますが、なんとなく「越後」言いやすいだけかもしれません。それは、「越後のちりめん問屋の隠居」というフレーズの影響か強いからだと思います。


越後屋いろいろ

http://100.yahoo.co.jp/detail/%E8%B6%8A%E5%BE%8C …

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E4%BA%AC% …

http://www.ginza-echigoya.co.jp/


http://image.search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8& …
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この回答へのお礼

越後屋がこんなにあるとは…ひとつと思っていました

お礼日時:2012/07/22 12:30

時代劇を作る側の都合です。

同じ小道具・大道具を使いまわしていたからです。看板を毎回手作りしていたわけではなくて、番組が異なっても同じ道具を使っていました。
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この回答へのお礼

それって 越後屋めっちゃ被害者ですよね…

やっぱテレビの影響で悪者になったのか

お礼日時:2012/07/21 21:44

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