私が考えるところの『善意』とは、ボランティア精神見返りを求めない気持ちなんですが・・・・最近考えさせられることがありまして、どうも『善意』とはそのようなものでない気運がかんじられるのです。
皆さんのお考えになられている『善意』とは、どのようなものなのでしょうか?
もしお時間がございましたらお聞かせいただけませんでしょうか?
あと、『善人』そうですね、『善意』なお気持ちを持っておられる方のされる行為や言動、すばらしいですね、人のために無償?でおこなえることはそんなことができるひとを善人とでも呼ぶんでしょうね。そうなんです、『善意』これまで私が考えてきたものとなんかちがう『善意』が存在するようなのでこんな質問をあげてご教授していただければと思いました。善意のかたちがもしかわっているのなら、善人と呼ばれるひともなんだか実は悪人だったりするのではなかろうかと考える次第です。
善意は無償なものと考える私の固定観念のようなものを立ち止まって考え直す意味でもお力をお貸しいただければありがたく思う次第です。

A 回答 (14件中1~10件)

善意とは、見返りを求めず、誰が見ていても、見ていなくても、自分がしたいからする良い行為の事だと思います。


本当の善意を行使した時には、あなたの良心が喜んでいると思います。
その気持ちの湧く行為は、全て善意と言えるのではないでしょうか?
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24時間テレビを企画して、お金を集めるヒトが善人?で、



お金を持参することが善意なのでは。とおもいます。

善人と悪人を区別する必要があるのか、疑問です。

最近、悪人という、映画をみて、つくづくそう思います。
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あっしは仏教を勉強してるんですが、仏教の教えを


そのまま引用します。欲や怒りが背景にある行為は
一見善意にみえても純粋な善意ではありません。

たとえばボランティアをしていいことをしてやった
という傲慢な気持ちが入っていれば偽善ということ
になります。必要なことだからやりますという
冷静な気持ちで行う行為が純粋な善意になります。

それでは

この回答への補足

tamukikunさん~♪はじめまして。
アドバイスを寄せていただいてありがとうございます!


お返事が遅くなり申し訳ありません。
個人的な事情を申しあげますと、ネットを繋いでいつでも見れる環境にいまないのです。
携帯電話へはあげた質問に対して回答が寄せられているという知らせのメ-ルが
送られて来ていて早くに受け取っていたのですが、ここをみて書き込みに来る時間的余裕がなくて...
気にはなりつつもなかなかパソさわりに出れなくて、


そんな中、今日は少し早くに仕事が終えたので、会社帰りに途中下車し
その足でインタ-ネットカフェに立ち寄りいま書き込んでいます。


もう少し時間いただけませんか?


この土曜日には時間がとれますので
頂いたアドバイスをじっくり味わって
なにかしらのお返事をさせて頂きたく思います。


電車の時間があるので、
今日のところはここで失礼させていただきます。あしからず

2005/07/21 18:06  by littlekiss $(^-^)$v

補足日時:2005/07/21 18:14
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この回答へのお礼

tamukikunさん~♪こんにちは。

>必要なことだからやりますという
冷静な気持ちで行う行為が純粋な善意になります。

>欲や怒りが背景にある行為は一見善意にみえても
純善意ではありません。


この二つの文をマジマジと眺めているんですが...
行為者は存在するんですよね?

先の文から「冷静な気持ち」という飾りを外して読むと、「do」が「結果」として「事実」として残る。

行為者が仮に存在したとして、
その行為者を突き動かす?もしくは動かせた?
事・物・人...etc外的要因&内的要因のことは
あまり多く語られることはありませんね?なぜでしょう?


何が誰にとってどのように必要であり必要でないのか?行為者のおかれた立場(周辺環境)を踏まえずして
「純粋な善意ではない」と結論付けることはしがたい


ダ-ス-ベ-ダ-をなんとみる?

