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皆さんは自分が死ぬことをわかって生きていますか?

もちろん、知識としては知っているでしょう。
でも毎日生きていて、これが永遠に続くと思っていませんか?

周りの人もみんな、誰もが死に向かって行進しているとわかって生きているでしょうか


ただ皆さんが普段どういう意識で生きているのかを知りたいです。
どちらでしょうか

また死を意識して生きている人に質問です
何のために生きていますか?

A 回答 (23件中1~10件)

死とは何でしょうか。

その為には、私は誰なのか考えなくてはなりません。大抵の人は、これが私ですと自分の体を指すでしょう。
 では仮に、手が切り取られたらどうでしょう。手と残りの体とでは、どちらが私でしょう。手は私では無く、残りの方が私ですと答えるでしょう。では首が取れたらどうでしょう。首の方が私ですと答えるでしょう。では脳を取り出したらどうでしょう。脳の方が私ですと答えるでしょう。では脳を半分に切ったらどうでしょう。どちらが私でしょうか。脳を切り刻んだらどうでしょうか。どれが私でしょうか。脳の中のどの部分が私なのでしょうか。
 そもそも、体の中の物質は、3年に一回全てが入れ替わっています。では、3年後の私は私ではなくなっているのでしょうか。
 赤いとか熱いとか感じているのが私です。では、赤い熱いと言う感じは、物質でしょうか。赤い色は、心の外の世界には存在しません。物質の表面に当たって反射する光の波長が存在するだけです。
では、音はどうでしょうか。外界には、色々な波長の空気の振動があるだけです。私たちが感じている様な音は存在しません。
  この様に、心が作り出したものを取り去ると、何も残りません。従って、赤い熱いと言った感じは、物質ではありません。幾ら科学が発達して、全てを見ることが出来る顕微鏡が出来たとしても、脳の中を覗いたところで、熱いと言う感覚を見ることは出来ません。触ることも出来ません。ただ、私が感じるだけです。物質ではないものを感じている私も物質ではありません。
 私の感じている世界は、私が心の中に作り出したものです。心の外の世界がどうなっているか、私には全く知る術がありません。しかし、心は外界に出来る限り似せて、心の中に世界を作り出しています。
例えば部屋の中で、テレビを見ている様なものです。テレビは、実際の現場に似せて場面を作り出しています。しかし、決して現場そのものを見ている訳ではありません。あくまでも、テレビが作り出した場面を見ているだけです。
部屋の中にいる限り、外の現場を直接見ることは出来ません。
 テレビを見ているのが私です。決して、テレビが私なのではありません。 テレビが壊れても、修理すればまた見える様になります。見ている私が壊れた訳ではありません。
 もし、見ている私が壊れたのであれば、幾らテレビを修理しても元通りに見える様にはなりません。テレビを修理して、元通りに見える様になったと言うことは、私自身は何も変わってはいなかった事を証明しています。
 同様に、もし病気で脳が壊れて、何も感じなくなったとしても、医学が発達して、脳を直す事が出来る様になれば、また私は前と同じ様に感じることが出来る様になるでしょう。
 この事は、私は何も変わっていなかったことを証明しています。病気をしても、年を取ってボケても、そして死んでも脳を元の状態に戻せば、元通り感じることが出来るので、私自身は何も変わってはいません。
 ただ脳が信号を送らなくなったので、何も感じなくなっただけです。テレビが壊れて直せなくなっても、新しいテレビを買えば元通りに見ることが出来ます。脳が死んでなくなっても、新しい脳が私に信号を送る様になれば、また元の通りに感じることが出来ます。
 科学が発達し、かつて脳を構成していた、物質を掻き集めて、元の通りに組み合わせて、脳を作ったら、また、私は元の通り感じるようになるでしょう。
 私自身は、生じるものでも無くなるものでもありません。穢れるものでも、清くなるものでもありません。増えるものでも、減るものでもありません。宇宙の初めから存在しており、宇宙の終わりまで全く変わらずに存在するものです。
 死んだ後の状態は、生まれる前の状態と何一つ変わりません。何か違いを指摘できるでしょうか。
 生まれる前の状態から、人は生まれてきました。死んだ後の状態から生まれることは、何ら不思議なことではありません。
 「不生不滅不垢不浄不増不減」です。死んだとしても、気が付くと貴方は、母の胸に抱かれているでしょう。
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 生物は、生きる物という意味であり、生きることに本質がある。

