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もし坂本竜馬が暗殺されていないと、日本の初めての内閣総理大臣が彼をおいて、他にいないでしょう?私は彼が少なくとも西南戦争後に生きられると思いますが、伊藤博文も彼の学生ですから、その時、維新三傑が全部でなくなってしまった以上、竜馬の首相就任が当り前じゃないでしょうか?

A 回答 (11件中1~10件)

龍馬本人は、改革後は海援隊を率いて、国際貿易によって


国を富ませる事を考えていたようです。
龍馬亡きあと、そのアイディアを踏襲したのが海援隊の経理
・岩崎弥太郎=三菱財閥の創始者ですので、龍馬が生きて
いたら三菱以上の財閥を成し、ロックフェラー財閥のように
世界を動かしていたかも知れません。
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<参考>


 日本と世界を結んで貿易を行うためには、開国や商業活動の自由を保障し、世界各国から認定された統一政府が存在しなければなりません。

 また、根っから船を使った商売が好きだったようですから、対外貿易商社を運営するために、薩摩・長州の政治家に便宜を図ったというのが、一番素直な理解ではないかと、個人的に考えています。

 また、明治時代の中ごろまでは、あまり知られていた人物ではないようで、勝海舟一人が「今の政府首脳なんぞより、よほど有能だった。」と言っている程度でした。

 有名になったのは、日露戦争の時に、皇后の夢枕に立って、
「私は維新で多少の働きをした坂本竜馬と申すものです。このたびのバルチック艦隊については、ご心配に及びませぬ」
 と、それだけいって去っていったという話からでしょう。
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今より神格化されてないと思います



今ある坂本竜馬伝説の大半は薩長の派閥に比べて偉人と呼ばれる人が少なく
そのことを不満に思っていた土佐閥の後輩が適当な偉人がいないか探した結果
坂本竜馬が見つかってそこで作られたものが大半です

さらにいうとなぜ竜馬だったかというと死人に口なしですし
坂本竜馬が再発見された当時は、すでに同じ世代の維新の志士たちは亡くなっていたり
生きていても高齢で記憶があいまいだったり
そもそも竜馬自体が脱藩志士なので公式な記録も残ってない人なので
話を盛ったり創作するにもとても都合のいい人物だったのです。

したがって竜馬が早死にしていなければ
そもそも偉人探しの際に竜馬が選考対象から外れていた可能性が高く
選考対象から外れていれば当然ながら今ほど有名になってなっているわけがなく
神格化もされていないと思います
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>もし坂本竜馬が暗殺されていないと、日本の初めての内閣総理大臣が彼をおいて、他にいないでしょう?



何故か、司馬遼太郎の「龍馬がゆく」で多くの逸話が実際にあった事実として認識された部分が多いですね。
実際、1968年頃までは無名の土佐の脱藩郷士(下士)に過ぎません。
「龍馬がゆく」で、一躍全国区に躍り出ただけです。
グラバーの日記にも「龍馬と言う男は、つかえる」との記載があります。
※「つかえる」は、有能という意味でなく「利用できる」との意味を持った単語を用いています。
有名な船中八策も、「グラバーが、彼(龍馬)に教えた」との記録が残っています。
鎖国時代の日本で、地方の郷士がグラバーの話を理解できた事は驚きですがね。
まぁ、幕府にはフランスがいますからね。イギリスとしては、幕府に対抗する勢力と結ぶ必要があったのでしよう。
で、龍馬が首相になったか否か。
歴史に「もし」は存在しませんが、たぶん西郷と同様に下野したと思いますね。
土佐の田舎で、のんびり過ごしたと思います。
※そう願っています。権力を得る為に幕府を倒すのは、朝廷・長州・薩摩で充分。
が、海援隊の会計を担当していたのが岩崎弥太郎ですから「土佐商会(三菱)の総帥または大番頭」になっていたかも知れませんね。
政治よりも、世界各国との貿易・交流を望んでいましたから・・・。

貼付画像の、向かって右下から4番目が龍馬です。
向かって左上から9番目が伊藤博文です。
新政府誕生まで皆が生きていれば、この写真の中の面々が政治を動かしたのは間違いありません。
「もし坂本竜馬が暗殺されていないと」の回答画像8
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解答じゃなくて申し訳ないが、つい突っ込みたくなっったので。



