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・・・絶対的に正しいと証明されてしまった

その上での「人間の自由」とは。

A 回答 (5件)

正、あるいは不正は、何かの基準に照らして判定するものですから、絶対的に正しいという表現は形容矛盾です。



絶対的という形容をつけられる概念としては、「事実」あるいは「真実」でしょう。

視点によって、ことなった表現をされる可能性はありますが、それでも絶対的な真実、絶対的な事実というものがあると思います。数学の世界だけではなくて、物理の世界にあると思います。
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この回答へのお礼

Mokuzo100nenn様、ご回答ありがとうございます。


仮に、「無限」ということが本当であるならば、選択肢も無限となるはずです。
そして、結果も無限。
だが、人間の認識の限界によって、あらゆることは一期一会、一回こっきり、ということにされてしまう?

お礼日時:2012/10/28 00:27

>しかし、「数学」においては、「絶対的に正しい」ということが、(コレコレという前提なら、ソレソレだ)というようなことが、あるようです。



そりゃそうですとも。

しかし無条件に絶対的に正しいということはありません。

と言うことさえ絶対的に正しいとは言えないというところに人間の自由さの根元があるのですよ。

数学、哲学、なんとか原理、かんとか思想、全て正しく、全てが間違い・・・

それほどまで自由ってことです。人間だからねぇ~。
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この回答へのお礼

人権は侵害しないでね。

お礼日時:2012/10/28 00:18

例えば、未来が全て絶対的に予知できたとして、そこで自由が無くなったと言えるでしょうか?


自由というのはただ単に要求(要請)されているだけのものではないでしょうか。
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この回答へのお礼

bokeyu様、ご回答ありがとうございます。


ご質問をしてしまっておいて、なんですが、過去にここにおいて、
「自由とは、人間が、その時々で、可能である範囲」という(うろ覚えですみません)、
「示唆」を頂いていたかな?ということを思い出していました。
(その御回答の部分を探そうとしましたが、出来ませんでした)
それによれば、例えば刑法における責任阻却なども説明可能と思われるわけで。


>「未来が全て絶対的に予知」

「絶対に予知」であれば、自由は厳しいのではないでしょうか。
「絶対に予知」が不可能であるゆえに、人間には自由がある?

お礼日時:2012/10/28 00:16

「絶対」が不可能な事は、存在における不確定性原理、


認識における不完全性定理において証明されてしまった。
その相補性、非完結性において、任意は起源となる。

この回答への補足

補足させて下さい。

つまりは、「任意」同士の合致である「契約」とは、普段何気なく行なわれているけれども、実はすごい事だ、ということでしょうか。

補足日時:2012/10/30 23:26
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この回答へのお礼

psytex様、ご回答ありがとうございます。


>「絶対」が不可能な事は・・・証明されてしまった。」

おめでとうございます。


>「その相補性、非完結性において、任意は起源となる。」


でもね、。
「任意は起源となる。」・・・ありがとうございます?

(相補、非完結、、、「イシ」が無ければね)

お礼日時:2012/10/24 01:28

あり得ません。



あり得ないから自由。
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この回答へのお礼

ukiyotonbo様、ご回答ありがとうございます。

「世の中に、「絶対的に正しい」などというものはない」
というご趣旨かと思います。


しかし、「数学」においては、「絶対的に正しい」ということが、
(コレコレという前提なら、ソレソレだ)というようなことが、
あるようです。

お礼日時:2012/10/24 00:04

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