質問

近代の司法制度は、古くは「目には目を」のハムラビ法典、もしくは復讐とか仇討ちを否定する形できていると思います。

ハムラビ法典というのは 失明させたら、罰として加害者の視力を剝脱するということですね。
死刑賛成派の人でも この考えに肯定的な人は少ないはずです。しかし、そうすると 人の視力を奪うことが野蛮なら 「人の命を奪うことはもっと野蛮なのではないか」 という矛盾が生まれます。(ヨーロッパの殆どの国で死刑が廃止された理由の一つにそういう不条理もあるのですが) そして、死刑賛成者に この矛盾を指摘すると 「自分の子供が無残に殺されても 死刑に反対できるのか。」と反論する人が必ず現れます。 熊本の3歳女児殺害事件では 被告は無期懲役になりましたが、私が心ちゃんの父親だったら 私もやはり死刑を望んでいたと思います。
しかし、法律というのは被害者や被害者の遺族の視点だけでなく、もっと広い視点で感情論ではなく
冷静かつ客観的に考える必要があると思います。

私も死刑には必ずしも反対ではありませんが、死刑賛成派の人は この矛盾をどのように解釈しますか?

一つの考えとして、懲役刑も制裁や償いというより “罪を犯した人が矯正し、社会に復帰するために必要な時間” というのもあるかもしれません。 (未成年の犯罪の場合は まさにこれが当てはまると思います。) そして、死刑というのは 矯正がもはや不可能だと見切った 人間を処分するということになるでしょう。 ただ、これは頷ける部分があるものの 全面的に私が賛同する意見でもありませんが。

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回答 (13件中1~10件)

先ず第一に、ハムラビ法典は多くの誤解を招いています。

>視力を奪うことが野蛮なら 「人の命を奪うことはもっと野蛮なのではないか」 という矛盾
仰ることはそうですが、誤解がその矛盾を想起させています。つまり復讐を肯定しているものではないと言うことです。

確かに「目には目を」とは書いてあるので、復讐を意味すると誤解されてきたのでしょう。そこには「『目には死を』」とは書いていない、すなわち「目には死」ではない、ことを意味しています。

つまり、これは単なる復讐の肯定ではないと言うことです。このことは刑罰の上限を明文化することによって、復讐の連鎖、その他もろもろの事情を考慮して一定の歯止めをかけるための規定だったのです。

さらに、続く条文の中には、他の傷害に対して対価を以って賠償するという規定もあって、常に「同害復讐」を容認するものでは無かったのです。従って、決して野蛮と言えるようなものではなく、むしろ平等を前提にしたものだったのです。

すなわち大事なことは、「『同害』を以って刑罰の上限である」ということでした。むしろ民主的だったのです。

さて本題の 
>死刑賛成派の人は この矛盾をどのように解釈しますか?
同害規定を理解すれば矛盾は発生しない、ということになります。

>被害者や被害者の遺族の視点だけでなく、もっと広い視点で感情論ではなく冷静かつ客観的に考える必要があると思います。

もっとも客観的なのは感情論を一切考慮せず、人の道として償わせることではないかと思います。つまり、私は死刑制度は優れた法制度であり賛成です。反対派の考えがとても理解できません。要は感情論に結び付けようとしたり、或いは人権団体(人権派弁護士の売名行為を含む)の論理を声高に叫ぶ、これこそ感情論そのものと思えてなりません。

殺人犯は、自ら死を以って被害者に償うべきでしょう。それができない、復讐も勿論認められない、ではどうすれば、誰が、となれば、法によって償わせることがもっとも合理的ではないでしょうか。

被害者が1人だ、2人だ、残虐性だ、などなど、その犯情によって死刑か無期かの違いを生じさせたのは、裁判官の心情・判断や、いわゆる永山基準のような、敢えて設けなくても良かった、それは却って混乱を招く結果しかもたらさなかったと言えるし、結局は判断(判決)に影響してくるという弊害が無いとは言い切れませんから、だからやはり、被害者が1人でも、法を犯したと言う以前に、人の道として償わせるべきと思います。

何よりも、被害者の無念さ、遺族の悔しさに対して必ず出てくる感情論や、犯罪者にも人権をなどと言う議論の、明快な排除となり得るのです。

私のあくまでも個人的には、被害者への殺害方法と同じ方法で償わせれば、抑止効果に寄与できるのではないか、などと単純に思ってしまいます。勿論、近代刑法には無理な刑罰になるでしょうね。

