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特に敬語や謙譲語を自在に使えるようになると人間関係に対する考え方まで変わってくるというようなことはないでしょうか。同様に、てにおは、に慣れてくると英語が単純な感じになってくるというようなことはないでしょうか。

A 回答 (4件)

まず答えから先に挙げますと、人間関係に対する考え方が変わる、という事は人にもよりけりとは思いますが、ほとんど無いと思います。

日本語の助詞(particles-てにをは、ですね)は英語には無くても格の一部として含まれていますし、どの言語にも独自性はありますので、英語が単純と思う事もありません。

敬語の様に動詞、名詞が尊敬、謙譲により単語自体が変わる、という事は英語にはなくても、多くの言語には別の敬語的なシステムがあります。英語でもWill you..? Would you..? Can you...? Could you..だけでなく、他の言語と比べ語彙数が非常に多いので、同じ意味でも多くの単語があり、その場に適応するものが選べます。「ありがとう」と言うにしても、thank you, thanks だけでなく、thank you kindly (南部に多い表現), much obliged, の他にもっとスピーチ等であらたまった場所では、I'd like to express my gratitude... と始める事も多いです。英語ではありませんが、ドイツ語では昔は皇帝には面と向かって話していても第三人称を使って話す、という習慣があったそうです(モーツアルトの手紙の中にこれを皮肉った部分があります)。

助詞は他の言語では名詞自体に組み込まれているので、物珍しくても言語学上特異な存在という訳でもありません。ラテン語にはてにをはどころか、格が6つもあり、格の面ではlazyな英語と違い、全て変化させます。「神」という単語を例にとると、dominus (nominative), domini (genitive), domino (dative), dominum (accusative), domino (ablative), domine (vocative) となります。Ablative は位置を示すもので、vocative は呼びかけで、domine は「神よ」と訳されます。日本語は助詞、ラテン語は格変化の規則が厳しいので、語順を替えても意味が変わりませんが、英語はそれができません。

でもいくら母国語でも言語は文化の一部で常に変化しているので、完全にマスターしてる人というのはいないはずです。日本人でも敬語は駄目、文法は駄目という人達、英米人でも文法無視の英語を話す人はゴロゴロいます。また全く異質の言語を学ぶとそれにより反って母国語の特異性が確認できます。魚が水の中で泳いでいる分には「水」という物を意識しないように、ひとつの言語しか話せない者には外国語以前に自分の言葉の特徴も把握し難いです。英語や他の言語と比べ、日本語は助詞よりもオノマトポエイアの豊富さが大きな特徴かと思います。雨ひとつにしても、ポツンポツン、ポツポツ、シトシト、ザーザー、ジャンジャンと擬音で雨足がわかるのはすごいと思います。英語の特徴は先に挙げた様に、ひとつには語彙の豊富さがあります。これはゲルマン系言語なのに古代フランス語の影響を受けただけでなく、非常に外来語が多いためですが、そのため日本語やスペイン語、イタリア語の様に母音、子音の発音とそのスペルの特徴を覚えれば書くのは簡単という言語と違い、スペルにも例外が多く、言語学の教科書にも、英語では ghoti と書いてもfishと発音できる、というお笑いがあります。これは、enough のgh、women のo、nation のtiの発音を指した例です。通常eaは「イー」と発音されるのに、great は別の発音ですし、ei にしても height, eight では発音が違うので、子供がスペルを覚えるにもそれなりの難しさがあります。また英語でも古代にはドイツ語の様にenで複数を示していたのが、Norman Conquest により、それが一掃されsに切り替わり、古代の名残を残すのは、oxen, children だけですが、その他にも複数でも変化しないもの、sでなく別の変化をするもの、と英語は例外が多い言語です。この例外の多い複数形に関するユーモラスな詩の中に「gooseの複数がgeeseなら、mooseの複数はmeese?」という行があります。また、octopus, cactus の複数は文法上は、octopi, cacti (でも口語ではoctopuses, cactuses は普通です)というのは周知ですが、virus の複数形はviruses でviri というのはありません。

という訳で、どの言語にしても「極める」という事はできないので、単純に感じるとは思いません。勿論個人差はあると思います。わたしは大学院でも言語学が好きだったですし、子供の頃から色々な言語に興味があり、授業を受けた事はなくても上記ラテン語の文法の本を見て6つの格の存在を知った時には興奮して、傍にいた姉に読んで聞かせた覚えがありますが、彼女の反応は、"No wonder it (Latin)'s dead." で軽く一蹴されてしまいました。
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この回答へのお礼

該博な知識とご経験を伺い感激すらいたしております。何度も読み返させていただきたいと思います。昔ghotiの話は学校で先生におしえてもらいましたが、0が何から来ていたのか忘れていました。今回はしなくも教えてただき、旧友に再会した感じです。どうもありがとうございました。

お礼日時:2012/10/17 09:51

訂正です。



よく考えたらdominus, etc. は「主」の意味でした。「神」はdeus なので、motet でも、Domine deus というのがあります。だからdomine は「主よ!」となります。すみません、本格的にラテン語は勉強したことないもので。
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この回答へのお礼

ご丁寧に教えていただき感謝いたします。

お礼日時:2012/10/17 09:52

日本語が流暢に話せるアメリカ人には会った事がないのですが、イギリス人男性で、二人ほど、発音も敬語も完璧だった人を知っています。

何故か二人とも金髪で青い目でした。

日本語については、はっきりビジネスのための言語だと、割り切っていた節があり、英語を話す際には、全く普通のイギリス人と変わりありませんでした。英国的ジョークのセンスも変わりませんでした。一度母国語として習得してしまったものは、外国語を習得しても、その習得レベルが落ちる、ということはないように感じました。
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この回答へのお礼

やはり幼少時に習得した言葉だけが強い影響力を持っているのでしょうか。どうもありがとうございました。

お礼日時:2012/10/17 09:44

多言語文化圏の人間は、唯一の正解なんて考え方をしていません。


その意味では日本より寛容です。「日本はこんな感じか」そんなもんです。
極論を言えば、言葉は結局言葉に過ぎないのです。まあ、文化を学ぶ者に
とっては感化されれば、考え方が変わる者もいるだろうが、レアケースです。

英会話学校の短期講座を受けた時に、外国人講師がそんな感じの事を言っていました。
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この回答へのお礼

少し趣意が伝わらなかったようですが、ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/10/16 18:25

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