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フランスが、ベトナム、カンボジア、ラオスのあたりを植民地化したとき、目的の一つには
「メコン川をさかのぼっていき、中国南部にある租借地や長江との連絡を確保する」
というのがあると聞いたことがあります。

その話は、本当ですか?
だいたい、メコン川をさかのぼって中国に行く、っていうのは可能なんですか?(流れの速さによるでしょうけど)

中国に物資を送るさい、具体的にどういうルートが存在していたんでしょう?

A 回答 (1件)

はじめまして



メコン川をさかのぼって中国の仏領に物質を送るというのは何かの間違いだと思います
海路で直接、仏領の広東に送った方が効率的ですね
海上船舶では河川航行は無理ですから河川航行用の船舶に移さねばなりませんし
当然海上船舶より小型になりますし、鉄道のように多数の車両をつけて大量輸送できるわけでもありませんし


仏領インドシナの領有過程を述べますと
ベトナムの阮朝が18世紀後期フランスの支援を請う為、ベトナム南部にあるプロコンドル諸島をトゥーラン条約で割譲することから始まります
フランスは阮朝を傀儡化していきます
フランスのベトナム支配は三つの地域に分け支配形態に違いがありました
南部のコーチシナは19世紀中頃に軍事占領し直接支配
中部アンナンには阮朝の首都フエがありますが、1883年のアルマン条約により保護領化します
北部トンキンは中国の清と領有を争いますが、最終的に半保護領化するのです

カンボジアの領有は阮朝がシャム(タイ)と領有権争いをしている過程で阮朝がフランスの支援を乞うのがきっかけでした
カンボジアの支配にはフランスはベト(ベトナム)人を中下級官吏として送り込んだこともあり
後々のカンボジア人の反ベトナム感情の原因ともなりました

最後に領有化したメコン川上流にあたるラオスはシャムと領有権争いをしながら
最終的に1893年バンコク条約によりシャムにフランスのラオス領有を認めさせるのです

1895年にはベトナムから雲南までの鉄道敷設権を清に認めさせているので
フランス勢力権下の中国南部への物質輸送は沿岸部は海路、内陸部に対しては鉄道を使用したと思われます

長文失礼致しました
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