お礼日時:2005/07/23 13:23

こんにちは。


 僕にとって善意とは二種類あります。一つは作為の善意で、もう一つは不作為の善意です。
 前者の作為の善意はさらに善行の善意と悪行の善意とに別れると思います。
 善行の善意は、通常みなさんが使われる善意の解釈と同じで、相手のために行われるいわゆる善い行いのことです。悪行の善意は、表面的には非常に悪い表現や行動ではあるけれども、実は相手の為を慮っての真意が存在しているもの。つまり、敢えて罵声を浴びせたり、一見暴力的とも思える行動をとっているように見えるけれども、実は真に相手のことを思っての行動であるというものです。
 どちらの作為の善意であっても、受け手がどう取るかによってその行いは善意にもなり悪意にもなるものではないかと思います。僕は、どのような行動を取られても、できれば善意に裏打ちされたものと受け止めたいと考えるようにしています。人の心が不確かなもので、本心がわからないのであれば、ちょっと無理な解釈だなと思っても、そう考えた方が前向きになれるのではないかと思うからです。
 もう一つの不作為の善意は、何もしない善意のことです。何もされないことにも善意が隠されているということです。目に見える表現や行動だけに善意が宿るものではない、何もされないことも十分善意が存在しているのだと考えています。コメントを避けることもこの種の善意なのではないかと思います。
 
 このような考え方をしておりますと、不思議とストレスを感じずに生活ができます。怒りや批判を否定しているのではなく、むしろ積極的にそのことを受け止める。自らもそれをあらわにぶつけることが重要だと思います。しかし、その根底には何某かの善意が存在しているからこそ、そのような感情や表現、行動になって現れて来るものなのだと、それは何なのかを常に考えるようにしています。
「かもしれない」と思いつづけることは確かに疲れることかも知れませんが、それを見つけ出す努力をすることも善意の一つであると考えています。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

「わたしと小鳥とすずと」

わたしが両手をひろげても、
お空はちっともとべないが、
とべる小鳥はわたしのように、
地面を速く走れない。

わたしがからだをゆすっても、
きれいな音はでないけど・・・・、
あの鳴るすずはわたしのように、
たくさんなうたはしらないよ。

すずと小鳥とそれからわたし
みんなちがってみんないい。
     
金子みすずさんのこの言葉が大好きです。


「かもしれない」とわたしが思いつづけるのは、きっと、人のこころの中には
やさい気持ちがあると信じたい、願いにも似た気持ちがあるからだとおもいます。


「肯定の国」では、いろいろ考えさせられることおおかったです。
胸にジ-ンと熱いものがわきおこりました。ハッピ―エンドがやっぱりいいです。
あの場で、人と人が教え教えあうあたたかいこころのやりとりがみえたこと感じれたことで、また、いまおもっている「かもしれない」とは別の「かもしれない」にも目をむけれる新たな自分にも出会えそうです。
$(^-^)$vサンキュ-☆

ドキッ!ぽっ-(*^^*)゛゛バキュ―ン☆<----凸(▼▼メ)

お礼日時:2001/05/28 10:20

お久しぶりです。


なぜ個の質問をしたのかを読みました。
確かに、すべてが「解答=善意」ではないですよね。
こんな質問するなよ、とか、あなたのような方に答えたくないね、というような解答は、
善意で答えてるとは思えないときもありますよね。
また、「せっかく答えてやったのに御礼も無しかよ!」なんていう方も確かにいますよね。
そこで質問者や他の人が、「嫌なら答えなければいいでしょっ」なんて書き込んでしまうこと、喧嘩になることをサイト管理者としては避けたいのでしょうね。
結局、多くの人が集まると、ルールが無いと困るということでしょう。
しかしルールを作る際、あまり変な言葉は使いたくないですよね。
だから、あえて「善意」とかきれいな言葉を連呼しているのだと思います。
あのメールを書いた人も、多分その辺(解答=善意とは限らない)はわかっていると思います。
法律と同じで、理不尽なところもあるけど守っていれば大多数の人が不幸にはならないというところでしょう。
だから、ご心配のようには善意の意味は変わっていないと思います。

