902さんの質問「神は死んだ。」のなかで神の定義が話題になっています。
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=75125

「神を信じますか」という問いは、よくもちだされますが、問う人も
問われる人も、神という言葉の意味・定義・解釈・語感が、まったく
まちまちであるという感想を昔から持っていました。

皆さん、神とは何だと思われますか。

学問的な答え、個人的な考え、もちろん宗教的な教えも、
なんでもいいです。いろいろ聞かせてください。

A 回答 (32件中1~10件)

自分は昔14歳頃から「死」について死ぬほど苦しめられた事がありまして、四六時中悩まされまして、「神経症」「ノイローゼ」「離人症」になって、18年間夢か、幻、かの世界で彷徨って来たことがあります。

或る日自分の中の「無意識」の「意識」に出会う事があって。それらの、疑問が全て解消されたという経験をした者です。

その事をお話します。悩みは自分が自分の頭の中で作りだしています。他人が押し付けたものでは在りません。
悩みは自分の中で二つの考えが争っていると言う事です。心の「矛盾」が悩みです。

悩みとは、今の自分の意識が自分の中の「在る意識」と矛盾している事が原因です。お釈迦様は「仏性」と言いました。

1,981年にアメリカのスペリーという脳生理学者が発表した事がありました。当時テンカン治療のために左脳と右脳をつないでいる脳梁が切断されている人達が、いました、その人達を色々な実験をすることで導き出された結論が有ります。左脳と右脳はそれぞれ独立した人格がある。左脳と右脳はそれぞれ機能が違うということです。

思春期に「悩み」が生じることが。多い。ということと、「思春期」に左右の脳の機能分化が完成に近くなる。この事が関係します。

「禅問答」がそのことを証明しています。この問答は難解です。「左脳」の専門分野である「知性、論理、分別」では歯がたちません。
命掛けで取り組んで、はからって、はからって、分別をして。もうどうしようもないほど追い込まれた時に、左脳がギブアップした時に「右脳の中の仏性」が出てきてその問答の答えを出してくれます。

その時が「見性」したと言います。自分の性を見る、また「悟りを開いた」とも云います。その時は「右脳の中に在る仏性」と出会います。「「神は」」は居ます。それは「右脳」の意識です。

孤独な心で切ない想いで生きているときは、左脳です。感動して喜びに満ちている時は右脳です他の人達と繋がっています。右脳の意識は世界中の人達と繋がっています。右脳の意識は「愛です、永遠です、不生不滅です、」

その事が分かる時に、心の矛盾が解消されます。心の矛盾の無い静かな心その事を「涅槃」と言います。「絶対肯定」「神の思し召しのままに」という足場を得ることが出来ます。誰でも「神、仏」と共に居ます。ただそれに気が付かないだけなのです。

「一切衆生悉有仏性」
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同様のタイトルでアンケート質問をしようとしていた者です。



で、 まず「神とは」と0Kウェーブにて検索してみて、そしてまず最初の質問を開いてここにきました。

その検索で300近いかなりの濃い中身のQ&Aが見られそうで、今は時間があまり取れないのですが、じっくり読み進めていったりしてみようと思っています。(ほんとにいいものだけ読めたらもっといいかもしれませんが、 こういう問題には、誰のどのような考えにも無知にさへにも興味はあります。)

まず、 まだ他の人の意見や考えを読んでいない段で、自分の場合は同様の質問をあるアンケート意図を持って質問しようとしていた者なので(どうやら こんなにたくさんの回答が見れるならば、答えの方からはいってゆくほうがその意図にとって創造的のようです。)、 悩みとかへの回答なら他の人の意見と重複をさけたり どこまで解決の糸口が見えてるとかのこちら側の認識が最重要優先課題となったりしますが、 うん、 新鮮なままを 書いてみます。