>罪を犯した人が矯正し、社会に復帰するために必要な時間
>矯正がもはや不可能だと見切った 人間を処分
これらも、不毛な或いは、し尽くせない議論の要因かも知れません。
だから、シンプルに償わせればいいと思うのです。

子供への虐待死や、強盗致死や強姦致死、暴行致死など、あらゆる被害者が発生していますが、殺人と傷害致死も刑罰が異なるなど、被害者にとってはちょっと納得できないものと思ってしまいます。
特に子供への虐待はどれほど恐ろしかったか、この恐怖を思えば心痛みますし、あのネット殺人(携帯で集まった無関係の数人で、女性を車に監禁殺害)なども恐怖心ははかり知れませんし、だからこそ、死刑制度は必要と思います。法務大臣や人権弁護士(光市母子殺害事件)は、自分の家族が被害者なら、単純に許せるかと問いたい。何でそこでドラえもんが出てきてなどと、そんなバカバカしい作り話の弁護展開で死刑を回避し、売名したかったのかと、このような者に弁護士の資格は無用でありましょう。

ちょっと横道に逸れましたが、最近、終身刑導入の意見もありますが、犯罪者に税金でただメシ喰わせる方がよほど矛盾していると思えてなりません。むしろ合算刑で90年とか120年とか、150年とかの方がよほど合理的ではないかと思います。

一方で勿論、えん罪と言う場合も想定できるし、もしくは可能性とかの排除には、あらゆる捜査手法や科学的証拠などを積み重ね、やはり真犯人との客観的な高度な判断が必要で有ることは当然でしょう。

この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

これまでで一番しっかりした回答です。ただ、前回答者の復唱に近い部分も見受けられますが。生意気言ってすみません。

>仰ることはそうですが、誤解がその矛盾を想起させています。
これは#8さんも既に仰っていますね。

>さらに、続く条文の中には、他の傷害に対して対価を以って賠償するという規定もあって、常に「同害復讐」を容認するものでは無かったのです。
#6さんの考えにも通じますね。

>同害規定を理解すれば矛盾は発生しない、ということになります。
これは jobzeroさんも視力剝脱の刑は否定しないということでしょうか?

>要は感情論に結び付けようとしたり、或いは人権団体(人権派弁護士の売名行為を含む)の論理を声高に叫ぶ、これこそ感情論そのものと思えてなりません。
鋭いご指摘ですね。

>殺人犯は、自ら死を以って被害者に償うべきでしょう。
償いって何なのか考える必要があると思います。私は刑罰というのは被害者よりも社会に対する償いじゃないかと思うんです。犯罪の中には明確な被害者のいないものもありますし。(まあ、死刑になるほどの重罪はありませんが。)
ちょっと話は変わりますが、自分が交通事故で車椅子の生活を余儀なくされた場合です。
↓の質問を参考ください。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6511326.html
jobzeroさんならどれを選びますか?

>私のあくまでも個人的には、被害者への殺害方法と同じ方法で償わせれば、抑止効果に寄与できるのではないか、などと単純に思ってしまいます。勿論、近代刑法には無理な刑罰になるでしょうね。
心情的には理解できる部分もありますが、それじゃ 角田美代子はどうやって罪を償わせます?

>子供への虐待死や、強盗致死や強姦致死、暴行致死など、あらゆる被害者が発生していますが、殺人と傷害致死も刑罰が異なるなど、被害者にとってはちょっと納得できないものと思ってしまいます。
罪もない小学生をレイプ殺人したのと、ハイジャック犯を乗客が過剰防衛で死に至らしめたのはいくらなんでも一緒にはできないでしょう。

この回答への補足

#8さんのお礼でも書きましたが、強姦に対して死刑というのは jobzeroさんの仰る「同害復讐」の範疇を超えることになりますよね。
確かに、強姦で受ける苦しみは「死」より苦しいという考えの人も少なくないと思いますが、これは個人差も非常に大きいし主観的な要素だと思うんです。だから、こういうのは刑事でもある程度は考慮しつつも、民事で反映させるのが現実的だと思います。