ただし、今日は見返りを求めず善なることを行ったとしても、
明日はその行為に対して見返りが欲しくなるかもしれません。
タイムラグによって善意は純粋でなくなってしまうことは多々あるでしょうが、
ここで解答している瞬間は、おそらくほとんどの人が「善人」だと思います。
ここが掲示板のようなものである以上、タイムラグは必至なので、
そういう観点からしても、現時点ではあの書き方で限界なのだと思います。

実際は「解答に馬鹿とか書かれたら無視してね。食って掛からないように!」
とか書きたかったんじゃないかなぁ・・・。

大人ってズルイですか?
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この回答へのお礼

せっかく言葉を送っていただいていたのになかなか思うようにここを覗けなくて・・・
あしたは、休みだぁ―――!!やっと・・・
ということで、お礼が遅れてごめんなさい。

最後の三行目あたりの文を読んで、笑っちゃいそうになりましたよ。そんなにハッキリいっちゃわないでよ~・・・・・・ですね、そういってしまうとみもふたもなくなっちゃいますね。
『大人ってズルイですか?』この言葉もなんだかとってもキュ-トに感じます。

ひとくちに『ズルイ!』とは、いえない気がします。
まえにね、どこかの質問で高校生の男の子が君が代斉唱を取り上げて質問をあげてたお話があったんですね。そこに私回答を寄せたんですが、いまもわたしとんがっていますけど、その昔もっとまっすぐなヤツだったんです・・・(自分で言うのも変だけど・・・)大人になるにつれ、幸か不幸かいろんなものがみえてきて大人と称する人たちの発するひとつの言葉のうしろにもいろんな背景があるんだなぁ~っておもえるようになりました。俗に言うところの黒でも白でもない『グレ―』な部分があることをしりました。この『グレ-』があることを認めるまでにそうとう私、あっちにもこっちにもありさんみたいに・・・・~♪あちいってチョンチョン~♪こちいってチョン~♪と、頭ぶつけてそうとう頭ボコボコになった記憶があります。頭ボコボコになりましたが、そのおかげで今まで見えてこなかったものが見えたことがそのときの収穫でした。あっ!なにもいわないでくださいねぇ、『わかってるなら、なんでまたそんなこと聞くんだ!!』って話になっちゃいますから・・・。
そういわれると、私としても身もふたもなくなっちゃうんですがねぇ・・・(^-^)>゛゛゛『うぅ~ん。』どう言葉にすればいいんだろう~?上手く伝えることができるか心配ですが・・・自分がすでにおもってること『こういうもんだ=あたりまえ』になってることが、自分の中で『こういうもんだからしかたがない』と、決め込んじゃう自分にもちょっと疑問をもちだしたんです。なんていえばいいんだろうか?年を重ねていくにつれ日々疑問に思う気持ちが薄れてきたように感じます。ちょっと、そのことに不安を抱いてきたといったほうが正確かなぁ~いま自分が信じていることに何の疑いもなく日々過ごすことにね・・・・自分の『こういうもんだ=あたりまえ』って思っていることで、いろんなことを判断していくと果たしてそれがすべて正しいんだろうかと・・・・自分とちがう『こういうもんだ=あたりまえ』にでくわしたときそれを理解できなくなる。自分がまた違う目線で自分とはちがう『こういうもんだ=あたりまえ』をみれば、以前収穫として得た『こういうもんだ=あたりまえ』とはまたちがった、『こういうもんだ=あたりまえ』=グレ-があることも認められるかなぁ~そのとき、そのときで軌道修正こころみることしていこうって。
こんなわたしは、ズルイですか?$(^-^)$V

