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No.1
- 回答日時:
17世紀後半の啓蒙思想は、むしろ王権を擁護するものもあったのですが、
18世紀以降は、王権神授説批判へと切り替わっていきます。
ここで面白い点は、批判といっても18世紀初頭の過渡期には、
初期の社会契約説のように、なるべく宗教勢力への批判を避けつつ、
統治は特権階級でなくとも可能であることを証明しているのです。
それは法の精神であったり、技術的な統治理論であったり様々な形を取っていますが、
言い換えればどの哲学者も正面切って王や宗教の非難をするわけではなく、
神の徳を実行するのは、王(神の代理人)でなくとも良い、ということを
証明していったわけです。
なぜ、こういう手法を取っていたのか。
第一には多くの論者も、それを受け入れる人々も、
王が行う徳性そのものは社会にとって必要だとみなしていたのでしょう。
ギリシャ哲学から徳性という概念を盗み出した生まれながらの盗賊・宗教は撲滅するにしても、
社会運営において古代から存在する徳性の概念を失うことは避けたかったのではないでしょうか。
第二には、ちょっと政治的な事情が絡んできます。
徳を説きつつ、現実には千年分の富を集約し、貪り尽くした
徳性の欠片もないものが「宗教」の実態であるのです。
当然、彼らは自称するような弱者であろうはずもなく、人民政権の誕生後も
政教協約(コンコルダート)の形で影響力を行使し続けます。
そもそも啓蒙思想は経験主義(起こったことを矛盾なく説明する)という
基本理念に根ざしているために、当時の政治的権力を行使する
宗教勢力には配慮をせざるを得なかったのでしょう。
(直接的な批判を行った場合もあったでしょうが、その多くは
宗教の政治力(徳でも論理でもなく)によって、多くが発表の機会すら与えられず失われてしまったわけです。)
つまり啓蒙とは人に伝えてこその啓蒙であって、宗教勢力に噛み付かれないように
進められた遠大な行為というわけです。
まず王権が不要であることを示し、王が不要であることを示す。
徳性や事象に神権が不要であることを示し、神が不要であることを示す。
この慎重さと長い時間によって、人類は宗教支配という暗黒時代の毒の影響から回復し、
自立の道を歩みだしたのです。
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