また、刑罰の意味も一つには絞られないと思います。jobzeroさんや他の方が仰った「償い」の要素ももちろん私は否定しませんが、それだけじゃないと思うんです。
私が質問で書いた理由もあると思います。だからこそ、未成年者は少年法で厚く保護されるし、また受刑者に社会復帰の訓練というのもあるんだと思います。jobzeroさんたちの理由だけだと そういうのって要らなくありませんか?
そう言えば、jobzeroさんは 大阪市平野区で発達障害者(アスペルガー症候群)が姉を殺害した事件はご存知ですよね。
http://ameblo.jp/omw2610022/entry-11316189970.html
裁判では検察の懲役16年の求刑に対し、20年の判決が出ましたよね。私は尻上がり判決には疑問を感じているんですが、この求刑を上回る4年分というのは裁判長も理由として「社会内にこの障害に対応できる受け皿が用意されていない現状では、
再犯の恐れが強く心配される」と言っているように“償い”でも“更生”の意味でもないと思います。

また、話は戻りますが、強姦は親告罪なので告訴がなければ処罰されませんよね。
ですから、被害者に対する償いという要素は強いと思います。
しかし、被害者が告訴後に加害者と示談したにも関わらず 裁判では検察の求刑を上回る判決が出たことがあります。これは 裁判官が「示談」ということが気に入らなかったのもありませんが、そのおかげで 被告側の弁護士は当然のことながら上訴し、裁判が長引き、被害者としては事件のことを忘れて早くリセットしたいという望みが裏切られたことになります。おそらく、裁判官は 被害者個人に対しての償いというより、社会に対しての「見せしめ」的な意図があったんだと思います。一部頷ける部分はあるものの、
私はその判決には賛同できませんでしたが。

悪はどのような定義なのでしょうか 例えば戦争で無関係な人を多数殺しても
死刑にはなっていませんよね 誤爆だとかいって 故意ではないといいますが
死んだ人からすれば 殺されたことには 変わりません 
 もっといえば 国が大虐殺する事も存在しています 国が死刑になるのでしょうか
国そのものは 現在も存続しているし 指導者は何のおとがめもありません
 日本ていえば 戦争にいった人は 生きては返ってはいけないような 勝手な
都合で 自ら命を絶つこと以外に選択肢がない つまり 殺すのが正当な行為
といえるのでしょうか 死刑なんてくだらない人のたわごとにすぎません。

この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

ご回答が本質問と少しズレていますが。どちらかと言えば、#7さんにのお礼で書き換えた質問に対する答えに近い気もしますが、#7さんとは反対のスタンスに近いですね。

> もっといえば 国が大虐殺する事も存在しています 国が死刑になるのでしょうか
外国ですが、フセインがいるでしょ。

一応、日本の死刑制度はハムラビ法典からは脱却しようとしています。
だから最高裁判例に永山基準というのがあって、一人殺しただけでは死刑にならないのです。

ハムラビ法典通りだったら、一人殺しただけで犯人は死刑になってしかるべきですよね。それじゃ古代の法律から何も進化していないじゃないか、という批判をかわすために永山基準があると理解することもできます。もちろん永山基準はそれだけのためにあるわけではないですけれど。

>>死刑というのは 矯正がもはや不可能だと見切った 人間を…

これは違うんじゃないかな。死刑囚であっても自らが犯した罪を心底反省し矯正することはあり得ます。死刑という重い現実を突き付けられてようやく自らが犯した罪の重さを悟る場合だってあるでしょう。

しかしいくら心底罪を反省し矯正しても処刑をまぬがれることはできないのです。その重い事実が死刑の本当の存在意義だと私は思います。いくら反省し矯正しても取り戻せないことをしてしまった。それを償うということです。

最後に一言付しておきますが、私は元死刑肯定派ですが、最近は廃止論者に傾きつつあります。

この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>だから最高裁判例に永山基準というのがあって、一人殺しただけでは死刑にならないのです。
Mio9000さんもご存じだと思いますが、この基準を破ったのが 奈良の小林薫の事件ですね。むしろ逆戻りの動きもあるんじゃないですか。ただ、これはこの質問の趣旨からは少し逸れますので これ以上深入りしないことにします。