ご意見聞かせてもらってありがとう。

お礼日時:2001/05/27 02:03

私の考えなんですが この世には善も悪もないと思います


片方から見れば善 もう一方から見れば悪
善と悪は表裏一体で 時代によって変わっていくものだと思ってます
大事なのは 社会の流れに惑わされず 自分のいい感じだと思った行為を貫く事だと思います
それで 私にとっての いい感じは オードリ・ヘップバーン(?)やマザー・テレサ 時間があれば調べてみても面白いかと
ジャンヌダルクは 昔は魔女として悪人 今では聖人
でも、フランスを救ったと考えれば
人間単位で考えれば 戦争を長引かせ 死人を増やした
でも、ジャンヌがいなくて フランスという国が負ければ フランスという囲いの人が蹂躙されてたと思います それによって 勝った国は 国が潤って貧しかった人も 飢えで死ぬ人も減るし
答えを言うなら
人のなんていわれても揺るがない強い心をもつことだと思います
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この回答へのお礼

なかなかここを覗く時間が持てなくて、お礼が遅くなってごめんなさい。
ご意見聞かせてくれてありがとう。

uglyelくんが言うようにあたしも善と悪の部分を人は表裏一体でこころの中に併せ持っているとおもうよ。

オ-ドリ-ヘップバ―ンはホント!キュ-トだね~♪
でも、あたしが知っているオ-ドリ-は銀幕のなかのオ-ドリ-と社会福祉活動に懸命に生涯を捧げたとかいう話をマスコミやメディアの情報を介してあたしのなかでオ-ドリ-像を作り上げたものを認識しているだけにすぎないの。

そんなことは、ないとおもいたいけど・・・もしかしたら、誰も見てないところでは車の窓からゴミをポイポイ~♪捨てちゃう一面をも持っていたかもしれない?これは、『~かもしれない?』って話で、そうだって決め付けてるんじゃないよ。

さぁ-、最初の話に戻るね。自分がすでにもっている情報からなんらかのイメ-ジを構築してしまっているよね?そう、オ-ドリ-像ってものをね。さっきもいったけど、オ-ドリ-にもいろんな側面があったとおもうんだ。優しいオ-ドリ-、気の短いオ-ドリ-、あわてんぼうのオ-ドリ-、とっても頑固なオ-ドリ-いろんな場面でオ-ドリ-は一人なんだけど見方によっては本当に一人なの?と、おもえちゃう。それは、どういうことかというとね、人には多様な面があるってことそれが『人』なんだよね。『善』と『悪』ことばの響きから『善』はいいかんじ~♪にきこえたり『悪』はいただけなくきこえたり・・・・これも、『善』と『悪』という言葉の響きにわたしたちがすでに何かしらのイメ-ジをもっているんだよね。

このイメ-ジが、ときとして思考を妨げたりもするから厄介だ!
物事には、いろんな側面があることを見忘れちゃいけないってあらためて考えさせられるね。

揺るがない強い心をもつことにこだわるよりも揺らいだ自分を恥ずかしく思わずいられる自分でありたくも思うんだ。揺るがない自分っていうのは、面子にこだわっている自分ともとれるでしょ-?『確固たる』とかいうことばにもおきかえられるよね。その、『確固たる』ものが、少々きな臭くかんじてるから・・・
おもいちがいだったんだぁ-!って、思えたときは、だれになんといわれようが軌道修正するよ。

『おまえ前にあんなこと言ってたじゃん~』って、いわれたとしても・・・・いいたいやつにはいわせとけとね。自分の勘違い、思い違いがないなんて断言できないから面子にこだわりなく考えを軌道修正しちゃうよ。『勘違いしてたぁ-、ごめんね』って・・・過去にもなんどかやらかしてるからね。『ごめんね』をよく連発してるよあたしは・・・・
トンチンカン~~☆揺るがなつよいこころに執着すると思考停止してないかと不安になったりもするからね。