 子供の頃 あることで体をこわし、何度も死の床をはいずった人間が考えたこのことについての思索です。哲学の本はほとんど読んでませんが、
まず、「自己が存在するとは」ということにも、中学生でも解るだろう説明で定義をしていたりします。
自己の記憶外の存在が 自分の体で行われ感じられて生きられていたとしてもそれを「自己」と呼べるかどうかはここでは論議しませんが、 自己の存在については、たとえ精子が同じように同じ父母から同じ卵子と結びついて 同じ遺伝子を持った同じ顔つき体系の人物がこの世に生まれたとしてもはたして「自己」が存在したかは定かではないという強い感覚がわたしの中にはあります。

 生きとし生ける そう気がつける能力はたずさへている他の人の存在も
「そのぐらい不思議な存在だ」というだけでも、 知的にはですが兄弟のようなものです。  存在の子という意味での。 人間すべてそのような友達だという意味です。

 死の床から峠を越して息を吹き返す時、たしかにどんな人でも(想像もつくでしょうが)まだ苦しいはずの息の中、 小鳥の声はチュンチュク
ほんの窓からの風も なんとも言えず心地よく感じられます。

 でも、それ以上に、大自然の朝夕の美しさに人のこころが触れる時もあしますし、音楽がそれを教えてくれるときもあったりします。

 そんな中に私たちは存在しています。 わたしがそこに感じるのは「意味」の存在なんです。

 宇宙(物質)は最初から存在したかもしれません。 0からすべてを創造した存在は、存在しえないとも感じます。   でも「意味」とう存在を存在の内に感じたとたん、わたしにはこの存在や生の根源(これだけですと抽象的ですが)としての神の存在がごく自然のこととして思えてきます。(存在が感じられる神秘という事ではなくて、ここでは知的に自然だということです。)

 では、 そう強く感じるものにとって、神とは何なのか?

 ここではすべて 簡単に書いてみます。

1、 唯一無二絶対 と言いますが、 絶対とすると神とは、怖い存在です。(最大限にです。) ですが、その論議はここでは略します。
 でも 絶対ではなくても、神って全知全能には決まってます。(これは、未来のすべても解るとかではないですよ。だったらイコール絶対ですからね。)
2、 つまり、今生きてるすべての人のこころも考えも予測もその人のこころの原点(無意識の世界)も、苦しみも楽しみも希望も絶望も 全部知ってるいうことです。 人間はその逆とも言えます、もちろんこのわたしもです。  このOKウェーブに悩みを訴えてる人の文の裏側の人生を 文のみからいったいどこまで推理しえるのか。 あまりにもそれはちいさなものでしかないはずだといったことです。(直観力のすぐれた人とかがいて驚いてしまうようなその面の能力に触れることはありますが、すくなくともわたしは、神とはそのへん真逆ないかにちっぽけな存在かを感じさせれる人生でした。)
3、したがって神とは、 すべての悪の原因を知ってますから、キリストの「人の罪を背負う」という意味での十字架が意味ないほど、(ちょっとむずかしい言い方になってしまったかもしれませんが)  すべてを許している存在であるに決まっているんです。
4、 また、「神は愛だ」と言いますが、 そんなことあたりまえです。
でも、それは、だから神を知ることや信じることは安らぎに通じるというのならば、それはその幻想だと感じます。
5、 そうではなくて、神は 人間を何か助けたりするような存在ではないということです。(これも絶対とかじゃないですよ。) でも そういう人間よりもえこひいきな心の狭い精神のはずがないということは言えるはずだということなんです。( これは、ほんとはくわしい説明が必要となりそうなところですね。)
6、 言いたいことを ここで書きますね。  一番泣いてるのは、一番ミゼレレ(助けてください)と叫んでるのは、神に決まってる!!。

すこしでも、 すこしでも、 すこしでも、 進歩し強くなっていこうとする人間の良心の中に 神とは「見つかる」存在、 見つけてゆくべき存在だというのが   この人間の回答なんですが。


 
 

