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文系の博士の院生ですが、紀要の査読についての質問です。私の大学では査読は十段階評価で、内部査読者が一人、外部査読者が一人という形をとっています。ところが、これの査読に私はかつて通過した事がないのです。私の至らなさを棚に上げる事は出来ません。しかし明らかに奇妙な事があるのです。今まで3回投稿しているのですが、その度に、査読の点が落ちていくのです。1回目が修士1年の時で14点。二回目が修士2年の時で10点。さらに博士2年の時が5点。これは明らかに変だと思うのです。学年が上がっているという事に加え、紀要より一般的には上位に位置づけられる学会誌の方は、私はよい点で査読に通るようになりました。レヴェルが落ちているはずはありません。何なのだろうと苦しんでいます。

客観的に見て出来が悪いだけなら納得は行くのです。実際、外部査読者のつける点数はボーダーとなる5点前後です。全体として点のつけ方が辛めなのかもしれないとは思います。しかし3回に共通した査読者(仮に査読者Aと呼ぶ)がおり、この査読者Aと私は険悪な仲です。彼と決定的に険悪になったのが修士2年の頃でした。一回目はともかく、二回目から私の査読が何かおかしい気がしています。
まず特に通常はあり得ない、拒否権を発動する点数が連発されているのです。拒否点とは最低点すれすれの1点と2点の事ですが、この点がついた論文は掲載されません。もう一人の査読者が仮に満点をつけても、再査読そのものをやめさせられます。が、査読者Aは拒否権を発動する点数つけています。
次に査読者Aは拒否点をつけておきながら、きちんとした講評を書いていません。誤字脱字が散見されます、また「論旨には概ね納得する」と述べておきながら、査読の点数に2点をつけるなどしています。執筆者を怒らせるために挑発しているとしか思えないのです。
さらにこれは私の事ではありませんが、別の院生に査読者Aは査読が不適切だったと認め、軽い形ではあるが詫びを言った事もあると聞いています。この院生は怒って学業をそのものから離れてしまったのですが、査読者Aは審査できないのではないかとも私は疑っています。

どこの大学でも当たり前かもしれませんが、私の大学では院生が査読に異論を唱える事は出来ませんし、査読者Aは基本的には匿名性によって守られています(あくまで内々に知っているだけです)。私としては自らの至らない点を認めつつも、せめて査読者Aに審査を離れてもらいたいのですが、大学側にそれを交渉する事は可能でしょうか。
ほとんど嫌がらせとしか思えないと考えた結果、ほぼ一年、鬱に陥ってしまい、特に査読者Aのコメントを読んだ時は、自殺しようかとさえ思ったほどでした。ちゃんと書いた論文なので、出来が悪くても、非礼や挑発が許せなかったからです。今後仮に及第点をつけたとしても、彼に何事かを言われるのも我慢ならないというくらいに嫌な気持ちになっています。

なおアカデミックハラスメントを立証するような、確たる証拠はありません。日頃から査読者Aとの交流はありません。彼にしても出来が悪い院生に愛想を尽かしつつも省エネで対応しているとか、指導の一環といえば、言い逃れられる範囲だと思います。私も査問委員会を招集してくれと大学当局に呼びかける気はありません。しかし精神状態が苦しいのであり、査読者Aと縁を切りたいのです。大学と事を構えず、穏便に済ませる方法はないでしょうか。紀要そのものの投稿は諦めるという選択肢は、この際、考えずにお答えいただけたらと思います。

最後に、全く悪意がなかったとしても、査読者Aのような状態が発生しうるとお考えでしたら、お教えいただけたらと思います(例えばもう片方の査読者の手前、身内である内部査読者は思い切り低い点を付けるのが慣例になっているなど。あるいは、査読で私情を挟む事は普通は一切無くて、質問者の被害妄想でしかないなど)。相手が何を考えているのかさっぱり分かりませんが、私としては、精神の安定を得たいのです。よろしくお願いいたします。

A 回答 (15件中1~10件)

 色々大変ですね。


 面倒な話ですが、私は査読者Aに悪意はないと思います。

 理由としては、

1)研究もする気がないような人なら、昔のあなたの論文の評価をいちいち覚えて
  評価を変えるというような几帳面な事ができない。
2)質問者さんの指摘の通り、身内が低い点数をつけるという慣習はありがち
  (私の大学院の修論審査がそうだったはず) 
3)あなたが嫌い、もしくは主観的に研究に問題があると考えているのなら、学内
  という立場を利用してもう少し具体的な圧力をかける
4)査読で色々とドラマが出来るのはよくある話(※)

 というような事が挙げられます。
 重要なのは3でしょうか、私は経済学が専門の人間なので、質問者さん、指導教
官(あるいは貴方の見方の学内教員)、査読者Aそれぞれの利得関数と最適な戦略を
あれこれ考えてしまうのですが、貴方に何か敵意があるとして、査読で嫌がらせと
いうのは査読者Aにとってメリットのない行動のような気がします。彼に学内で力が
あれば、もう少し具体的な実力行使ができますし、力がないのであれば査読者を変
えられるだけなので、あまり意味のない嫌がらせのように考えられます。質問者さ
んの大学の紀要の編集方針はわかりませんが、紀要は院生に対してはハードルを厳
しくする事も多いので、それもあって初見で掲載レベルに達しないものに関しては、
質問者さんが書かれているように省エネで低い点数(「お客さん」要素の強い修士
では甘い点数付けをして、「研究者仲間」に近くなる博士では厳しいというのもあ
りうる)をつけて「次回に期待」としているだけでは、と思ったりもします。

 ところで、

A)紀要に出されている論文と学会誌に出している論文と比べた場合、どちらが自信
 作ですか?
B)指導教員は論文についてどう評価していますか?
 (厳しい?/好意的/研究自体への関心低い?)

 このあたり、コメントしていただけるとより的確な回答ができるような気もする
のですが、いかがでしょう。
 あと、※に書いた通りで、査読者の変更はよくある話なので、そういう話が通り
そうな雰囲気であれば申し出るのも良いのでは、と思ったりもします。


※)私はポスドク研究員ですが、異分野にあれこれ首を突っ込む関係で、目上
の先生方から色々査読の苦労話を聞かされることが結構あります(あまり専門
が近くないんで話しやすいんでしょう・・お前もどんどん論文出せとどやされ
ますが)。曰く、あまりにも査読が厳しいので、その説得や査読者を穏便に行
うのに苦労した、とか、分析に問題のある論文をリジェクトしたら問答無用で
査読者から外されたとか、本文は(水準はともかくとして)問題ないものの、
本文執筆で力尽きたのか、要約の英文が意味不明(文章が稚拙とかいうもので
はなく、単語カードをシャッフルして並べたの?という感じの文として成り立
たない単語の羅列・・・)で、これってコメントすべきなの?という話とか・
・・。

この回答への補足

○締めるにあたって

議論が宙づりですが、締める事にしました。No14を見て、正直、悲しくて、嫌で嫌で仕方がありません。時間が経つと、効いてきました。再投稿を待つといいました。しかしその投稿がまともな投稿である保証はどこにもありません。更に人の心を抉ろうと手ぐすね引いているのかもしれません。待っていられないという気になりました。彼の心を私から破壊するようなことをやってもいいですが、私はそれはしないと自分で約束しました。しかし以下の問題点だけは言っておきます。
(1)少ない情報で判断を下している(憶測の域を抜けない)。
(2)総合的判断が下せない状況で断定する。
(3)相手の心情に配慮などしない。
(4)悪意がないと言明しているが、何が意図か明記しない。
(5)説得的に書く気がない(能力がないとはいわない)。
(6)自分自身で良く知りもしない比喩を持ち出し、相手を不快にする(文体が「ゲーム本」(ライトノベルの意か?)などと言い出す)。

(1)と(2)で学術研究者としておかしいでしょう。次に(3)(4)(5)で教育者としておかしい。人間としてもおかしい。正直、論述のレヴェルとして最低とはいわないが、私より低いと見ています。教授だと思って権威に配慮するとか、この人は信頼に値すると思って前提的に信頼を置かない限り、意見を聞く気になりません。
さらに(6)については、あまりにひどい。本題とそれますが、私としては話を聞きたくなくなる大きな要因です。ハンドルネームが八十八夜ということはおそらくは日本文学の研究者ではないまでも、古典文学が好きなのでしょう。ハイカルチャーを気取ってサブカルチャーを見下しているのでしょう。だからライトノベルなどと言い出すわけです。私はサブカルチャーを擁護するものではないが、見下す態度には嫌気がさします。 井の中の蛙という言葉が頭をよぎりました。日本の文化を私は愛していますが、諸外国のそれを見れば、ハイとかローという観念が崩れます。有り体に言うと、私はハイカルチャーの研究者です。こういう野蛮な考えを見ると、ムカムカして来て仕方がありません。お前の文体は大体なんなのだ、私より優れているかのように語る自負はどこから来るのか、と言ってやりたいところです。