人(他者)からもらう言葉はありがたいよ。ありがとう。
人(他者)を通して自分が見えてくるし、人(他者)と自分が同じであることもね。

お礼日時:2001/05/25 02:15

補足要求ありがとうございます。

補足するほどの能力もないのですが。

私の考えているのと同じようなことはoni_ocさんが短くわかりやすくまとめてくださいました。
「善意」はその人が「よかれと思って」という考え方であって、他の人が「善い」と思うかどうかは別問題だということでしょう。
それから、spaceboyさんの御回答にもなるほど、と思いました。
「あなたにとっても善いこと」をよく考えることによってこそ「善意」が生きてくるのかもしれません。

で、つらつら「善意」について考えてみたのですが、抽象的な思考が苦手な悪い頭なもので、単刀直入に補足をいただいた事項について考えてみましょう。
>*質問者が頂いた回答を否定することを禁止します。仮に期待とは違う回答が来たとしても回答者の善意を否定することは認めません。
 一文と二文で言っていることが違います。「善意」を否定するな、というのは一つの社会的コードとしてあるように思います。「悪意」でやっていることを否定するときは「すっぱり」でもいいけれど、「善意」でやっていることを否定するときは「善意」は感謝しつつも、その行為は否定する、というような。でも、行為を否定するな、ということは別の規律です。

 で、このサイトの在り方を考えると、知りたい人と「善意で教えてあげる人」がいる、というより、知りたい人と「教えたい人」がいる、という構造に近くなっているのではないでしょうか。
 もちろん、知りたいことを教えてもらったから、そのお返しに、その人や他の人に「善意」で教えてあげる、という人もいるでしょう。でも、ポイント制をとっているということは、参加者の「教えたい」欲を引き出すことにより、回答のインセンティブを得ようとしているわけでしょう。ランキング上位の方の質問回数が少ないのは、何でも知っているから、というより、「教えたい」から、だと睨んでいるのですがどうでしょう。
 それとも、ネット上でいろんな人と知り合うのが楽しいから? コミュニケーション欲、とでもいいましょうか。
 「善意」と「教えたい」欲と「コミュニケーション」欲とその他いろいろな「見返り(お礼とかポイントとか)」が欲しい欲で、このサイトの回答は支えられているのだと思います。それ自体は、一つのビジネスモデルとしても、コミュニティの設定方法としても正しいことだと思います。
 それならそれで、「そーいったインセンティブが萎えるとコミュニティが壊れちゃうんで、あんまり否定的な補足をつけないでね☆」と言えよ、と思わなくもないですが、そう言ってしまうと身もふたもなさそうだから、「善意云々」と「善意」ですべてを代表させているのでしょう、きっと。

もちろん、ここの回答のほとんどには、「善意」が少しはあるんだと思います。でも、それだけではない。
littlekissさんが違和感を感じた「善意」というのは、実はかなりの夾雑物を含んでいるのではないか、それはたぶんボランティアとか募金でさえも同じような気がするのです。
じゃあ、その夾雑物がなくなれば、純粋な「善意」が現れるか、というとそうでもないような…。

一応の結論
(1) 「善意」と書かれていても、中身が「善意」だけとは限らない。
(2) 「善意」だからと言って、それに基づく行為が「善」だとは限らない。
(3) まあ、それでも具体的な想像力によって磨いていけば「善意」が「善」に結びつく確率もあがるかもね。
 
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この回答へのお礼

再度お答えくださってありがとうございます。
やはりそういった答えになるんですね。
この前から『ルサンチマンの哲学/永井均』の本を少し読んでいました。
その中で、序章『星の銀貨』の主題による三つの変奏というお話がありました。
それを読んでから沸々とある想いがこころに引っかかっていました。
わたしがおもうことと私が思うあの人たちのおもうことはわたしのおもうことと違うと思いながらでも、『星の銀貨』の三つの変奏というお話を読めば読むほど違いがないことに思えてきます。『同じ』その違いをいっても意味のないことのようにおもえます。しかし、愚かかもしれませんが何か違うと感じずに入られないという私も私のうちに内存しています。これが、私の心の中に棲む天使と悪魔なんでしょうか?

