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こんにちは。司法制度改革の事で質問させてください。かなり素人です。

 現在より弁護士が増えて法律が市民に身近になり弁護士の質が良くなり、そしてそれぞれの分野において専門的な弁護士がこれからは増えるようになると聞いた事があるのですが、アメリカのような訴訟社会になる可能性はないのでしょうか?

 アメリカが訴訟社会と言われるのは移民の集まりで慣習法がない。皆それぞれ宗教観、生活習慣が異なるが所以に訴訟が日常的にあると聞いた事があるのですが、そうなんですか?

 ニュースウィークで最近アメリカの訴訟地獄?という記事を読んだのですが、 

 肥満になってマクドナルドを訴える
 公園の遊具で遊んでいた子供が怪我をして州を訴える
 女性社員に髪型の事を尋ねたらセクハラで訴訟
 学校で先生が生徒に注意などしても生徒が「証拠がないだろ訴えるぞ!」 
 病院の診察に不満で患者が訴訟
 ~~
こういうモラルが無い?訴訟が多すぎて公園からは遊具を全て無くす州があったり財政が圧迫して質の良い教師が雇えないなどの問題があるらしいです。
  
 最近日本でも昔よりモラルが低下した市民が増えてしまったような気がするのですが、法律が身近になりすぎ何でもかんでも訴訟というような事にはならないのでしょうか?
 
 すいません。詳しい方どうかお願い致します。

 

A 回答 (6件)

あの~ちょっとあんまりな回答が多すぎると思うのですが・・・



多民族性というのも一因でしょうけども、根底にあるものが米国(というか主な移民元は欧州でしょ?)と日本では違うんですよ。それは数千年続いている宗教に現れています。

あちらは、全能全知で絶対なる唯一神がおり、他はみんな「迷える子羊」なわけです。

でも日本には八百万の神(やおろずのかみ)がおり、仏教では、それぞれの人(どころか動物にも)に仏がいる,ということになっています。

ですので、あちらは、絶対の法律があり、なにかあればその法律にお伺いをたてる,ということが常識なわけです。

日本では、それぞれに神が仏がいるわけですから、個人個人が勝手に判断して、その場で解決してしまうことが多いわけですね。

これは、コンピューターの使い方にも如実に表れています。米国などでは、会計のパッケージを導入すると、伝票など、そのシステムが出す形式に全部合わせ、仕事の流れさえもシステムに合わせて変えてしまいます。

でも日本では「この伝票はうちのと違う」「このやりかたはうちと違う」とパッケージの方を変えるよう要求されます。日本ではパッケージがなかなか普及しないんですよね。

あと、ISOといわれる国際基準も、いかにもあちら風ですね。これも要は会社の憲法を作って、例外なく(社長も)それに従わせる。従っているかどうかをチェックし、従っている証拠を残させる,という実に日本に合わない仕組みになっています。

そういう意味で、弁護士や裁判官が増えたからと言って、すぐに裁判が増えるか,というと、そうでもないでしょうね。というよりも裁判にすべき内容がおざなりにされている、ことを救う方が先決なのです。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。宗教観からご説明してくださったんですね。