ともあれ心を落ち着けたいと思っていたのに、余計心に傷を負わされて不愉快です。正直、かなりのトラウマであり、No14の投稿者には道義的な意味での責任を求めます。どこかで騒ぎになっているような民事訴訟などはしませんが、胸に手を当てて、自分が何をやったか考えてみてください。それでも何も感じないというのなら、悪いことはいわないから、本当にカウンセリングを受けていただきたいと思います。それだけのことをやっています。
カウンセリングを受けろというのは私の捨て台詞ですが、真面目に考える価値があると思います。私はこうやって逃げますし、ウェブだからさっさと逃げれますが、No14の投稿者は身の回りの人にも同じことをやっているでしょう。特に善悪の判断が停止しており、相手の心情に配慮できないというのが危険きわまりないことです。いわゆるサイコパスになりかかっているのかもしれません。案外、話し相手がいないから、このウェブで暇つぶししているんじゃないでしょうか。しかし周囲の人が可哀想です。話してみると案外いい人だったということはあるかもしれませんが(というのも一度はちゃんとした回答が来た)、いきなり背負い投げを食らわされるのはたまりません。 心を許した瞬間、その隙にズブッと遠慮なく来るわけですから。相手が弱味を見せるのを狙って、自分を優位に立たせたいのでしょうね(これでも私は手加減して書いています。私の方こそ、鬱の結果、サイコパスになりかかっているのですから用心しないとなりません)。

ベストアンサーは整理して論理的に記述してくださったという意味で、選ばせていただきました。

補足日時:2012/09/07 21:36
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この回答へのお礼

論理的に書いてくださり、どうもありがとうございます。列挙してくださった理由、納得いくものでした。おそらく末尾に書いてくださったように、先生方から聞いた裏話を反映して整理してくださったものなのでしょう。

>貴方に何か敵意があるとして、査読で嫌がらせと
いうのは査読者Aにとってメリットのない行動のような気がします。

おっしゃる通りだと私も思います。だから何なのか訳が分からないのでした。査読者Aは奇想天外なところがある人ですが、猫がネズミで遊んでいる感覚なのかもしれない?とも思いました。しかし相手は大人で身分がある人ですから、イジメを安易に行うとも思えません。そこで私の思考はストップしたきりです。


>ところで、

A)紀要に出されている論文と学会誌に出している論文と比べた場合、どちらが自信
作ですか?


紀要論文です。文体は学会誌の方が難しいのですが、中身は紀要論文の方が充実しているのです。平易な文体である上、要点が整理されており、何も知らない人が読んでも当該分野の概要が分かるように書かれています。学会誌の方は投稿した私が言うのものよくないですが、文体やレトリックで話を誤魔化したところがあります。論文を建築物として構造を計算すると、より強靭なのは実は紀要論文です。

>B)指導教員は論文についてどう評価していますか?
 (厳しい?/好意的/研究自体への関心低い?)



微妙なニュアンスがあるので一概に言えませんが、こういう場なので単純化して書こうと思います。細部を書くと匿名ではなくなりますし、読んでいただく側も意味が了解しづらくなると思いますから。
まず研究テーマは指導教官の関心の埒外で、それを読むにはゼロから調べないとならないと思います。もっとも事前に了解を得ていますし、興味が無いのなら先生の提示するテーマに変更します、とも申し出ています。私がプランを持っていって、話し合って決めたので、これについては異論はないはずなのです。
論文の評価ですが、パースペクティヴは明らかであり、その方向性も良好だそうです。実際、私もダメ出しをされてからかなり苦労して修正したり、研究を放棄してやり直したりしています。ただし研究の細部で問題を感じることが何度かあり、一人立ちできるレヴェルではないという感じです。資料の扱いに甘い点があるそうです。

抽象化して言えば、次のことです。とある一つの資料から解釈できることが、ABCDと四つあったとします。この四つの可能性がある中で、 私は突然、Bのみに注目してしまいます。するとACDはどうなっちゃうんだろう?と思う人が当然いるわけです。しかし私も馬鹿ではありませんから、先行研究を調べて、残りの三つのうちの一つくらいは潰しておき、Bの解釈でならねばならない理由を論述しています。
しかし依然として、二つの解釈の可能性が宙に浮いたまま残っています。二つについて、私は予期していないことが多いのです。「先行研究の誰も書いていないし、そこまで考えないでもよいことなんじゃないか? そういうことを言い出していたら論文が書けない」くらいに思う細部です。こういう次第なので、仮に二つを重要視する研究者が出現すると説得できません。そして相手は「こいつ、自分の論旨のために資料をちゃんと解釈していないな」などと思うことでしょう。指導教官からは、総合的に見てどの水準にあるかは、言明がありません。

お礼日時:2012/09/07 06:50

まあ、他回答者に言及するのは行儀がいいとはいえないんだけれども、質問者さんを否定する材料は、この質問と応答からはわたしは別に見当たらないんだなあ。

たかが紀要であれど、初めて抜き刷りを配ったときの喜びというのは皆さん覚えているでしょう。ちょっとはあの気持ちに戻って、指導教官の上位に鎮座している先生とうまくいかないって院生の話くらいすんなり聞いてやったらどうでしょうか。

No.10で、指導教官が論旨には概ね納得しているというのは評価ができないと同義である、どうせ書くなら査読者が“この論文には恐れ入った”と言わざるを得ないようなものを書いてくれということだ、と言われた質問者さんが、それは論理的に破綻している、と考えるのは無理からぬことでしょう。わたしには破綻というより飛躍に見えますが。

どうやら主文の主語が指導教官で術文の主語が査読者、なんて事態が、肝心の人間関係から出てこないからこそ、問題がおきているのはこれまでを読めばわかります。
さて、文学研究などに見かけるタイプで、学生を支配下においてテーマから論の進め方から指図して育て上げようという教員もいるものです。もちろんそうした学生を、資料集めや下訳や編纂事業や共同執筆などに"引きたてる"であろうこと疑いなく、飛行機や宿泊の手配までも任せカバン持ちもさせる、休暇には別荘に呼び他の院生のまとめ役から孫の世話から妻の買い物の付き添いまでさせかねない、まさに金魚のフンのごとき半生を約束する、というタイプですが、推測をはずしましたでしょうか。まあいいや。

やや暴走気味にわたしはA先生の人物像をそう推測しましたが、質問者さんはA先生の子飼いの弟子にかつて入らなかったあたりから関係をこじらせているらしいわけで、恐れ入りましたと言わせるには、A先生の弟子になり、気に入るテーマに変え、想像を超えてみせなければなるまい、というのだからその反語的苦渋の滲む言い草からして、心情を回答者が汲んでやってもいいと思うんだなあ。
詩人研究などにありがちなたった一語の選択をめぐる変遷とか修正とか経緯とかね、まあ、研究はいろいろあるものですから、回答者にできるアドバイスなんて総論と根性論くらいで、踏み込んだことを言うのは土台無理です。適性がない、なんて踏み込みすぎていますよ。
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この回答へのお礼

再度、どうもありがとうございます。全部読んでくださっているのですね。本当に手間でしょうに。感激しつつも、申し訳ない気持ちです。読んでいて、気分のいいものじゃないでしょうから。

いいですよ、私も院生で社会的には半人前といえ、いい大人です。相手がちゃんと論述してくれたら、そういう意見もあるのかと受け止めます。それに私も底意地が悪い人間ですから、知らぬ間に相手に喧嘩を売っている可能性はあります。相手に直接売ったのか、教授全般に売ったのか分かりませんが。 相手もきちんと論理的に書いてくれると期待しています。一度はそういうことがありました。

学会誌掲載で抜き刷りは貰ったことはあり、嬉しく思いました。でも誰もその喜びを分かち合える人って、私の周りにはいなかったんですよね・・・両親はゴミだと思っているし、もう読ませたい人もいないし。指導教官こそ、器が大きいというべきか、最大限に成長したと思うと言ってくれました。 彼は私を「放牧して」育てているのだと思います。私の首に縄を付けても、暴れて無理だと思ったのでしょう。 名伯楽というべきかと思います。ただその分、私は自分でものを考えないとなりません。それでこうやって質問してみたのです。

