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小乗仏教⇒ 無神論 ・ 釈迦の直接の教え(間違いない)

大乗仏教⇒ 有神論的 ・ 釈迦の教えを何百年かけて弟子達がまとめた/理論付けた。
だから釈迦の教えではないかもしれない(というか実際矛盾がある)
しかし釈迦は大乗についてノーコメントなので絶対違うとも正しいとも分からない。

↑合っていますか?


大乗仏教の図式は、大宇宙に釈迦と同等の仏様(大日、ビルシャナ、薬師)、それらの師匠の阿弥陀様がいる。その他に仏様を助ける菩薩様が大勢。すべて信仰対象。

↑これも合っていますか?


大乗非仏説というのがありますが、釈迦が説いたものではないという証拠がもし見つかった場合、例えば奈良の大仏(ビルシャナ仏)は仏教と無関係の単なる作り物になってしまうのでしょうか?


仏教はもともと生きるための知恵だったようですが、僧侶が権力を持つための道具になってしまい、
人々の自己満足と宗教団体の共存という図式ができあがり、今でもその風習が残っている、
そのようにも思えましたがどうなのでしょうか。お寺の存在自体も分からなくなってしまいました。

A 回答 (5件)

お釈迦さまは教えを文字として残しませんでしたから、そういう意味ではすべて「弟子」というフィルターを通したものです。



その中でも、質問者さんのおっしゃる「小乗仏教」は、直接お釈迦さまから教えを聞いた直弟子たちが“会議”を開いて、「私はこう聞いた、これで間違いないか」「間違いない」……という具合にいちいち確認して編纂され、残されたものです。
ですから、一番、お釈迦さまの教えに近いとされています。

しかし、先に書いたように、弟子のフィルターを通しているわけですから、お釈迦さまの真実が伝えられているかどうか?
……と問題にする人はあまりいませんが、極論すれば「小乗仏教」すら「非仏説」と言えるかもしれません。

「大乗仏教」は、お釈迦さまの下で修行する人たちの「小乗仏教」では救いとれない大衆に向けて、お釈迦さまの教えのエッセンスを交えて、分かりやすく説き直したものです。
人間は千差万別ですので、Aさんに教えたものがBさんにも理解できるとは限らないので、いろんな人に向けて様々な形で(方便として)経典が作成されていきました。

それが「仏教ではない」と非難する人がいるのも事実です。
実際、お釈迦さまの教えとはかけ離れてしまっているものが多いのですが、では全く仏教ではないか?と問われたら、完全否定してしまえるものでもないのでは……ということで、現在も「大乗仏教」という形で残っているわけです。

「大乗仏教」はお釈迦さまの没後、何百年も後に生まれたものですから、そもそもお釈迦さまご本人は何のコメントもしようがないので、後代の(凡夫である)我々が、「あーでもない」「こーでもない」と言っているだけです。


>大乗仏教の図式は、大宇宙に釈迦と同等の仏様(大日、ビルシャナ、薬師)、それらの師匠の阿弥陀様がいる。その他に仏様を助ける菩薩様が大勢。すべて信仰対象。

これは宗派によって考え方が違います。
書くと長くなるので省略しますが、三身(法身・報身・応身)をお調べになれば分かると思います。
それでも阿弥陀さまを信仰する宗派でも、「大宇宙に釈迦と同等の仏様(大日、ビルシャナ、薬師)、それらの師匠の阿弥陀様がいる」という考え方はしていないと思います(専門家ではないので断定はできませんが)。

どちらかと言えば、「大日(毘盧遮那仏)」がお釈迦さまやらお薬師さん、阿弥陀さまの上に君臨する(という言い方はよくないですが)形と捉えるのが一般的です。

いずれにしろ、「大乗仏教」は、お釈迦さまが直接説いたものではありません。これは純然たる事実ですから、今更「証拠が見つかったら」ということはありません(誰もそんなものを探していないので)。実際にお釈迦さまは「阿弥陀さま」やら「毘盧遮那仏」について言及していないのですから、「大乗非仏教説」はうなずける部分があります。

しかしお釈迦さまの教えの「エッセンス」を拡大解釈し、独自の宇宙観・世界観やら土着の民間宗教などの要素を付加して、大衆に分かりやすく説き直したもの……であると言われていますので、そういう意味では完全否定してしまうのはどうかなあと、個人的には思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

これは宗派によって考え方が違います
⇒その通りでした。私が書いたのは浄土真宗の考えでした。
真言宗は大日如来が宇宙の中心のようですが、概念が凄過ぎて一般人
の私にはまだ把握できません。

本来は教祖がいない、宗教的ではないのが仏教と思っていたので、調べるほどに自由で範囲が広すぎて、信じれば救われるのキリスト教にも近い物にも思えてしまい残念に思いました。

勝手な解釈なので違うかもしれません。

お礼日時:2012/07/29 16:05

まず、大乗と小乗の違いの認識についてですが、少し違うと思います。


直接の釈迦の教えがどれなのかなんて、2500年経ってしまった今では、もう分かりません。
スッタ・ニバータ(仏陀の言葉)やアーガマ(阿含経)の一部が一番古い経典だと言われています。
読んで見ればお分かりいただけると思いますが、平易な言葉で弟子たちや在家の信者に語りかけています。
哲学的なことや信仰を強要するような事もありません。

