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量子力学の不確定性原理について教えてください。

「電子を観測するために光をあてると、運動量が変化してしまう。
 観測という行為自体が対象に影響を与えるので、
 観測前の状態を知ることは不可能である」

ここまでは理解できました。
しかし、なぜこれが「不確定」であるのかが理解できません。
観測する前にも、何らかの状態であったと考えるのが普通だと思います。
ただし、観測しようとすると状態が変化してしまうので「知ること」は不可能。
ですが量子力学上は観測以前の状態は不確定であるとされますよね?
それどころが予測される状態が確率的に同時に存在しているとされるそうで。

「シュレディンガーの猫」に至ってはさらに理解に苦しみます。
猫は死んでいるか生きているかのどちらかで、
箱を開ける前はそれを知ることができないだけだと普通は考えると思います。
それが、生きている状態と死んでいる状態が重なり合って存在するとは・・・?

量子力学を揶揄するセリフで「見上げるまでは月は存在しないのか?」
というような言葉があったと思いますが、
観測(=認識)していない事象は存在しないことと同義であるとまで考えていくと、
これはもう唯心論vs唯物論のような展開に。

世の中には本当に「不確定(まだ決まっていないこと)」が存在するのでしょうか?
それとも「未認知(決まっているけど知らないだけ)」
(そして認知してしまうと事象は変化するので、結局は永遠に見認知)なだけなのでしょうか?

物理・量子力学は素人なのですが、どうぞよろしくお願いします。

A 回答 (7件)

 「不確定」というのは、「猫は生きてもいるし、死んでもいる」という、この2つの状態が同時に存在している、という意味ではないのです。



 たとえば、サラリーマンA氏は、馴染みのバーのB子ちゃんをどうしてもデートに誘いたい、とします(言っときますが実体験ではありません(笑))。そのためにはやはり、B子ちゃんの気持ちを知ることが必要です。
 しかし、そんなもの、何もしなければ知りようがありませんよね。もちろん人伝えに訊くなりなんなりすれば別ですが。
 で、このとき、「B子ちゃんの気持ちは不確定」なんです。
 確実に「好き」か「嫌い」かどちらかであることは分かっているが、そのどちらかが分からない、というわけです。
 これがいわゆる「不確定性原理」です。

 ゆえにA氏は、そのどちらかである可能性を両方とも考慮に入れて行動しなければならないわけです。
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観測する術がない以上、「不確定」だとおもいますが・・・


確定しているかどうかは観測する術がない以上、
「神のみぞ知る」ということで「不確定」でいいと思っています。
"観測できない(していない?)事象は存在しない"のではなく
"観測できない事象は確率的に扱うしか(物理的に)扱う術がない"、
ということだと私は思っています。
どうでしょう?
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 物事を考えるときに、われわれは何かを基準にしています。

日常生活では、いわゆる常識が基準になるでしょう。

 物体を観測するときは、大きさは目に見える大きさ、速さなどは自動車や飛行機などの速さでしょう。
 このような物体は、光でその物体の速さを測定をするときは、その光で撹乱されることはありません。
 次に、自動車のタイヤの空気圧の測定をするときは、測定器の中にタイヤの中の空気が抜けますから、その時表示される圧力は、その空気が抜けたときの圧力になりますから正しいタイヤの空気圧ではありません。チョコに入れたお酒の温度を測定しますと、その温度計でお酒の温度が下がり正しい温度は測定できません。このことは測定するものが原因(撹乱されて)で正しい測定が出来ません。

 つぎに本題の話に戻しましょう、目に見えないような小さな電子や中性子などの運動を規定するには、その位置と速度(物理では運動量が使われることはご存知ですね)が必要です。位置と速度がわかりますとその後の粒子の運動がわかります。しかし、粒子の位置を測定すると、その光(X線のような波長の短い、言い換えるとエネルギーが大きい電磁波)でどちらに粒子が移動するか予想できません。しかし、速度を測定するには、短い時間内に、2つの位置で測定しないと速度はわかりません。2回目の位置は1回目の測定でどちらに移動したかわからないのに正しいはずがありません。

 しかし、あなたはそれでも光を当てなければ正しい速度があるはずだと言われると思います。これが間違いです。測定もしないものがなぜ分かるのでしょうか? ここのところが日常的な生活の次元で判断されていることになります。確かに、日常生活の次元ではそうですものネ。

 ここのところで頭の切り替えが必要です。この切り替えが出来ませんといつまで経っても理解できません。
 しかし、このことに興味をもたれることには尊敬します。

この回答への補足

空気圧とお酒の例、とてもよく解りました。

>しかし、あなたはそれでも光を当てなければ正しい速度があるはずだと言われると思います。

そうなんです。量子力学や近代物理などを専攻していない一般人はそう思うでしょう。私にもどうしてもこう思えて仕方がないのです。空気圧の例で言えば、測定器をさす前にも「あるひとつの空気圧」であったと思うし、お酒の例で言えば温度計をさす前にも「あるひとつの温度」だったと思えてしまいます。

「量子力学上は未確定とされる」という学問における理念としてならば、現実社会とは切り離した形而上学的な定義として「そういうものなんだ」と受け止められるのですが。

例えば、「真の偶然」というものはあると思いますか?