おかげさまで気持ちは落ち着きましたが、仮にNo14、あるいはその他の方が攻撃的な返事を返して来ても無視なさってください。そしてその場合には私は通報して質問を即締めるつもりです。

私はいいのです。私はスレッドを締めるなど対抗策も持っています。マナー違反にならない範囲で抗議も自由にできるし、通報する権利も有しています。しかし、回答者様にはそれがありません。またトラブルが発生しても、管理の側に横スレがそもそも違反だと一蹴されるかもしれません。

あいにくと、相手はとても危険だと思います。どんな腹が立つことをサラッと言うか分かりません。そして私はこの時に、回答者様に対して償って差し上げられないと思います。そういう言葉はないだろうとお礼欄に書き込むとか、通報くらいはできますが、その程度です。

私に適正がないと宣告するということは、普段そういうことをしているということです。大学では長老格の一人でしょう。しかしここに投稿して来るということは、今はある程度は暇なのでしょう。窓際になったか、名誉教授か、サバティカルで海外赴任中なのかもしれません。こういう人に喧嘩を売っても無駄です。せめてきちんと論述していただきたいと思うのみです。そうすればそれは一個の意見として尊重に値するものになりますから。

お礼日時:2012/09/07 19:39

これまで書かれている内容あるいは文体をみると、残念ですが博士課程で研究をする適性がないと考えられます。



どういうテーマについてどういう論文を書かれているかわからないのですが、とにかく論理的な思考力に欠けている。

たとえば、No.7のお礼にあなたが書いた、

>>もう一つ付け加えれば、“論旨は概ね納得”という表現は事実上、“評価が出来ない”と同義だと思います。
>そうかもしれません。しかし、論理的に破綻しています。というのも「恐れ入った」とは次のことだからです。査読者Aの門弟になり、彼の納得するようなテーマを選び、それで最先端の研究を発表する。予想を上回る結果を出す。
しかし、それは指導教官を変えるということです。

という文章を読んで、理解あるいは納得できる人はほとんどいないと思います。
どうしてそんな発想になってしまうのか?
文体もめちゃめちゃです。
あなたが自覚しているように「私は突然、Bのみに注目してしまいます。」というあなたの思考回路からきているのか?
あなたにはNo.7さんの書いてある意味が読み取れていない。
「恐れ入った」=「すばらしい」論文くらいの意味しかない。
門弟になるうんぬんはあなたの思い込みに過ぎません。

また、あなたの研究活動についても正直に書いていただいたのですが、
あなたが、学内外で評価されているとはとても思えない状況です。

まず紀要の外部査読者もボーダーの点数しかつけないのですから、 A先生以外の査読者(3人?)も積極的な評価はくれなかったということです。

次に、学会の雰囲気もいろいろあり、その場で何と言われたかはっきりしないのではありますが、
「確実なことを言うように議論していることは確かだが、局所的な問題に特化し過ぎている」
というのは、評価に値しない、とほとんど同義でしょう。

また、大学や分野にもよりますが、

>まず一回目の紀要投稿は、誰にも見せませんでした。二回目は指導教官に見せたけれども、これはなあ、という反応でした。次に修士論文です。これはbを経てaになりました。しかしコメントを貰いたいというよりは根回しの意味で査読者A を訪問したのですが、「えっ?これで博士に行けると思っているの?書き直しなさい」と言われました。結局、落第しました。通過した修士論文は誰にも見せていません。学会誌の投稿論文も誰も見ていません。その代わり、執筆計画書の段階でかなり細かく指導してもらっています。三回目の5点がついた紀要の投稿論文も見せていません。

これはかなり異常かつ深刻な状況です。
指導教官としては、自分がまともに指導できていない論文(紀要に関しては1,3回目は見せず、2回目でも「これはなあ」)を勝手に出されて、全部落とされて、困ったことになったと思っているでしょう。学会誌に通ったのは結構だけど(どんなクオリティでも通ることはありますから)、投稿前の原稿も見せないようでは喜んでくれてはいないでしょう。
破門されてもおかしくないと思います。

A先生の「えっ?これで博士に行けると思っているの?書き直しなさい」と言われました。も他意無くそのとおりの意見だったのでしょう。あなたがA先生を評価しないことの妥当性は判断できませんが、全体の状況を考えるとそうなります。

>そして近年の私の研究は、その局所的な領域に踏み込んで来ると、張り巡らした罠が発動して、異議を唱えた者を封殺するというような陰険、かつ臆病な構造にさえなっています。研究の方向性そのものがちょっと歪になっていて、私は正直、嫌です。

というような研究は誰も興味をもってくれません。
いくらあなたが資料を検討して、狭い分野でいくらあなたが精緻と思う議論を展開してもです。
議論自体がいくら精緻でも、興味を持つ人がいなければ残念ながら学問的な価値はないのです。
ちなみにゲーム本のような文体ですが、何か意図があるのですか?
まさかこの文体で論文を書いているとは思いたくないのですが。

あなたの研究を全否定するようで心苦しいのですが第3者としてはこういう判断となります。

短絡的な発想の傾向があるようなので念をおしておきますが、あなたに悪意があるわけでもけんかをうっているのでもないことをご理解下さい。非礼や挑発ではありません。

この回答への補足

○全体の補足、中間まとめ

みなさまの好意で投稿が続いており、また補足の応答が続いてもいるのですが、一回整理させてください。実は既に結論は出ているように思います。私がこの質問欄で感じていることをまとめてみます。

(1)質問者の論文の出来について
・質問者の論文のレヴェルは判断する材料がない。
・また回答者の方も多岐にわたる分野であり、判定はできない。
・事実、読んでもいない論文で云々言われるのは質問者も不服。
そういうわけで、質問者の論文の出来についての質問が集中していますが、私自身はそれを意図して質問したわけではありません。それは最初から分かっていることです。こうしたウェブ上の質問ではそれを云々することそのものに限界があります。

(2)次善策の講じ方について
・査読者の問題であれば、大学に査読者変更を申し出る。
・紀要にこだわらず、別のジャーナルを探すべき。
・それが精神衛生にもよい。
実際、そうなのかもしれないなと思ってきました。これは私自身、自分で考えて質問をする以前に分かっていたことです。しかし私には不満がありました。というのも私は、紀要論文とは、多岐にわたる分野の論考をニュートラルに、かつ甘めの査読で載せるものだと思っていました。「甘め」というと傲慢ですが、実際、そういうことになります。すると私は正当な権利を侵害されているような気になりました。しかしそれを言い出しても始まらないだろうという気持ちになりました。自信がある論文ならなおのこと、別のジャーナルを探すべきかもしれません。

(3)その他
何人かの回答者とやり取りが宙づりになっています。しかし私は正直、何を議論しているのかよくわかっていません。まずそもそも私自身が心に余裕がなく、自殺せんばかりだったと述べたのにも関わらず、査読者Aの言い分に従うべきとか、お前に適正がないと言われるに及んでは、回答者に悪意がないのだとすれば、「サイコパス」(=平然と他人を傷つける者)なのではないかとさえ思っています。
そもそも、査読者Aが正しいのか、私が正しいのかをこの質問は聞いていません。それを聞くのであれば、査読者Aの人間性をまず描いて、私との確執を明らかにし、現状では紀要の査読で嫌がらせを受けているがどう思うか?と尋ねるはずです。私は査読者Aのことはどうでもいいのです。あくまで紀要が問題です。
質問の趣旨を汲んでいない投稿が相次いでいるように思います。文体が「ゲーム本」で滅茶滅茶という指摘があるに及んでは、日常のむしゃくしゃを私に八つ当たりされているとしか思えませんでした。正直、私も同じことを相手に報復してやろうかと三十秒くらい思いました。私がそれをやれば、相手の神経を壊滅に追い込めるくらいのことが出来るかもしれません。しかしアホらしいのでやめました。建設的ではないところに質問はさしかかっています。
しかしやり取りが宙づりになっているのもよくありませんし、投稿者によっては私の想像しえない核心的な問題を私に教えてくれようというのかもしれません。あと一日待ってみますが、その中で回答者の意図が建設的なものであると把握できない場合、やり取りを打ち切って集まった回答の中でベストアンサーを選ぼうと思っています。良心的に投稿してくださった方もいらっしゃる中で、このようなことになっていて申し訳なく思います。