人間以外の動物は、恐らく死を意識することはないが、人間は死を意識できる。しかし、死の直前まで、人間は生きることを意識しなければ、生きていけないだろう。死の最後の瞬間まで、人間は生きることを信じることが必要なのだ。それが、生物の本質である。死ぬことばかり考えることは、生物の本質に反し、よい生を享受することができないだろう。
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>「周りの人もみんな、誰もが死に向かって行進しているとわかって生きているでしょうか」



無論、・・・



でも、普段はあまり意識しませんね。
「そんなヒマが無いから」でしょうか。
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もう何年かすると不老になる技術が出来るそうですが、そういう技術を買う金がないので死ぬと思いました



死におびえ今ここに逃げ、今ここにおびえ、薄っぺらく寝るときはただ寝るため、味気なく食うときはただそれを食うために生きてる感じです
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「メメントモリ」という感情ですね。


私は悪性脳腫瘍を患っており、2~3年単位で手術を受けています。

残りの人生を無駄にしないように、後悔ややり残しがないように意識しています。
自分の価値観が全てであり、世間常識や貯蓄や、他人の眼などどうでもいいです。

>何のために生きていますか?

病院のベッドでは出来ないことをする為です。
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毎日を悔いなく生きることです。

何とか子供達を独立させる迄は生きていたいですね。そして、苦しまずにポックリと逝きたいです。
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死は意識しています。



祖母が亡くなって、生きている喜びが無くなり
人は死んでしまうのに、苦痛の毎日で何故生きる必要があるのだろう?
と私もずっと疑問を持っていました。

毎日、いつ殺されるかと恐怖の中で10数年生きてきて、死は誰よりも深い友でした。


それから数十年たち今感じているのは、生きることを楽しみ感動し
喜びを多くの人と分かち合うためだと思います。

信じていられる人と出会い、心を繋げ、深い愛を学びました。
そこで、始めて心底から生きてるっていいことだと思えました。


孤独は人を死に誘います。
誰かと強く繋がることで、生きることの本質が理解できます。

いずれいつかは、誰にでも死は平等に訪れます。
いつか終わる人生なら、喜びにあふれる今を生きようと毎日思って生きてます。

それはいつも死を意識しているからです。
いつ訪れるか分からないからこそ、今を十分に生きています。

もし、明日訪れたとしたら、とても残念に思いますが
悔いと恐怖はありません。


あなたに生きる喜びが、いつか訪れることを願っています。
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>皆さんは自分が死ぬことをわかって生きていますか?



 自分が死ぬってことはありえません。

>でも毎日生きていて、これが永遠に続くと思っていませんか?

 永遠に続いています。

>周りの人もみんな、誰もが死に向かって行進しているとわかって生きているでしょうか

 周りの人のことを知ることはできません。
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多くの場合に於きまして、


些細な不幸の恐れさえもが忘れられがちになっているのではないでしょうか?
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体が使えなくなって死んでも、


私の本質は肉体に宿っている魂であり、
それで終わりではないので、まったく死ぬことは考えずに生きています。
自分に忠実に生きることが真実につながる道だと考えているので、
やりたいように、思うように、何も気にすることなく
毎日を楽しんで生きています。
1回きりの、
死んだらすべてが終わりの死生観は、重くて、暗くて、絶望的で、
生きる気力がなくなりますね。
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