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友人に釣りを否定されました。

彼曰く、釣りを叩く理由として、食べる食べないではなく、
魚に針を引っ掛けて引きずって釣りあげる、といった一連の動作を残虐に感じるし、
しかも、それが生活の為では無く、
「その残虐性の高い行為自体」を愉しんでいることが、どうしても心情的に受け入れられない
…というものでした。

確かに釣りを楽しむというのは、そういうものかもしれません。
ですが僕は釣りは普通に楽しく、多くの人に受け入れられている趣味であり文化だとも思っています。
セミ取りと同じような感覚で楽しんでいいものだと思っていますが、違うのでしょうか?

できればその友人を説得して釣りを一緒に楽しめるようになれば理想だな~と思い、
うまく説得できる理論が欲しいところです(笑)

A 回答 (14件中1~10件)

こんちは。



>>できればその友人を説得して釣りを一緒に楽しめるようになれば理想だな~と思い、

理想はあきらめましょう。
「趣味を無理矢理押し付けるもんじゃない」です。

変に「説く」事で、友人関係に亀裂が生まれる可能性を考えると、やめといた方が無難。


>>魚に針を引っ掛けて引きずって釣りあげる、といった一連の動作を残虐に感じるし、
>>しかも、それが生活の為では無く、
>>「その残虐性の高い行為自体」を愉しんでいることが、どうしても心情的に受け入れられない

>>ですが僕は釣りは普通に楽しく、多くの人に受け入れられている趣味であり文化だとも思っています。

論点がズレてるから、「平行線をたどる」って奴になるんじゃないかと。


向こうは論理的に説明していて、あなたは感情的に説明していて。
な感じです。あんま無理に説得しないのがベストかと。


3~40年して、「あんときゃあー言ったけど、釣りものんびりしてて楽しいもんだな」
とか性格が丸くなって変わって、一緒に釣りが出来るようになるような事を期待してた方がいいんじゃないですかね。
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この回答へのお礼

確かにズレてますねw
無理に説得するのはやめますが、せめて理解はして欲しいかな~。
将来に期待します。

お礼日時:2012/09/19 16:52

たぶんあなたはその友人を説得できないでしょう。



理由はあなたがその友人より命と言うものに対する認識が幼いと思えるから。

セミを殺すのだって十分な残酷行為ですよ(笑)?

私は中学生のころからずっと釣りを趣味にしてきましたが、食用や針を飲み込まれてやむなく魚を殺す時は今でも心が震えます。
その気持ちはどんな小さな命を奪う時にも同じように痛みを感じます。

じゃあ何故釣りを辞めないのかというと、「殺意」と言う感情が単純な心の作用ではない事を知ったからです。

死ぬ姿が面白いから殺す。危険を感じたから殺す。生きるために殺す。殺したくないけど殺す。

逆に魚の命を奪う釣りは文化だから構わない。セミ取りなんて命を奪う行為とすら思わないなどという人間の内面を想像するとゾッとします。

人間は道を歩いているだけで何らかの生命を殺しているものです。それは仕方ない事も事実ですが、それでもその事実に心が痛む事の出来る人は人間として正しい成長をしていると私は思っています。

子供のころ、アリを殺さないために行列をまたいで歩いた事は誰にでもあるでしょう。

それが成長するにつれ気にしなくなる。大人になって視野が広がった事によってそういう事に気付かなくなっていく事があるのもまた事実でしょう。
しかしそこには心の痛みがあるべきなのです。例え痛みに慣れてしまったとしても、慣れてしまった自分を自覚できるならその人は理性を持つ人間として救いがあると自分は思っています。

生き物を殺して平気でいる事に辛うじて許されるのは幼児だけです。

あなたこそその友人の気持ちから学びを得て、釣りをする人間として「命とは何か」と言う思いを深める成長をするべきだと私は思います。
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この回答へのお礼