>これは違うんじゃないかな。
なるほど、#6さんや#10さんも否定しましたが、理由は全く違うようですね。
しかし、この質問の 核心である 「なぜ死刑はOKなのに 視力剝脱はダメなのか」という疑問のヒントになりませんね。#6さんは 視力剝脱も賛成する方向で筋を通しています。#10さんは最近調子が振るわないのか 発言に一貫性が欠けます。 もし、私のこの仮の見解が正しいとすれば、「受刑者の視力を奪って娑婆に放り投げても無意味だから。」という理屈も成り立ちます。 Mio9000さんだって、家が半焼するんだったら いっそのこと全焼してくれたらいいのに みたいな考えではありませんよね。

"復讐とか仇討ちを否定する形できていると思います。"
  ↑
復讐の否定ではありません。個人の代わりに国家が
復讐する、ということです。これが刑法の始まりだと
言われています。

”人の視力を奪うことが野蛮なら 「人の命を奪うことはもっと野蛮なのではないか」
という矛盾が生まれます”
     ↑
どうして矛盾になるのか、そのロジックを教えて下さい。
野蛮を残虐という言葉で置き換えてみましょう。
我が憲法は、残虐な刑罰は禁止していますが、死刑を肯定している
というのが判例通説です。
つまり、目を潰すのは残虐だけど、死刑は残虐でない
としているのです。

”法律というのは被害者や被害者の遺族の視点だけでなく、もっと広い視点”
     ↑
これはその通りです。被害者側の視点、社会的視点
国家的視点から考えるべき問題ですね。
被害者の感情を無視した刑罰制度になったら、国民は
法や司法、ひいては国家を信頼しなくなるでしょう。

”感情論ではなく”
    ↑
感情は大切ですよ。
そもそも何故人を殺したら処罰されるのか、考えた
ことがありますか?
被害者の感情を考慮しているから処罰される、という
のが基本です。
法的保護に値する感情というのがあるのです。
これは窃盗でも、傷害でも同じです。
被害者の感情を無視したら刑法は成り立ちません。


”懲役刑も制裁や償いというより “罪を犯した人が矯正し、社会に復帰するために
 必要な時間” というのもあるかもしれません”
     ↑
こういうのを机上の空論といいます。
死刑になるような犯罪を侵す人間は、総じて
反省などしません。だから償う、なんて感情を
持ちません。
現場で犯罪者と接している看守とか警察官に聞いて
ご覧なさい。

米国の例ですが。
死刑判決を受けた若者が真摯に反省している
姿を見た人が、こんな若者を殺してはいけないと、必死に
かけずり回って、死刑を取りやめにさせたことがありました。
その後、その若者は元のごろつきに戻りました。
これは、反省が演技だということでは無いそうです。
死を眼の前にして、本当に反省していたのですが、死が遠ざかった
ら元に戻ってしまった、ということです。
矯正などと簡単に言うべきではないでしょう。
人間はもっと複雑なのです。

それから、死刑制度の存在により、市民8人の命が救われている
という米国の調査結果もあります。
死刑制度を無くして、それで被害者が出たら、どう
責任を採るのでしょうか。

この回答へのお礼

ありがとうございます。

ありゃりゃ、最近回答の質が落ちていませんか?

>これが刑法の始まりだと言われています。
確かにそうです。これが原始的な刑法でしょう。しかし、“「目には目を」のハムラビ法典、もしくは復讐とか仇討ちを否定する”形を修正してきたのが 「≪近代の≫司法制度」ではないでしょうか?

>どうして矛盾になるのか、そのロジックを教えて下さい。
前回の質問「熊本3歳女児殺害事件 http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7776855.html」の
#7の回答者みたいに愚問を出すのは hekiyuさんらしくありませんが、視力は人間にとって大切なものですが、命はもっと大切なはずです。ですから、刑として 視力を剥奪するのが 残虐なら、生命を剥奪するのは もっと残虐と考えることもできます。

>つまり、目を潰すのは残虐だけど、死刑は残虐でない
としているのです。
どうして そうなるのか疑問に思ったから質問を出しました。逆から考えれば 死刑は残虐でないのに どうして 目を潰すのは残虐なのかです。hekiyuさんなら どう説明します? どうも 他の人の意見を聞いても 強盗がこそ泥に説教するみたいな詭弁が多いもので。

>こういうのを机上の空論といいます。
また「机上の空論」ですか? どういう意味で使われているのか分りませんが、抽象的な用語で勿体ぶらないで「間違いです。」と簡単に言ったらどうですか? これは#6さんおお礼でも書いたように 私自身の意見というより、近代の司法制度に対する私の見解です。hekiyuさんこそ hekiyuさんの個人的意見で近代の司法制度を曲解していませんか?