※ No14の方への追記
正直、相当嫌な思いをしています。悪意はないと言明なさっていますが、 悪意なのか善意なのかご自分で見分けがつかないまま、過激な暴言を吐いているという可能性がないか、自問していただけませんか。上に書いたように、私、やろうと思えばあなたに対して同じことを出来るが、マナーの問題と私という人間の品位の問題でそれをしないでいるだけなのですよ。それともあなたの住まう分野や、大学環境ではそれが普通なのでしょうか。
何が目的で質問と関係のないことを糾弾し始めているのか、きちんと論述し、質問者の心を落ち着かせてください。説明責任ありだと思いますよ。

補足日時:2012/09/07 17:55
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この回答へのお礼

再度、ありがとうございます。

>これまで書かれている内容あるいは文体をみると、残念ですが博士課程で研究をする適性がないと考えられます。



中々、手厳しいですね。全否定のような様相です。まず確認しておきますが、投稿者様は、大学教員で、弟子を育てた経験がある方ですよね。そうでなければ、突っ込んでお話を伺っても、私としては参考意見程度にしかなりません。そして失礼ながら、差し支えない範囲で、どの分野がご専門なのか教えていただけませんか。私は教えたくないといっているのに相手に教えろとは失礼なことであって、教えたくないということであれば、それでも構いませんが。しかしそれを伺えば、仮に極端な意見だなと私が感じたとしても、怒り心頭に発することなく、分野が違うからそこでは少なくてもそれが常識なのかもしれない、と落ち着いて考えることができます。

>どうしてそんな発想になってしまうのか?

>あなたにはNo.7さんの書いてある意味が読み取れていない。
「恐れ入った」=「すばらしい」論文くらいの意味しかない。
門弟になるうんぬんはあなたの思い込みに過ぎません。



既に書いているように、私はその方の投稿全般の意味がまったく分かっていません。何をしに投稿してきたのかということから既に了解できません。はっきり言えば、迷惑しています。とりわけ私が不快に思っているのは、査読者Aに対して私が自殺せんばかりに嫌がっているのを承知の上で、その肩を持ち、彼の言うことに従うようにと助言している点です。しかも自らをカウンセラーと称しています(履歴を読んだら、実際にカウンセラーらしいのですが)。
査読者Aの門弟になる云々は思考の飛躍というより、彼の顔を思い浮かべつつ考えたらそうなったということです。ですが実際、一般論で構いませんから、他にどうやったら「恐れ入った」という状態が発生するのか、説明いただけませんか。子供ではないのですから「すばらしい=心に響いた」というようなものではないでしょう。私にはあまり思いつきません。その様相を聞けば、私は自分の視野が狭かったことを恥じ入ることでしょう。今の記述では、あなたとご意見が違うらしいということしか分かりません。

>
「確実なことを言うように議論していることは確かだが、局所的な問題に特化し過ぎている」
というのは、評価に値しない、とほとんど同義でしょう。
>
いくらあなたが資料を検討して、狭い分野でいくらあなたが精緻と思う議論を展開してもです。
議論自体がいくら精緻でも、興味を持つ人がいなければ残念ながら学問的な価値はないのです。

私があなたの書いたことを捉えられているのか分かりませんが、字面を追う限り、学者の言葉とは思えません。あいにくとこれは私の方が理をわきまえているようです。目の前に評価する人がいようといまいと、学術は関係ないのではありませんか。後世に現れるかもしれないし、また離れた場所にいるかもしれません。一時の評価を気にして学問はできません。学術は実用性と無縁です。そして、その分野の研究が既に成熟していて、局所的に分割してやるべきものだとすれば、そうするべきなのでしょう。ただ私の場合は、それでもなお過剰に局所的であり、かつ、そう追い込まれている状況があると述べたのです。



>学会誌に通ったのは結構だけど(どんなクオリティでも通ることはありますから)、投稿前の原稿も見せないようでは喜んでくれてはいないでしょう。
破門されてもおかしくないと思います。



回答者様の門下では、私のような人間はいられないようです。おそらくゼミの体制がしっかりしており、上下関係などが明確なのでしょう。先輩は後輩を指導する義務も明確に負っているのかもしれません。参考意見として承ります。

>A先生の「えっ?これで博士に行けると思っているの?書き直しなさい」と言われました。も他意無くそのとおりの意見だったのでしょう。あなたがA先生を評価しないことの妥当性は判断できませんが、全体の状況を考えるとそうなります。

妥当性について判断を保留した上で、どうやったら判断できるのでしょうか。というより、むしろ査読者Aが正しいと既に前提的に認めてらっしゃるように私には読めていますが。どう考えたのか、説明なさってしかるべきかと思います。

>文体がめちゃめちゃ
>
ちなみにゲーム本のような文体ですが、何か意図があるのですか?


面白いことをおっしゃる。それほど私の文体は特異と思いませんが。「ゲーム本」とは何でしょうか。ゲームの攻略本のことでしょうか。しかし、それは文体があるとは言えません。攻略の仕方を解説しているだけです。いや、ライトノベルと言われる十代向けの小説でしょうか。あいにくと私はそういうものに疎いのです。あなたの方こそ、そう判断なさるからには、お読みになるのですか?  嫌悪なさっているかのように受け取れますし、ライトノベルならそうと書かないところを見ると、固有名詞が浮かばないくらいと見えます。おそらくあなたも疎いのでしょう。ゼミ生が話題にしたのかもしれませんね。しかし関心あるのなら、本屋で手に取られてみてはどうでしょうか。私は好奇心から本屋で立ち読みしたことが一度ありますが、あれらは私のような文体では書かれていないようですよ。
おそらくは私をそういうサブカルチャーものを読んで、文体をそれにあわせて改変するほどに、それに浸かっている世界の人間かもしれないと考えているのでしょうね。したがって信頼に値しないとでも言われているかのように思いました。ちなみに論文は、まったく当然と思いますが、一人称を用いません。したがって、あなたのご指摘は見当外れと思います。やはり嫌がらせでわざと「ゲーム本」などとよく知りもしないことをおっしゃったのかと思っています。

>非礼や挑発ではありません。

そのようにご自身の身の潔白を書いても、あまり意味はないかと思います。刺激物を打っておいて、これは刺激物ではありません、といっても仕方ないでしょう。虚偽に相当します。そうではなく「これは刺激物ではあるが、――の意図があるので、投与する必要があったのだ」と意図を明らかになさるのが、本来の筋かと思います。それが論理的な思考を展開するということではないでしょうか。私は少なくても、そう心がけているつもりですが。

ところで私から一点伺っておきます。仮に、あなたのおっしゃるように私に学問を学ぶ適正がなかったのだとしましょう。結果を出すこともあるが、指導教官に対して礼をわきまえず、その研究自体に即関心を持てるものではないとしましょう。「しましょう」というのは、私が同意していないからですし、全体像を説明していないし、その能力もないからですが、仮にそうだとして話を進めたとしましょう。しかし、だからといって、適正がない者を追い出してやろうと大学の教官が画策することはあるのですか。査読者Aがそうかどうかを聞いているのではなく、これは一般論として聞いています。査読者Aの問題を考える参考にしたいのです。

それから、これは私からの感想です。あなたの投稿は、少々、質問から脱線しているように思います。私を咎めても結構ですが、その場合には(1)理由を明晰に書き、(2)なぜそう糾弾する必要があるのか、を明らかにしてください。複数回、それが欠けているように思えました。おそらくメンドウなのだとは思いますが、相手にとって辛いことを言う時は、それが最低限のマナーでしょう。また、短絡的とおっしゃいますが、本当に短絡的な相手は何をするか、想像してみてください。私の方から同じような反撃はいくらもできるのです(この説明と文体で学生を納得させられるのか云々など)。そうしないでおいているのは、あなたを信頼している証拠だと思ってください。

お礼日時:2012/09/07 16:42

見かねて投稿します。

といってもねうーん。
たぶんA先生しか見る人がいないのでしょうね。査読するほうだって、専門や傾向から判断して学内の誰が書いたものかはわかります。
質問者さんがどのような学科に所属されているのかはわかりませんが、まあ、ちょっと昔の大所帯の私学などではやや横断的に専門分野の重なる先生もいて、学生の視点や論点にあわせて繊細に人選をはかっていたようにおもいますが、昨今はやや専門が違う学生さえ見なくてはならないというのが現状です。特にリベラルアーツめいた学科になると、方法論の違いを乗り越えていかねばならないくらい分野の違う学生を見ていたりして、はたして、A先生という方が質問者さんの論文を読むにふさわしいのかもあやしいということも起こりかねないですよね。
ま、3度の機会があって、そのつど評価が下がっているということは、一度目はA先生が質問者さんをたいして否認しておらずただウマが合わないなと感じており、二度目はA先生が質問者さんの流儀をわかってきて嫌っており、三度目は博士に進学することにさえ賛同していなかった、、、のかなあ。