仏陀の死後、教団は上座部と大衆部にやがて分化していきます。
上座部というのは、守旧的でしかも仏陀の教えを体系的学問的に普遍化を目指しました。権力者からの援助の元、山奥の寺院に隠遁しアビダルマの研究に時を費やしたのです。時勢に疎く釈迦の教えを大衆に広めるような努力はしませんでした。
彼らだって、釈迦の教えをそのまま守ってきたのではなく弟子たちによって新しい経典が作られ体系化されていったのだと考えられます。
一方、このままでは、仏教はインド社会の中で消滅してしますと考えた一派は、釈迦の教えを大衆に広めるため当時の儀式や大衆の常識とされてきたバラモン教的思想と妥協、融和を図りながらインド社会の中でそれなりの発展をはかってきたのです。
結論を申し上げるならば、厳密にはどちらも釈迦の直接の教えとは言えないのではないかという事です。
どちらも、後世の弟子たちによって目的の違い(仏教的に言い換えれば、方便の違い)により理論が体系化されたのだと思います。
 より原始仏教に近いのは何れかと聞かれれば、上座部仏教の方だと思います。
 ただ、宗教としては、一時的ではありますが大乗仏教の方が成功したと評価せざるを得ないでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
だいぶ分かってきたつもりですが、大乗仏教に関しては自分の考えを主張するためにブッダ(仏教)が使われちゃった感、とでも言うのでしょうか。
話はおもしろいし分かりやすいので、否定はまったくしませんが素直に肯定もできない感じです。

お礼日時:2012/07/29 19:43

はっきり言います、


どんな名前をつけようが、宗教などその名前の集団の金を集める為の詐欺です。
でなければ何故現代にこんなにも馬鹿な数の宗教が世界中に溢れているのでしょうか
仏教と言うのがブッダが悟りを、と言いますが。ブッダが本当に悟ったかどうかも分かったもんじゃあない?
でなけりゃあ、何故後に続く人たちがああでもないこうでもないとバラバラになるんですか?
創価学会なんてものがその一番の例です?あれが仏教だなんていうことが全てを語っています
宗教なんてものは糞です!確かなものは自分の心の中に秘めたものです。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
そもそも釈迦の忠実な教えは幸せになれる方法や知恵なのですよね?
それが宗教になってしまうくらいブッダは偉大だったと想像します。

個人的に思うのは、時代に合わせ変化していく大乗仏教だから仕方がないにしても、特に日本では変化しすぎ(一部の厳しい修行をされている僧侶は別)、タイのお坊さんなどと比べると少し恥ずかしくなります。

お礼日時:2012/07/29 14:18

#1 の方の回答にもありましたように。

大乗・小乗という区分は研究者や高校教科書レベルでも行っていませんし、小乗仏教という言葉を用いていません。

 かなり前の仏教会議で、小乗というのは差別的な用語であるということが確認され謝罪も行われました。それ以降はすべて上座部仏教という用い方をします。「小乗仏教」はもはや死語です。

 問題提起も真面目に考えられてのこととは思いますがピントが狂っています。基本的な知識から勉強されることをおすすめします。wikiを検索すれば十分な基礎知識は入手できます
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
情報収集において、小乗という言葉が普通に使われていたので特に偏見もありませんでした。でも大乗より劣る、という解釈もできるという時点でもう使いたくありません。

仏教の歴史は決して釈迦の忠実な教えばかりでないようなので、どこまで証明されているのか(証拠が発見されているのか)気になりました。

お礼日時:2012/07/29 13:53

>小乗仏教⇒ 無神論 ・ 釈迦の直接の教え(間違いない)



>大乗仏教⇒ 有神論的 ・ 釈迦の教えを何百年かけて弟子達がまとめた/理論付けた。
>だから釈迦の教えではないかもしれない(というか実際矛盾がある)
>しかし釈迦は大乗についてノーコメントなので絶対違うとも正しいとも分からない。


違います。

そもそも、小乗仏教とは、大乗仏教の立場から名づけたものなので、
大乗仏教に対し劣っているということになります。

簡単に言えば
大乗仏教が一般大衆をも救うのに、小乗仏教では僧侶しか救えないというような位置づけです。

比較をするのであれば、
大乗仏教と上座部とを比較してください。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
比較というかそもそもの位置づけとしても間違っていますか?


上座部仏教⇒ 無神論 ・ 釈迦の直接の教え(間違いない)

大乗仏教⇒ 有神論的 ・ 釈迦の教えを何百年かけて弟子達がまとめた/理論付けた。だから釈迦の教えではないかもしれない(というか実際矛盾がある)しかし釈迦は大乗についてノーコメントなので絶対違うとも正しいとも分からない。
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上座部と大乗の違いに関しては、
"悟りを開く"を目標にしている点で最終的には共通しており、要は目標達成までの手段の違い、と認識しました。

個人的には自ら出家する方が偉いと思うのですが、悪く言えば楽ができる(だから大衆にも広まった)大乗のが偉大とかどっちが劣るとか、そのような考え自体古いというかどうでもいいと気がします。

話が少し反れてしまいましたが、そもそもの自分の解釈が合っているか知りたかったので質問させていただきました。

お礼日時:2012/07/29 13:47

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