>それから、死刑制度の存在により、市民8人の命が救われている
という米国の調査結果もあります。
アメリカと日本は違いますよ。前回の質問でも言及しましたが、アメリカは終身刑を導入している州が多いんですが、強姦で終身刑なら 強姦殺人もやはり終身刑ですよね。そうすると、加害者の立場からしてみれば 大した違いはないんですよ。性犯罪の厳罰化が犯罪の凶悪化を招いていることは否定できないでしょう。アメリカは誘拐が多いんですが、日本なら子供が行方不明になったら 両親が「子供を返してください。」とテレビで訴えて 子どもが返って来ることもありますが、アメリカだったら絶望的ですよね。まあ、アメリカは日本より性犯罪に対して厳しいけれど、発生件数率も日本よりずっと高いです。前回の質問でもhekiyuさんが「犯人の両親に期待なんかしません」と他の方とは一線を画した発言をされただけに hekiyuさんはかなりドライな考えをされていると思います。まあ、それだけに アメリカは小さな女の子に銃の扱いを教えたりする親もいますが、ここまで来ると怖いですね。アメリカの小学校で生徒が銃を乱射という事件も一度や二度じゃないでしょう。

この回答への補足

>現場で犯罪者と接している看守とか警察官に聞いてご覧なさい。
看守も警察官も裁判には関与できないじゃないですか?
受刑者を私情で虐待する看守、強引な取り調べで冤罪を作る警察官、そんな人たちに人を裁かせるのは危険ですよ。

私は賛成派です。

このような質問や回答に関しては
被害者の立場や第3者での立場での
発言が多い様に感じてなりません。

もし、私の子供が理不尽に他人を殺める(加害者)
事をすれば死刑を望みます。
また、死刑にならず無期刑か懲役服役後、出所の後に
自分の手で我が子を殺し、私自信も死にます。

もし、被害者側となれば、加害者を殺します。
その後、自殺します。

我が子が中学生に入学したその日に
お父さんは(私)この様な考えだと
子供に教え、人の命の尊さを教えています。


本村 洋氏の長年の苦悩で発せられた言葉が全てを語っていると思います。
「決してうれしいとか、喜びの感情はない。彼にとっては大変残念かもしれないが、
罪はきっちりと償わなければならない。判決を受け止めてほしい。
自分の人生を絶たれてしまうような被害者がいなくなることを切に願います」

この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>私は賛成派です。
質問のタイトルだけでなく、本文をじっくり読んで欲しかったんですが。
この質問は 死刑の是非を問うものではありません。

>もし、私の子供が理不尽に他人を殺める(加害者)
事をすれば死刑を望みます。
また、死刑にならず無期刑か懲役服役後、出所の後に
自分の手で我が子を殺し、私自信も死にます。
もし、被害者側となれば、加害者を殺します。
その後、自殺します。
これが お父さんの教えられた「人の命の尊さ」なんですか? 私には理解できませんが。よく言えば「命より義を重んじる」、悪く言えば「人の命でチェスやトランプのゲームをしている」ふうに感じますが。

ハムラビ法典に関して誤解があるようです。

「目には目を」というのは「やられたらやり返せ」という意味ではありません。「損害を受けたら、それに対して『適正な罰』を与えなさい」という意味です。「片目をつぶされたら、それに対して相手の片目をつぶしても良いけれど、両目を潰してはいけない」という意味なのです。

「奴隷が過失で主人の娘の片目を潰したら、その奴隷の片目を潰しても良いがそれ以上の危害を加えてはいけない」と書いてあります。かわいい我が子の目をつぶされた怒りに任せて、奴隷の両目を抉り出し、棒で力任せに殴って殴って殴って殴り殺すようなことはしてはいけないのです。そんなことをすると法を犯した殺人者として処罰されるのです。それがハムラビ法典なのです。