学会誌の査読で通るようなものが、似た内容と似たレベルで紀要に通らない、ということはかなり問題ありだと思います。もう少しオープンに訴えてみてもよいのではないでしょうか。
コメントを読んで鬱になって自殺を考えたという旨、学内のハラスメント相談室のようなところに相談してみてはいかがでしょうか。

あと、商業誌に乗せることや、本を刊行することから道がついてくるような僥倖もありますから、あまりくよくよせず、学外で異分野交流できる研究会で顔を広げたり、編集者と知りあったら企画をもちかけてみたり、教員頼み学校頼みにならないような人生をみずから迎えに行ってみてください。
あと、精神衛生上、紀要投稿はしばらくおやめになったほうがよろしいのではないかと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>たぶんA先生しか見る人がいないのでしょうね。

そうだと私も思います。査読できる人がそもそも限られていますから。


>一度目はA先生が質問者さんをたいして否認しておらずただウマが合わないなと感じており、二度目はA先生が質問者さんの流儀をわかってきて嫌っており、三度目は博士に進学することにさえ賛同していなかった、、、のかなあ。

私の認識とまさに同じです。しかし、彼の態度はある出来事があってから豹変したのです。具体的には書けません。しかし彼は子飼の弟子を探しており、私がそうはならないと判明したのです。それ以来、何かがおかしいのです。ちなみに査読者Aには弟子がいません。



>学会誌の査読で通るようなものが、似た内容と似たレベルで紀要に通らない、ということはかなり問題ありだと思います。もう少しオープンに訴えてみてもよいのではないでしょうか。

アカハラである等の証拠はないのです。仮に訴えても証拠不十分で「不起訴」の扱いになり、私が精神異常に陥ったからカウンセリングをしなければならないなどと話を持っていかれるでしょう。逆に私の首が絞まってしまうでしょう。これが彼の本当の狙いではないかとも思っています。彼はそういうところが、とても頭が良いのです。

こうやって更に追い込まれると、本当に刺し違えることになってしまうかもしれないのです。『文学部唯野教授』のラストで、虐められていた助手がメスを持って暴れまわりますが、現実に理系の教授がメッタ刺しにされた話もあります。 そんなの私は絶対に嫌です。
不思議なのは、査読者Aの方が、あたかも刺し違えたがっているかのように思えることです。彼に何のメリットもないはずだから(また私みたいなできの悪い院生と心中などしたくもないだろうから)、適当なところでやめてくれたらいいと思うのですが・・・でも企業でもイジメを行う上司は、一線を安易に越えてしまうと聞きます。同じことなのかもしれないなと思っています。

>
あと、精神衛生上、紀要投稿はしばらくおやめになったほうがよろしいのではないかと思います。

そうですね。他の回答者の方も助言してくださったように、別のジャーナルを探すなど」して、道を断たれないようにしたいと思います。

お礼日時:2012/09/07 06:13

あなたとしてはA先生の嫌がらせで論文がとおらなかったといいたいようですが、それが妥当か判断するための材料がない。


研究室やゼミの中でのpresentation、学会や研究会などであなたの研究内容はどう評価されていましたか?
わかるのは「あんなへぼ論文でものるのにどうして俺の論文がのらないんだ」という感情だけ。他人も納得させる論理はない。

肝心な情報として、あなたの指導教官のあなたの論文に対する評価が書いていないのが一番の問題です。
「指導教官は、微妙な態度を取っています。」ではわかりません。
投稿「前」の状況に関して補足して下さい。

a:論文はよくかけているからこのままこの雑誌に投稿したらいい
b:こういう点に問題があるから、書き直してまた見せてください
c:コメントなし。投稿したいんならしてもいいよ。
d:自信があるので見せないで投稿した。
どれですか?a、あるいはbで書き直してaになったというのならいいのですが、c,dならあなたの論文は評価できないものであった可能性が高いと思われます。
もちろん元の論文が悪い場合、添削してもらっても、2が3になるだけで5や10にはならないのはもちろんですので、指導してもらったからかならず査読に通るとは限りません。

また、論文が査読に通らなかったときに指導教官と講評についてきちんと話し合わなかったのですか?
指導教官とA先生が弟子筋だから遠慮があるだろうから、なんていういい訳はなしにしてください。

隠しているつもりでもこれだけの状況がわかれば、あなたの大学やあなたの名前がわからなくても、周りの人がみればバレバレでしょうから、思い切って要旨だけでもだしてみたらどうですか?そうすればもっと「客観的」な意見がもらえるかもしれません。
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この回答へのお礼

再度、ありがとうございます。書かせていただこうと思います。

>研究室やゼミの中でのpresentation、学会や研究会などであなたの研究内容はどう評価されていましたか?


・ゼミ内、私的な研究会
信頼できる先輩などもいませんし、あまり参考にならないと思います。褒めてもらえても、「内容を精査できるレヴェルの聞き手ではないから、発表の仕方がわかりやすかったってことか」というくらいです。傲慢な書き方になって申し訳ないのですが。

・学会
まだまだ修行の段階です。確実なことを言うように議論していることは確かだが、局所的な問題に特化し過ぎている、と言われます。専門外の人が聞くと「それをして、何が楽しいのだろう?」と思って当然かもしれません。私なりに研究意義は明らかにしてから始めるので、テーマの選択について無駄とは言われません。しかし心情として「この人は何やってんの?」と思う人はいるでしょう。結局、査読者Aのような相手を想定すると、重箱の隅をつつくようなことしか言えなくなったのです。それは後半で改めて説明します。

・指導教官
何回か投稿していますから、一言では言えないのですが、要点のみ書きます。まず一回目の紀要投稿は、誰にも見せませんでした。二回目は指導教官に見せたけれども、これはなあ、という反応でした。次に修士論文です。これはbを経てaになりました。しかしコメントを貰いたいというよりは根回しの意味で査読者A を訪問したのですが、「えっ?これで博士に行けると思っているの?書き直しなさい」と言われました。結局、落第しました。通過した修士論文は誰にも見せていません。学会誌の投稿論文も誰も見ていません。その代わり、執筆計画書の段階でかなり細かく指導してもらっています。三回目の5点がついた紀要の投稿論文も見せていません。

テーマについては、指導教官から見ると関心の埒外にあり、ゼロから調べなければならないことになっています。もっとも私がプランを持っていって、「ダメならば先生のご関心にあわせて変えたいと思います」とお伝えしてあるので、私が強行したということではないと思います。指導教官は細部について点検してくれています。
それについては、次のようなものがよく指摘されます。とある一つの資料から解釈できることが、ABCDと四つあったとします。この四つの可能性がある中で、 私は突然、Bのみに注目してしまいます。するとACDはどうなるのか?と疑問を抱く人が当然いるわけです。しかし私も馬鹿ではありませんから、先行研究を調べて、残りの三つのうちの一つくらいは潰しておき、Bの解釈でならねばならない理由を論述しています。
しかし依然として、二つの解釈の可能性が宙に浮いたまま残っています。二つについて、私は予期していないことが多いのです。「先行研究にも書いていないし、そこまで考えないでもよいことなんじゃないか? それを言い出していたら論文が書けない」くらいに思うのです。
こういう次第なので、仮に二つを重要視する研究者が出現すると説得できません。しかし読み手は「こいつ、自分の論旨のために資料をちゃんと解釈していないな」と感じると思います。

査読者Aとあわないのは、私が彼の着目する発想を予期できないからです。これは私が悪いのか、正直に言えば、わかりません。彼はわざと常識はずれのことを述べ、それを粋とする気風のある方です。私は内心、「先行研究をちゃんと読まないで、自分の感受性を絶対化して コメントされても困るんだよ」と思って います。
もちろん、時間をかけてチェスでもしているようにあれこれと反論を予想して防衛陣を張れば対応はできます。しかし、これをやると 局所的な問題しか論じられなくなります。学術研究はそもそもが範囲を絞って厳密にやるものですが、先に述べたように極端に局所的なことを私はやっているそうです。そして近年の私の研究は、その局所的な領域に踏み込んで来ると、張り巡らした罠が発動して、異議を唱えた者を封殺するというような陰険、かつ臆病な構造にさえなっています。研究の方向性そのものがちょっと歪になっていて、私は正直、嫌です。これは質問の範囲外ですが、将来的に修正しないとならないことだと思います(思うことがあったら、助言していただけないでしょうか。定めし馬鹿な院生だと思われるかもしれませんが)。

>また、論文が査読に通らなかったときに指導教官と講評についてきちんと話し合わなかったのですか?