 
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何でも日本には、800万も神様がいるらしいですね。

神様は人間のなんでだろうが、自然と関わった時に、うまれんしゃったんだとおもいます。そういう意味では、妖怪とおんなじだとおもいますね。
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この回答へのお礼

chaneさん、回答ありがとうございます。お礼が遅れて申し訳ありませんでした。

>妖怪とおんなじだとおもいますね。

そうですね。日本は西洋文化や東洋文化に出会わなかったら、いまでも
きつねを祀って、おがんだりしていたかも知れないですね。

でも、日本では、「世間様」とか「お天道様」という言葉が「神」という言葉と
同じ意味を持っていたと思うんです。私が思い描いている神はそういう神です。

お礼日時:2001/10/21 17:08

まず、既存の宗教の神はいないと私は考えます。


仏教は原典をよく読むと、仏陀の説く仏は象徴として登場します。つまり例え話を判りやすくするための登場人物にあたります。そして後世にたくさんの仏が作り出され、他の宗教の神も自勢力に取り込みました。
この点、儒教は徹底しています。神という概念を用いずに孔子は自分の考えを語っています。
ほとんどの場合、教育が行き届いていない時代に善悪や利倫理を教えるのに手っ取り早い手法が神や地獄を持ち出すことだったのかな?と思います。
そしてキリスト教は明確に神が登場しますが、言うことを聞かないと怒り出す神がなぜ自分の名前を言ったり、偶像を作って崇拝してはいけないか?を考えると、私は悪い事をしてはいけない。でも、どうすればいいかは道は示すけど後は自分で考えなさい。って言ってるように思います。となると矛盾してくる神の姿が出てくると思うのは私だけでしょうか?(もっとも怒りの神は旧約聖書ですが)

さて、「神」という存在がいるかどうかについてはいるんじゃないかな?と半分思ってます。
しかし既存の宗教の神のように人間の行いに積極的に関与する神はいないと思います。神にとって人間の悪行はそんなに重大なことではなく、もっと大きな流れでモノを見てるのでは?と。
だから理不尽なことが起こったとき、神のせいにするのではなく、人間の手によって解決できるようにしないといけないでしょう。そして自分の手だけで解決できない人には手を貸してあげましょう。
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この回答へのお礼

nonkunさん、ありがとうございます。おひさしぶりです。
その節はたいへんお世話になりました。

> 既存の宗教の神はいないと私は考えます。

最近あるところで《「命名されたもの、命名可能なものは存在する」と考えてよい》と
発言しました。(かなりたたかれそうです)
「存在」を「実在」と「観念」に分けたとき、「観念」は人間の頭のなかだけにあるわけ
ですね。既存宗教の神や仏という観念が、たくさんの人々の頭のなかにあって、その人の
行動を支配しているのだとしたら、それは「存在している」と考えてよいのではないで
しょうか。

「天国なんかないと思ってごらん」「財産なんかないと思ってごらん」(ジョン・レノン)

あると思っているものを「実はないんだ」と思うことが、かえって高次の存在を認識できる
ようになる道なのかもしれません。

> もっと大きな流れでモノを見てるのでは?と。

私もそうだと思います。神は、人間的な善悪基準よりも、はるかに高い次元で、われわれを
見ている。そう思います。

お礼日時:2001/07/12 18:53

 私の中では「神イコール自分の中の良心」です。



 宗教は、未知の領域を含め自然への畏敬の念の中から生まれ、生活様式の中の合理性の面から戒律が生まれていると思います。

 これが理由で宗教により人により神の解釈が異なるものと思います。
 (何をおそれるのか、どんな生活様式の中に身を置くか)

 私は、神という概念は人間の未知の領域部分であると思います。
 人間のまだ知り得ない、何らかの力や法則性というか、そういうものが存在しているのは感じます。
 人間としてこの世に存在していること自体が、よくよく考えてみると凄いことです。

 これまで書いた考えの中で、自分の存在をどのような位置に置き日々を暮らしていくか考えた時に、神を信じその教えに沿って生きることも一方法だが、自分の思うままその良心に従い生きていくことが良いのではないかという考えに至りました。