お礼日時:2001/05/18 21:49

>『善意』とは、ボランティア精神見返りを求めない気持ち


見返りを求めない気持ちですか・・・。私はそんな気持ちはただの見かけ上のことだと思います。あるいは本人や周りの人間が気づいていないだけか。
どんなに「私は見返りを求めていない」(あるいは「あの人は見返りを求めていない」)という人でも、その見返りを求めない行為がその人にとって苦痛以外の何ものでもない、という状態は有り得るのでしょうか?
「あの人を助けたい」、その気持ちが苦痛を和らげるための「見返り」そのものだとは言えないでしょうか?

「善意」は見返りを求めない気持ち。それでいいと思います。

なんだ話が違う!、と言われるかも知れません。
確かに哲学という観点から見れば「善意」は見返りを期待した行為と言えると思います。しかし、実生活における「善意」とは、やはり見返りを期待しない行為と言えるのでは?
もし見返りを求めると「善意」の中身は変わるのですか?
「この人は見返りを求めていない」という認識でいた方が人間関係が円滑にならないでしょうか。

littlekissさんの求める回答ではないだろう、と言う事は重々承知ですが、これは大事なことです。
「善意」を疑うという行為はいずれ人間不信へと導かれてしまいます。
もし、御自分の人格が未完成だと思われるのでしたら、この問題を扱われるのをもう少し後に延ばされた方がいいのでは。心に暗い部分を持って他者と向き合わなければならなくなるでしょうから。

最後に
>善人と呼ばれるひともなんだか実は悪人だったりするのではなかろうか
「絶対善」や「絶対悪」というものがあると考えておられるのなら、それは宗教で扱われる問題です。
「善」と「悪」というものは常に相対的なものだと思います。「わたし」にとって「善」でも「あなた」にとって「悪」であること、またその逆も然りです。

「善」または「善意」ということを考えたとき、「わたしにとって善いこと」を優先させる人間は未熟だといえるでしょう。出来る限り、所詮分からないことだとしても「あなたにとって善いこと」を考えつづけること。
その気持ちが人間の価値の一部になる、と私は思います。

的外れな回答が多くなりましたが、littlekissさんの求める回答の一部にはなれたのでは、と思います。
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この回答へのお礼

ご意見ありがとうございました。

お礼日時:2001/05/18 17:47

またまた場違いなhidamariですぅ~(^^ゞ


(前回のは、ひょっとして私の場違いな回答も原因だったのかなぁ~?
他の質問の回答でlittlekissさんが「あんぽんたんな回答者」みたいな事を書いてたのも
ひょっとして・・・って言うかやっぱり私のこと?って思ったんだけど
メゲズに来てしまいました~
もしそうだったら、今回の場違い回答も許してくださいねぇ~)

さてさて、で、この質問に対して私の回答は・・・
ついこの前、こう言うことがありましたぁ。
近所のオジさんが、溝掃除をしました。(誰に頼まれたわけでもなくって個人的に)
掃除してたらガーデニングに使えるかも?と思うような
腐葉土が集まりました。(チョット表現が変かも?)
隣の垣根にちょうど良いと思ってその腐葉土を
隣の家の人には無断で垣根の木の根元に撒きました。

オジさんは溝掃除も腐葉土を撒いたのも「善意」でしましたぁ。
別に何の見返りを期待していたわけでもなく
ただ、溝にゴミが溜まってるな~!この腐葉土はつかえるな~!ってね。

多くの人は(私もね)オジさんを良い人だ!善人だと思いました~
でも、オジさんを良くない!と言う人も2人いたんですよぉ~
1人は溝のスグ前に住む人です。
その人は自分に対する当て付けか?!イヤミか?!って怒りましたぁ
もう1人は隣の家の人です。
ゴミを垣根に捨てた!って・・・

