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映画の製作って何なのでしょうか?とある邦画のティーチインの様子がサイトに載っていて、それを見ると、どうも監督(是枝裕和さん)も撮影する場面の意味を画定しておらず、こんな意味ももたせられるかな、というスタンスのようでした。質問者が、このシーンはこういう意味じゃないかと思いました、みたいにいうと、監督が、そういう風にも考えられるね、みたいに返してました。あと、アドリブをさせてそのまま使うとか。
ど素人の私からすると、すごく違和感を感じました。普通だったら、それはこういう意味で君の言うようなところまで考えてないよ、とか、私はこういう意図で撮りました、とか言うのが普通じゃないんですか?
監督は自分の撮りたいものを撮るんだから、撮影に偶然の要素とかがあるにしても、それは無意味なものとして排除して考えたほうがよくないですか?監督が意図していなかったことを観客が勝手に解釈した場合、監督自身はそんな意図なかったんだから、そんな意味はないよ、と言ったほうが分かりやすいと思います。
邦画ってわかりにくい映画が多い気がするんですが、上記のこと(監督が観る側の広い解釈を許容していること)も関係しているんですかね。邦画監督はみんなこんな感じなんでしょうか、それとも是枝さんだけなのでしょうか?

A 回答 (1件)

映画あるいは読書にもいえることだが、観客(読者)は、当然のことながら


自分の能力、知識、常識で、ものごとを判断する。
つまり、1本の映画(1冊の本)は、観客によって、それぞれ受取方が違う
ものだと思う。よくあることだが、難解でとても意味不明の映画がある
とすると、経験者、関係者がこれを事前に見て、全国の劇場公開数を
決めるのだが、まず間違いなく、はじかれる。つまり一般的ではない
という理由で。この映画は、どうなるかというと、そこの支配人が
気に入れば単館の公開にはなるが、多くは、ストレートで、セルレンタル
のDVDになる。または、どうしようもなければ、オクラ入りである。

回答の結論からいえば、プロデューサーは、すべての観客にわかりやすいように
製作するよう努力をして、多くの人に見られ=ヒット、大ヒットになるようにする。

観客の受け取り方は、千差万別、であることが判っているから、こその、監督の
発言ではないのだろうか。つまり、受け取り方は、すべて、あなたの自由ですよ、
が、映画製作の一般的な考え方であると思います。

蛇足
邦画は、判りにくい、というのは、自分の経験不足ではないだろうか。
つまりは、これから、多くのことを学び、勉学、経験、読書、映画鑑賞を重ねて
「大人になる」
映画や読書は、「錯覚」。多くは、作家や製作者の意図とは別のトコロで、
自分なりの、感動や判断をしている‥らしい‥
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