前回はこれ↓
無の悟りはたやすい
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7553127.html
私にとっては中古品リサイクルショップに売り飛ばしてしましたいほど、どうでもいい論理だが一部の人はこんなもんをいまだにありがたがるようだね。
言葉を整えてみたので、思考可能なつわものから意見が聞きたい。
お釈迦様は昔々のインド社会で、突如信仰に目覚めた。
その内訳は、信仰心こそが我が心そのものだと言う確信であった。
すなわちお釈迦様は神を受け入れたのだ。
信仰心に目覚める事も無いくせに信仰に思慮を巡らせる者どもはとかく噂話が好きだ。
そんなうわさ話に、「信仰心とはそうではない」すなわち君達は信仰のこころざしが無い虚空でありすなわち無だ。
そして、自らの信仰に土足で足を踏み入れようとする他者からの冒涜に対しては、「それは私の心そのものであり、語る言葉は無い」すなわちこれもまた表すなら無である。
そしてどの道無だから一切が無と言う説明のみが信仰に関しては成り立つ。
自らの信仰の道を歩むにあたって、その人生をこのような処世術で終始した。
ただそれだけの事だが、「有りを隠し無と語る」これと「まるっきりそんなもんありゃしねー」この二つが有無の分別となり交錯するのが、釈迦の悟った無の哲学の真骨頂だ。
2500年前の人類の歴史が創造されようとするころ、信仰のみに生きた釈迦の志は画期的であろう。
そのような哲学は十分現代でも通用するが、肝心の彼の言葉お受け継ぐ仏教徒たちは、所詮お釈迦様が「そんなもんありゃしねー」と言っただけの迷信にしがみつき、無と言わしめた本来の、「自らの信仰」これをおろそかにしているのではないか。
お釈迦様自らの信仰では「私は涅槃に赴く」そして君達のそんなもんありゃしねーは「六道輪廻に落ちる」そう言っているのだよ。
すなわち、私こと釈迦の信仰心は、君達にとって受け入れがたい無であると言った。
君達のそんなもんありゃしねーは、要するに当時のインドの土着習慣では輪廻がある。
お釈迦様が語った宗教観は彼に問いかける人々への洞察であり、当時のインド社会での神に対する煩悩や迷いを説明したものである。
すなわち現代日本において仏教的世界観とは、遠い過去の遠い外国の迷信が主体であり、自らの信仰とは違う、それを理解すると仏道とはただ通り抜けるだけの、遊園地のお化け屋敷のようなモノで、自らの信仰心に目覚めたなら捨て去るだけである。
そうして捨て去る迷信が、仏教であり、解脱、悟れば何も語らない、こういう現象となる。
自信満々に言うがね、伝承上の弥勒菩薩たる実力を私は備えておるよ。
しかしそれはくだらないことだ。
A 回答 (4件)
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No.5
- 回答日時:
やあ、ブースターだよ。
君なりに物を考えている様だが「絶対無とは死後の根絶された死でありすなわち滅びだ」という話は間違っているぞ。絶対無とは「概念の死」であり、人間の知覚、即ち、小賢しい屁理屈からの開放を意味する言葉だ。ANo.1で出した公案は、それを理解させる為のものだった。比喩でも何でもなく、悟りとは死だ。尤も、悟りの階梯によって、何が死ぬのかは違うがね。
また、真の信仰においては、己自身も含む万物が対象となる。山川草木悉有仏性、万物平等、本来、仏ならざるものは無し。これが仏陀の悟りであり、真の信仰だ。故に、無の悟りなどというものは無いし、心などという本来存在しないものは信仰の対象には成り得ない。
いいか。受け入れがたい話だとは思うが、君が妄想している「無の悟り」なんぞは「ありゃしねー」んだ。「ある」のは、君がここでダラダラと垂れ流している小賢しい屁理屈や、妙ちくりんな妄想だけだ。その塵芥同然の妄想を徹底的に取り除いた末に現れるものが悟りであり、信仰だと知るが良い。