補足日時:2001/05/16 11:41
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予測したり事象を確定するために必要なパラメータを取得すると、パラメータ自体が変化するものに対して不確定という表現をするのだと思います。

正確な例ではないので誤解を受けるかもしれませんが y = 2x であるときに、xにyの値が代入されると考えましょう。意味的には、yは観測者、xは観測結果を意識しています。つまり観測者が得た結果が観測結果に影響するといった事象です。x=3のときにy=6になりますが、その評価をした瞬間にxが6になってしまいます。ではxに8が入っていると認識した時点ではyはいくつでしょう?16といいきってもいいですが、16になったとたんにyは32になっています。これは未確定でもなければ、いくつもの値が同時に存在しているわけでもなく、値が決まらない=不確定なわけですね。
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「情報が不足しているので物理的実在は確率的である」と「物理的実在は決定しているけれども知らないだけ」というのは、哲学的な問題で物理学的には同義ですが、物理理論の主張するものは前者でも後者でもなく、もっと積極的な意味があります。



実際に「確率の波に対応する何かがある」と主張する実験があります。

原理は簡単で、
ある一点から電子を放出します。
その放出した先には2点だけ穴のあいた壁があって、その2点の穴それぞれの方向に来た電子だけがその穴を通って向こう側にいきます。
その先には2つ目の壁があって、ここではどこに電子が来たかを調べ、どの辺に多くくるか頻度を調べます。

つまり一つ目の壁は電子の方向を選り分ける役目で、この実験では大切な役目をします。
2つ目はただ観測するもの、という意味で、どこに電子が来たかを知るためのものです。

1)
さて、まず片方の穴を塞いで、いつでも一方の穴だけを通るようにします。
そしてその時の頻度分布を調べます。
穴のまっすぐ先を中心に広がった分布になります。

2)
次に、今度はもう一つの穴をあけて、さっきの穴は塞ぎます。
そして同じように頻度分布を調べます。
これも放出点と穴の延長線上の2つ目壁が中心になって、周りに広がった頻度分布になります。

3)
そしていよいよ本番。
両方の穴を開けたらどんな頻度分布になるんでしょう?

ごくふつうの考えは、電子はどちらかの穴を通るのだから、どちらか一方の穴を通った時はもう一方の穴が開いていようと開いていまいと同じです。
ですので、両方の頻度分布を単純に足しあわせたものになる、と考えられるでしょう。

ところが実際に実験をしてみると、単純に足しあわせた頻度分布ではなく、その足しあわせた頻度よりもたくさんくるところ、少なくくるところ、全然こないところなどができるのです。
実際のこの分布を調べると、光などの干渉に似ています。
で、「電子の波」を仮定して、それが干渉するとしてみると、よく分布を説明できます。
ですがこの干渉する「波」の振幅に対応するものは、電子の頻度なのです。
つまり「電子がそこに来る確率」に対応する「波」がある、ということをこの実験は示唆しています。

この説明の中で干渉させているのは2つの穴の一方から来た「波」ともう一方から来た「波」です。なので、干渉が起こるとき、「波」は両方の穴を通らなければなりません。つまり、「電子のそこにくる確率」に対応する「波」は両方を通ってきて干渉するのであって、片方だけを通ると考えては現象を説明できません。
なので、電子は「確率的な存在を表している『波』として」両方の穴を通り、2つ目の壁で観測される頻度分布は干渉を起こして見えるのです。


この実験は粒子を、情報が不足しているから確率的に扱わなければいけないのではなく、なにか物理法則に関わる本質的実在として「確率的存在」を考えなければいけないと主張しています。


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ところで、余興ですが、不確定性原理でおもしろい思考実験があります。
「現実は確率的で未決定である」、ということを説得するトリックが仕掛けてあります。

不確定性原理ですが、もう少し詳しい表現は、
「ある粒子の位置と運動量を同時に測定したとき、それぞれの観測量の誤差をdx、dp とすると、
dx・dp >~ h
が成り立つ。」
というものです。
意味を翻訳すると、
「位置を正確に測定するときは運動量の正確さを犠牲にしなければならないし、逆に運動量を正確に測定するときには位置の精度を犠牲にしなければならない。」
ということです。