>もし坂本竜馬が暗殺されていないと、

暗殺されたということが確認されたのですか。
単に殺されたということと、暗殺されたというのが違うのはわかってますよね。
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日本の坂本龍馬は、中国の呂布と同じ扱いで良いと思います。

日本人は実際に成功した人物よりも、途中で暗殺された人物を好む文化です(徳川家康よりも織田信長を好む)。

後、龍馬は現在まで残っている手紙の記述などから、本人は官僚(待遇が安定した国家公務員)になりたがっていた事が分っています。現代人が思い描く「坂本龍馬」のイメージは完全に創作で、その大部分は小説『竜馬がゆく(by司馬遼太郎)』の創作記述に依るものです。歴史的な考証や事実はほぼ0と思ってください。

従って暗殺されてなかったとしたら。龍馬は参議などを希望すると思いますが、土佐藩は明治維新直後は力が弱かったので、政府要職に就くのは難しかったと思います。

なので暫くは官僚になるための就職活動を続けると思いますが。2~3年で諦めて、その当時交際して婚約者であった、千葉道場の「千葉佐奈(さな子)」と結婚して道場を引き継ぐ可能性が最も高いと思われます。

やはり創作小説の影響で多くの日本人は龍馬の“妻”を「楢崎龍(おりょう)」と認識していますが。実際の龍馬の本命は千葉佐奈であり、やはり現存する手紙などから周囲も2人の仲を公認していた様子が読み取れます。楢崎龍とも交際はありましたが、龍馬にとっては生活を援助してくれる「便利な女」という認識でした。
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小説竜馬がゆくが大河ドラマになると爆発的に国民的有名人となった訳ですから、


逸話の部分が相当多いのです。

残念ながら、戦前の評価は分かりませんが、

殺さず。
海援隊は自己利益の追求であり、国に命を捧げた訳ではありませんから
当時の教科書には載りづらいでしょう。


土佐藩は土佐勤皇党を粛清してしまった為、尊皇派の人脈に薄く、
坂本を利用して官軍に入る努力をしました。

坂本さんは大きなバックがいないので難しいと思います。

推挙も一人では出来ないのです。
全員を納得させる理由が必要です。

薩摩藩ですから、
これだけでも全員を黙らせる推挙が可能なのです。
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私も龍馬は国政には携わっていなかっただろうと思います。



龍馬が尊敬していた人物像は、「日本第一の人物」と手紙にも残しているように勝海舟です。海舟が維新後の政府に対して背をむけた態度は、おそらく龍馬の行動を考える際に参考になると思います。

また、龍馬が新政府職制案である「新官制擬定書」を作った時に、自分の名前を名簿にいれず、西郷隆盛が不審がって尋ねると「わしは世界の海援隊をやります」と答えたという有名な逸話もあります。総理大臣の役職に喜ぶような人物だったとは思えません。

むしろ、下の方が書かれているように、企業家となっていた可能性の方がよほど高かったのではないでしょうか。あるいは日本など飛び出してアメリカで活躍していたかもしれません。
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無理じゃないでしょうか?



生きていたとしても50歳ですし…
当時の50歳って現代の70歳位ですよ

龍馬暗殺を無くすという事は赤松小三郎暗殺も無くさせてください
赤松がいたら龍馬の出処はありません
そもそも議会政治を春嶽に建白した人物が赤松ですので

赤松を殺して龍馬が生きていた場合、龍馬は中村半次郎にぶっ殺されますよ
理由は師匠のアイデアをさも自分の成果と風潮した南蛮かぶれ野郎
東郷平八郎も龍馬を殺す方向で動くでしょうし、薩摩閥は龍馬を拒否します
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( ̄~ ̄;)うーん、たぶん本人が辞退したか、外国に活躍の舞台を求めたか、他の誰かに暗殺されたかのどれかだろうと思いますよ。

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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
もし首相就任は龍馬さんの志を遂げられるなら、彼は辞退するなんか、外国に活躍の舞台を求めたなんか、一概に求めませんかもしれないね。
龍馬暗殺の翌年で明治維新が始めましたから、もし龍馬さんは明治維新後に生きられると、暗殺される機会が少なくなるでしょう。

お礼日時:2012/11/11 11:43

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