絶対神から絶対の法律という発想とは皆それぞれのご意見でとても「う~む」と考えさせられました。

なんにせよこの改革で良い世の中になってほしいですね。
本当に有難うございました。

お礼日時:2004/02/19 19:59

質問者の方が危惧されている点はもっともなところがあると思います。


たしかに、テレビ番組等の影響もあってか、生半可な法律知識をひけらかしたり、気に入らないことがあるとすぐ「慰謝料」などと言い出す傾向がみられますよね。弁護士の数が増えることでこのような傾向がいっそう助長される可能性もないとはいえないでしょう。
ただ、日本の場合はアメリカと異なり、少なくとも民事裁判は陪審制ではありませんし、懲罰的損害賠償度も基本的に認められていませんから、アメリカのような「ばくち的」な訴訟が起こされたり、そのような請求が認容されたりする可能性は低いと思います。
陪審制の場合にはどうしても感情論に左右されやすくなりますし、大企業と一般市民の訴訟だったりすると証拠や法律がどうであれ大企業を負かす方向に傾きやすいことは否定できません。しかも懲罰的損害賠償ということで実際の損害の何十倍、何百倍もの賠償金をとれたりしますから、うまくいけばそれでひと財産築くことも可能ということで、常識的に考えればおかしい訴訟でもがどんどん提起されるわけです。弁護士も、日本のように着手金をとらずに完全な成功報酬でやる場合が多いので、依頼する方も気軽に訴えを起こせますし、弁護士としても勝訴したときには膨大な報酬を期待できるという、まさしくギャンブルです。
裁判官による裁判が機械的だと書かれている方もいますが、それは法的安定性ということと裏表の関係にあると思います。たしかに、素人が判断すれば予測もできない結論が出たりして話としてはおもしろいかもしれませんが、裁かれる方はたまったものではないでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。確かに民放の番組で法律のやつありましたよね、あれはネタとしては面白いですが。どれ位の影響が視聴者にあるかは最近の日本を見ていたらプラスにはならないような気もします。 

 でもこれからって日本も陪審制を導入しようと考えているんじゃありませんでしたっけ?

とにかく有難うございました。

お礼日時:2004/02/19 19:50

こんばんわ、jixyoji-ですσ(^^)。



stevensさんのおっしゃっているのは下記事例などですね。

「ある訴訟事件から」
http://www.ne.jp/asahi/choonji/namo/hanasi3-169. …

「<たばこ訴訟>米大手に1兆円超の賠償命令 「ライト」でも害」
http://www.infoaomori.ne.jp/~kujipon/page008.html

「《肥満とハンバーガー》を斬る!」
http://www1.raru.net/tatsu/essei/ogi-overweight. …

日本がアメリカのように訴訟ラッシュになることは無いですね。まず下記データをご覧ください。

「日本の法曹人口」
http://www.nomolog.nagoya-u.ac.jp/~kagayama/chin …

上記比較表にある先進国の総人口は下記で確認できます。

「目で見る 世界の国と地域の人口」
http://www2m.biglobe.ne.jp/~funatsu/vpopj.htm

つまるところ先進国の中でも日本は法曹人口が極端に【少ない】事がお分かりいただけると思います。その先進国との格差を是正する為に年間約3,000人の法曹人口の増加を目的化させています。逆にアメリカはあまりに法曹人口が多すぎる為に過度な訴訟ラッシュが発生している事もお分かりいただけると思います。アメリカでは"馬鹿でも弁護士になれる"程規制が緩く,また日本やヨーロッパに比べ歴史も浅く価値基準が【金】と【(アメリカ流の)正義】でしかないので倫理観ゼロの訴訟が多いといえます。

アメリカはそもそも西部開拓の歴史から【ルールの無い国】から出発しているので,大量破壊兵器の大儀で戦争をおっぱじめ,それが無いとわかると『フセインは悪い奴だ』という支離滅裂な論理からもわかるように【先取防衛】型で『疑わしきは黒』で拳銃を発砲する国民性ですから多すぎる法曹人口から現状のような事態に陥っているのでしょう。これが日本でそのまま当てはまるかというとそうではないと思われます。

確かに訴訟件数は増えるでしょうが日本はあまりに訴訟にもっていくケースが少なすぎるしそれに訴訟にいたる間口も狭すぎます。ただ日本でも昨年10月に東京地裁にたばこ訴訟がおこされましたがあっさり棄却されています。現時点では良識的解釈かもしれませんが世界的に禁煙活動が常識化し,各国でもたばこ訴訟が通常化するとこういった棄却するケースも少なくなるかもしれません。ただ少なからず裁判官が訴訟を棄却する事が可能である以上むちゃくちゃな裁判(ハンバーガーを食って肥満になったなど)は起こせないですね。

