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日本の農業で肥料に堆肥が使われ始めてのはいつごろからでしょうか?
同じころから麻やくわの栽培も始まったようですが・・・
情報お待ちしていますm(_ _)m

A 回答 (4件)

日本の場合水田技術が中国から移入されたため、それと同時に堆肥も含めた種々の技術が中国より伝わっていると考えるのが妥当だろうと思います。

だいたい2500~2600年前ごろ九州に複数の水田遺構が見られるので、おそらくその時期には堆肥は使われていたでしょう。
なお4000年前の陸稲も土器内から発見されていますが、この時期の農業に肥料の概念があったか否かはわかりません。


江戸時代にはげ山が増えたのは、草(による堆肥)の利用が始まった証左ではなく山の草まで必要になった証左、つまり平野部の人口増加により山の草さえ刈るようになった表れであると考えます。別にそれまで堆肥を使っていなかったわけではなく、堆肥にわざわざ山の草まで必要としなかった(身近の草で事足りた)だけでしょう。
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江戸時代に入ってから



http://www.pref.nagano.lg.jp/xseikan/khozen/khok …

「明治時代のはじめ頃につくられた地形図や江戸時代・室町時代後期の絵図,文献資料などの研究から,近世から近代初頭にかけて全国各地にはげ山,草山,柴山が広がっており,これらの場所から刈敷・厩肥・堆肥といったかたちで田畑に入れる肥料や牛馬の餌,屋根をふく萱などとしてもちいるために草や柴がさかんに採取されていたことがあきらかになっている」 以上引用

平たく言えば、
室町時代後期の絵図
江戸時代の絵図
明治時代の地形図

などを比較したら、近世(=江戸時代)に入ってから ハゲ山 草山 柴山 が広がっており、それは堆肥なども含めた 里山の利用が進んだから
とのことである。
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>日本の農業で肥料に堆肥が使われ始めてのはいつごろからでしょうか?



日本での稲作文化は、縄文時代に既に始まっています。
今までは、「縄文=狩猟・弥生=稲作」と教科書に記載がありましたがね。
※戦後の静岡県登呂遺跡から水田跡や炭化米・農具が見つかったので、稲作は弥生時代となった。
縄文時代の地層から、多くの「水田跡・稲」が見つかったのです。
九州地方では、約3000年前の水田跡から稲が見つかっています。
検証中ですが、津軽地方でも縄文時代の地層から稲作の跡が見つかっています。(静岡大学・佐藤助教授)
ただ、肥料の面からは「自然たい肥(洪水・大水)からの、肥沃な土地」での稲作が始めでしようね。
多くの遺跡が、川の支流流域にあります。
古代、エジプトの農業(ナイル川の氾濫で、土地が肥えた)と同じですね。
肥料ですが、土器を焼いた後の灰などを用いていた様です。
堆肥を基本とすれば、大化の改新頃には「人糞を堆肥として利用」していたようですね。

>同じころから麻やくわの栽培も始まったようですが・・・

こちらは、焼畑ですね。
今でも地方の山村に行けば、草刈をした後に畑を焼いています。
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弥生時代です


稲作とともに朝鮮半島より伝来
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