話し合いませんでした。遠慮もしましたが、どう話し合っていいのか、私にはわからなくなったのです。とりわけbがaになった論文が落ちたときに、諦めました。(1)指導教官に責任を取ってくれという話をしにいくのではないが、成り行き上、そう思われても仕方ない。(2)かといって私は査読者Aがおかしいのじゃないかという気持ちから逃れられない。(3)論文の悪い点をきちんと話しあわなければならないが、どうしたらそうなるのかも見当がつかない。結局、査読者Aのコメントがいかに不当であるかを、私は指導教官に訴えていくことになるのじゃないか。(4)これで指導教官とまで喧嘩になったら困る。黙って自分が悪いのだと考えることにしよう。(5)しかし何が悪いのだろう? 考えてみたら、査読者Aと私は仲が悪いのだった。(6)論文だけが理由なのだろうか。実際、論文にも悪いところがあったが致命傷とも思えない。なんという理不尽だろう。1から6が頭の中をめぐって混乱しているという感じです。説明になっているでしょうか。

>そうすればもっと「客観的」な意見がもらえるかもしれません。

質問全般に関する問題ですが、至らない点、この場を借りて皆様にお詫びいたします。

お礼日時:2012/09/07 07:50

 No.7で回答した者です。


 お礼の文章に書かれていた内容を拝見いたしました。想定される内容の文章でした。
 結局は本当に核となる研究テーマが存在しないということに集約されるように思います。どんなに能力に長けていても、シューマや理論がころころ変わっている論文を読むとなれば苦痛でしょう。本来の研究テーマをぶつけることを避けて、変化球だけを見せ続けられれば当然評価は下がるでしょう。芯がブレていると感じられるからこそ周囲の先生方は「もったいないな」と感じて嘆くのは当然です。
 指導教員もそれが分かっているからこそ何も言わないのだと思います。あなたが興味深いと感じた“20数年来変わらない、究極のワンパターン”というのは、現代では古くさい時代遅れのようなテーマであっても、ずっと同じ研究テーマを追いかけることの確認作業をお互いにしているようなものなのです。当然、根回しの部分はあります。否定しません。ただし“ちょっと今回は論文の内容を弄ってみようか”なんて考えを起こしたら容赦なく叩かれます。それこそボロくそに。
 もう一つ付け加えれば、“論旨は概ね納得”という表現は事実上、“評価が出来ない”と同義だと思います。つまり、どうせ書くなら査読者が“この論文には恐れ入った”と言わざるを得ないようなものを書いてくれということです。あなたとしてはその時点では最高レベルの出来の文章であるかもしれません。しかし、“なんで直球で来ないんだ。もったいない”という印象を与えてしまえば、文章の上手さは評価できても、論旨には低い点数を付けざるを得ないと思います。
 いろいろ複雑な思いがあなたにはあるでしょうが、私にはこの評価を付けられたAという教員の気持ちがよく分かります。ハードルを上げても食らいついてきて、何時か飛び越えていってくれるのではないかと期待しているのだと思います。玄人受けする難しい文章を書いたところで、読んで欲しい人に読みこなすだけの教養がなければ、「よく分からないけど、こういう難しい文章を書くのが大学院生なんだね。」でおしまいです。研究者としての最初の試練だと思います。小手先の小賢しい文章を読んでもらうより、たとえ返り討ちにあっても直球勝負するべきだと思います。本当に読んで欲しい人がいるならなおさらです。
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この回答へのお礼

補足、ありがとうございます。投稿者様の情熱は分かりました。私が嫌な性格の人間であるのは先刻承知でしょうから、単刀直入にいわせていただくと、私は情熱を求めていません。客観的な認識を求めています。お忙しい中投稿して下さっているのだと思いますが、愚かな院生を哀れと思うなら、論理的に書いてもらえませんか。

まず私が前回質問したことはどこへ行ったんですか。それに答えるのであれば、(1)紀要とはどういうものかを定義し、(2)それに鑑みて質問者は傲慢であり、(3)そこから考えて助言する、というのが筋ではないでしょうか。次から次へと話が飛ぶのは好みません。
答えたい点だけ答えたのでは、これは投稿者様らの好意によって成り立っているサイトではありますが、コミュニケーションそのものが成立しないのではありませんか。かなり困惑しています。

また断定が多いのも、苦笑する以外に私には受け止めるキャパシティがありません。本来は患者の顔を見てそれを判断なさっているのでしょうが、顔が見えない言葉のやり取りですから、率直に書かせていただきます。おそらく私などには知りえない精神分析かカウンセリングかの技術を駆使して、私の人間をプロファイリングしているのでしょう。だから私から見れば憶測じゃないか?と思えることがあっても、投稿者様は確信が持っていえるわけです。断言なさるわけです。

しかし考えてもみてください、私はあなたのオフィスにカウンセリングに行ったのではありません。え?カウンセリングなのかあ、ちょっと違うんだけれどなあ、と未だに思っています。そしてカウンセリングとはお医者様が情熱的に語るものでもないと思うのですが。。。回答者様の独自の流儀なのでしょうか。

次から次へとプロファイリングされて、それをさも当然のこととして情熱的にまくしられても、今や私の心はぴたりと閉じています。変な回答者が現れたわい、と思っています。予想済みなんでしょうが、そういうところに私の気持ちは行っていることをお伝えします。 申し訳ありませんが、用意しているであろう別の手を打ってください。このままだと後味悪くてやりきれません。以下、個別のことについて応答します。

>結局は本当に核となる研究テーマが存在しないということに集約されるように思います。

馬鹿なことを言わないでくださいな。笑う他、無いです。書いていないからと言って、侮らないでいただきたいです。まったく核がないのとは違います。どういう風な状態かを書くと、狭い世界なので私が誰だか分かります(回答者様には分からないかもしれませんが、閲覧する第三者が)。ちょっとこの細部は書けません。しかし一貫したものがあることだけはお伝えします。

>あなたが興味深いと感じた“20数年来変わらない、究極のワンパターン”というのは、現代では古くさい時代遅れのようなテーマであっても、ずっと同じ研究テーマを追いかけることの確認作業をお互いにしているようなものなのです。

そうですか。それならば「ワンパターン」とはいわないでしょうし、朱筆も減ってくるはずでしょう。それとも、回答者様の分野だと、ワンパターンを構築することが重要なんですか。だとすれば、そう書いてくださらないと私にはわかりませんよ。私の分野では、ワンパターンは独創性がないという意味の侮蔑の言葉です。
それに質問者の身分で差し出がましいのですが、聞いていて不思議で仕方ないので、一つ言わせてもらいます。一人立ちはなさらないんですか? 私の指導教官であれば、博士号の後は論文を突っ返して来ると思いますよ。もうお前の責任でやるべき時が来た、と言って。だからこそ今は厳しいのだと思いますけれど。私は正直、回答者様の学術的態度にはかなり思うところがあります。

>もう一つ付け加えれば、“論旨は概ね納得”という表現は事実上、“評価が出来ない”と同義だと思います。

そうかもしれません。しかし、論理的に破綻しています。というのも「恐れ入った」とは次のことだからです。査読者Aの門弟になり、彼の納得するようなテーマを選び、それで最先端の研究を発表する。予想を上回る結果を出す。
しかし、それは指導教官を変えるということです。これが査読者Aの目的だといわれたら、そうかもしれませんが。そういう風に話を見越しているのなら、プロファイリングは当たっていると思います。言われてみると、なるほどな、という気がしますから。しかし話の途中をすっ飛ばして、結論として、査読者Aの門弟になれと言わんばかりの投稿はやめてもらいたいです。。。


>いろいろ複雑な思いがあなたにはあるでしょうが、私にはこの評価を付けられたAという教員の気持ちがよく分かります。

上記を踏まえれば、査読者Aは私の指導教官のつもりになっているのですね。しかし 私は彼の弟子ではないし、別のグループに身を置いて、そこで切磋琢磨しているのですから、もうやめてもらいたいです。問題は発表媒体のことだけなんですから。プロファイリングできているというのなら、どうやったら私を手放してくれるように査読者Aを説得できるのか、教えてもらえませんか。

以上、かなり率直な物言いになったことをお詫びいたしますが、私に文章力とキャパシティがないものと思って許していただけたらと思います。

お礼日時:2012/09/06 03:57

私の回答に笑えるところがありましたか?


