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近所のどっかのお年寄りの訃報が回覧板で回ってきてもなんとも思わないのに、

三宅久之さんの訃報ニュースに接して、なにか思うものがあったりする。
ネズミが出たからと嬉々として駆除に精出すその一方で、
ペットのハムスターに頬ずりしたりする。
どう考えますか?

A 回答 (7件)

命の重さは同じでしょう。

でも、印象と関わりは自分との距離・関係性・利害で変わってくるのです。

身内が亡くなれば当然に悲しむはずですが、キライな身内ならうれしいかもしれません。近所でもまったく知らない人ならニュースで見る犠牲者などと同じで、ニュースというだけでしょう。

しかしニュースで流れた犠牲者に、裁判員などのように関わるようになれば、その人の死を深く考え一生忘れることができない記憶になるかもしれません。

ねずみはペストなどを媒介する人間に非常に不利益をもたらす存在ですから、殺すのは(命の重さが同じだとしても)致し方ありません。ただし殺すのは人間と接触する可能性のあるねずみだけです。

ハムスターは愛らしい愛玩動物として有益とされています(キライな人ももちろん居ますが)ですからわざわざ購入して身近に置く人がいるのでしょう。

この考え方を延長すれば、人間であっても自分に害を為す人は殺すことにつながります。現在は殺人として罪に問われますが、戦国時代や戦争、革命時などは正当化されることもあります。

つまりはすべて相対的な話で自分との関係性、で決まるといえます。そのように人間は自己中心的な判断を下すのだ、という前提つきですべての命は平等です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

コメントのすきを当てない素晴らしい回答ですね。パチパチ。

お礼日時:2012/11/21 22:56

命の重さが違うのではなく自分との関わりの深さだと思います。


あまり亡くなられた方の名を連呼するのも抵抗があるのですが、
三宅さんの意見に触れて自身が感想や感情を持ち、
自分の中にその存在感が強くなったからではないでしょうか?
先の方が嫌いな身内ならと仰ってますが、
おそらくそれはそれでインパクトがあるんだと思います。
一方で幼い時期の顔も名前もよく憶えていない知り合いに関しては
意にも介さないのではないでしょうか?

父の葬式の時、窓の外を二人の女の子が楽しそうに遊びに行くのが見えました。
その娘たちにとっては楽しい日曜日です。
一方で家族を亡くしその喪失感を強く感じている私たちがいます。
そういうことではないでしょうか。

ハムスターは癒してくれるから頬ずりします。ねずみは厄介だから駆除します。
しかし、適当にそこらへんに居る虫には存在すら興味ありません。

多少、宗教的染みてるかもしれませんが、
「宇宙は自分が生まれてから死ぬまでの認知している全て」という考え方があります。
自分の中での存在の大きさが亡くなったときのインパクトの強さではないでしょうか?
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普通じゃないでしょうか。



TVでよく見るひとはその人柄なども知り尽くしているようで(錯覚かもしれませんが)、近所の無愛想な老人よりもずっと親しく好ましく思えるものです。
何年も同じ部屋で過ごした猫の死は悲しいものですが、自分の庭で臭い糞をする隣の猫は毒饅頭を食わせてやりたい(実際にやられました涙;;;)。

人間の感情は振れが大きく、不条理がしばしばです。ですから殺人罪の刑も執行猶予から死刑まであるのでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>ですから殺人罪の刑も執行猶予から死刑まであるのでしょう。
ちょっと飛躍しているかな?(笑)

お礼日時:2012/11/21 21:35

どろぼうが最初に登場する小説では、次に警察が出てきても泥棒が主役になって


泥棒の方を応援して、警察に捕まえられそうになるとハラハラしてしまう

主役は状況によって変化するものなのです
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

ちょっとズレていますが、面白い喩ですね。

お礼日時:2012/11/21 21:33

>命の重さをどう考えますか?



主観。人それぞれ。重くなったり軽くなったり差が大きい。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2012/11/21 21:36

自分にとって必要な人、そうでない人


そんだけですよ
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2012/11/21 21:36

「亡くなった人への興味・関係性で変わって来て全員にとって一律では無い」と感じます。



質問文で例に挙げるなら
三宅久之さんの事を知らない人にとってはとるに足らない1人の人間の死のニュースであり、近所のお年寄りの訃報も近親者に取っては悲しく重たいものです。

ネズミも害獣であっても可愛いと思う人にとっては駆除に対して疑問を感じますが、ハムスターに対して嫌悪感を持っている人にとっては何故愛でたくなるのか理解が出来なかったりもします。


興味がない、情報が無い、関係がない対象者に対して人間は以外と冷酷です。しかし逆を言えば全ての命を同じぐらい平等に感じるのも難しいものです。

カラスにゴミを荒らされれば駆除されれば良いのにと思ってしまったり
自分に害を成す人間は「こんなやつ消えてしまえば良いのに」と考えてしまいます。

それらも含めて「平等に」と言うのはなかなか難しい事なのではないかと。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2012/11/21 21:35

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