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大学生です。
学問とビジネススキルとの勉強方法の違いに関する質問です。

大学では講義に出席したり、ゼミや研究室に所属して先輩や教授の意見を仰いだりして、誰かに教えてもらいながら勉強します。
ところが社会人になると一変して「ビジネススキルは、大学時代のように受け身でするものではなく独学で身につけるものだ」といわれたりします。

ビジネススキルを独学で身につけなくてはならない、という点については別に構わないとして、新たな疑問が発生します。
大学時代の学問だって「受け身でするものではない」と思うのですが、学問を独学ですべきだという人間は少ない気がします。

なぜビジネススキルは独学せよといわれるのに、学問は独学せよといわれないのでしょうか。

A 回答 (6件)

若い頃、特に義務教育の年齢(遊び盛り)で独学せよというのは酷ですね。


大学教育まではそういう洗練された国家的なシステムがあるんだから、利用しない手はないでしょう。実質さほど有効に学んで居ない人もいるかもしれませんが。
独学は社会人になってから必須になります。ビジネススキルはじめあらゆる学問が門戸を開けています。これはいわれなくとも常識だと思いますが、大学を出てからはぴたっと学問をしないひとも少なくないのではないでしょうか。情けないことだ思います。
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学んで習わざればすなわち危うし、習うて学ばざればすなわち暗し(暗いと危うしが逆かも?)。


何事も、どちらも大切なのは、上の通り
>学問は独学せよといわれないのでしょうか
いうまでもなく、あたり前だから(でも習うことも必要)
>なぜビジネススキルは独学せよといわれるのに
職人の世界では、技術は盗めともいわれます、ものによっては門外不出もあります。
つまり、ホイホイ教えてもらえるレベルではほとんど使い物にならないのです、だからその程度のレベルの人は他人に教えることで収入を得ようとします。
高い実用レベルのものは簡単には教えてもらえません、また、たぶん教えてもらって身に着くものでは無いかとも思います(本人の自覚?が無ければ身につかない)。
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ビジネスもある程度のレベルならば学校で学べます。

つまりMBAを取得することです。
一種の大学院で、多くの学校が社会での経験がないと入学を許可していません。二年近くの学習を通しビジネスの多くを学びます。海外のトップではMBAを持っていない人のほうが少ないくらいです。日本でも、一ツ橋大、慶応大、筑波大、グロービスなど多くの教育機関がMBAプログラムを提供しています。
確かにビジネスには正解はありません。であれば、経験を積むしかありませんが、それをケースメソッド等や実施を通して学ぶものです。
ハーバード大のMABを取ってトップになった人のリストがこのサイトにあります。
http://en.wikipedia.org/wiki/Harvard_Business_Sc …

海外ではMBAに対してそれ相応の給料を払いますが、日本ではその認識が低いのが現状です。コンサルをするにはMBAなしでは非常に難しいでしょう。
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まずなぜビジネススキルが「独学」なのかを考えます。



極端に言えば、ビジネスには正解が無く、また正解があっても一つではないため「目的」を達成する為にどのルートを選ぶかは自分の実力や環境そして価値観に左右されます。

たとえば毎月1000万の売上がノルマの営業が10人居たとして、全員が同じ方法でノルマを達成するわけではないからです。
人によっては、常に紹介で営業先を開拓したり、または飛込みが大好きな人も居るでしょうし、値引をすることで売上を立てる人、絶対に値引をしないがその代わりとことん顧客の要望に付き合う人、などビジネスの世界では「1000万の売上を立てる」ということが重要であって、そのルートは問われないからです(もちろん違法行為はダメですが)

このような状態であれば、そもそも体系が整った「ビジネススキル」というものは成り立ちません。ビジネススキル本や成功スキル本などの内容がそれぞれ異なっているのも、それぞれの個人が自分で会得したスキルを成功体験として書いているからです。

これに対して学問は「体系」が重要になってきます。なぜなら、学問は研究であり、研究とは「誰がやっても同じ結果にたどり着くこと」が必要だからです。
もっともこの点で人文学・社会学的な研究と科学的な研究ではすこし様相が異なりますが、体系がありその体系にそってテーマが決まる、という点では同じだといえるでしょう。

では体系とはなにか?ということになるわけですが、科学的な体系とはたとえば量子力学でいえば、まずアインシュタインの発見した相対性理論があり、これに基づいて様々な研究がなされていくということであり、一見関係のない数々の研究が実はおなじ現象の別の側面(別の観察結果)だった、というようなことがよくあるものです。
この場合、これが本当に同じ現象を別の観察結果として表していることになるのか?ということは体系を知っている学者たちが議論を重ねることで、初めて明らかになるといえます。