紀要にこだわるのは、あなたの精神衛生上よろしくないと思い、
真摯な回答をしたつもりですが。

査読者Aがどうこうというよりも、
お礼に(笑)などと無礼な事を書くような
あなたの人間性に問題があるのでは?
まずはそこから改善しましょう。

この回答への補足

別の質問で分かりましたが、D1の方だったのですね。それでなぜ妙なことを投稿してきたのかが、納得できました。あなたとしては悪気はないし、誠意を持って書いたつもりだったが、やはりD1の見解ではあるわけです。まだ学術のあれこれが分からないかと思います。分かる問題について、分をわきまえて投稿してくださるよう、お願いいたします。

補足日時:2012/09/07 11:52
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この回答へのお礼

それは失礼しました。しかし私にはとても真摯な回答に思えませんでした。お詫びがてら、なぜなのかを説明させていただきます。

>勝てるシナリオが思いつかないからです。

まず勝ち負けは聞いていません。そもそも論文とは勝ち負けの問題でしょうか。いいえ、学術には真実を追究しようとする態度があるだけではないでしょうか。またシナリオの問題でもありません。逆に言えば、勝てるシナリオが思いついたからと言って論文を掲載されても、何にも嬉しくありません。さらに、

>「諦める」が無難に思います。

それはもとより除外して考えていただくように質問に書いています。したがって、質問者の当初の要望を覆してまで投稿したいのでしたら、精密に論述していただく必要があると私は考えています。実際、他の方はそうしてくださっています。

特に学術の問題を勝ち負けとおっしゃるに及んで、私は、これは研究者ではない方が投稿してきたなと思いました。一般の方が私を気の毒に思って投稿したのかもしれない。あるいは、研究者ではあるが、冗談で投稿なさっているのかもしれない、と。(笑)とはそのような意味でした。何にせよ「冗談は嫌ですよ」という意味です。

さて、私は自分の考えを述べましたが、回答者様はどのようなお考えがあって投稿なさったのですか。果たして怒り心頭に発するほどクオリティの高い意見をお述べくださいましたか? これは私のような院生が常日頃、自分自身に問うている問題です。何を怒っているのか、私には申し訳ありませんが、わかりません。

そもそも「望む回答ではないと思いますが」と前置きしているように、相手が不快に思うかもしれないことは十分に予見できていたはずです。そして実際に、私が愛想無い返事をすると怒り出すとは、・・・大人げないんじゃありませんか。

お礼日時:2012/09/05 20:34

望む回答ではないと思いますが・・・



>私としては、精神の安定を得たいのです。

であれば、「諦める」が無難に思います。

それは、質問者様が査読者Aに対して弱者であり、
勝てるシナリオが思いつかないからです。
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この回答へのお礼

思いついたら、投稿してください。これはそういう知恵を拝借する質問です(笑)。

お礼日時:2012/09/05 19:03

 他の方の回答に対する補足やお礼の文章を読む限り、質問を書かれたあなたは焦燥感で満たされているという感じですね。


 私はいわゆる「名ばかり研究職」ですが論文の査読をすることもある立場なので、様々なシチュエーションを想定してみたのですが、結局は質問文の中にあるように“質問者の被害妄想でしかない”と考えれば納得がいく内容です。
 他の方々が回答を寄せられているように、必ずしもAという人間が査読をしたという確たる証拠はないわけです。どこの世の中に“今回の君の論文のレフェリーは自分だ”という人間がいるでしょうか。仮にAという人間が査読をしたものであっても、査読の評価について文句を言ったところでいまさら覆らないでしょうし、そんなことに無駄なエネルギーを費やしたところで何のメリットもないのは判っているはずです。
 私からすればあなたには“思い上がり”の傾向があると思います。いくらなんでも“レヴェルが落ちているはずはありません。”はひどい話だと思います。“ちゃんと書いた論文なので、出来が悪くても、非礼や挑発が許せなかったからです。”はもっとひどい言い回しです。同一の基準があるならまだしも、学会誌と紀要は査読の基準が違うのだろうから評価が異なって当然だし、あなたにとっては粗雑な内容のコメントであっても、それに噛みついたところでどうなるものでもないことも十分承知しているはずです。
 私が回答をしようと思ったのは、最後に「私としては、精神の安定を得たいのです。よろしくお願いいたします。」という一文があったからです。日頃は病院の医療相談やカウンセリングを生業としている人間からすれば、いまのあなたの状態はヒステリーの最たる状況にあると言えます。一番簡単な解決方法は、研究を諦めること。これが今のあなたにとっての最善の方法です。しかしこの回答ではきっと拒否反応を示すでしょう。業績を稼ぐことに凝り固まって、硬直化している思考では到底容認出来るものではない内容ですから。
 そして考えるなと言われても書かざるを得ないのが、“紀要への投稿に何故そんなにこだわるのか”ということです。論文をどうしても読んでもらいたい人がいるなら直接持って行けばいいだけの話。なにも紀要なんかの権威付けを借りなくとも、本当に自信のある内容の論文なら興味を持って真剣に読んでくれるはず。
 私なんかは文章を書き上げるとかつての指導教員がチェックしたがるので読んでもらうことにしているけれど、真っ赤に修正が入った挙げ句、書かれるコメントは“20数年来変わらない、究極のワンパターン”でおしまいです。一見カッときそうなコメントですが、暗黙の了解でこれがゴーサインなのです。つまり真っ赤に修正を入れられたとしてもそれはその人があなたの論文を読んで下した評価なのだから何も怖くないはずなのに、権威にすり寄ろうとしている今のあなたの状況が情けないのです。
 研究者なら査読で論文の評価が散々だったことぐらい、多かれ少なかれほとんどの人間が経験していることで特別なことではないのです。何時か壁にぶち当たる時が必ずあって、たまたまその時が今来ていると思えば少しずつでも状況は改善していくはず。この調子だと焦って墓穴を掘りそうな気がします。もし本当に悔しいと思うなら、一日も早く論文を査読する側に回れるよう考えるべきだと思いますが。
 

この回答への補足

お礼欄で書きそびれてしまったのですが、ご投稿、感謝しております。

補足日時:2012/09/05 08:41
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この回答へのお礼

>様々なシチュエーションを想定してみたのですが、結局は質問文の中にあるように“質問者の被害妄想でしかない”と考えれば納得がいく内容です。
 他の方々が回答を寄せられているように、必ずしもAという人間が査読をしたという確たる証拠はないわけです。どこの世の中に“今回の君の論文のレフェリーは自分だ”という人間がいるでしょうか。

います。それが査読者Aの不思議なところです。そして外部査読者が誰なのかも私は知っています。狭い世界ですから、内々で分かるのです。

>いくらなんでも“レヴェルが落ちているはずはありません。”はひどい話だと思います。“ちゃんと書いた論文なので、出来が悪くても、非礼や挑発が許せなかったからです。”はもっとひどい言い回しです。同一の基準があるならまだしも、学会誌と紀要は査読の基準が違うのだろうから評価が異なって当然だし、あなたにとっては粗雑な内容のコメントであっても、それに噛みついたところでどうなるものでもないことも十分承知しているはずです。

申し訳ないですが、おっしゃる意味が分からないので、言葉を補ってもらえませんか。まず、回答者様は評価基準が異なって当然だということを前提的に認めてらっしゃいますね。しかし評価基準が違うという意味が、私には了解できません。ジャーナルの場合、他の回答者から指摘があるように、学術の方向性が違うということもあるでしょう。ある特定の方向性の論文しか掲載しないということもあるでしょう。学派を作るためです。しかし紀要は、その大学に所属する教員や院生の研究を発表する場ではないですか。したがって、できるだけニュートラルであることが望ましいのではないでしょうか。 そしてこれに鑑みれば、「論旨は概ね納得」なのであれば、七割以上の点数をつけてしかるべきではないでしょうか。私は自分の本来享受してしかるべき権利が侵害されていると感じています。