手元に資料がないのでうろ覚えなのですが、資金を出資して商売を任せたのに失敗して損害を蒙ったら、腕を折るだったか目をつぶすだったか忘れましたが、現代人の感覚からすると野蛮であると感じられるような方法で処罰するようなことも書いてあります。しかしその趣旨は、「そこまではやってもいいが、怒りに任せてそれ以上やるのは許さない」ということなのです。「適正な罰を加えるのは良いがそれ以上やってはいけない。そして、適正な罰は○○である。」という基準を示したのがハムラビ法典です。「怒りに任せて過剰な復讐をしてはいけない。」というのが「目には目を、歯には歯を」という言葉の意味なのです。

処罰の程度を法によって定め、「自分勝手な復讐を禁じた」点でハムラビ法典は画期的なのです。

近代の司法制度は、この適正な罰を課し、過剰な報復を禁止する、という考えが根底にあります。

もちろん、相手の目をつぶすという行為が「野蛮な行為」であることに私は反対しません。しかし、相手が「片目を潰す」という「野蛮な行為」をしたのであるなら、それに対する処罰として相手の片目を潰すという野蛮な行為が「適正なレベルの処罰」であるか否か、が問題になるのであって、その処罰が「野蛮な行為」であるかどうかは別の問題であるように思います。
私は、片目を潰されたことに対して、相手の片目を潰すことが処罰として「適正なレベルではない」とする理由を思いつくことができません。

さて、損害に対して「適正なレベルの処罰」を与えようと考えた場合、「死に対しては死を」というのが「適正なレベルではない」とする理由も私は思いつくことができません。それはその刑罰が残酷で野蛮な行為であるかどうかとは別の問題です。

「適正な刑罰を科す」という視点に立つ限り、そこには何の矛盾もありません。

相手が殺人という野蛮な行為をしたのであるなら、死刑という野蛮な刑罰が適正なレベルではない、とするのは理由付けが難しいように思います。


死刑廃止論は、死刑という刑罰が殺人という犯罪に対するペナルティとして適正であるかどうか、とは別の視点から論じられているように思います。

この先の議論は私自身結論が出せないので、書くのをひかえる事にします。

この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

決定的な結論は導き出されていませんが、それでも #4さんや#5さんよりは 問題の核心に一歩踏み込んでいる点では評価できる回答です。

そう言えば、性犯罪に対して厳罰化の傾向が強まっていますね。中には 強姦も死刑に値する という人もいるほどです。でも、これは 明らかに aokisikaさんの仰る 適正レベルを逸脱していますよね。

殺人と死刑による殺人には裁判という手順が踏んであって、
殺人と死刑は別物。

江戸時代の仇討だって、本当かどうかはしらんが、仇討免許状てのがあって
殺人とは一線を画す。

法から外れた殺人と法のもとによる殺人は分けられるべきで、同一視するのは愚か。

この回答へのお礼

ありがとうございます。

折角回答を頂いたものの、質問と噛み合っていませんが。この質問は死刑の是非を問うものでもありません。再回答は要求しませんので 僭越ながら golgol13---さんの回答に合わせて 質問を符合するように書き換えてみました。


殺人は重罪です。ですから、殺人を犯した人間は死刑になります。しかし、それでは
死刑を執行する人も殺人になってしまいませんか?
そう言えば、江戸時代の仇討だって正当化されるものではありませんよね?

死刑賛成派です。

>失明させたら、罰として加害者の視力を剝脱するということですね。
>死刑賛成派の人でも この考えに肯定的な人は少ないはずです。

私はこの考えは基本的に間違えて居ないと思っています。
野蛮かどうかなどは人それぞれ価値観によって感じ方が違いますので。
私は目には目をの精神、同じ対価で罪が償われるべきだと考えます。
例えば、私が誰かに50万円盗まれたとしましょう。
50万円+無くなた分の損失+利息で返してくれるのなら私はチャラにしますよ。
(当然心情的には、まだ盗みやがってと言うわだかまりは残りますが
代償を支払った以上、心の底から許せなくともチャラにします。)
それが1万円しか戻ってこなかったら誰でも文句を言うでしょ?
じゃ働いて最低でも50万にして戻せと言うのは誰もが持つ感情だと思います。
これと同じ感情は、被害を受けた全ての事件に当てはまります。
自分、もしくは親族の命が奪われたら、最低限、同じ大きさの対価が
支払われたと感じなければ、到底許す事など出来ません。
当然。死刑を望みます。
相手が死刑になったからと行って、死んだ親族は生き返らないとしても
のうのうと生きている事を許す事はできません。
同じ代償を払ってない不公平を許るせないからです。