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さて、ここから。
「物事は決まっているけど人間がしらないだけ」という立場をとります。知ることはできないにしてもある状態が決定しているのなら、何かある決まった位置、決まった運動量をもっている(それがなんだか知らないにしても)と考えていいでしょう。
さて、ここで実験をして、「無限に正確に」位置xを測定します。(これは、運動量の精度を全くなくすことによってできます。dpを無限に大きくすればdxはいくらでも小さくできるので、原理的に可能です。)
するとこの思考実験によって正確な位置の情報を知ることができました。
(運動量についての知識は全くえられませんでした。)

さて、今ここで、時間のねじを巻き戻して、最初の状態に戻します。(思考実験なので、今までのことは全部忘れて、もう一度初めの状態を想像するのは自由でしょう。)
全部忘れて、初めっからやり直すのです。

今度は運動量を測定します。すると運動量の正確な情報を得ることができます。

これで位置と運動量の両方の正確な情報が得られました。
ところがどっこい、しかし、これは不確定性原理に反しています。
これは「物の状態は初めから決定していて、ただ人間が知り得ないだけである」として、初めの状態をある一つの状態しかないと仮定したことが原因です。

以上から、不確定性原理が正しいと仮定すると、「現実の実在は未確定でなければならない」、という結論が導かれます。
---

説得されてもらえました?

この回答への補足

>「情報が不足しているので物理的実在は確率的である」と「物理的実在は決定しているけれども知らないだけ」というのは、哲学的な問題で物理学的には同義ですが、

なるほど、そうなのですか。

>実際に「確率の波に対応する何かがある」と主張する実験があります。

詳しい説明をありがとうございました。とても驚きました。

>この実験は粒子を、情報が不足しているから確率的に扱わなければいけないのではなく、なにか物理法則に関わる本質的実在として「確率的存在」を考えなければいけないと主張しています。

もしかすると、その波の法則なり原理なりと解明することができたら、「現実は既に確定されている」という考えに戻ってしまう可能性もあるのでしょうか?

例えばシュレディンガーの猫ですが、箱の中の猫は死んでいる状態と生きている状態が重なり合っていて、フタを開けて観測した時にそのどちらかの状態に確定されると聞きました。
その「波」の原理を理解することができたとすると、その「波」の状態から箱の中の猫の状態を知る(あるいはどちらに確定されるのかを予測する)ことができる可能性もあるのでしょうか?

>「現実は確率的で未決定である」、ということを説得するトリックが仕掛けてあります。
(中略)
>以上から、不確定性原理が正しいと仮定すると、「現実の実在は未確定でなければならない」、という結論が導かれます。

む、難しいですね・・・。
この思考実験では「位置と運動量を測定した」と考えられますが、同時に「位置と運動量を犠牲にした」とも考えられると思います。1回目の観測では運動量を犠牲にし、2回目の実験では位置を犠牲にしていますので。ゆえに不確定性原理には反しないのではないか、なーんて。

補足日時:2001/05/16 11:42
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物理学は現象を数式で表現することを目指します。


不確定性原理も、現象を説明するための原理です。
電子の回折現象も不確定性原理はよく説明しています。

ただ、不確定性原理が通常の現象から想像しにくい事を表しており、また、物事の根本を示しているので、
哲学に影響を与えております。また、数々のマクロに現れるような思考実験(シュレーディンガーの猫のような)も
この原理を支持しております。

また、量子力学はこの原理を元に成功しており、最近のハイテクもこの恩恵を受けております。

この原理の意味を考えていくとどんどん深いところへ言ってしまいますが、量子力学を進めていく上で、この原理が判らないと難しいので、
ある程度こんなもんだと見切ることも必要でしょう。

ただ、この原理がこの世界の成り立ちを表しており、解明への重要な鍵の一つであることは確かです。
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 シュレーディンガー方程式から物質は波の場であると考えると、不確定性原理は、たとえば波を局在させようとしたとき波数が発散してしまうというフーリエ変換でよく知られたことを反映したものとなります。


 物質波の解釈に関しては、自分と干渉する波として、その絶対値の自乗を確率と解釈するのが普通です(干渉がおこり、かつ、確率の総和が1であるためには確率振幅の単なるルートではなく位相を持つ必要があります)。確率というのは本質的に、同じ条件で何かを繰り返したときにあることが起きる頻度に言及しているだけで量子力学はその確率に対する決定論になっています。起こってしまったことに対しては何もいっていないのではないかと私は思います。問題は確率で言及している事柄がいつ起こったか(確定したか)?ということだと思います。つまりもう干渉しなくなった(=位相情報がなくなった/拡散した)状態というのは何なのか?ということです。そういう確定した状態と干渉可能な状態の切り分けができないところが問題なのではないでしょうか?結局結論もなく、私は漠然とそう考えるのです専門家の方いかがでしょうか?
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