 素人考えで全くの自信なしですが、少しでも参考になればと思い回答させていただきました。
 
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この回答へのお礼

takatozuさん、ありがとうございます。

ご回答いただいた内容すべて、まったく同感です。
良心とはいったい何なのでしょう。
自分自身なのか、自分以外なのか。
自分の内部にあって自分の向上を促すのか。
自分の外部にあって自分を高みへと導くのか。
自力によって自然形成されたのか、他力によって意志的に形成されたのか。
自か、他か。内部か、外部か。自力か、他力か。
そういう問いは、もしかしたら、真理からみたら
ひどくとんちんかんな問いなのかもしれませんね。
たとえば、海なんか本当はないのに、
島はどこだ、陸はどこだと問うような。
うまく言えませんけど。

お礼日時:2001/07/01 22:41

たとえば、「ジャズの神様スティービーワンダー」とかプロレスの神様「ばば」など、人間を神格化表現することってありますよね。


そう考えるなら、神の定義は下記のとおりです。
・自分の行動の指針を決定するのに大きな影響を及ぼす存在
・損益を無視して自分の行動の基準にできる存在
だから、神は無数に存在し、絶対的なものではないとおもいます。
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この回答へのお礼

Masato_aさん、回答ありがとうございます。お礼が遅れて申し訳ありません
でした。
> 神は無数に存在し、絶対的なものではないと思います。
神を感じさせるものは無数に存在すると思いますけど、それらが互いに
無関係かというと、そうでもないような気がします。あらゆる神性は本源的に
ひとつのものであると感じますが、どうでしょう。単なる観念論でしょうか。

お礼日時:2001/06/25 19:06

昔、ネパールを旅行したときの話です。

ヒマラヤ山脈のあるネパールは神々のすむ国と言われています。私が知り合ったネパール人に「神はどこにいる?」ときくと彼は自分の胸を指しました。
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この回答へのお礼

takuma1006さん、回答ありがとうございます。お礼が遅くて申し訳ありません。
> ネパールは神々のすむ国と言われています。
自然環境が厳しくて人間が住めないようなところに、かえって神は住むと
言われますね。いのちをはぐくむものが希薄であるほど、かえって生命力
すなわち神性は輝きを増してくる。そのように感じます。ここでも「生」の
逆説性が語られているのだと思います。
> 「神はどこにいる?」ときくと彼は自分の胸を指しました。
教義ではなく実感としてそう感じているのでしょうか。だとしたら、都市文明
のなかで暮らすわれわれなどよりは、よほど高い生を生きていると、言えなくは
ないでしょうか。

お礼日時:2001/06/25 18:58

>この領域は、お釈迦様は関知しないということなのですか。



そうですね。より正確には、お釈迦様がこの領域から抜け出し、その体験と方法を説かれたのが「仏教」です。

>お釈迦様の力でも 閻魔大王の力を捻じ曲げることはできないということですか。

そうです。お釈迦様は「自分で修行して閻魔の領域を克服しなさい」と、説かれましたので。仏教は信仰ではないと謂われるのですが、それは仏教の中でのお釈迦様のポジションと言うのが、「アドバイザー、インストラクター」であるからなのです。お釈迦様を拝んでなにかのご利益を戴くというのは、仏教の本道ではないのです。

>人格的存在というよりも宇宙の絶対法則という感じですね。

昔の人や、超人格的な概念がどうしても理解出来ない方向けの話でしょう。

>(また、また、また、やってしまいました。しょうのないmori0309です)

気になさること無いですよ。哲学の本質と言うのは「問答」ですから。自問自答、他者との問答で答えを導く。その思考法がまた他の学問を導く。問答を嫌がる人も世の中には居られますが、そういう方は哲学のカテゴリーに参加しなければいいのです。
そりゃ私だって自己中な話し方や失礼な言い方にはカチンときてしまいますが(笑)。

>だとしたらお釈迦様という言葉に・・・・「真の自分」

前後しましたが、そうやって対話によって結論が導かれるのです。この結論は私が教えたのでなく、mori0309さんが対話と思考によって出した答えでしょう?