では、ある女性が男性に虐待されて追い詰められて殺さなければ
殺されると思った場合はどうでしょうか。
この場合だと、既に男性から女性に対して、虐待等の借金がある状態なので
女性を死刑にしてチャラではありません。その分減額(減刑)されてしかるべきです。
また事故のような、故意ではなく命を奪った場合は
社会に属している限り誰でも加害者になる可能性があるので
同じように代償を求める事はできないとします。
このような罪を代償として考えると考えやすいですね。

>死刑賛成派の人は この矛盾をどのように解釈しますか?

なのでそもそも矛盾を感じません。

>一つの考えとして、懲役刑も制裁や償いというより “罪を犯した人が矯正し、社会に復帰するために必要な時間” というのもあるかもしれません。

この考え方そのものに同意出来ません。
この考えを、量刑に持ち込むから話がおかしくなるのです。
現に矯正されていない人が多い。
刑が軽くなって1年でも早く出れれば矯正されるなんてあり得ません。
良かったと思うのが本音でしょう。
自分が反省し変わりたいと思わない限り何の解決にもなりません。
罪を償った物への愛と理解ある社会は必要ですが
それは道徳であり人の善意でするものであって
量刑で決める事では無いと思います。

この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

こういう回答をお待ちしておりました。若干の相違点はありますが、これまでで一番私の考えに近いです。

>この考え方そのものに同意出来ません。
これは私自身の意見というより、近代の司法制度に対する私の見解です。
だからこそ、私が質問でもすでに「 全面的に私が賛同する意見でもありませんが」と書いている通りです。#1さんのお礼で イジメについて言及しましたが、これだって いじめっ子を児童自立支援施設や少年院に入れれば済む問題ではないと思います。イジメに関しても キチンと賠償を制度化すべきだと思います。

死刑に賛成派です。
ハムラビ法典の矛盾との考えではなく
死刑についての考えが、
日本人の感覚・感情を考慮する方が
現実的ではないかと思います。

世界中で死刑が廃止されているので
日本でも廃止。これは、おかしいと思います。

テレビで死刑執行までの、手続きを
見たことがあります。感想ですが
死刑囚にちょっと、甘い対応かなと・・・。

執行するまで、僧侶・牧師との会話で
自分が死亡してからの遺体の処置。
献体するのかしないのか、
家族が引き取らなかった場合にどうするのか。
そして、お茶と軽いお菓子。

死刑囚によって命を奪われた方は
最後に、自分の身の振り方など言えず
死んでしまったのですから。

この回答へのお礼

ありがとうございます。

この質問は 死刑反対を唱えるものでも 死刑賛成の同調意見を求めるものでもありませんが、mrst48さんは 他人を失明させたら、罰として視力を剝脱することについては いかかがお考えですか? 死刑賛成派の方は いつもこの問題をスルー傾向がありますから。

死刑の意義を問われるなら、巷間良く言われるような犯罪抑止でしょうが、その他に被害者の復讐感情の法的代行と言う大切な要素があります。ハムラビ法典以外にも、古来被害者の復讐は不文律も含めて広く認められていました。アメリカ西部開拓時代のリンチや、江戸時代まで残っていた仇討ちなどがその一例です。明治までは仇討ちが認められていたのです。
近代国家で刑事法が完成に近づくと、いずこの国でも被害者の直接復讐は法で禁じられましたが、その代わり法が相当の刑罰を代行することで被害者感情とバランスをとったのです。社会秩序を保つための知恵です。死刑制度はその一環です。
犯罪者の矯正と社会復帰だけを金科玉条とする死刑反対論者は、そういう法の意義、あり方を念頭に入れていません。ただただ犯罪者の人権だけをあげつらいます。法治社会では加害者の人権と被害者の悲しみ、苦悩、復讐心はバランスがとられねばなりません。法による社会秩序維持には不可欠な要素です。

この回答へのお礼

ありがとうございます。

>アメリカ西部開拓時代のリンチ
他人を失明させたら 罰として相手を失明させることへの異議について言及されていないし、dragon-manさんもハムラビ法典の考えを容認すると考えていいんですよね?

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