「肺がん患者ら原告の請求棄却 たばこ訴訟で東京地裁判決」
http://plaza.umin.ac.jp/~harasho/nsmk/kzh/asa031 …

また先進国の中で日本だけが一般人が法の裁きに参加できていない事実もあり【参審制度】が今構築されています。アメリカ,イギリスは陪審制度でフランス,ドイツなどは参審制度が導入されています。ちなみに日本でも大正12年に陪審法が制定され,昭和3年~昭和18年まで刑事事件の一部で陪審制が実施(ただし判決に対する強制力はなし)されていましたが,戦後なくなった経緯もあります。

「司法制度改革推進本部」
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/sihou/index.html

「G8の市民参加制度」
http://www.nichibenren.or.jp/jp/katsudo/shihokai …

そもそも純粋培養された裁判官だけが判決を下すとあまりに法律にのっとりすぎた機械的判決が多くなっているのも事実で例えば

・オウム真理教のサリン事件で死刑ではなく無期懲役刑がでる,麻原被告(松本智津夫)に対する判決を出すのに既に9年目に突入と時間がかかりすぎている事(ちなみにこの麻原被告1人だけでも国選弁護人の費用,刑務所などでの飲食代,文書費などで既に国民の税金が5億円もかかっている)。

・日本の裁判システムの悪しき慣習で"8割判決"といって何の判決にしても"満額刑"はなく,100%の刑に対して×0.8で実刑判決を出す事が大半である事。

・その裁判の判決1つに対しても【前例主義】という悪しき慣習により,1個の判決として絶対的に見るのではなく過去の判例を基にした相対的な判決になりやすい事。

・常習性が無ければ人1人殺してもまず死刑は無く最低3~4人を作為的に殺しても死刑にならないケースが多い。また精神鑑定で【心神耗弱者】,【心神喪失者】は刑法第39条の規定で死刑は絶対無い事。

などが挙げられます。これらの事からもごく一般的市民感覚で量刑がどういったものが妥当かを寸借するレベルを法律にも持ち込む必要性のほうが多くなっており,包括的に考えて司法制度改革は日本にとって急務だといえます。

それではより良い法律環境である事をm(._.)m。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。う~むすごいですね感激と同時にとても感謝しています!とても勉強になります。

jixyojiさんもとても長い文章でしたがとても面白かったです。本当に有難うございました。

お礼日時:2004/02/18 21:50

詳しい方ではないのですが。



結局、社会を構成するのは「公序良俗」ですし、法律の基も「公序良俗」です。
ですから、たとえ同じ制度や環境ができても「公序良俗」が違えば、社会によって違う結果が出てくると思うのです。
その意味で、日本で「弁護士が増えた」からといって、訴訟が増えるとは思えないのです。

1.アメリカが訴訟社会と言われるのは移民の集まりで慣習法がない。

これは多分間違いのないことでしょう。
つまり、民族間に「公序良俗」の共通項が少ないから、結局「法律」に従う必要があると。
そうすると、トラブルを全部「法律」に照らす必要がでてきますから、もともと裁判しやすい環境なので、結果裁判が増える、弁護士が増える、ということなのだと思います。

そう、弁護士が増えたのは、結果でもあり、
弁護士が増えたから裁判が増えた、というのは、卵が増えたから鶏が増えた、だから、卵が増えた、みたいな話になっているみたいですね。

2.モラルがない社会?

モラルがないから、っていうのではなくて、先ほど書いたとおりで、何事も法律に照らさなくてはトラブルが解消できないから、なのだと思います。

3.何が何でも訴訟?