君が虫けら以下の生きるに値しない存在から脱却するには、まず生死なる戯言に囚われている愚かさに気づく必要がある。今の君は、生と死という欲望の狭間でブレまくるヤジロベーの様なものだ。何せ、生を燃焼させ尽くす事も無く、全てを捨てて死にきる事も出来ず、とるに足らない下らない慰めで日々の虚しさを埋め合わせているのだからな。
生が先にあって、死が訪れるというのが一般的な考え方だが、真実はそうではない。「死」や「滅び」を経験しなければ、本物の「生」を経験する事はないのだ。だが君は、死を、虚無を、徒労を恐れるが故に、生死の理を知らず、生死を超越する事も無い。死ぬ覚悟、全てを棒に振る覚悟で、命懸けで何かをした経験が無い人生というのは、虚しいものなのだよ。
死や、虚無や、滅びと仲良くなるのが、悟りの本質だ。死や、虚無や、滅びを知るからこそ、悟った人は、生も、充実も、育む事も良く知っている。そしてそのどちらにも囚われず、上手く使いこなすからこそ覚者は偉大なのであり、他人を導く事も出来るのだ。
君が「滅び」という言葉を使いたがるのは、心の片隅では「滅びたい」と願っているからではないのか?だがそれは生を燃焼させた後だからではなく、生を燃焼させる事が面倒だからではないのか?思うままにならない人生に飽き飽きしているからではないのか?生き損ない、死に損ないの自分自身にウンザリしているからではないのか?
本当に、今のままでいいのか?
No.3
- 回答日時:
>お釈迦様は昔々のインド社会で、突如信仰に目覚めた。
何の信仰に目覚めたのでしょうか?
自らが悟った法を拠り所とした聖者の信仰とは?
夜更けに縁起の法を悟っても なお足りず 夜明けまで瞑想を続けたところに「信」があったのでは?
苦行を放棄して乳粥を食べたところに「信」があったのでは?
涅槃に入れる身でありながら 涅槃に入らず 教えを説きつづけたところに「信」があったのでは?
釈迦に「信」はあっても信仰は無かったのでは?
法の発見 に対する「信」
法を説く事 への「信」
はあった。
法を理解できない者には 信仰の道を勧めた。
慈悲心への参入という 信仰の道を勧めた。
お釈迦様に「信」はあっても お釈迦様自身が信仰をもつことは無かった もつ必要も無かった。
法を発見した聖者に信仰は無かった。
以上、当たり前の事ばかりです。
何で私が 当たり前のことを言わなければならないのか?
弥勒様も罪な人のようだ・・・・・。
No.1
- 回答日時:
リアル観自在菩薩たる実力を私は備えておるのだが、こんな的外れでムチャクチャな話に何をどのよーに意見すりゃいいのか全く分からんので、ちょっとした珍問答をプレゼントする事で、今回の質問への回答とさせてもらうよ。
「有や無といった相対的な概念を用いる事無く、絶対無を表現してみなさい」
もしこの問いに答えられるなら、密教顕教問わず、仏教の全てが解る様になるだろう。そうなれば、ここで愚かしい質問を繰り返す必要も無くなり、このカテも少しだけ平和になると思う・・・よ。
この回答への補足
いつまでもチンケな虫けらにかまっているのは不本意だが今回も遊んでやるよ。
無の悟りがそんなもんありゃしねーの場合、それは死の悟りである。
無の悟りが、自らの心そのものの場合、それでこそ信仰である。
前回ありがたいSMプレイを披露させてもらったが、誰かの信仰心に便乗している限り、もちろんそれは自らの信仰ではない。
すなわちそんなもんありゃしねーだ。
君の言う絶対無とは死後の根絶された死でありすなわち滅びだ。
他者の信仰に便乗し自らの信仰を知らないのなら、そこから生きた状態へと回復する事は現在を死す事であり滅びとは健全なのだよ。
信仰を知らぬ君は生きた事がない事になる。
すなわち現在の君が君の言う絶対無そのものであり、一度滅びて復活するのだな。
それらは君の個人的な葛藤であり、自ら滅びを願わなくてはならない。
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