つまり「研究」という事だけ取ってみれば、自分でテーマを勝手に作り、勝手に研究して成果を上げることが可能です。
最近のニュースで言えば、2007年にアメリカの高校生が自宅でガラクタを使って核融合を成功させた、というものがあったように、研究すること自体は可能です。

しかしこの「核融合させた」ということがどのような意味と可能性を持つのか?そしてこれがどのような役に立つのか?新しい発見なのか?などは「今まで知られている知見と比較し、客観的に評価する」必要が出てきます。

この今まで知られている知見というのが「体系」として科学的に知られており、それをよく知っている学者(こういう人を高名な学者と言う)たちが、純粋に客観的な目で見て「新しい発見である」「今まで知られている現象だが、高校生がガラクタを使って再現するとはたいしたもんだ」という評価が定まるわけです。

この評価によってたとえば「新しい発見」とされたならば、世界中の学者が追試験を行い、その発見の確実性とその現象の意味するところを新たな研究テーマとして体系的な知識に加えるべく様々な研究と議論が起きることでしょう。
 逆に「今まで知られているが高校生が実験したは素晴らしい」ということなら、世界中の研究者が研究することはなく新たに体系的な知識として書き加えることはなにもありませんが、その高校生はどこかの大学に推薦や奨学金付きで研究者(学生ではない)として迎えられるかもしれません。

つまり学問としての研究とは自分でおこなうだけでなく、それが今まで知られている結果や事実にどのように結び付いていくのか?が重要になってくるのです。これらの「今まで知られている事実」を自分ひとりで確認するのは難しいですし、研究テーマを自分で勝手に決めると「それは世界中で100人ぐらい同じことをしているよ」と言われてしまったりするので、教授や上席研究員の意見やアドバイス、そして彼らのもっている情報を取り入れて研究テーマを決めることになりがちなのです。

もちろん世の中には独自で独創的な研究をする人もいます。たとえば2002年(平成14年)ノーベル化学賞受賞を受賞した田中耕一氏などは、学問としての研究ではなくビジネスの現場として新しく開発した検査方法が革新的な手法として受賞につながったものであり、体系的な研究とは(参考にしてはいるはずですが)まったく次元のことなる必要性から発見したものだといえます。

実際に田中氏は大学は出ているものの博士号をもっているわけではなく、ビジネス目的の開発が科学的進歩の意味合いをもっためずらしい例だといえます。

そもそも大学の学問とは高校までと違い、与えられてたカリキュラムではなく、自分でテーマを決めて取り組むものです。ですから大学卒業時に卒業論文があり、論文の結果として学士が与えられるのです。

学士を持っていれば、その先は本当に自分(と所属する院や研究所のテーマに沿って)研究内容を決め、世界で共有している知識体系に自説が載るように日々研鑽するわけです。

勝手に自分でやっても研究は研究ですが、第三者の評価を受けないものは「知識」になっていかないので、学問は独学では難しい、といえるのです。
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いえ、大学の勉強だって基本的には「自主・自立」でやるものです。


大学の学問は本来そうです。

授業で単位取らないといけないし、ゼミや研究室で論文書いたりしないといけなくて、
「それって独学じゃないじゃん」と言われそうだが、それは詭弁です。

「自分から勉強する」自立の意識を持ってないと、ゼミや研究室でやることなんか、ついていけないでしょ。
1から10まで教授や先輩が教えてくれるわけじゃないでしょ。

そういうことです。

ただ、現在の大学生、全体的に見ると、「自分から勉強する」ということができない学生が圧倒的に多い。
これが問題になってます。みんな受験が終わったら燃え尽きてしまうのか何なのか、勉強しなくなる。
さらに、「大学全入」の時代、推薦やAO入試など入試形態が多様化され、私立大学の4割くらいが定員割れしている
中では勉強しなくても、選ばなければどこかしら大学に入ることはできます。

結果、自分では勉強の仕方すらわからない大学生が増えてるんですね。

さて、これが社会人になったら、こんなのは通用しない。
何でもかんでも「教えてもらわなきゃわかんない」じゃ仕事にならねえ。

だから「そんくらいのことは自分で勉強しろよ!」になる。

>大学時代の学問だって「受け身でするものではない」と思うのですが、
>学問を独学ですべきだという人間は少ない気がします。

この考え方はごく当たり前の一般論であって、だから言う人少ないんです。

結論としては
>「ビジネススキルは、大学時代のように受け身でするものではなく独学で身につけるものだ」といわれたりします。

これ言ってる人がちょっと認識を間違えてるというか、現在の大学における歪んだ環境を逆説的に捉えてるのかもしれないですね。

ご質問の答えになってますでしょうか
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>学問は独学せよといわれないのでしょうか。



学問・研究こそ自ら学ぶのが当たり前だからです。

そういうお馬鹿なことを言う人がいたら、
南方熊楠の爪の垢でも煎じて飲ませてあげましょう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E6%96%B9% …
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