うーん、痛感させられます。
なんとも微妙な気持ちにもなりました。
精神的な正しい成長って、賛否のある難しいものですね…。

お礼日時:2012/10/15 10:38

このようなケースの場合、説得を試みるのは無駄でしょう。


その友人の生理的嫌悪感が原因なのですから、
それを理屈で言いくるめるのは難しいと思います。
それよりも相手の言っていることの矛盾を示して、
自分のいっていることの矛盾を本人に考えさせる方策のほうがよいかも
しれませんね。

例えば、
「魚に針を引っ掛けて引きずって釣りあげる」のが残虐というのなら
漁網を使って一網打尽にすることは残虐ではないのか。
一匹一匹釣るのが一人必殺の罪とすれば
一網打尽にすることは一家皆殺しと同じことになるのではないか。

例えば、
趣味で釣りをするのが残虐だというのなら、
生活のために魚を獲り殺すのは残虐ではないのか。
であれば、君は君自身の心情に因って
そのような手段で獲られた魚は一切食べないということになるよね?

話のポイントを明確にするために敢えて直截な言い回しで書きましたが、
要は、生き物の命を奪うことが残虐と言うのなら、
釣りも漁も同じことになるでしょう?と考えさせることですね。

まぁ、生理的に受け付けない人には正面切って何を言っても無駄です。
上記のようにポイントを拡大解釈して相手の矛盾を提示し、
相手に考えさせるくらいしかできません。
ただ、その友人が客観的な考えもできる人なら、
自分の言っていることの矛盾に気づき、
少なくとも釣りを批判することはしなくなるかもしれません。
説得して一緒に釣りを楽しむところまでは程遠いですが、
ある意味小さな進歩になるのではと私は思います。

以上、ご参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

彼は矛盾なのかなぁ?
僕は釣り賛成ですが、要は彼が言いたいことは、
「魚(生き物)を苦しめる行為に快感を得たくない」ということなんでしょう。

趣味である以上、釣りは快感・快楽を求めるものですからね…。
多少の実益もあるでしょうが、「釣り行為自体に快感を覚える」こと自体が汚れている、と
言われてもそりゃ仕方無いのかな~と、最近はちょっと思います。
そんなに深く考えて楽しむものではないとは思うんですけどね。
そりゃ多少罪悪感はありますけど。

お礼日時:2012/09/24 11:28

オーストラリアでは踊り食い料理が法律か条例か知らないですが、禁止されているそうです。


文化の違いもあるでしょうが、人それぞれに様々な考え方、捉え方があります。
様々な情報が氾濫している現代では、個々の考え方は益々多様化するでしょう。

現時点で釣りは一般的にレジャーとして認められています。
法律で禁止された漁法をしなければ問題ないですね。
自然に生きる魚の生態を知り、人間が知恵を絞って対等に遊ぶ娯楽です。
釣りを残酷であると感じる気持ちは非常に大事なことだと思います。
私は自分の子供と一緒に釣りに行きますが、残酷な気持ちを否定するようなことはしません。

特に趣味というものは万人に理解してもらおうというのが無理なものだと思います。
人それぞれに、価値観や人生観が違うんですからね。

人間は初め生きるために自ら食料を調達していました。
食料を手に入れることができた時の喜びは今でもDNAに引き継がれているのだと思います。
一緒に無人島で暫く生活すれば、あなたの気持ちを少しは理解してもらえるかもしれませんね。

この回答への補足

確かにレジャーとして親しまれてますし、許されていることだとは思います。
あとは価値観ですよね。
たしかに残酷な遊びですが、それを愉しむことが許せるかどうか、微妙な部分ではあるんですがw
そんなに正義にならなくても、と思う自分が変なのか。

補足日時:2012/09/24 11:21
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基本的なことなのですが、なぜ説得したいのかそこが問題です。



どんな趣味にも言える事なのですが、否定する者は、どこにもいます。
鉄ヲタを否定する者、AKBもそう、プラモ、ガーデニングもそうです。

自分は、釣り以外で砂金採りも趣味にしていますが、ろくに採れないのに・・・と、
言われ続けています。でも、自分は砂金の採り方をマスターしたいので、
気にも留めていませんが・・・
(実際、田舎からの交通費含めて、銀座で金買った方が、安上がりです。)