> 業績を稼ぐことに凝り固まって、硬直化している思考では到底容認出来るものではない内容ですから。

>そして考えるなと言われても書かざるを得ないのが、“紀要への投稿に何故そんなにこだわるのか”ということです。論文をどうしても読んでもらいたい人がいるなら直接持って行けばいいだけの話。なにも紀要なんかの権威付けを借りなくとも、本当に自信のある内容の論文なら興味を持って真剣に読んでくれるはず。

カウンセリングを求めているつもりは無いのです。事実をきちんと認識し、それを受け止めることが重要だと考えています。しかし事実を認識するにあたって、院生の目線ではわからないことがあるかもしれません。それで質問させていただいております。
さて、業績に凝り固まっているつもりはありませんが、上の二つは同じお答えになると思います。要するに、読ませたい人がいるということが大きいのです。こういう馬鹿なことを考える人間は私くらいかもしれないので、匿名性を維持するために細部はお答えできませんが、あえて言えば、紀要を読む人は、学術研究者だけではないということです。


> 書かれるコメントは“20数年来変わらない、究極のワンパターン”でおしまいです。一見カッときそうなコメントですが、暗黙の了解でこれがゴーサインなのです。

どうやったら、そういう発想になるのですか。興味深いご指摘です。というのも、私なら研究そのものをゼロからやり直していると思います。実際、そうしてきました。しかしその度に、周囲の先生が嘆くので、私にはさっぱり理解できないのです。「あれ?ストップをかけたのは先生ではありませんか?」と。
私が興味を持つのは、次のことです。回答者様は何を求めて添削してもらっているのですか。投稿なさった文言をそのまま受け止めるのなら、教官の添削はきちんと受け止めておらず「まあどうせこれでいいんだろう、自分は自信があるし」と開き直っているように見えるのです。私なら相手に対して失礼と考えるので、そういうことはできません。私などの発想では、根回しのために、先生に見せているだけなのか?とも思えてしまいます。おそらく違うのですよね?

>権威にすり寄ろうとしている今のあなたの状況が情けないのです。
 

そうでしょうか。私は自分の正当と思う権利を要求しているだけのつもりです。そしてそれが侵害されているので、怒りを感じています。しかし回答者様は、私の「正当な権利」などありはしないとお考えなのでしょう。最初に述べられているように、私の言い分がひどいということでしたから。この見方を回答者様が固めた時点で、こういう帰結が導かれたのかもしれません。繰り返しになりますが、 最初の根拠を私に分かるように示していただけませんか。

お忙しい中、投稿して下さったのだと思いますが、今の記述では「被害妄想」と判断するには、十分な論拠がないと思います。私にとってはそう考えるのは辛いことですから、きちんと説明し、納得できるようにしてください。

お礼日時:2012/09/05 08:37

第3者の私があなたに悪意をもってもしょうがないでしょう。

けんかをうるとか、どこからそういう発想になるのか???

まあ、よくわかっていないようなので言い換えましょうか?

>私には「おつきあい」の意味が分からないのですが、まともに中身を読んでいないという事ですか?

違います。教育熱心な先生だから読んだ上で長文の講評を書いてくれたのでしょう。ただ、内容に見るべきものがないから、外部の査読者としては5点。内部の先生が高い評価を与えるなら、大学の紀要程度だからのせてもらってもいいけど、採択に当たってのプライオリティは高くない。外部の人間が、その大学の学生にあまり厳しい点をつけるのはその大学の先生方、指導教官に失礼に当たるからあたりさわりのない=おつき合いで5点。これなら恨まれない。
こういう「可能性」は十分あり得ます。
「そうだ」といっているわけではありませんよ。
あなたの論文を読んだ訳ではないのですから。
客観的には可能性があると言う事です。別に悪意でいっているのではありませんよ。
第3者としてはそういう見方もありうるとのことです。
ちなみにどういうシステムかわからないのですが、5点がボーダーで二人で14点とか10点でも非採択というのがよくわかりませんね。
何点なら採択なのですか?


>毎回、異なる論文です

どこに同じ論文と書いてありますか?
単純化した例をあげます。論文1「Aという視点からBについて考察した」、論文2「Aという視点からCについて考察した、論文3「Aという視点からDについて考察した」という論文が1年毎に投稿された、とします。ところが論文の前提となるA自体が全然評価できないものだったとしたら、論文1はともかく、論文2,3と読まされたら、いい加減にしてくれと言いたくなりますしだんだん評価も低くなります。それは公平性、恣意性ががないというのとは違います。
いっておきますが「あなたの論文が棒にも箸にもかからない」といっているのではありません。
世の中にはいろいろな考え、意見がありますから、A先生の考えが、あなたと全く相いれないものであったら、いくら投稿しても無駄ということです。

あなたの意見とA先生の意見がどちらが絶対正しいということもないでしょうし、お互い違うけど認めないのはおかしいというのはあまりにもナイーブな考え方でしょう。

研究者は「他人がわたしの研究に注目していないのはそれだけ自分の研究が独創的なものだからだ」位の自信があってしかるべきです。

くよくよせずに一流誌に投稿してください。
ただジャーナルのエディター、査読者とその論文の内容の相性があるということもお忘れなく。
指導教官にOKだしてもらったのに紀要程度で落とされるなら、やはり相性が悪いのでしょう。
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この回答へのお礼

再度のご投稿、ありがとうございます。他の回答者が指摘してくださったように、明らかに私は心の余裕が無いようです。自分だと残念ながら分からない事になっていますが、こうやって書いたものを前にすると、それがよくわかります。失礼、お詫びします。しかし、きちんと聞いてよかったとも、同時に思います。

>第3者の私があなたに悪意をもってもしょうがないでしょう。

それはそうです。でも回答者様は大学教員でいらっしゃるでしょう。一介の院生がグダグダ言っていることそのものが、身の程知らず度考える可能性があると思いました。残念ながら、私の周囲には、そうお考えの権威的な方もいらっしゃいます。

>

 外部の人間が、その大学の学生にあまり厳しい点をつけるのはその大学の先生方、指導教官に失礼に当たるからあたりさわりのない=おつき合いで5点。これなら恨まれない。

わかりました。そういう可能性は十分にありますね。

>何点なら採択なのですか?

年によって変わりますが、大体、十六点必要です。応募人数が多いからです。一体、どういう人が掲載に到るのか?と思うかもしれません。先生によっては、無条件に満点近い点数を出す人が数人いるのです。思想的な信条に基づいて判断しており、論証がおかしくても、方向性が同じだと思えば満点近くを出すのです。この人に当たれば、紀要掲載という意味では大変ラッキーな事になります。
この結果、あたる審査員によって、査読の基準は不平等に陥っています。さらに言えば(レヴェルは低いのだとしても)紀要が特定の学派のジャーナルのように思想的な偏りがあるという事態になっているともいえます。私はそれが理不尽だと思っています・・・(つまり審査の公平性を無視してもそれをやりたい先生方がいらっしゃるなら、隔年ででも別のジャーナルを作ってやってもらいたいと思っています)。




> どこに同じ論文と書いてありますか?


私は「同じ論旨の、しかも自分としては評価しかねる論文を3回も読まされた」という一節をそのように解釈いたしました。私は、毎回、論題も何もかも違う論文を投稿しているとお伝えしたのです。見方(シェーマや理論)も変えています。
しかし、私自身は同じ人間です。したがって私の癖とでもいうべきものそのものが、嫌だという事はあり得るかと思います。そうであればあるほど、学術の問題ではなく、人間性を否定されているような気になり、余計、嫌な気持ちになってくるのです。

>
世の中にはいろいろな考え、意見がありますから、A先生の考えが、あなたと全く相いれないものであったら、いくら投稿しても無駄ということです。

あなたの意見とA先生の意見がどちらが絶対正しいということもないでしょうし、お互い違うけど認めないのはおかしいというのはあまりにもナイーブな考え方でしょう。

正直に書きますが、私はそれが理不尽だと思っているのです。というのも、二人の人間が対立していている中で、先に投稿者であり、院生の私が査読者Aの見方を受け入れ、身を引くということですよね。しかし紀要は教育の場ではないでしょうか。そして相手は教員ではないでしょうか。どうして授業料などを納めて指導を仰いでいる立場の私が、先に譲らねばならないのか、と思うのです。もっとも世の中はそうできていないのかもしれません・・・。



> くよくよせずに一流誌に投稿してください。

確かに、自分のキャリア全般を考えると、査読者Aに何もかも崩されることこそ理不尽です。実際、私自身、良くない発想に飲み込まれることがあります。おっしゃるように視野を広げることが必要だと思いました。

お礼日時:2012/09/05 08:40

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