「ブッダ」と言う言葉の意味は「目覚めた方」と言う意味です。真の自分に目覚められた方です。また、日本語の「ほとけ」と言うのも、「ほどける」から来てるといいます。五感の刺激や欲望の結ぼれからほどけて、真の自分に目覚めた方です。ですから必ずしも、ブッダと言うのはお釈迦様だけではありません。修行して「真の自分」に「目覚めた」時、誰でもブッダなのです。
ただ、開祖のお釈迦様に遠慮して、お釈迦様の教えに連なるブッダを「阿羅漢」とお呼びします。

本題から外れたようですが、ブッダの概念をはっきりさせることで、「神」とは何かよくおわかりになると思います。
すなわち迷いの世界の中でだが、人間より勝れた果報を持った存在と、迷いから完全に目覚めた存在との違いから。

この回答への補足

お知らせしたいことがあります。mori0309@mail.goo.ne.jp

補足日時:2001/07/01 22:22
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この回答へのお礼

nekoucchaliさん、ありがとうございます。お礼の本当に遅いmori0309です。どうかお許しください。

> 哲学の本質と言うのは「問答」ですから。

一人で思索するだけでは哲学していることにはならないのですね。この意味は深いと感じました。

> 修行して「真の自分」に「目覚めた」時、誰でもブッダなのです。

自分の真人格がつねに意識の表層にあらわれている状態になるのでしょうか。まよい、おびえ、
不安、あせり、期待、ねたみ、疑心、といったような人間的な感情の動きからまったく自由に
なれるのでしょうか。真の自分に目覚める「自分」とは何者でしょう。

> ブッダの概念をはっきりさせることで、「神」とは何かよくおわかりになると思います。

ブッダと神はちがうのですか。「迷いから完全に目覚めた存在」とはどちらですか。
屁理屈みたいな質問ばかりですね。すみません。自分で考えます。

芽居留いただければうれしいです。mori0309@mail.goo.ne.jp

お礼日時:2001/06/19 21:19

何度もスイマセン。



>国家や民族に魂があるだろうかと、ときどき考えます。文学的には
>「ある」と考えてよさそうですけど、科学的にはまったく相手にされ
>ないですね。でもサッカーのあの熱狂ぶりを見ると、私たち個人は、国家や
>民族という巨大な魂の分霊ではないか、それもかなり実体性のある・・・
>なんて考えてしまいます。しかし私はもっと上位の「公」の存在を
>信じたいです。ナショナリズムは所詮セクショナリズムであって、多分に
>動物的ですから。

「回答に対する自信:なし」にすると先生に申し訳がないのですが。
科学的に相手にされない時代は終わりました。
「公に宿る魂」と言うのは大袈裟ですけれど、
現代では、関係というものが更なる重要性を持ちつつあるようです。
前時代では、人々が個々に分断され、今ほど関係性は重視されませんでした。
「私」⇔「私たち」を考える上で、「関係」を無視するわけにはいかないでしょう。

それを考えなくても、実際的には、
「小さな社会」⇔「大きな社会」というように、包含関係にある2者だけでなく、
「企業」⇔「地域」というよう関係も、社会的にはありえます。

宗教にも密接に関わる「民族」という公も、
人間個人の「魂」に相当するものを持っていると思います。
その公に属する諸個人が共通して前提としている考え方の総体など。

> セクショナリズムを克服すればするほど、われわれは神に近づいていく。
>(あー、またやってしまった。お許しください)

ユダヤ教の選民思想は一種のセクショナリズムと言えますが、
セクショナリズムの克服で神を見出すというのは、あり得ると思います。
地球に住む全ての人の共通諒解から、
全ての人が賛成する神の像が出てくるかもしれません。
完全なセクショナリズムの撤廃は難しいでしょうけど。

関係ないですが、
性別sex、セクションsection、分派sect、2番目secondは
全て「分割」から来てます。
sexとかsecondはともかく、
section、sect、それにsectionalismなどを考えてみると、
分割していくことには功罪が共にあるみたいですね。
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この回答へのお礼

reneさん、ありがとうございます。お礼の遅いmori0309をお許しください。

「公に宿る魂」、実は私はそれこそが「神」、あるいは「神への進化途上にある何か」
なのではないかと、いつのころからか思っていました。

> 宗教にも密接に関わる「民族」という公も、人間個人の「魂」に相当するものを
> 持っていると思います。その公に属する諸個人が共通して前提としている考え方の
> 総体など。