でも、まぁ自分も野暮な方ではないので、相手がどんな方か想像できますが、
ぜひ誘いたいなら、回転すしの魚だって、網以外で取るとすれば、
釣り以外ないんだよ的な事言って、誘うのも一つの方法です。
また、初回なら釣り色を薄めて、アウトドアのサプライズ程度に誘うのも手だと
思います。

まぁ、皆さんも言われる通り、一度誘ってやらせてみるのが一番だと思います。
それでだめなら、仕方がないと諦めもつくでしょう。
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この回答へのお礼

やれば楽しいと思うんですけどね。
多分、彼も釣りをやってみればそれが楽しいことが解ると思うんです。

ただ、釣りは確かに彼の言うように、
魚がもがいたり必死で抗ったりする感触を愉しむという、悪魔的な要素があるのも事実です。
そういった行為を、何も考えずに純粋に心から楽しんでいいのか?と思うと、確かに自分でも割り切れません。

釣りの魅力は、魚がかかってビクビクッってきたり、抵抗する魚を手繰り寄せる感触を愉しむものですから、
考えてみれば、そういうのを「楽しむ」って、なんだか心汚れているような気分にもなっちゃいます。
まぁ好きだから釣りは辞められないんですけどw

お礼日時:2012/09/20 09:47

>魚に針を引っ掛けて引きずって釣りあげる、といった一連の動作を残虐に感じる



こう感じてる人を説得する。
これは、難しいと思いますけどね。

自分は、「釣り」は「趣味の一種」と考えます。

ですから、「釣り」を否定する人なら、別に仲間に誘う必要は無い。
友人なら、ケンカする必要も無い。
そう考えますけど。
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この回答へのお礼

確かに難しいですよねw
それに、ケンカをする必要が無いのも尤もです。
僕は僕で自信もって楽しもうと思います。

お礼日時:2012/09/19 17:15

趣味を理解出来ない者に趣味を理解させるのは無理です。


 
一度釣りに同行したら・・・
 多くの人が「はまり」ますよ、それでも駄目なら説得は無理
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この回答へのお礼

何度か一緒に行ってますが彼は見てるだけでしたw
魚がビチビチと喘ぐ姿に、どうしても目を覆いたくなるようです。
多分、活け作りとかもダメなのかもw

お礼日時:2012/09/19 17:14

日本昔話「イワナの怪」 を見てください。

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この回答へのお礼

見てみますね。

お礼日時:2012/09/19 17:12

そんな嫌だって言っている人を


説得するより同好の人を見つけたらいいと思いますけど。
どう思うかは勝手ですし
説得する必要もないでしょう。
その人の考え方も尊重してやったらどうですか。
受け入れるわけではないですが。
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この回答へのお礼

まぁそうですね。
彼の言い分もそれはそれで解るので、尊重しようと思います。

お礼日時:2012/09/19 17:12

私の彼も釣りが好きです。


私も質問者様と同じような感情で釣りが苦手でした。
今でも付き合いで行くことはありますが、どうしても受け入れられません。
でも釣り行為自体を理解しようとしています。

彼は、
魚釣りは、確かに魚の命を弄ぶ趣味だし、それは否定しない。
魚を罠にハメて引きまわす行為自体を楽しんでいることも確か。
気持ちとしては少し申し訳なくもあるけど、
獲物を罠にかけて仕留める、という行為は、本来人間にある「狩りの本能」を刺激してくれる為、高い満足感を得ることができる。
自分勝手かもしれないが、そもそも人も動物もそういった狩りへの本能は持っている訳で、
社会正義から見れば卑しいかもしれないが、生き物としては純粋な楽しみ方だから、それを恥じること無く楽しんでもいいんじゃないかと思う。

そう言っていました。
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この回答へのお礼

これは…イイですね。
本来持っている本能を刺激して遊ぶ行為なので、
純粋にそれを楽しく思うことは、生き物として普通のことですよね。
人はそこまで正義にならなくても、もっと動物的に楽しんでもいいんじゃないかと、俺も思います。
彼氏さんGJ。

お礼日時:2012/09/19 17:11

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