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征韓論というものがその後の日本に与えた影響というのは何がありますか?
明治六年の政変で留守政府の西郷板垣後藤副島江藤らが下野して
結局朝鮮出兵が出来なかったようですが
それでも征韓論は何か与えたのでしょうか?気になります。

よろしくおねがいします

A 回答 (2件)

「征韓論」は無血開城をやってのけた西郷が自分自ら交渉に行きたいがための「駆け引き」でしょ? 自分が行ってもし殺されたら一気に攻めこむ口実にできる…西郷は殺されずに交渉を成功させる自信があったみたいですよ。

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朝鮮半島というのは、日本の安全保障の要なのです。



あそこに、敵の軍事基地ができたら大変なことになります。
注意すべきは南下政策を採るロシアでした。
日清日露戦争は、まさに半島を巡る戦いだったのです。
元寇も、半島経由で日本を攻撃しています。

米国は、隣国キューバにソ連のミサイル基地が出来るという
ことで、第三次大戦覚悟で海上封鎖にでました。
あのように近い国に、敵の軍事基地が出来るということは
とんでもないことなのです。

だから明治の人達は、韓国をなんとかしようとしたのです。
平和ぼけしている現代人は、そういう軍事的見地から物事を
みることに疎いのです。

日韓併合で、日本は赤字を出してまで韓国を強化しようとして
道路港湾ダム教育など各種インフラを整備しました。
これは、半島がロシアに占拠されたら日本の安全が危殆に瀕する
からです。
それは、戦後米国が、日本を社会主義国に対する防波堤
にせんがため、援助したのと同じ図式です。

つまり、征韓論はこれら安全保障の流れの一環です。

※関係無い話ですが、西郷隆盛は次のような書見を残しています。
「わいが、韓国に行けば、反日感情が激しい韓国のことだから
 きっと暗殺されるだろう。
 それを口実に征韓ができるだろう。
 だから、わいを韓国に派遣しろ」
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