って言う風に、受け取る側によって人の善意って簡単に
変化しちゃう事も多いんじゃないのかな~?と
考えさせられる出来事でしたぁ。

それと
『善人と呼ばれるひともなんだか実は悪人だったりするのではなかろうかと考える次第です。』
って言うのも、同じでその人のどの部分を言うかで変わることだと思いますぅ
だってぇ、どの部分から見ても「善人」や「悪人」って言う人の方が
少ないと思うから・・・
「悪人と呼ばれる人もなんだか実は善人」って言うパターンもあるような気がする・・・

あと、何かを期待して!って言うのとはチョット違うけど
自分がアクションを起こした事によって
例えばお礼されたり感謝をされたりしたら
それはそれで、嬉しいですよねぇ~(*^.^*)エヘッ
それまでも「見返りを期待してた」とは言えないと思ったりしますぅ。
無償なものだけど、それによってリアクションがあれば
嬉しいな~!って、でもそれは見返りを期待してと言うのとは別な物だと
思っていますぅ。
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この回答へのお礼

hidamariさん、回答してくださったのに『あんぽんたん』なんていわれたらたまりませんよね。お気を悪くさせましたらごめんなさい。正直、何件かの回答で私がお尋ねしている内容を違う解釈をされて話が思わぬ方向へ言ってしまったことは事実です。当然、わたくしの表現のまずさがあったことも認めます。が、話を捻じ曲げて書き綴られる。削除されたこと、とても残念に思っています。書かれた回答の中にはとても興味深いお話もあったので、まだ、私が疑問に感じていることへの手がかりになるやもしれないご意見までもすべて、削除されてしまったこと繰り返しますが残念でした。自分の好む意見だけに耳をかすといっているのではないですよ、疑問とした内容を取り違えた答えに『そうじゃないんですよ~こっちを聞いてるんですよ』と、いっても自分の意見が否定されたととられちゃって、誹謗中傷かと見疑う文面を書き綴られたりいろんなご意見があるのも当然です。いろんな解釈の仕方があるのも。『よかれ』と、おもって答えたことが的外れだったらどうしてそこで怒る方がいらっしゃるのか?自分の意見を否定されたから・・・?

お礼日時:2001/05/18 17:38

north073さんと近いことを書くようですが、


善意ってむずかしいです。

自分の内部の問題で言えば「よかれと思って」これですよね。
ところが、これは相手にとっては必ずしも「よかれ」ではない。

例えば自分から見て「悪いこと」をしているように見える人がいます。
「よかれと思って」忠告します。そうすると、人によって反応はいろいろ
みられるでしょう。「ありがとう」「ほっといてくれ」
「どこが悪いってんだ」「お前にはわからん」などなどなど。

とまぁ、あんまり相対化しちまうと何がなんだかわからなくなりそうですが、
実際のところ、何がなんだかわかりません(笑)

親っていうのは、極端にひどいのを除けば、ほとんどの場合
自分の子供に「よかれと思って」「悪いこと」の忠告をするもの
ではなかろうかと思います。(もちろん折檻死させるような親は除く)

で、その前提で自分の親との関わりを考察していくと、
必ずしも「善意」なるものは「善」でもないことがわかるような気がします。
親がああしなさいこうしなさいというのに従ってとんでもない目にあった
なんてな経験を持つ人も少なくないはず。

ようするに「善意」っていうものは個人がもつ「モットー」とか、
「テーゼ」「テーマ」などなどに基づいた「よかれと思って」
のことだと思います。

社会的に「善意」とされるものについては、
それが社会的利益や利害と一致するときに呼ばれるのでしょう。
おそらく、きっと。
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この回答へのお礼

社会的利益や利害と一致する。
なんだかこの言葉には、『ふむ』と納得させられます。
社会の枠の中では、逆に無償であることは奇異なことになるのでしょうか?
理想や憧れといったものをこころに描き求めても『~であってほしい=不確かなもの』そんなものを追い求めていても答えは見つからないのかもしれない、不確かなものだから・・・

社会というとてつもなくでっかい枠だけがありありとみえてくる。

お礼日時:2001/05/18 16:46

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