日本は、よく「自己責任がない」といわれますが、私は米国に比べて日本ほど「自己責任」を求められているところはないと思いますよ(*)。

たとえば、日本では、法律がない場合、十分な注意を払うことが常識として求められるときは、不注意だったほうがいくら主張しても、賠償されませんよね。でも、アメリカでは、そうでもない。裁判した結果勝ってしまえば勝ち(って当たり前なような言い方になってしまいますが)。
まあ、こういう点(裁判に勝ったほうが勝ち)をご覧になって「モラルがないな」と思われるのではないかと思います。

その違いは、先の「公序良俗」がどこにあるか、で日本は共通ベースとして「不注意なら他人(ひと)に責任をかぶせられない」というのがあり、米国には共通ベースが少ないから、「裁判をして判断する」ということなのでしょう。

話は脱線しますが、日本では詐欺の被害者が冷たく扱われますが、これも、「詐欺にあうのは被害者が不注意だから」「不注意なら他人に責任をかぶせられないのではないか」というロジックだと思うのです。

*…甘えの構造、のようなメンタルな話はしていません

4.まとめ

先ほど、訴訟の数と弁護士の数がアメリカでは鶏と卵の関係になっているのではないかという憶測をしました。
これが仮にあっているとすると、日本では、まだ十分な弁護士がいませんし、たとえ、弁護士になる人数が増えても、それによって訴訟が増えるというレベルになるまで弁護士が増える、っていうことは、ない、ように思います。

また、日本人がもともと、訴訟より、うちうちのルール(つまり公序良俗、常識ということもある)でトラブルを解決することも考えると、質問者さんの疑問はNOという答えになるように思います。


※以上はあくまでもシロウト論です。
 でも、こういう正解のない話で、プロとシロウトで違いがでるのだろうか?シロウトだから、間違えてしまう、ということがあるのだろうか。
 そういう思いで書きました。自身はありますが、あまり信用しないでくださいね。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。

>社会を構成するのは「公序良俗」ですし、法律の基も「公序良俗」です。
ですから、たとえ同じ制度や環境ができても「公序良俗」が違えば、社会によって違う結果が出てくると思うのです。
 
とても説得力あるご意見です。自分は頭悪いのでこういう発想が出来ないんですよ。とても勉強になります。
 
長い文章でしたが非常に面白かったです。本当に有難うございました。

お礼日時:2004/02/18 21:40

こんにちわ


これからは自己責任の時代へ変化していくはずです
自己責任ですから他者の責任を強く追求していく
傾向の社会になります
国際的にはこれがあたりまえで、今までの日本の
習慣がむしろおかしかったのです
日本では「なあなあ」ですませたり「お上頼り」
だったので、それなりに平穏な社会が続いてきたのですが
そのことによる弊害のほうが最近では多いと思います
ギスギスしていくことにはなるでしょうが
国の責任、病院の責任、その他追及していき
個人の権利をどしどし主張すべきと思います
訴訟社会へ少し近づいていくべきですね
例えば詐欺被害を受けたら、必ず弁償訴訟を起こし
被告が裸になるまで金を返してもらう、
殺人事件なら被害者の生涯賃金を弁償してもらう
というような訴訟風習が定着すれば、犯罪も減る
可能性があります

ただし
肥満でマクドナルドを提訴するのは行き過ぎですね
そのような例外の1つとしてはこの前の法隆寺店舗立ち
のきのような案件ですね、あれは公共福祉のためにやむを
得ないことであり、あそこまで個人の権利を主張しては
いけません
成田空港も変な人ががんばっていて滑走路が出来ません
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。

>~それなりに平穏な社会が続いてきたのですが
そのことによる弊害のほうが最近では多いと思います

まさしくそうですよね。訴訟社会に近づいて今よりいい世の中になることを願っています。有難うございました。

お礼日時:2004/02/18 21:32

当然そうなると思います。


そうでないと増加した弁護士が食べていけません。
そのために訴訟解決を迅速化する改革もすすんでいます。
ネットなどではすでにその兆候はありますね。
現在は大企業が訴訟をちらつかせて一般人を脅すようなことが広く行われているので、訴訟社会になれば逆にそういうことはなくなると思いますが、さてどちらがいいのでしょうか。
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この回答へのお礼

一番にご回答有難うございます。 難しい問題ですよね。国民の道徳意識?がどこまでついていけるかなんでしょうが・・・・。

とにかく有難うございました。

お礼日時:2004/02/18 21:27

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