魂。この言葉で表現されるものの正体は何なのでしょう。世のなかの半分くらいの人は
「そんなものはない」と言います。でも私は生きているものには、この「魂」としか
呼びようのない何かが宿っていると感じられてなりません。それは「関係」でも「思念」
でもない、「生」そのもののような気がします。オカルト的すぎるでしょうか。

芽居留いただければうれしいです。mori0309@mail.goo.ne.jp

お礼日時:2001/06/19 20:53

あたしが描く神様は、頭になんか葉っぱのついた冠みたいなものをつけて


なぜか上半身は、裸・・・下は、みょ~~~に派手めの柄のトランクスはいてます。
年がら年中このスタイルだけは、なぜか?崩さないの・・・ポリシ-があるみたい。
寒くっても、暑くっても、パンツいっちょっ―☆

それでね、いっつもドテッと、、、耳のあたりに手をあてて、ひじついて寝転がってるの。もう片方の手で耳をポリポリ~♪鼻をクニュクニュ~♪ポイ~
・・・って感じにものぐさ決め込んでるの。

なぁ~~んかとっても人間臭いものぐさなおっさん。
いいかえれば、『愛すべきおっさん』をイメ-ジしてます。

世の中でややこしい事が起こってても相変わらず、
お耳ポリポリ~お鼻クニュクニュ~♪ポイ~
『わしゃ知らん~おぬしらで考えよ』と、でも言うかのような・・・・

なんで、そんなふうに神様をイメ-ジするのかなぁ~と
考えてみたところ・・・

まず、神様がパンイチでいるあたりから・・・・
神様が、パンイチであろうがなかろうが人の都合で、どんな服にでも
着せ替えできちゃう。。。。。
他人様のおもいで神様の姿が男前に見えたり、めっちゃ!だらしなく見えたり、
神様も疲れちゃう、だったらパンイチでいたほうが楽なんじゃないかと・・・

世の中でややこしいことが起こってても相変わらずパンイチ!

なんか神様だったら、颯爽と現れてややこしいことを瞬時に
解決してくれそうなんだけど・・・そうでもない。

生きてるとややこしいことに何度かでくわす。
その都度、その都度、願いを叶えてくれる魔人でも呼ぶかのように
『神様!!』って、あっちでもこっちでも声がする。

相変わらず神様ゴロ~ン~♪と、横になってて、
よく見りゃ~おおきな口あけてあくびしてる・・・・ふわぁぁぁ~~~Zzzzz・・・
『わしゃぁ~ただのおっさんじゃいなぁ~』・・・・ねる。Zzzzz・・・Zzzzz・・・

とどのつまりが、自分で考えて何とかすねしかない。
私の中の神様ってものは、手も足も貸してはくれないけど
手も足も貸してくれないことで、自分で解決するしかないことを
教えてくれるような存在。

だから・・・存在自体が目に見えて形になって実存するかはわからないけど・・・
空気みたいに目にはみえなくてもなんかいるの。


↓stomachmanさん~おかえり~♪chu―★
覆面は?かぶってますか???ご愛用のグッズ『葉巻』は、ポッケにあるのかなぁ~?
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この回答へのお礼

littlekissさん、再回答ありがとうございます。

> 私の中の神様ってものは、手も足も貸してはくれないけど
> 手も足も貸してくれないことで、自分で解決するしかないことを
> 教えてくれるような存在。

 そうですね。私もそう思います。もし神が存在するとしても、人間の
物質的苦境を救ってくれたりはしない。

 実は私、苦境自体が神の恩寵だと思っているんです。
(あー、またまたやってしまった。被虐趣味、奴隷思想・・・どうしてこうなるかなぁ)

お礼日時:2001/06/10 19:15
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